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自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして [巨樹・巨木]

 数百年という悠久の時間に育まれ、一本で全天を覆うかのような圧倒的な迫力の巨樹。環境省の調査では、幹周り3メートル(直径約1メートル)以上の巨樹は全国で6万本以上という。「日本一」の巨樹は鹿児島県の「蒲生の大クス」で、なんと幹周24メートルもある。s-蒲生の大クス.jpg埼玉県内には、県内一の上谷の大クス(越生町)を初め、大久保の大ケヤキ(さいたま市桜区日枝神社)などがあり、春日部市内でも、碇神社のイヌグス(粕壁東)などが県天然記念物にも指定されている。私たちは巨樹を前にすると、畏敬の念さえ抱く。多くの巨樹には注連縄(しめなわ)や祠が祭られ、数々の伝承がある。こうした自然の見方や付き合い方、すなわち自然観は、その時代、その地域の文化や社会・経済システムを反映している。

 今日の私たちの便利で快適な生活は、近代科学に負うところが大きい。欧米で発展したこの近代科学は、人間による自然支配を前提としているところがある。これはキリスト教思想によるという説がある。聖書の創世記には、神は人間のために自然を創ったと記されている、というのだ。こうしたキリスト教やユダヤ教などの一神教に対して、仏教や神道を含め、巨樹信仰などのようなアジアの多神教は、自然と一体的で自然にやさしいとみなされている。もっとも、ヨーロッパでもギリシャ時代などのように多神教の時代、地域もあった。

 日本は国土の7割近くが森林という、世界でも有数の森林国家だ。自然の豊富な日本では意識せずとも自然と一体的な生活を送ってきたが、現代の日本人の多くは自然から隔絶した生活を送っている。最近は、都会生活に疲れた人々に対する森林の癒し効果が注目を集めている。フィトンチッドなど樹木から発散される化学物質がその効果を高めているらしい。今では一般的な「森林浴」という用語も、1982年に登場した造語だ。自然・生物は単に食料や薬品などの資源を提供してくれるだけでなく、芸術や文化、あるいはレクリエーションを含め、精神的にも人間生活にとって不可欠のものだ。

 身近な巨樹たちは、私たちの祖先が巨樹と共に生きてきた証を語ってくれる。巨樹は、私たち人間と自然との関わりの歴史であり象徴でもある。また自然は、多くの種が生存競争をし、また助け合いながら生きること、つまり画一的であるよりも多様であることの方が、健全で強い生物社会を作り上げることを教えてくれる。これが「生物多様性」だ。作物でも同様だ。東南アジア各国ではかつて、食糧不足解消のために「緑の革命」として夢の多収穫米を競って作付けした。しかしこの単一耕作に病虫害が発生して全滅し、以前よりもかえって飢饉が激しくなったという苦い経験がある。規格化、画一化と多様。人間社会でも同じことがいえるのではないだろうか。長い歴史を生きてきた巨樹や多様な生物の織り成す自然の営みから、私たちが学ぶべき事柄は多い。

 (写真) 日本一の巨樹「蒲生(かもう)の大クス」(鹿児島県蒲生町にて)

(この記事は、2005年3月 タウンねっと NO.13 (連載最終回) に掲載されたものです。)


 (関連ブログ記事) 全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考 お天道様が見ている
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