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震災被災跡地の風化 -被災地訪問記1 [日記・雑感]

 先週(正確には先々週になるかな?)、震災被災地を訪れて、この目で直接被災の様子を見てきた。震災から2年半が経っての被災地訪問は、このブログでもたびたび震災被害に関連する記事を取り上げてきた者としては、あまりにも遅いかもしれない。

 正直言って、これまで「被災地のことを忘れないように」などと言ってきたのは、かなり観念的なものだった。テレビなどで被災地を取り上げた番組、記事には、時として“またか”と感じることもあった。

 家人の「今のうちに被災地の様子を見ておかないと」という声に急かされて、まずは宮古市を目指した。東北自動車道をひた走り、自宅から約750kmの道のりを丸一日かけて宮古に到着したのは夕方だった。
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津波で破壊された防潮堤(もともとは、この先まで延々と続いていた)
右奥の建物は観光ホテル、左の土の斜面は造成中の住宅地移転地


 翌日は、今回の訪問の主目的である田老町(岩手県宮古市田老地区)の「万里の長城」とも称された防潮堤の様子を見に行った。40年ほど前に訪れた時には、チリ地震津波の波跡が岩に残っていたが、防潮堤のおかげで被害は少なかったという。

 しかし今回の震災では、海面からの高さ10m(実際の防潮堤高は6~7mほど)の防潮堤も乗り越えた津波により建物も流され、多くの人命も失われた。

 国道45号が田老地区に入ると、両側はまるで宅地開発分譲地のような光景が広がっていた。たまたま仮店舗で営業をしていたガソリンスタンドの方にお話を伺うと、すべて建物が流された跡だという。確かに、よく見ると夏草に覆われて、建物の土台のコンクリートが残っている。スタンドの方のお宅も、道路沿いにあったものが流されてしまい、現在はプレハブで営業しているという。

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津波でさらわれれ、夏草に覆われた住宅地に残された建物土台


 防潮堤も、X字型の一辺が破壊されてしまったという。壊れた防潮堤と、その防潮堤に守られていたはずの、今は一面の夏草に覆われた住宅地、そしてその先に被災の姿を今なおとどめている「たろう観光ホテル」の建物。
 
 これらの光景に、ただただ圧倒されて、言葉も出なかった。そして、実際にこの地に来て初めて津波被害の大きさ、すさまじさを実感した。

 そして同時に、もし地元の方にお話を伺わなければ、なんでもない光景としてただ通り過ぎてしまったかも知れない、その自分を恥じ入らざるをえなかった。

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    今は何もないかつての住宅地     道路には「ここから津波浸水区間」の表示が

 流された住宅跡地は夏草に覆われ、多くの津波被害の様子をとどめる建物や光景が失われていく。被災者の方々にとっては、あの日を思い起こさせるものは早く撤去してほしいとの気持ちも強いと聞く。

 その中で、田老町では被災の姿をとどめる観光ホテルを津波遺産として残す方針だという。田老を訪れる多くの人々に津波の恐ろしさや防災の大切さを伝え、同時にガイドツアーの対象として、ツアー客による復興、活性化への寄与を期待しているそうだ。

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たろう観光ホテル
3階まで津波被害にあい、鉄骨の柱がむき出し


 震災被災地を一日でも早く復興してほしい。と同時に、復興により人々の心から、記憶から、あの日のことが忘れ去られてしまうのは避けたい。

 震災から2年半もたって、何をいまさら、と思うかもしれない。しかし今からでも遅くはない。何度でも構わない。被災地の記憶の風化はごめんだ。

 原爆投下から70年近く経った現在、戦災から驚異的な復興を遂げた広島と、今は世界遺産となっている原爆ドームとの関係を思い起こしたい(「原爆ドームと被爆樹木 -世界平和への願いを込めて」)。

 そして、突然の訪問者にもつらいであろう津波被害の様子などを快く解説してくれたガソリンスタンドの方、破壊された防潮堤に続く漁港の仮設の作業場で黙々と昆布を干していた漁民の方々などが、少しでも早く、かつての生活に戻ることをお祈りしたい。

 しかし、かつての生活に戻るのはたやすいことではないだろう、いや、もう戻ることもできないかもしれない。人の心までは。

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katakiyo

お恥ずかしいのですが私も東北を思いながら、まだ一度も訪問していません。
by katakiyo (2013-09-30 05:52) 

staka

katakiyoさん、私も今回が初めてですが、いつも心に留めていてくれる人が一人でも多い、ということも大切かな、と勝手に思っています。
by staka (2013-10-01 22:57) 

palette

プライスコレクションは、この時に立ち寄られたのですね。私は美術館だけでしたので、ちょっとお恥ずかしいです。

>震災被災地を一日でも早く復興してほしい。と同時に、>復興により人々の心から、記憶から、あの日のことが
>忘れ去られてしまうのは避けたい。

おっしゃる通りだと思います。
テレビの特集などは見ていて辛くなるのですが、スーパーで福島産が出ていたりすると、良かったなあとうれしくなります。日常感覚で応援していきたいです。
by palette (2013-10-06 10:30) 

staka

paletteさん、今回の旅行の目的は、震災被災地をこの目で見ることと、若冲展で、福島県立美術館には帰りに寄りました。

一見は百聞にしかず。被災地訪問で、その通りと実感した次第です。
いつまでも心に留め置きたいと思っています。

by staka (2013-10-06 15:51) 

mimimomo

被災地復興のためのツアーに一度参加したことがありますが、そんなものじゃないのですよね~助けになんかならないのではと思う気持ちが残りました。
ただ、もっと早く何とかならないものかと思う気持ちが強いわたくし。
by mimimomo (2013-10-19 18:14) 

staka

mimimomoさんは被災地復興にもご参加しているのですね。
私は直接的なものはなく、せめて、より実感を持てるようにと旅した次第です。
mimimomoさん同様、早く何とかならないかと、ますます強く思いました。
by staka (2013-10-19 19:22) 

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