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自然保護の原点 古くて新しい憧れの国立公園 -国立公園 人と自然(19)尾瀬国立公園 [   国立公園 人と自然]

 初夏になると「夏の思い出」のメロディーに誘われるようにミズバショウを一目見たいという人々で賑わい、盛夏にはニッコウキスゲや可憐な湿原植物が人々を魅了する。そして、10月初旬の連休の草紅葉に彩られた湿原での利用者の受け入れを最後に、尾瀬は長い冬眠の時を迎える。

 s-尾瀬ヶ原至仏山DSC00935.jpg本州最大の高層湿原として有名な尾瀬ヶ原、尾瀬沼などは、燧ケ岳などの火山活動により只見川が堰き止められたことにより誕生した。その結果出現した古尾瀬ヶ原湖と呼ばれる湖は、土砂や泥炭化した植物遺骸などの堆積により、徐々に浅くなって湿原を形成していった。

 この尾瀬地域は、日本最初の国立公園のひとつでもある日光国立公園から分割され、会津駒ケ岳、田代山、帝釈山などを加えて、新しく29番目の国立公園として「尾瀬国立公園」が誕生した。2007年8月のことだ。(注.2012年3月に30番目の国立公園として、「屋久島国立公園」が誕生している。)

 この尾瀬にも、かつて存亡の危機が幾度かあった。
 
 s-池塘燧ケ岳DSC00974.jpg早くも明治時代には尾瀬を水没させる水力発電ダムが計画された。燧ケ岳、至仏山などに囲まれる尾瀬ヶ原は、太古の昔は湖だったというから、ダムにはうってつけであった。長蔵小屋の創始者として有名な平野長蔵は、この計画に反対した。戦後の電力不足の時代にも電源開発計画は再び持ちあがった。ダムができていれば、あの名曲「夏の思い出」も生まれなかった。
 
 これを救ったのは、高山植物研究や日本山岳会設立、そして明治時代のイギリス外交官アーネスト・サトウの子供としても有名な武田久吉をはじめとする研究者や文化人であり、1949年には「尾瀬保存期成同盟」が発足した。同盟は、1951年には「日本自然保護協会」となった。尾瀬は、日本における近代自然保護運動の原点とも言える。

 s-ゴミ持ち帰り運動DSC00991.jpg高度経済成長期の1960年代には、全国各地で観光道路(スカイライン)や林道建設による自然保護問題が持ち上がった。尾瀬でも群馬県大清水と福島県沼山峠を結ぶ自動車道計画が持ち上がり、実際、群馬県側の尾瀬入口である三平峠真下の一ノ瀬まで工事は進んだ。これを阻んだのも尾瀬を愛する日本中の人々であり、その中心の一人に長蔵小屋三代目当主の平野長靖がいた。

 長靖の環境庁長官大石武一への直訴によって工事は中止になった。しかし、度重なる上京などにより体力の限界に来ていた長靖が、1971年12月小屋の越冬準備を終えての下山途中、雪の三平峠で遭難死したことは、いまや伝説と化している。

 s-外来種子除去DSC00988.jpgその後も尾瀬では、オーバーユース(過剰利用)によるさまざまな問題が起きている。利用者とともにゴミも増加した。ゴミ箱の増設なども試みたが、かえって周辺では湿原内にまでゴミが散乱するありさまだった。このため、ゴミ持ち帰り運動が提唱され、ゴミ箱は撤去された。関係機関によるゴミ袋の配布などにより運動は成果を上げるようになったが、わざわざ目につかない場所にゴミを捨てる利用者が後を絶たない。

 また、し尿の流れ出る水路沿いのお化けミズバショウ(栄養過多で葉が異常生長)、湖の富栄養化、外来種の侵入、さらにはこれらの解決のための風呂禁止やパイプライン建設、入山料問題など、次々と自然保護上の課題が出てきた。最近では地球温暖化の影響もあってかシカの増加による湿原植物への食害などの問題もある。昔からのミズバショウ時期など利用者の一時期集中も解消されておらず、混雑による国立公園らしい雰囲気の阻害も、依然として問題だ。まさに尾瀬は自然保護問題のショウウインドウのごときである。

 ダム計画のなくなった現在でも、尾瀬国立公園の約40%、核心部の尾瀬ヶ原など特別保護地区指定地の約70%は、東京電力の所有地となっている。東京電力は、その子会社の尾瀬林業により木道の補修管理などを実施してきた。しかし、福島第一原子力発電所事故の賠償などに巨額の費用がかかり、その管理費用の捻出、管理の実施に頭を痛めているという。地元や自然保護関係者は、尾瀬の土地が第三者に売却されることによる新たな自然保護上の問題の浮上を懸念している。

 この尾瀬に大学生時代の私は、ある山小屋の居候として長逗留をしたことがある。早朝の朝もやの中に吸い込まれるがごとく続く人っ子一人見当たらない木道、小屋のゴミ出しなどの手伝いのあと大の字になって見上げた青空を背景とした燃えるような紅葉の木々、一人夜道の登山道で樹上に設置されたサーチライトかと見誤ってしまった煌々とした満月の光、どれも青春の記憶に刻み込まれた風景だ。

 尾瀬は、現在の私にとっての原点のひとつでもある。

 2007年8月指定 37,200㌶
 群馬、福島、新潟、栃木にまたがる

 (写真右上) 草紅葉の尾瀬ヶ原(後方は至仏山)
 (写真左上) 尾瀬ヶ原の池塘(後方は燧ケ岳)
 (写真右下) ゴミ持ち帰り運動の横断幕
 (写真左下) 外来植物の種子持ち込み防止のための靴底泥除去 


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hidamari

ようやくの尾瀬登場ですね。
もし尾瀬に来られることがあったら、ぜひ昔の話を
聞かせてほしいです。
by hidamari (2012-10-28 21:59) 

staka

hidamariさん
コメントありがとうございます。いつも尾瀬の美しい写真を拝見しています。
尾瀬国立公園お待たせしました。
最近はなかなか尾瀬に行くことができず、写真は昔のものしかありませんでした。娘が尾瀬に行ったので、そのときに写真撮影を頼んで、使用しました。
私も早く尾瀬に行きたいと思っています。
by staka (2012-10-30 12:58) 

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