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アバター  先住民社会と保護地域 [保護地域 -国立公園・世界遺産]

 話題の3D映画「アバター」をみてきた。さすが3Dは迫力がある。あまり映画もみない私だが、ついつい引き込まれてしまった。しかし、それ以上に関心を引かれたのは、映画の舞台設定だ。森で平和に暮らす「先住民」と呼ばれる人々に、資源開発で金もうけをしようとする「人間」が立ち退きを迫り、ついには戦争状態になるというものだ。中国で、このアバターの上映禁止問題が起きたのも、少数民族問題を考えるとうなずける。

 ところで、このブログの中心テーマの一つでもある国立公園などの自然保護地域でも、実はこのアバターと似たような問題が起きていたのだ。アバターの資源開発と先住民の対立の話が、なぜ先住民と保護地域、同じ自然保護派同士の話と似てくるのか。そこには、太古から連綿と生活を続けてきた「先住民」と呼ばれる人々の社会と、いわば侵入者でもある「文明人」との軋轢、そして侵入者によるガバナンス(管理・統治)によって先住民の生活が脅かされるという点で、類似点があるのだ。

 s-先住民報告0028.jpg1872年に広大な国土を有する米国で始まった国立公園制度は、その景観や野生生物を手付かずの状態で後世に伝えようとするものだった。その後、アフリカ、中南米や東南アジアなどの植民地に導入された米国型の国立公園制度は、厳正な自然保護を重視するあまり、自然資源を利用していた先住民などの伝統や生活を無視し、時には部落ごと公園区域から追い出すようなこともあった(こうした、公園専用地型を専門用語では「営造物制」という)。しかし、公園内の自然資源に依存して生活していた人々は、レンジャー(国立公園管理官)の目を盗んで薪炭など燃料や食料、薬草などの資源採取を繰り返し、公園管理と違法採取のイタチゴッコが続いた。

 最近になってようやく世界的にも、保護地域の管理のためにも地域社会の生活の安定は必要だとの認識が生まれてきた。これには、生物多様性条約を巡る途上国と先進国との対立などで、途上国の資源原産国意識や農民・女性の権利意識が芽生え、これに先進国が理解を示すようになってきたこともある。1992年のリオ・デ・ジャネイロで開催された「国連環境開発会議」(地球サミット)では、「リオ宣言」や「アジェンダ21」に、こうした考えが盛り込まれた。もっともこれも、これまでの行為を反省し、罪滅ぼしの意識に目覚めたものと捉えられないこともない。

 10年に一度、世界中から国立公園などの保護地域や自然保護の専門家が集まる「世界国立公園会議」というのがある。1962年に第1回が米国のシアトルで開催されて、直近は2003年の第5回会議だ。私は、この世界国立公園会議に、1982年の第3回(バリ島・インドネシア)、1992年第4回(カラカス・ベネズエラ)、そして第5回(ダーバン・南アフリカ共和国)と出席してきた。おそらく(間違いなく)、日本では最多の出席だろう。この第5回世界国立公園会議でも、「地域社会とともに生きる保護地域」がテーマの一つとなった。会議には、120人ほどの先住民関係者も参加した。そしてセッションでは、地元アフリカはもとより、南米エクアドルのコパンインディオ、オーストラリアのアボリジニ、カナダのイヌイット、マレーシアのイバンなどの先住民から、それぞれがおかれている生活実態と保護地域の実情紹介などが相次いだ。

 s-南ア住民0106.jpgその際に訪れたグレーター・セント・ルシア湿地公園(Greater St. Lucia Wetland Park)(南アフリカ共和国)は、面積26万ヘクタールにも及ぶ湿地とサンゴ礁、海岸砂丘などの自然保護区で、世界遺産にも登録され、2か所のラムサール登録湿地もある。その湿地には、多くの水鳥やカバ、ワニなどが生息している。この湿地周辺の森林に先祖代々住んでいた住民たちは、突如政府により居住地から追放された。世界遺産として推薦するためには、保護地域に住民が居住して資源利用しているのは都合が悪いのだ。抵抗する住民たちは不法占拠を続け、逮捕者も相次いだ。こうした政府と地域社会との長い闘争の末、1993年にやっと両者の合意がなされ、逮捕者は釈放され、住民たちは代替地を所有することになった。それでもまだ、移住を拒否し、森林地域に居住し続ける住民もいた。こうした政府と地域住民との争いの末ついに、湿地と海岸は1999年に世界遺産として登録された。保護地域外に移住した住民たちには教育やロッジ建設などによる雇用の機会も与えられ、女性たちは観光用の手工芸の土産物作りに精を出すようになり、政府もこれを援助している。

 保護地域を分類した「保護地域カテゴリー」(「日本の国立公園は自然保護地域ではない? -多様な保護地域の分類」を参照)では、自然資源をある程度の地域社会による利用を許容しながら管理する「資源管理保護地域」(Managed Resource Protected Area)、さらに取り上げた保護地域を地域社会に返還したうえで管理してもらう「地域社会保全地域」(Community Conserved Area: CCA)なども追加された。オーストラリアやニュージーランドをはじめ多くの地域で、これらの保護地域も誕生してきている。世界各地で実施されている「エコツーリズム」も、自然への影響を最小限にした自然観察型観光と地域社会の文化保護や経済的安定との両立を図る手段のひとつとして注目されている。

 保護地域の中にも地域住民が生活している「日本型」の国立公園(これを専門用語では「地域制」という)は、こうした世界の傾向を先んじたものとして見直されつつある。といっても、これは結果論にすぎないかもしれない。狭い国土で、昔から濃密な土地利用がなされてきた日本では、明治から昭和にかけての国立公園制度黎明期に、結果としていわゆる「地域制」の国立公園制度を採用せざるを得なかったのだ(「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史」を参照)。

 「アバター」をみていて、日本のアニメ映画「もののけ姫」が思い浮かんだ。両者は、類似の舞台設定だと思う。「もののけ姫」では、自然(森の精霊)と資源利用(たたら場)をもくろむ人間との争いが描かれている。「アバター」でも「もののけ姫」でも、一戦を交えて双方に被害が出てからでは遅い。その前に、「共生」する道を探ることはできないのだろうか。過去の教訓、歴史から学ぶことがいかに大事か頭では理解していても、それを実行するのはどんな場面・分野でも難しい。支配権力者にとっては、映画や文学作品などは所詮おとぎ話にすぎないのだろうか。さげすむことなく理解し、そこから教訓や歴史を汲み取ってほしい。もっとも、ただのアニメおたくの権力者にも困ったものだが。


 (写真上)世界国立公園会議で報告するエクアドルの先住民女性(第5回世界国立公園会議(2003年南アフリカ共和国ダーバン)にて)
 (写真下)世界遺産の保護地域設定のために土地を追い出された住民(中央:実情を我々に語っている)(グレーター・セント・ルシア湿地公園(南アフリカ共和国)にて)
 

 (関連ブログ記事)「『米国型国立公園』の誕生秘話」、 「富士山の麓で国立公園について講演」、 「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史」、 「日本の国立公園は自然保護地域ではない? -多様な保護地域の分類」、 「エコツーリズムの誕生と国際開発援助」、 「エコツーリズムと保全について考える -エコツーリズム協会記念大会でコーディネーター」、 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本」、 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」、「インドネシア生物多様性保全プロジェクト3 (国立公園管理)」、 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」、 「金と同じ高価な香辛料」、 「国立公園 人と自然(9) 吉野熊野国立公園 -原始信仰と世界遺産の原生林」、 「国立公園 人と自然(番外編2) カナイマ国立公園(ベネズエラ) -テーブルマウンテンが林立する「失われた世界


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