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原始信仰と世界遺産の原生林 -国立公園 人と自然(9) 吉野熊野国立公園 [   国立公園 人と自然]

 京の都から南へおよそ100km、わが国最大の半島、紀伊半島は古代から信仰の地であった。急峻な山地と谷、そして深い森林に覆われた地は、神秘さだけではなく、都の華やかさに対して、何やらおどろおどろしささえ覚える。吉野熊野国立公園は、そんな国立公園だ。

 紀伊半島一帯は、もともとは「木の国」と呼ばれていたが、奈良時代に「紀伊の国」と改称されたといわれる。また、熊野の神は樹木を支配する神で、紀伊の国(木の国)の語源はここからとの説もある。いずれにしろ、紀伊半島は森林が豊富で、現在でも原生林が広がる。江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門は、この紀伊半島の豊富な木材を江戸に卸して財を築いたといわれている。紀伊半島は、森林だけでなく、海岸美でも優れている。特に串本周辺はサンゴ礁も広がり、わが国最初(1970年)の海中公園地区の一つに指定されている。山が海に迫る南紀熊野灘沿岸は、南方浄土・補陀洛に向けて、二度と帰らぬ船出の場でもあった。さらに、源平合戦でも有名な熊野別当湛増らの熊野水軍や文左衛門などの海運業、近海捕鯨でも有名だ。世界的に議論されているわが国の捕鯨産業は、江戸時代前期に和田忠兵衛頼元によって始められた組織的捕鯨が起源といわれている。太地町の「くじらの博物館」では、鯨の骨格標本を目の当たりにして、その大きさに圧倒される。また、明治以降ブラジルやアメリカに移民として渡った人も多く、故国に錦を飾った人によるアメリカ村も形成されている。

 これら山岳と原生林、その間を縫う熊野川とその支流の北山川、十津川の河川渓谷、そして海岸が国立公園に指定されている。

 半島の一部は「大和の国」にも含まれる。大和の国吉野山は、平安時代から桜の名所として知られ、古今和歌集選歌をはじめ多くの和歌にも詠まれている。また、南北朝時代には、南朝方の中心地でもあった。その吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は、古くから金峯山の山岳霊場としても知られている。その中心は、修験道開祖の役行者(役小角)が刻んだとされる蔵王権現を本尊とする金峯山寺や大峯山寺だ。修験道の峰入り(奥駈け)は、これら吉野の山岳地帯を道場とするもので、断崖上から体を乗り出す「西の覗き」などの修行の場も点在している。

 s-那智の滝.jpg熊野山中にも、多くの神社仏閣が点在する。そのうちの熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は、「熊野三山」と総称して呼ばれる。中でも、熊野本宮大社は、全国に三千以上あるという熊野神社の総本山として名高い。熊野権現の使いの三本足の烏、八咫烏(やたがらす)は、現在では日本サッカー協会のシンボルマークとしても知られている。また、那智の滝は日本一の高さ(133m)があり、滝そのものが信仰の対象となっている。この熊野三山などには、後白河上皇をはじめとする皇族の参詣も多かった。「伊勢に七度、熊野に三度、どちら欠けても片参り」といわれ、伊勢神宮と並んで参拝者が多く、多数の人々が行列をなして参詣する様子は「蟻の熊野詣」ともよばれるほどだった。

 吉野から熊野にかけての一帯、点在する社寺などを繋ぐ参詣道が「熊野古道」であり、周辺には史跡も多く、ハイキングコースへの復活が図られている。2004年7月には、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。世界遺産には、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3区分(カテゴリー)がある。それぞれの区分の登録基準に従って、ユネスコの世界遺産委員会において顕著で普遍的な価値があると認められたものが、世界遺産として登録される。「紀伊山地の霊場と参詣道」は、このうちの文化遺産だ。文化遺産とはいえ、単に社寺の建物だけでなく、信仰を育んだ那智原始林も、構成資産として登録されている。そもそも、自然崇拝から発生した信仰や宗教、それに伴う建造物などは、背景(景観的にも、文化的にも)となる自然を抜きにしては存在しえない。文化遺産とはいえ、自然と密接に結びついているものだ。紀伊山地の霊場も、急峻な山地と谷、それらを覆う深い森、さらに浄土へと連なる海があって、はじめて成立したものだろう。1972年に世界遺産条約(正式名「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」)がユネスコ総会で採択されるまで、文化遺産と自然遺産はそれぞれ別々に保護条約の作成検討が進んでいた。その名残もあって、文化遺産と自然遺産が区分けされ、最近(2005年)になってやっと複合遺産という区分が誕生した。私は個人的には、「紀伊山地の霊場と参詣道」は複合遺産がふさわしいと思っている。しかし実際のところ、条約実施事務や国内担当官庁(文化遺産は文化庁、自然遺産は環境省・林野庁)は、なかなか複合とは程遠い。

 s-大台ケ原大蛇ぐら.jpg古来から人々の信仰を集めてきた吉野熊野の原生林。その中でも紀伊半島中央部の三重県と奈良県の県境に位置する大台ケ原は、年間雨量5000mmの世界有数の多雨地帯で、広大なブナやトウヒの原生林はわが国でも貴重な森林のひとつだ。湿潤な林内はモスフォレスト(コケの森)とも呼ばれ、ツキノワグマ、カモシカやシカ(ニホンジカ)も生息している。しかし、この原生林も1960年代頃から乾燥化、コケの衰退、ミヤコザサの侵入、樹木の枯死などがめだってきた。どうやら周辺での森林伐採・人工林化、伊勢湾台風被害(1959年)、大台ケ原ドライブウェー開通(1961年)による利用者の増加などが原因とみられている。これにシカの増加による食害が追い討ちをかけたようだ。このため、環境省などでは自然再生のためのトウヒ林保全事業として、シカ防護柵や利用者による踏み荒らし防止の木道設置やシカの駆除コントロールなどを実施している。2002年の自然公園法改正によって設けられた「利用調整地区」にも、全国で最初に指定された。一方、シカ駆除などには反対の人々もいる。自然の推移に任せるべきか、人為影響による変化をどこまで阻止し元の自然に再生すべきか、論争は続く。

 森林伐採や観光開発などによる自然の改変に加え、最近では地球温暖化による動植物への影響も顕著になってきている。全国各地で荒れた自然を再生しようとの動きもあるが、そこでも同じような議論がある。維持管理あるいは再生すべき自然の姿やその手段について、多くの人の合意を得ることは大変難しい。古代の奥深い森を舞台にしたアニメ映画「もののけ姫」でも、森の精霊と人間との争いが描かれていた。古代の吉野熊野のように、人と自然とが一体となった信仰の世界では、これらの課題はどのように解決されただろうか。

1936年2月指定 59,798㌶
三重、奈良、和歌山にまたがる

 (写真上)日本一の那智の滝
 (写真下)大台ケ原大蛇ぐら

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mimimomo

こんばんは^^
先日時間がなくてゆっくり読んでなかったので改めて読ませていただきました。
熊野古道歩きは数年前にやりましたが、あまり自然のことなど考えずただ歩いただけ、勉強不足を痛感しました。
by mimimomo (2013-05-17 18:33) 

staka

mimimomoさん、再度読み返していただいてありがとうございます。
自然と文化の一体となった日本の風景、いつまでも残したいと思います。
by staka (2013-05-18 10:44) 

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