制服の多様性と画一性 -インドネシア 多様性の中の統一 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]
前回のブログ記事から1ヶ月半も経ってしまった。いつもniceをくださる皆さんのブログへの訪問もままならなかった。またまた、いつもの言い訳だか、二月と三月はそれぞれ別の研究資金でインドネシアに出かけていたためだ。
インドネシア滞在中はもちろん、二月の帰国後も特に年度末のこの時期はブログ更新の時間は取れなかった。また、インドネシア(特に地方)ではネット接続もままならない。インドネシアでの通信事情については既にこのブログ記事でも何度か紹介済みなので、今回は省略することとしよう。
ということで、帰国の成田エクスプレスの車内でネットも接続しながら作成中の今回のブログ記事の内容は、(学校の)「制服の多様性と画一性」だ。このブログを始めた頃は国際経営学部所属だったが、今は教育学部所属となったので、少しは教育に関係するものにしようと思う。帰途の沿線では、出発の時にはまだ固い蕾だった桜の花がもう咲きだしている。卒業式、入学式のシーズンでもある。
インドネシアでは、日本と同様に小学校(SD)、中学校(SMP)、高校(SMA)は、6・3・3制だ。ちなみに大学も4年制だ。小学校はほぼ義務教育化されているが、中学校は義務教育化を目指しているものの就学率はまだまだ低いようだ。また、子どもの人数の割には教室が少ないため、午前と午後の2部制などがとられている。
インドネシアの公立学校では、小学校、中学校、高校ごとに、全国的な統一の制服が決まっている。
小学生の制服は臙脂(エンジ)色(赤色)のズボンまたはスカートに白シャツだ。制服から一目で小学生とわかる。
(写真)下校中の小学生(スマトラ島)
同様に中学は紺色のズボン、スカートだ。高校生は青みがかった灰色のズボン、スカートだ。
(写真)校門で談笑する中学生(スマトラ島)
なお、手前の子供も下校途中のイスラム学校中学生(?)
インドネシアでは、中高生でも(中にはどう見ても小学生も)バイク通学が多い
平日の白シャツには、胸元などにそれぞれの学校の校章のような、いわばエンブレムがついている。それが、イスラム礼拝日の金曜日になると、白シャツの代わりに校章などが柄に取り込まれたバティックと呼ばれる青紋様や赤紋様のシャツに代わる。これも、それぞれの学校ごとに指定がある。
さらに土曜日も登校日だが、この日はボーイスカウトやガールスカウトのような団体活動の日で、茶色系統の上下で、警察官などと類似の制服となる。
つまり、インドネシアの公立学校生は、3種類の制服を用意しなければならないことになる。これは金銭的にも結構な負担だ。もちろん、兄弟親戚のお下がりということも多いだろう。
しかし、かなり山奥のカンプン(集落)の小中学校でも徹底されているから、大したものだ。小中学校は義務教育なので親も大変だろう。さすがに山のカンプンでは、制服が買えないのか、普段着で通学する小学生も多い。
インドネシアでは、公立校のほかにもちろん私立校もあり、キリスト教系や仏教系の学校などもあり、日本の場合と似ている。最近は進学熱も増加して多様化している。
このほか、宗教省が管轄するマドラサ(Madrasah)などと呼ばれるイスラム教の学校もある。イスラム教のコーラン習得などがカリキュラム化された授業で、寺子屋のような形で全国的に発達してきた経緯がある。
教育文化省管轄の公立学校の補完の役目も果たし、距離的に公立小中学校に通うことのできない子どもたちの教育機関ともなっている。もちろん、近くに公立学校があってもこちらを選択する場合も多い。学校の制服は、緑系統や紺系統、黒色系統などの独特の制服がある場合や公立校と同様のものなどさまざまだ。
インドネシアは、300以上の民族からなる多様な文化の国だ。それを統合するのには、日本の私たちには想像もできない大変な努力が必要となるだろう。最近はあまり聞かないが、かつて私のインドネシア在住の頃には「多様性の中の統一」というのがスハルト政権の国是のひとつとなっていた。
国語であるインドネシア語は、もともとはムラユ語という貿易などに使用されていた言語で、現在のマレー語も同じ起源だ。独立に際して、多数民族の言語であるジャワ語やスンダ語ではなく、ムラユ語を採用したことは、多数民族支配による弊害から民族紛争も起きているアフリカ諸国の例などを見るにつけ、先見の明があったと感心する。
民族語は日本の方言以上に変化があり、他民族語間では意思疎通は難しい。若者はテレビなどの影響でインドネシア語が当たり前になったとはいえ、同民族同士ではいまだに民族語で日常会話が行われている。学校では、ぞれぞれの地域の民族語の授業がカリキュラム化されている。これも、多様性の中の統一を象徴する事例のひとつだろう。
学校の制服は、私が在住していた約15年前と変わらないが、変化といえば、かつてはイスラム教徒の子女でもスカートが多かったが、最近はジルバッブと呼ばれるベールにロングスカートという出で立ちが多くなった。さまざまな宗教も許容してきたこの国のイスラム教徒は、いまだに在来のアニミズム的な要素を取り込んだ生活をしている人々が多い。しかし最近は、厳格なイスラム教条主義の傾向が強まり、制服にも表れているようだ。
とはいえ、学校の制服にも、緩い全国的な統一規範と、それぞれの地方、民族や宗教などによる独自性との両立がうまく機能しているように思える。
ところで、私が子供の頃の日本では、公立の小学校には制服はなかった。制服があったのは私立学校で、一目で“お坊ちゃん” “お嬢ちゃん”とわかったものだ。それが、中学校や高校になると公立学校でも制服があるのが当たり前で、親も子どもの制服姿を見ることが成長の証のようだった。
男子は詰襟、女子はセーラー服というのが一般的で、今はやりのブレザー服は、ちょっとオシャレな学校だけだった。戦後の民主主義時代、高度経済成長期にもかかわらず、制服だけは戦前・戦中と同様の軍服を模したものだったのが不思議だ。
制服のメリット、デメリット、そして賛否にはいろいろあろうが、多様性と画一性という観点から、今後もこのブログで取り上げてみたい。意識して制服の写真を撮ってきたわけでもないので、今後さらに適切なものに更新していく予定だ。
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ご訪問&ナイス有難うございました。
by sarusan (2013-03-23 19:14)
制服を着た経験のないものにとっては憧れです。
by JUNKO (2013-03-23 19:40)
sarusanさん、こちらこそ前記事にご訪問とniceをありがとうございました。
by staka (2013-03-23 20:47)
JUNKOさんは制服に憧れですか?日本ではかなり前から、中高などの学校選択は制服のカッコ良さで決める子も結構いるようですね。ですから、学校の方でも制服のデザインには気を使っているとか。
by staka (2013-03-23 20:53)
読んでみると、ネパールと似通ったところが多く、アジア地域って、ひょっとして日本が少なからずお手伝いしているのかしらと思ったりもしました^^
by mimimomo (2015-07-16 08:48)
mimimomoさん
ネパールにはまだ行ったことはありません(お隣のブータンは昨年行って、ブログ記事にアップ)。
どれほど似ているか、行ってみたいですね。
by staka (2015-07-16 18:52)