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ss 霊山白山登山と山岳信仰 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]
2024年8月初旬に、白山に登山した。
初日の登りは、別当出会(石川県白山市)から砂防新道を経由して室堂の山小屋泊。
翌日は、白山山頂の御前峰(2702m)で白山奥宮の神主さんとご来光を拝み、お池めぐりの後、観光新道を経由して別当出会に戻るというコース。
前回の記事は、白山に登山して「ハクサン」の名が冠せられた高山植物を堪能したもの。
今回は、日本三大霊山のひとつ白山信仰に関係するもの。
なお、本記事は前回記事を分割したものなので、既に分割前の記事をご覧になった方はご容赦を。
白山信仰
白山は、富士山、立山と並び日本三大霊山と称される霊峰だ。
石川県白山市三宮町の白山比咩(しらやまひめ)神社は、全国3000社ともいわれる霊峰白山をご神体とする白山神社の総本宮である。
鎮座は2000年以上も前で、信仰のために白山へ登山(登拝)する拠点でもあった。
登山道は、加賀禅定道と呼ばれ、一時荒廃したが現在では再び整備復活されている(他に、福井県平泉寺白山神社からの越前禅定道、岐阜県長滝白山神社からの美濃禅定道がある)。
白山比咩神社の本殿手前には、白山奥宮遥拝所がある。
ここには、白山三山の御前峰、大汝峰、別山の形をした大岩が祀られている。
白山(御前峰)山頂にある奥宮まで登拝できない人は、ここで白山を遥拝する。
白山山頂の御前峰には、奥宮が鎮座する。
別当出会から上は、白山神社の境内地だ。
そういえば、富士山も山頂は浅間神社の所有地だった。
ご来光は、そもそもは「ご来迎」として日の出の際のブロッケン現象(見る人の影の周りに光の輪などが後光のように現れる現象)を阿弥陀仏の来迎になぞらえたものともいう。
富士山を含め多くの山々では、山頂でご来光を拝むのが日本人の習わしでもある。
白山もその例外ではない。
例外ではないどころか、室堂の奥宮祈祷殿では夜明け前にご来光登山の案内ともなる太鼓が鳴らされる。
山頂の奥宮では宮司さんが祈りを捧げ、ご来光の前には白山信仰の由来などをお話ししてくれる。
そしてご来光の際には、宮司さんの音頭で登山者全員の万歳三唱がある。
これぞ、「登拝」の醍醐味でもある。
ご来光のための登山は、日本だけでもない。
インドネシアのブロモ山群でも、ご来光登山が盛んだ。
人々がご来光を待つ場所は、ジャワ島最高峰のスメル山(3676m)やブロモ山(2329m)ではなく、外輪山外側のプナンジャカン山山頂(2770m)だ。
熱帯とはいえ、標高3000m近い山頂の日の出前の寒さは南国育ちの人々にはこたえる。しっかりと防寒対策をして日の出を待つ。
ここから、朝日に染まるブロモ山などテンゲル火山群を眺めるので、登拝というよりは「遥拝」だ。
その後、ブロモ山まで移動して山頂まで登る(登拝)。
ところで、朝日を待つために着込んだ防寒着は、今度はいつ、どこで使用するのだろう。他人事ながら気になってしまう。
ご来光登山の類似の風習は、世界各地で経験した。
山岳、そして太陽を崇めるのは、世界中の人類共通の根源でもあるようだ。
容姿などに変化はあっても、現生人類はホモサピエンスの1種だけ。
それなのに現在、宗教も原因のひとつとなって世界から戦火が消えないのは何故だろうか。
山岳信仰が ”生物多様性”や”世界・自然・未来との共生”と、なぜ、どのように関係するのか。
興味・関心のある方は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生』(ちくま新書)の第4章 未来との共生は可能か 第1節 過去から次世代への継承 の「植物名と山岳信仰」「自然の聖地」「世界遺産富士山」「現代に蘇る聖なる山」などもご参照を。
興味・関心のある方は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生』(ちくま新書)の第4章 未来との共生は可能か 第1節 過去から次世代への継承 の「植物名と山岳信仰」「自然の聖地」「世界遺産富士山」「現代に蘇る聖なる山」などもご参照を。
【本ブログ内の関連記事】
ss 本場の白山でハクサンの名のつく高山植物を堪能 [生物多様性]
大変長らくのご無沙汰でした。久しぶりにブログ記事を更新します。
白山登山で、本場の「ハクサン」の名が付く高山植物をはじめ、多くの高山植物を堪能しました。
白山登山
2024年8月初旬に、白山に登山した。
初日の登りは、別当出会(石川県白山市)から砂防新道を経由して室堂の山小屋泊。
翌日は、白山山頂の御前峰(2702m)で白山奥宮の神主さんとご来光を拝み、お池めぐりの後、観光新道を経由して別当出会に戻るというコース。
さすが「花の白山」だけある。高山植物を堪能した。
ハクサンの高山植物
この間に、多くの高山植物に混じって、頭(接頭辞)に「ハクサン」の名が付く高山植物が何種かあった。
その筆頭は、ハクサンフウロ。
小振りながらピンク色の花が一面に咲く様は圧巻だ。これぞお花畑の感がある。
登山道脇のハクサンシャジンもまたこの時期は数も多く、目を引いた。
紫色の小型の釣鐘型の花が数多く付いている。
中には、白色のものも。
セリ科の白い花は、似た種類が多いので、自信はないけど、たぶん、きっと、ハクサンボウフウ?
トリカブトも種類が多く区別つかないが、ミヤマトリカブトとリョウハクトリカブトの雑種とも考えられているのがハクサントリカブト。
出会ったトリカブトは、願わくば hopefully ハクサントリカブト。
これまでも「ハクサン」の名が付く植物について、本ブログでも取り上げてきた。
昨年は、白馬岳登山に際して、記事「白馬岳で白山の高山植物を鑑賞 植物名に付された山岳名」をアップした。
ここで登場した「ハクサン」が付された高山植物は、ハクサンフウロ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲの4種。
それに、以前のハクサンチドリ。
昨年の白馬岳に比べて今年の白山登山は、場所の違いに加え、時期が2週間近く遅くなったこともあり、出会った高山植物の種類もずいぶん異なった。
白馬岳と白山とで、都合8種の「ハクサン」が名に付く植物の写真をブログ記事にアップしたことになる(以前のハクサンチドリも含めて)。
なお、ゴゼンタチバナも、御前峰から名付けられたというから、これも入れれば白山関係植物は9種。
「ハクサン」を冠した高山植物は20種以上ある。
全種アップまでには、シーズンも変えて登山しなければ。まだ先は長い。
別に全種アップを決めたわけではないけれど・・・
「ハクサン」など山岳名や動物名などが冠された植物、さらにはこれと山岳信仰との関係などについて興味・関心のある方は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生』(ちくま新書)の第4章 未来との共生は可能か 第1節 過去から次世代への継承 の「植物名と山岳信仰」もご参照を。
【本ブログ内の関連記事】
ss 上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(3) [生物多様性]
上橋菜穂子さんの『香君』について、
第1回では、ウマール帝国がオアレ稲の配布を通じて、飢餓に苦しむ周辺国を属国として支配してきた、その支配構造と源泉について生物多様性の視点から紹介した。
それはまさに、品種改良の結果生み出された多収量品種よる緑の革命や遺伝子組換えによる除草剤耐性農作物品種やターミネーター遺伝子を組み込んだ不稔種子などによる現代のグローバル企業の戦略そのものだった。
第2回では、オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する虫害の光景から、モノカルチャー(単一耕作)の危うさを紹介した。
その例として、アイルランドのジャガイモ飢饉を映画タイタニックや風と共に去りぬとの関連とともに紹介した。
でも、『香君』の物語での重要なテーマは、その題名にも表されている「香り」であることは明らかだ。
出版社(文藝春秋)のwebサイトによれば、著者(上橋菜穂子さん)は次のようなコメントを寄せているという。
「草木や虫、鳥や獣、様々な生きものたちが、香りで交わしている無数のやりとりをいつも風の中に感じている、そんな少女の物語です。」
主人公のアイシャは、あらゆる風景・出来事に香りを感じることができ、香りで生きものの声さえも聴き分けることができる。
アオレ稲の作付けにより他の植物が生育しなくなってしまうのさえ、香り(匂い)から理解する。
「土の中には様々な、ごくごく小さな生き物がいて、それぞれ独特な匂いを放って」いて、「複数の匂いが混然一体となって土の匂いを作っている」が、「オアレ稲が植えられている場所では、その匂いが変わってしまう」。「オアレ稲を植えると他の穀類が育たなくなってしまうのは、そのせい」なのだと。
そして、香りとともに重要なテーマは、生きものたちがコミュニケーション、上記の著者の言葉で言えば「香りで交わしている無数のやりとり」をしているということだ。
無粋ながら、この重要なテーマである生きものたちのコミュニケーション・関係性についてが今回(第3回)だ。
最近では、動物はもちろんのこと、声を発しないとされる植物さえも、声なき声を発して情報交換しているらしいことが科学的にも証明されつつある。樹木は種類が異なってもそれぞれの根が菌根菌の菌糸によって繋がり、栄養などのやり取りもしていることが同位体元素で確かめられてもいる。
また、害虫によって葉を食われた植物は、特別な匂いを発して害虫の存在を周囲に知らせ、害虫の天敵を誘導してやっつけることまですることも分かってきた。
まさに、香君の物語のように、「香りで交わしている無数のやりとり」の世界だ。
いわば、自然のネットワークである。
さらに物語では、香君の教えとして、アイシャに次のように語らせている。
「人にとってはいてほしくない虫も、その虫を食べて生きる鳥にとっては、いなくなれば困る食糧であり、鳥がいなければ、虫は増え過ぎて草木が困る。香君が風に知る万象とはそういうもの — 必ずしも人にとって利益ばかりではないものが満ちて、巡っているすべてのことである。」
これこそが生態系であり、生物多様性の考え方でもある。
皆さんよくご存じの「食物連鎖」に象徴されるように、あらゆる生物は、異性や餌、日照などを巡って競争し、時には喰うか喰われるかの死闘を演じ、また時には互いに助け合う共生関係(相利共生)を築いて生命を繋いできたのだ。
このブログでも、人間が一方的に決めつけてしまう雑草などについて取り上げたことがある。
雑草のほかにも、人が勝手に害虫・害獣として決めつけ、その駆除のために導入した天敵(益虫・益獣)がかえって生態系や人の生命・健康、農林水産業などに大きな被害をもたらした例は無数にある。
有名なものとして、沖縄のハブ退治のために導入したジャワマングースが、ニワトリなどの家畜・家禽やアマミノクロウサギなど固有種を襲ったり、ボウフラ退治のために導入したカダヤシ(蚊絶やし、タップミノー)が在来種メダカをはじめ稚魚を食べてしまう例などがある。
生態系、人の健康、農林水産業などに甚大な被害を及ぼすとして「外来生物法」による特定外来生物に指定されているものの多くは、こうして人によって持ち込まれたもの(外来種、外来生物)だ。
これらの事例を含め、共生の考え方、必要性、そして私的共生論については、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)をご参照ください。
目次は、下の過去記事からどうぞ。
上橋さんは、もともと文化人類学者で、物語にもその知識が光っている。
さらに、「上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(1)」でも紹介したとおり、いわば生物多様性に関連する実に多くの書籍を読み込んで物語を執筆しているから、単なるファンタジーには終わらないのだ。
医者や弁護士、さらには元組員など、その経歴や専門性をもとに小説家となった人も多い。
私もいつかは、専門分野を活かした小説でも書こうかなと構想、いや夢想?はしているのだけれども・・・
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