辰年につき龍の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
ss やはり気になる評価 『生物多様性を問いなおす』書評と入試問題採用 [日記・雑感]
ss 坂本龍一 街頭音採録の背後には [日記・雑感]
実は、坂本龍一は、同じ高校(都立新宿高校)の後輩にあたる。
ただそれだけで、会ったこともない。別に自慢にもならない。
それどころか、私はYMOの曲を聴くわけでもない。せいぜい「君に、胸キュン。」のメロディーなら聴いた記憶があるというくらいかな。
そんな私が、彼の名とともに後輩だということを知ったのは、『戦場のメリークリスマス』や『ラスト・エンペラー』など彼が作曲した映画音楽が有名になって、だいぶ時間が経ってからだ。
ということは、砂交じりのクレイコートの校庭に整列して、校長の話を共に聴いたことがあるのかもしれない。
いや、彼は整列などの団体行動や権威主義的な話など嫌いだった(同窓生インタビューで本人が語っていた)というから、エスケープしていたに違いないけど。
丑年につき牛の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
亥年につき猪の姿をお年賀代わりに
戌年につき犬の姿をお年賀代わりに
酉年につき鳥の姿をお年賀代わりに
申年につき猿の姿をお年賀代わりに
未年につき羊の姿をお年賀代わりに
午年につき馬の姿をお年賀代わりに
ブログの閉鎖 [日記・雑感]
ということは、今までと変わりない?
解説記事には、現在でも用語検索などでご訪問いただく方も多いため、ブログを残置することにしました。
またいつか、気が向いたら新たなブログを開始するかもしれません。
心に余裕を! 江戸遊び絵の世界 [日記・雑感]
正月気分が残っているうちに、写真撮影OKのいくつかの作品を紹介。
まずは有名な歌川国芳の「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」(見かけは怖いがとんだ良い人だ)。
たくさんの人でできた顔は、一度見たら忘れられない国芳の寄せ絵の傑作だ。
同じく寄せ絵で、今度は大迫力の猫。
こちらは歌川芳藤の「五拾三次之内猫之怪」だ。
鶴屋南北の「独道中五十三駅」に登場する「岡崎の怪猫」だそうだ。
お次は同じく歌川芳藤の「ふ尽くしの福助」。
これも、よく見ると、眉は筆、鼻はふの字、目はフグ、耳は袋、といった具合に、「ふ」の付くもので構成されている。
頭、手、着物の柄は、「ふ」の付く何かお判りでしょうか?
答えは、頭は風呂敷、手は文(ふみ)、着物の柄は富士山と袋、といった具合。
ちなみに、着物のしわは、「か・の・を・ふ・く・す・け」の文字。
歌川貞景の「五子十童図」は、その題のとおり、頭は5人の子どもだけれども、10人いる、という不思議な絵だ。
よ~くご覧ください。
趣向が少し違うが、やはりクイズ。
二代歌川広重(歌川重宣)の「しょく類はんじ物 上戸」と題された絵。
酒の肴になる料理の判じ絵だ。お判りだろうか。
答えは、以下のとおり。
クリック拡大
最後は、懐かしい影絵。
江戸の人々は、粋で遊び心たっぷり。
一般町人の生活は食べるのも厳しかったかもしれないが、心には余裕があったのではないだろうか。
さて現代の私たちは・・・?
2020年、少なくとも心には余裕のある生活を心がけたいものだ。
皆さんにも、良いお年でありますように!!
子年につき鼠の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
本年もよろしくお願いします
相変わらず更新の少ないブログにご訪問いただき、ありがとうございました。
自分のブログ更新は間が空きますが、niceをいただいた皆様のブログを(まとめてとなることも多いのですが)訪れるのを楽しみにしています。
今年は子年
昨年も、一昨年も・・・干支の動物写真をアップしているので、今年も止められな~い。
といっても、この日のために写真を撮っているわけでもないので、探すのが大変だ。
ネズミは、小さな身体ですばしっこく、ドブネズミなどは見かけるけれど写真を撮る気にもなれず・・・
ということで、ネズミの写真を探してみたけれど、野生の写真は無い!
そこで、類縁のネズミ目(げっ歯類)に含まれる動物たちにも登場してもらおう。
まずは、アグーチ。
ラテンアメリカに生息する巨大なネズミの仲間で、体長は40cmくらいある。
見かけのとおり、モルモットやカピバラにも近い種類だ。
写真は、コスタリカのグアナカステ自然保護区で撮影。
次には、同じネズミ目のリスの仲間にご登場願おう。
札幌などでも町中でリスをよく見かけて写真を撮った記憶はあるが、見つからない。
かつて国立公園レンジャーとして阿寒湖に勤務していたころには、前田一歩園の林でエゾリスやエゾシマリスをよく見かけた。
冬でも冬眠しないエゾリスの写真を撮りたくて、わざわざ300mm望遠レンズを購入したほどだ。
今回のリスは、米国サンディエゴの公園で出会ったもの。
次は、カナダのバンフ国立公園のプレーリードッグ。
地面に穴を掘って暮らす。
立ち上がってあたりを見回す仕草がかわいい。
そして、最後は日本。
命はなくなってしまったが、建て替え前の実家の押し入れで自然乾燥(ミイラ)状態で見つかったトガリネズミ。
子どもの頃から佃煮酒悦の空き瓶に保存してあったが、今回、撮影のために半世紀ぶりに、瓶から取り出した。
体長約4cm、尾まで入れても7cmほどの小さなネズミ。
名前のとおり、口先(鼻先)がとがって長い。
ネズミとはいっても、正式にはネズミの仲間ではなく、モグラに近いグループだ。
そして、ネズミの玩具。
金沢で購入したもので、竹を手で押すと、ネズミが餌を食べる動作をする優れものだ。
牛の頭上にちょっこりと乗って、いち早く日の出を拝んで(門に最初に飛び込んだなど、諸説あり)干支の一番目となった要領の良いネズミ。
今年は、どんな年となるでしょうか。
皆様のご多幸をお祈りします
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メルヘン影絵 藤城清治美術館 [日記・雑感]
そのメルヘンな影絵に直に接してみたいと思ったからだ。
藤城さんは95歳の現在でも作家活動を続けている。
その生涯の作品の常設美術館が、那須高原にある「藤城清治美術館」だ。
森の中にたたずむ美術館の入口玄関では、彼が愛してやまない猫が出迎える。
愛猫の名は「ラビ」
館内作品は撮影禁止のため、購入したポストカードから。
ほとんどの作品に登場するラビちゃんは、三毛猫。
私も愛猫とこんな感じで接することがままある。
というか、こんな風にしてみたい、という願望かな。
わが家の猫は、雑種の白いオスだけれどもね。
カエルの「ケロヨン」の作者でもあり、やはり作品にはケロヨンも頻繁に登場する。
ラビちゃんやケロヨンと共に作品に頻繁に登場するのが、小人たちだ。
多くのネコや小人と、森の生きものたち、パンダやペンギンまでもがあふれんばかりの作品がこちら。
これも、「生きるよろこび」と題した大判ポストカードから。
まるで、生物多様性を表すポスターのようだ。
これらの作品は、カミソリで切り刻んだカラーセロハンを重ね合わせて作るそうだ。
とても細かい、根気のいる作業だと思うが、出来上がったものはメルヘンにあふれている。
ブログでは写真アップできないが、美術館最奥の「魔法の森に燃える再生の炎」と題した影絵作品は、水面と鏡に縁どられていて、横の鏡(左右で合わせ鏡)を覗き込むと奥まで無限の世界が広がり、夢のような世界に引き込まれる。
敷地内には、美術館本館のほか、ミュージアムショップ、カフェ、さらにはステンドグラスが美しい教会がある。
ここでもネコがお出迎えだ。
ミュシャ展 今年最初の展覧会 [日記・雑感]
今年初めての美術展見学だ。
百貨店催し物場での展覧会、ということで小規模で、展示作品数も少ないだろうと、勝手に想像していた。
ところが行ってみると、約400点の作品ということで、結構見ごたえがあった。
それに、写真撮影OKというのも驚いた。
ほとんどの美術展では、写真撮影は認められていない。
もっとも、写真撮影OKとはいえ、私のスマホ写真腕前では、照明ライトの映り込みなどで、まともな写真は撮れなかったけれど・・・
ということで、写真をほんの数枚。
アール・ヌーヴォーを代表する作家のひとり、アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)。
展示作品の多くが、リトグラフ(版画の一種)でポスター風のものだ。
でも、独特の淡い色彩が、何とも言えない。
これが人気の秘密だろうか。
ビスケットなどの商品コマーシャル・ポスターも多く制作している。
これらも、パステル調のかわいらしいものが多い。
「チョコレート・アイデアル」もその一つ。
チョコレートとはいっても、今でいうところのココアの宣伝だ。
数多い展示作品の中でこのポスターを撮影したのは、チョコレートとその原料カカオの栽培や交易に関心があるからだ。
せっかくの美術展でも、芸術とは無関係のことに関心が行ってしまうこの悲しい習性(?)トホホ~
なお、チョコレートの原料カカオは、ラテンアメリカ原産で、もともとは飲用だった・・(云々)・・については、下記の過去ブログ記事をご参照ください。
ちなみに、昨年最後の美術展は、「ムンク展」(東京・上野、東京都美術館)だった。
亥年につき猪の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
本年もよろしくお願いいたします
昨年はめったに更新しないブログにもかかわらず、ご訪問いただきありがとうございました。
今年は、毎日はもちろん、毎週もとても無理ですが、少なくとも昨年よりは発信量を増やしたいと思っています。
本年も皆様のブログ記事を拝見するのを楽しみにしています。
皆様のご多幸をお祈りいたします。
今年は亥年
日本ではイノシシ年ですが、中国ではブタ年とか。
そういえば、中国で食堂に入ると、壁には「猪肉」の張り紙(メニュー)をよく見かけますが、日本でいう豚肉のことのようですね。
それはともかく、イノシシの写真をお届けしようと思い、写真ファイルを探しましたが、ほとんどありませんでした。
昨年のイヌは、同じイヌ科のタヌキやキツネ、オオカミまで含めれば、実物だけではなく、狛犬などもありました。
その前の鳥はもちろん、サルも写真は比較的多かったですね。
ウマは働く馬や騎馬像などもありました。
イノシシが少ないのは、普段、めったにお目にかかることもないからでしょうか。
ブタとして食肉ではお世話になっているのですが。
まずは、日本のイノシシと近いインドネシアのイノシシ一家。
スマトラ島南部のワイ・カンバス国立公園で、ゴミを漁っていました。
子ども(ウリ坊)は、観光客が飲んだココナツヤシの殻から果肉を削り取っています。
子どもは、どの動物もカワイイですね。
インドネシアでは、国民の9割はイスラム教徒で、ヒンズー教徒の多いバリ島などを除いて、ブタを見かけることはありません。
しかし、研究調査に出かける奥地の集落では、イスラム教導入以前のヒンズー教徒やもっと以前の伝統的信仰などの民族が残っていて、ブタを放し飼いにしています。
残念ながら、写真はありませんが。
他のアジアでは、ボルネオ島でヒゲイノシシが生息しています。
写真は、マレーシア・サラワク州のバコ国立公園での撮影。
名前のとおり、顔には長いヒゲが生えてます。
水辺で餌を漁り、満腹して日向ぼっこをしながらひと眠り。
アフリカのイノシシは、テレビなどでもお馴染みのイボイノシシ。
南アフリカ共和国のクルーガー国立公園を訪れた時、ゾウ、キリン、ライオン、ブチハイエナなど多くの動物とともに、バスの車窓から見たものです。
名前はよく知っていて、その姿も見たことはあるのですが、日常生活ではなじみの薄いイノシシ。
私たち日本人は、縄文の昔から、イノシシを食料として利用し、現在でも牡丹肉として料理屋の鍋物(牡丹鍋)などのメニューにもなっています。
最近では、ジビエ料理としても提供されています。
そもそも、イノシシの「シシ」は獣肉のことで、その名が冠されたイノシシは、狩猟による獣肉の代表ともいえるでしょう。
一方で、イノシシは農作物を掘り返すなど、被害を与えることもあります。
全国各地には、農地をイノシシ(やシカなど)の侵入から防ぐための「シシ垣」という石垣などが張り巡らされていた跡が残っています。
今日の日本でも、農作物を荒らしたり、時には住宅地に出没したりと、問題になっています。
有害獣として、悪者のイメージが定着しつつあるようです。
イノシシと人間が敵対することなく暮らしていけるようにはならないのでしょうか。
今年も「人と自然」との関係を考えるブログ記事を発信したいと思います。
一年間、よろしくお願いいたします。
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巳年の植物
(イノシシ写真撮影地)
ゾウと人との共存を求めて -国立公園 人と自然(番外編1) ワイ・カンバス国立公園(インドネシア)
ゾウの楽園の背後にあるもの -国立公園 人と自然(番外編1追補)ワイ・カンバス国立公園(インドネシア)
テングザルと食虫植物の天国(1) ― 国立公園 人と自然(海外編11) バコ国立公園(マレーシア)
サファリの王国と地域社会 -国立公園 人と自然(番外編3) クルーガー国立公園(南アフリカ共和国)
横浜山手の西洋館めぐり [日記・雑感]
神戸の北野地区の異人館をめぐったこともあるが、神戸の観光客数に比べると、横浜は少ないように感じる。
おそらくは、神戸北野には異人館が集まっているが、横浜山手は異人館(西洋館)が散在しているのが原因かと思う。
北野では駐車場に観光バスなどを駐車して、歩いて散策できる規模だが、横浜山手は歩くには少なくとも半日はかかるから、ちょっと観光向きではないのかもしれない。
でも、時間の余裕のある場合には、ゆっくり散策するのにちょうどよいのでは。
ということで、訪れた西洋館のいくつかを紹介する。
私の散策のスタートは、JR根岸線の石川町駅。
最初に訪れたのは、駅からほど近い「山手イタリア山庭園」。
ここには、2棟の洋館がある。
まずは「ブラフ18番館」。大正末期の関東大震災後に建てられたオーストラリア人貿易商バウンデン氏の住宅で、第二次世界大戦後はカトリック山手教会の司祭館として1991年まで使用されていた。
横浜市が寄付を受けて、現在の山手イタリア山庭園内に移築復元された。
詳細は、「横浜山手西洋館公式サイト」などに詳しいので、本ブログでは省略させていただきます(以下、同)。
同じ公園内には、「外交官の家」もある。
こちらは外国人の住宅ではなく、明治時代の日本人外交官の家だ。
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。
設計者は、立教学校(現、立教大学)の校長も務めたアメリカ人のJ.M.ガーディナーで、明治村に移築された聖ヨハネ教会堂をはじめ、日本各地で教会堂などを設計した。
山手イタリア山庭園を後にして、「港の見える丘」に向けて歩みを進める。
途中で、日本のテニス発祥の地に立ち寄る。
イギリスのローンテニスは、明治9年に横浜に伝わり、山手にテニスコート2面が作られたという。
現在この地には、「横浜・山手テニス発祥記念館」があり、テニスの歴史などがラケットなどで展示されている。
テニス発祥記念館を含む一帯は「山手公園」で、日本で最初の洋式公園ともいう。ヒマラヤスギも国内では初めて植えられた。
公園内には、洋館の「山手68番館」が公園管理事務所として残っている。
そこから港の見える丘公園方面に行くと、途中に「ベーリック・ホール」がある。
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されて住宅として使用された。
内装もなかなかモダンだ。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンだ。
モーガンは、ほかにも山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。
神奈川県藤沢市には、モーガンの旧邸モーガン邸があるが、残念ながら2007年と2008年に火災にあい、ほとんどが焼けてしまった。
ナショナル・トラストの関係で焼失の直前に訪れて、焼失前の建物を見ることができたのは幸いだった。
その先の本町公園内には、「エリスマン邸」が1990年に移築再現された。
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会に勤務したフリッツ・エリスマン氏の邸宅で、現在は貸ホールや喫茶店などとしても利用されている。
ここから外国人墓地、港の見える丘公園にかけては、多くの洋館が立ち並んでいる。
「山手234番館」は、1927年頃に建築された外国人向けのアパートメントハウスで、1980年頃までアパートメントとして使用されてた。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたそうで、設計者は日本人の朝香吉蔵だ。
外国人墓地の向かいには、民間の資料館「山手資料館」がある。
横浜市内に残る唯一の和洋併設型住宅だという。
港の見える丘公園には、英国総領事公邸だった「横浜市イギリス館」がある。
昭和12(1937)年に建てられた鉄筋コンクリート2階建てで、玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。
さらに公園に隣接して、「山手111番館」がある。
大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設されたスパニッシュスタイルの洋館だ。
設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。
1階の吹き抜けホールが印象的だ。
港の見える丘公園からは、センスの良い元町商店街を散策して、スタートの石川町駅に戻った。
今回はパスしたけれど、中華街で食事という手もある。
この地区には、洋館のほかにも、さまざまな見るべきものが多い。
全国巨樹巨木林の会会長としては巨樹も紹介したい。
その一つ、山手カトリック教会から山手公園に向かう途中のフェリス女学院大学の門の脇には、推定樹齢400年というタブノキの巨樹がある。
なお、去る6月6日、FMヨコハマのMITSUMIさんがDJの午後の番組コーナー「エシコン」に出演して巨樹について語りました。
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奇妙な看板?! - 町並みと景観
戌年につき犬の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
昨年中は不定期で少ないアップのブログにもかかわらず、ご訪問いただきありがとうございました。
皆様への訪問も、相変わらず数回分をまとめてで、それも回数が減ってしまいました。
しかし、皆様の記事には楽しませていただき、参考にさせていただくことや考えさせられることもたくさんありました。
一年間ありがとうございました。
今年の私のブログ更新は、昨年よりもっと滞るかもしれませんが、本年もよろしくお願いします。
皆様の今年のご多幸をお祈りいたします。
戌年の今年も、恒例の犬の仲間イヌ科の写真をアップします。
ネコ科の野生動物写真は多いけれど、イヌ科の写真は少ないので、ちょっと寂しい。
過去のブログに登場したものもありますが、お楽しみいただければ幸いです。
まずはわが家の愛犬。
オスの雑種だったけれど、10年前に16歳で他界。
写真(上)は、唯一(?)ブログに登場した写真(2005年撮影)。
写真(下)は、他界の前年のもの(2007年撮影)。
ブータンでは殺生が禁じられ、犬たちも道路でのんびり。
犬の仲間といえば、犬の祖先のオオカミ。
日本では明治時代に絶滅して、最後の生息情報は、明治38年(1905年)の奈良県鷲家口(現在の吉野郡東吉野村)で捕獲された若いオスだった。
北海道に生息していたエゾオオカミは、明治29年(1896年)に毛皮が輸出された記録が最後という(写真は、北海道大学植物園博物館にて)。
現代の日本では、イヌ科の野生動物といえばキツネとタヌキ。
写真のキツネは、北海道阿寒湖で昨年6月末に撮影した餌をくわえるキタキツネ。
ちょっと貧相だけれども、野生で餌を求めて生きていくのは大変だ。
タヌキは、人家近でも、どっこい生きている!
勤務先の大学近くで、落ち葉にカモフラージュ。
犬は狛犬として全国津々浦々の神社でよく見かける。
高崎市での巨木フォーラムで訪れた赤城神社(群馬県)の狛犬は、格式もありそうな堂々としたものだった。
伊豆の巨木フォーラムの際に訪れた天城神社の狛犬は、「はじめ狛犬」という独特の雰囲気を持っていた。
ユニークといえば、被災地訪問の際の竹駒神社(岩手県陸前高田市)の狛犬も、北国のせいか赤い手ぬぐいの頬かむりをしてユーモラスな顔つきだった。
オオカミは、秩父・奥多摩地域の神社では、オオカミ信仰によって狛犬の代わりに奉納されている。
秩父での巨木フォーラムの際には、三峯神社などで多くのオオカミを見た。
写真はその一部、残りはブログ記事でどうぞ。
伏見稲荷大社(京都市)では、大狐様がお出迎え。
そして、豊川稲荷(愛知県豊川市)は寺院だけれども、大狐様とたくさんのお狐様。
碇神社(埼玉県春日部市)では、イヌグスの巨樹とお狐様。
重ねて、本年もよろしくお願いいたします。
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巳年の植物
【イヌ科の写真掲載ブログ記事】
(ブータンの犬)
ブータンで出会った動物たち ブータン報告4
(オオカミ)(愛犬を含む)
オオカミ復活!? - シカの増加と生態系かく乱を考える
三峯神社 狼伝説と関東最強パワースポット ー 秩父の神社と巨樹(1)
(キツネ)
阿寒湖の巨樹・巨木林http://staka-kyoeiac.blog.so-net.ne.jp/2017-07-09
(神社狛犬)
巨木フォーラムin伊豆 そして、全国巨樹・巨木林の会設立20周年式典
ジパング黄金伝説 玉山金山と竹駒神社 -被災地訪問記3
(神社キツネ)
そこにある巨樹 ― 春日部駅近くの巨樹めぐり
網走監獄と北方民族博物館 [日記・雑感]
知床五湖から、網走に向かった。
網走では、何といっても「網走監獄」。
実際の刑務所ではなく、現在では博物館として明治時代に建てられた昔の建物を移築したり、復元して、展示している。
正門を入ると、その奥には重要文化財の旧網走監獄「庁舎」がある。
ここでは、囚人による開拓の歴史などが展示されている。
同じく重要文化財の旧網走監獄「舎房」は、いわゆる牢屋の建物だ。
5棟が放射状に広がり、その中央には「中央見張所」が置かれていて、ここ1カ所からすべての棟を見渡すことができた。
昭和59年(1984年)まで実際に網走刑務所の獄舎として使用されていたという(その後、当地に移築)。
高倉健さんなどの任侠映画のモデルたちも、ここで過ごしていたのかな。
独居房(上)と雑居房(下)
「二見ケ岡刑務支所」は、木造刑務所として日本最古の建物で、重要文化財に指定されている。(写真左の建物)
内部は雰囲気の良い旅館のようだが、部屋と廊下の境には格子があり獄舎であることをいやでも思い出させる。部屋奥の箱のようなものは、トイレの目隠し。
ここでは農園作業も行っていたが、作業中も「高見張り」から監視されていた。
食事中も、監視が立ち会い。
同じ独居房でも、規則違反者が入れられた「煉瓦造り独居房」(登録有形文化財)は、戸外の小さな建造物(明治末建造)。
極寒の網走の地で、食事の量も減らされ、窓もない暗闇の世界で孤独に耐える。
受刑者が恐れた場所だったというのもうなずける。
そして、「浴場」。
入浴時間15分という制限のある倶利伽羅紋々(くりからもんもん)(刺青)の人たちの入浴シーンが再現されている。
この博物館の展示で、一番迫力のあったような(笑)
構内は広く、東京ドーム3.5個分とか。ここに25もの建物があり、今回紹介したのはその一部。
監獄のあとは、同じ網走市内の「北方民族博物館」へ。
アイヌ民族やオホーツク海沿岸の民族はもちろん、アラスカやグリーンランドのイヌイット(エスキモー)、スカンディナビアのサミ民族など、広く北方の民族の文化(衣食住、儀礼、伝統など)を紹介、展示している。
無料の音声ガイドもあるので、じっくり見たいところだ。
各民族の様々な衣類(写真は、アザラシの腸から作られたアリュートやイヌイットなどの防水衣料)。
舟(カヌー)や楽器も多彩だ。
アラスカのエスキモーの氷の竪穴住居復元模型。
網走監獄の獄舎よりも、よほど保温性も高く、快適だっただろう。
なにより、家族と一緒が一番ですね。
網走を後に、再び阿寒へ。
道東の旅では何度も出くわした数キロも続く直線道路。
これぞ北海道!
写真は、その名も「大空町」の直線道路(道路左の表示板に町名が)。
皆さまのブログでは、食事の紹介も多く、楽しみにしている。
出先で紹介されていた食堂を訪れたこともある。
このブログでは、食事についてアップすることはめったにないが、今回は前回の「知床五湖」で紹介するのを忘れた海鮮丼ぶりのご紹介。
知床五湖を訪れた夜は、どこに泊まるか予定はしていなかった。
でも、夕方になって、スマホで便利に直前予約。
結局、斜里の町(駅近く)に宿泊した。
夕食も行き当たりばったりだったけれど、ホテル近くの店。
そこの海鮮丼ぶりの豪華だったこと!!
生エビ2本に、カニ、ホタテ、ウニ、サケ、イクラ、イカ、魚の刺身もあったけれど、名前は忘れた。丼からあふれそう。それに、岩ノリの味噌汁。
北海道名産を満喫した。御馳走さま!
小清水原生花園 [日記・雑感]
小清水原生花園は、濤沸湖とオホーツク海の間の砂丘に広がる8kmにも及ぶお花畑だ。
網走国定公園の一部でもある。
濤沸湖は、砂州の発達により海から切り離されて生じた湖で、潟湖とか海跡湖と呼ばれている。
オホーツク海沿いには、サンゴ草群落で有名な能取湖、ホタテで有名なサロマ湖など同様の湖が多く、いずれも淡水と海水が混じり合った汽水だ。
湖周辺の草地では、牛や馬の放牧も行われているが、ハマナスなどの花も多く、原生花園の一角を形成している。
濤沸湖に沿って、というか海岸に沿って、国道244号線とJR釧網本線が走る。
「原生花園駅」は花のシーズンだけの臨時駅で、普段は列車や乗客もいない駅舎は、土産物と軽食の売店(カフェ)となる。
駅舎の踏切を渡ると遊歩道が整備されていて、海岸までの砂丘には色とりどりの花が咲いている。
訪れた7月初旬は、エゾスカシユリ、エゾキスゲ、ハマナス、エゾノシシウド、エゾフウロ、ハマエンドウなどが花をつけていた。
北海道を代表する花 エゾスカシユリ
名前のとおり、花弁の付け根が離れている(隙間がある)
エゾキスゲは幻想的な黄色の花だ。その美しい花は、たった一日だけでしぼんでしまうという。
バラの仲間のハマナスは、染料や食用(果実は食用、花はお茶)にもなる。
皇太子妃雅子さんのお印でもある。
小さな白い花が傘状に集まった大型のエゾノシシウドは、オホーツク海の風景に溶け込んでいる。
ピンクの花エゾフウロは、咲き出したばかりで9月上旬まで見ることができるという。
全国の海浜に生育するハマエンドウ。残念ながら北海道特有でもないので、「エゾ」が冠されていない。
久しぶりの原生花園。
かつて道東の住人だった頃に、稚内までオホーツク海沿いを北上して、行く先々で原生花園の花々を愛でた時を思い出す。
あの頃は若かったなぁ~
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阿寒湖の巨樹・巨木林
花菜ガーデンのユリ
大船植物園 満開のバラとシャクヤク [日記・雑感]
久しぶりの記事となってしまいましたが、今は盛りのバラを見に行きました。
神奈川県立フラワーセンター大船植物園のバラが見ごろだというので、出かけてみた。
色とりどりのバラが咲き乱れ、多くの人で賑わっていた。
大輪の一輪一輪はどれも美しく、芳香の素晴らしいのも多い。
どれもアップで紹介したいが、今回は全体的な群生の姿を!! (バラの花アップは、「バラの乱舞 ― 秋の花菜ガーデン」をご覧ください)
「立てば芍薬、座れば牡丹・・・」というけれど、やはり大輪のシャクヤクはそれだけで花の中の花と言えそうだ。
とにかく艶やかさと気品とが兼ね備わっているようだ。
園内には温室もあって、小田原フラワーガーデンでも見たヒスイカズラやアリストロキア・グランディフロラというツル性の花などもあった。
ほかにも、睡蓮の仲間や変わった園芸品種も・・・
私は本来は自然の野山を歩きたいところだが、時間もない中、手軽に出かけることのできる街中の緑地空間はかけがえのないものだ。
園内のケヤキ大木の木陰で、しばしのリフレッシュタイム。
これがまた贅沢な一時、淹れたてのコーヒーでもあれば最高だけれども・・・
【本ブログ内関連記事リンク】
バラの乱舞 ― 秋の花菜ガーデン
碧い宝石 ヒスイカズラ
小田原城と風魔忍者 [日記・雑感]
1か月前の3月末の訪問だったけど、記録としてアップ。
現在の天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として建設されたものとか。
江戸時代の絵図などをもとにしているが、地上38.7mの複合式天守閣は鉄筋コンクリート造だ。
大阪城天守閣は戦前に再建されていたけど、空襲で焼失した名古屋城をはじめ、全国各地に建設された鉄筋コンクリート造の天守閣は、高度経済成長期には戦後復興と地域振興の象徴だった。
名古屋城天守閣(2010年撮影)
明治時代の廃城により解体された小田原城天守閣再建も、その流れだったのだろう。しかし時の流れとともに、鉄筋コンクリート造りとはいえ耐震補強工事の必要に迫られた。
木造での再建により江戸時代の姿を取り戻そうとの運動もあり、今回の改修では必要最小限の工事で費用を抑えたそうだ。
戦国時代の北条氏によって整備され、難攻不落といわれた小田原城の惣構えは、後に大阪城のモデルにもなり、江戸城にも引き継がれていったという。
今回のリニューアルでは、天守閣内に小田原城の歴史などの展示が再整備された。
さらに、最上階には江戸時代に祀られていた武士の守護神「摩利支天像」の安置空間が再現された。
本丸内の常盤木門(ときわぎもん)は、小田原城門の中でも大きく堅固なものだったが、明治の廃城でその姿を消し、昭和46年に市制30周年事業として再建されたものだ。
二の丸の銅門(あかがねもん)も、平成9年にすでに復元されていたもの。
その名は、使用された銅板に由来したものだという。
渡櫓門(わたりやぐらもん)、内仕切門(うちじきりもん)と土塀で周囲を囲む枡形門(ますがたもん)の構造だ。
渡櫓門の内部の梁は、太い木材を手斧で仕上げた美しい模様が目を引く。
ところで、北条の五代100年にわたる関東支配では、忍者集団「風魔一党」が活躍したという。頭領は代々「風魔小太郎」を名乗ったそうだ。
地元では、甲賀や伊賀の忍者に比べて認知度の低い(?)風魔忍者を知らしめようと、さまざまなイベントを催している。
城内でも、手裏剣投げのお試し場などが開かれていた。
それにしても、「風魔」とは謎めいた名で、真田十勇士と同様に講談か何かに登場する架空の忍者と思っていた。
ところが、小田原の街中を車で走っていたら、「風間」の看板のお店などを目にした。
どうやら「風魔」には、実在した「風間」氏がいたらしく、風間(かざま)という集落もあったようだ。
風魔が、甲賀や伊賀と同様に全国区になってほしいものだ。
お城見物の後は、小田原市内に多い鰻屋さんで久しぶりの鰻重を。
(追記)
毎年5月3日に開催される「北條五代祭り」。
今年は、NHK大河ドラマ「真田丸」で氏政を熱演した高嶋政伸さんが、4代めの氏政として参加するとのこと。
なお、初代早雲役は、小田原ふるさと大使の俳優、合田雅吏さんとか。
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権現堂堤の桜 [日記・雑感]
勤務先に比較的近く、以前から行ってみたいと思っていたが、なかなか機会に恵まれなかった。
お目当ての桜堤は、埼玉県東部の幸手(さって)市内の利根川の支流、権現堂川の堤防に植えられたソメイヨシノの桜並木だ。
大正時代に植えられて、戦前にはすでに桜の名所になっていたそうだが、戦時中の燃料材としての伐採のため、戦後に植え直されたのが現在の並木だという。
埼玉県営「権現堂公園」として、運動広場や遊具広場なども整備されている。
約1kmにわたる並木と、その下の菜の花畑とのコントラストを求めて、県内外から多くの人出がある。
シーズン中は、駐車場が満杯になり、周辺道路も渋滞するというので、勤務先を朝6時半に車で出発し、到着したのは7時ころ。
2017年4月4日、東京では満開宣言がでたが、当地では全体的には6分咲くらい?
満開前だったことと、到着が朝早いこともあって、人影はまばらだった。
それでも、有名な菜の花とのコントラストの場所には、カメラを構えた人が何人も。
皆さん、菜の花を前景に、桜並木をバックの写真を撮っていた。
私も同じような写真ばかりになってしまったが、これで満開だったらさぞかし見事な写真になっただろう。
写真の腕前には関係なくね!
残念ながら、満開の頃に再び来る時間もないけれど。
水鳥 [日記・雑感]
特にきれいな川というのでもないけれど、冬の間には水鳥が多いのが楽しみだ。
3月末の買い物途中に準備もせずにスマホで撮影しただけなので画像も小さく、皆さんのブログアップ写真のようには鮮明ではないけれど、よかったらご覧ください。
識別できる写真を撮ろうと、コンパクトデジカメで再挑戦!(2017/04/02)
以下に、写真と文で追記。
群れて数が多いのがヒドリガモ。
↑のキンクロハジロは誤りで、写真をよく見てデジタル図鑑と照らし合わせたら、オオバンらしい。鼻先(額)の白いのが特徴?(追記)
カルガモもペアで。
ついでに、ヒドリガモとカルガモの混成部隊(追補)。
写真では色が不鮮明だけれども、陸から魚を狙っているアオサギ。
水の中を歩いているのは、コサギ。たぶん。
川の中には、大きなカメやコイがたくさん・・・
写真は、一抱えもありそうなコイの群れ。堤防道路の上からのぞいてもこんなに大きいのだから、実際の大きさはバケモノ級?
まぁ、身近にいつでも見ることができる鳥がいるだけでも幸せということかな!
今度は望遠レンズを用意して、と思ったけれど、最近はコンパクトデジカメしか持ってない! トホホ!!
(以下追記)
ちなみに、川はこんなところ。
昔は田んぼの中を流れるのどかな川だったけれど(そのころからゴミは多かったけど)、今では両側は住宅がビッシリ。
それでも、水質(少なくとも見た目)は一時よりもだいぶましになった気がする。
今回のデジカメ追補では、アオサギはお目にかかれなかったが、写真には撮れなかったもののウ(カワウか、ウミウかは識別できなかったが)にもお目にかかれた。
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酉年につき鳥の姿をお年賀代わりに
野鳥の年始訪問
ギアナ高地と記録映画番組
阿蘇 地震と噴火からの復興を祈念 [日記・雑感]
昨年(2016年)4月に発生した熊本地震では、熊本城の天守閣や石垣の損壊のほか、公共建物や一般家屋の倒壊などの被害が多数発生し、多数の死傷者も出た。
熊本空港(阿蘇くまもと空港)のある益城町では、最大震度7を二度も観測した。
今回は熊本市内には立ち寄らなかったが、空港から南阿蘇の会議場までの沿線だけでも、いまだに損壊した瓦屋根にはブルーシートがかけられ、多くの仮設住宅も立ち並んでいた。
途中、阿蘇大橋の崩落現場では復旧工事が進められていたが、まだ工事は完成せず迂回路を通らざるを得ない。
二千年以上の歴史を有する肥後国一宮、阿蘇神社では、重要文化財の楼門と拝殿が全壊し、拝殿に隠れていた社殿が直接目の前に現れている。
活火山の阿蘇山は、富士山よりも早く中国の文献にその名が記載されるなど、古代から火の国熊本の象徴となってきた。
世界最大級のカルデラの火口原(外輪山内側)には、3つの自治体に約5万人の人々が暮らしているそうだ。
10万年前から活動している阿蘇火山群の中で、現在最も活発に活動しているのが中岳(1506m)だ。
火口までは道路やロープウェイも整備され、噴煙を噴き上げる様子を直接見物できることから、観光名所となっていた。
しかし、昨年10月に、爆発的噴火が発生して、噴火警戒レベル3が発令された。
火口付近のシェルター(退避壕)も噴石で押しつぶされているという。
レベル1に引き下げられた現在でも、中岳火口周辺1kmは立ち入り規制が継続されている。
観光名所の草千里には、ようやく地震で被害を受けた道路も普及して車で到達できるようになったが、周辺の展望地には立ち入り禁止が続いている。
それでも、草地維持のための野焼きも行われ、日々の暮らしが少しずつ戻ってきているようだ。
夜が過ぎれば、再び朝焼けの阿蘇五岳が姿を現す。
亡くなられた方々のご冥福と一日でも早い復興をお祈りしています。
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世界的大カルデラの魅力と草原の危機 -国立公園 人と自然(15) 阿蘇くじゅう国立公園
支配する側 される側 -その倒錯の関係? [日記・雑感]
最近、たまたま読んだ本や新聞、聴いたラジオ番組などで、「支配と被支配」に関連する内容が重なった。
支配と被支配といっても、別に暴君や帝国主義の植民地の話ではない。ましてや、SだのMだのの話でもない。いや、ちょっとは関係するかな(笑)
副題の「倒錯の関係」もちょっと過激だ。「逆転の発想」というほどの意味なのでご容赦を。
これから書こうとしているのは、日常的な物やペットなどに関わる話だ。
若者は、携帯(スマホ)を使いながら、実は使われている、などというアレである。
NHKラジオに「ラジオ深夜便」という番組があって、バイオリニストの千住真理子さんのトークがあった。
彼女によると、演奏の際(だけではなく普段も)にはファウンデーションも含めて化粧をしないという。
名器ストラディバリウスに化粧の成分を含んだ汗が落ちて、表面のニスが変化しないように気を使っているのだそうだ。
若者のスマホと同様、名器に支配されているといってもよいかもしれない。
ベストセラーにもなっているユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)には、小麦の話が出てくる。
麦畑の芽吹き(群馬県高崎市にて)
人類は農耕を始めて、小麦を作物として栽培してきたけれど、小麦の立場からすると逆だという。
つまり、雑草には負けやすく、多くの水や肥料などを必要とする小麦は、人類を奴隷のごとく使って生息地(耕作地)を拡大してきたことになる。
なるほど、生物(遺伝子)の最終目標が「種の保存」であり、そのためにいかに子孫を残すかに腐心して戦略を立てていることは知っていたが、小麦の作物化は小麦の生き残り拡大戦略だったのか。
人類が小麦を食料として使って(支配して)いるのではなくて、小麦の拡大のために人類が使われて(支配されて)いるのだ!!
このような逆転の発想に頷ける事例は山ほどある。
ペットとの関係もそうかもしれない。
作家の内田百閒は、野良猫の子「ノラ」を飼い始めて、15円の牛乳が気に入らないと見るや21円のを買ってやる。
ついには、猫が食べないアラを味付けをし直して夫婦で食べたという(2017年2月6日付 朝日新聞「天声人語」)。
そういえば、昨年読んだポール・ギャリコ著『猫語の教科書』(筑摩書房)には、猫は飼い主の家を占拠し、飼い主を奴隷のように意のままに操ろうとしていると書いてあった。
猫が出ないようにドアを付けたり、物を落とさないように片づけたり・・・結局は猫の居心地の良い猫仕様の家になって、乗っ取られているというのだ。
猫を躾けるつもりが、逆に人間が猫に躾けられているというのだ。
先の内田百閒も、まさに野良猫の奴隷と化したのかもしれない。
実は、本ブログでは初めての紹介(カミングアウト?)となるが、私も捨て猫を飼っている。
昨年の3月、極寒の日に海岸まで散歩に出かけたら、松林で蹲って震えている真っ白い子猫がいた。
乳離れしたばかりらしく、まだしっかり歩くこともできず、凍死してしまいそうなので、拾ってきた。
その猫が私の膝の上で丸くなって寝入っていると、起こさないようにトイレも我慢してしまう。
私の膝も、完全に猫に乗っ取られてしまった。
私も猫の僕となってしまった。
まあ、別にそれでもイイけど・・・
子どもの頃に意味も分からず聞いていた流行歌、奥村チヨ『恋の奴隷』(作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦)をふと思い出してしまった。
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映画ロケ聖地 君の名は。須賀神社 [日記・雑感]
今年は、9日(月)の成人の日に集まった。
その時、実家の者から、今年の須賀神社の初詣は大変な人出だったと聞いた。
拝殿まで、崖下の階段から長蛇の列だったそうだ。
毎年初詣に出かけているが、近年ではこれほどの人出は初めてという。
どうやら、映画の舞台となった場所を巡る「聖地巡礼」で、今年は人出が多かったらしい。
なんでも、須賀神社が、大ヒットのアニメ映画『君の名は。』の舞台となったという。
映画を見た私の子どもたちによると、主人公のカップルが再会するのが須賀神社の階段だとか。ポスターにも使用されている場面だそうだ。
9日も、夕方だというのに多くの人が神社に参拝していた。
同じ場面での5年前の2012年は、元旦というのに、夕方ともなると初詣参拝者はほとんどいなかった(実家の母と家族たちの初詣記念写真)。
今年は、もちろん、再会場面の階段では、シャッターを切る人々の列が・・・
映画ヒット前の普段の階段の様子は、このとおり。
映画の公開が昨年2016年8月というが、この写真(↓)は公開4か月前の桜の季節の状況。
普段のブログ記事では他所からの画像借用はしないが、今回は特別にWEBからこの場面の画像を借用。
昨年6月の記事『四谷・左門町界隈(1) お岩さんとお天王様』掲載写真と見比べても、なるほど、映画のシーンは、丁寧に描写されている。
須賀神社以外でも、精緻に描かれて再現された『君の名は。』の舞台が解き明かされている。
舞台探しがブームともなっているようだ。もっとも、既に解明済みで新たな発見もないのかもしれないけど。
その解明された舞台の所在地を「聖地」として多くの人が訪れているという。
ほとんど訪れる人のいなかった小さな駅などに次々と人が訪れるのが、話題として取り上げられているのをテレビ番組で見たことがある。
映画などのロケ地が有名になり、人々が訪れて観光地化するのは、今に始まったことではない。
アニメの聖地巡礼は、だいぶ前からブームにもなっていた。
NHK大河ドラマの舞台には、観光ツアーが組まれて観光客が押し寄せるから、地元の町興しにもなる。
自治体の組長さんたちは、地元に縁のある大河ドラマの放映を企画してくれるよう、NHKに陳情に行くそうだ。
自分が住んでいる、あるいは出身の町などが有名になるのは、なんとなく誇らしい感じもしないでもない。
ましてや観光客が増えることで経済的に潤う人にとっては、この上ないことだろう。
でも、つつましやかに生活している人にとっては、騒音やゴミ、時には住家の覗きやトイレ借用など、迷惑になることも多いとか・・・
四国八十八カ所巡礼のように歴史のある「聖地」では、「お接待」で来訪者も地元住民も、ともに幸せになれる仕組みが出来上がっている。
しかし、それもいつまで存続することができるのだろうか。
東京オリンピックを控えて「おもてなし」は、「お接待」に代わる幸せの仕組みを築き上げることはできるのだろうか・・・
私は、生まれ育った地元神社へのささやかな貢献で、御守り札を購入した。
今年も良い年になりますよ~うに!
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四谷・左門町界隈(2) 忍者ハットリ君の墓も! 坂の町、寺の町
四谷・左門町界隈(3) 江戸の名残と明治・大正のモダン
酉年につき鳥の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]
昨年中はブログにご訪問いただき、またniceやコメントもいただき、ありがとうございました。
何とか週1回(できるだけ日曜日)の更新を試みましたが、途中だいぶ抜け落ちました。
皆様への訪問も、数回分をまとめてということになってしまいました。
それでも、ついつい引き込まれて記事を遡ることも多く、楽しませていただき、また新たな知見をいただきました。
一年間ありがとうございました。
今年は無理をせずにボツボツ更新しようと思いますので、気が向いたときにお寄りいただければ幸いです。
本年もよろしくお願いいたします。
今年は酉年
今年も恒例(?)の酉年にちなんだ鳥の写真をと思うけれど、多くの方々が素晴らしい写真をアップしているので気が引けてしまう・・・
そもそも腰を据えて鳥の写真を撮るることもないけれど、海外調査の際などにたまたまコンパクトデジタルカメラに飛び込んできてくれた鳥たちの一部を以下にご紹介。
コンデジズームだけなのでピントも甘いですがご容赦を!一部の写真はトリミング加工をしています。
それにしても、動き回る鳥の写真を撮るのは難しい!
鳥の名前にはとんと疎く、誤りも多いと思うので、ご指摘のほどよろしく!!
まずは酉年にちなみ、ニワトリ。
日本では放し飼いのニワトリもとんと見なくなったが、途上国では当たり前。
ロンボク島(インドネシア)でも野鳥と思うほど自由に走り回っている。
そういえば、ニワトリはセキショクヤケイ(赤色野鶏)という野生種を飼いならしたものともいわれている。
ロンボクのニワトリは、先祖の血を濃く受け継いでいるような気もする。
正月らしく華やかな色彩の鳥も、特に熱帯地方には多い。
中米コスタリカでは、その名も虹の名を冠したオオハシの仲間レインボートゥーカンをジャングルの中のホテルのベランダから撮影。
水辺の鳥カワセミの仲間も、色とりどりだ。
ロアガン・ブヌッ国立公園(マレーシア)では、真っ赤なくちばしがコウノトリに似ているとして名付けられたコウハシショウビン。
同じくマレーシアのパソ保護林でもちょっと違った何とかショウビン?(名前は不明)が。
艶やかさといえば、やはりこれ!?
メキシコ・ユカタン半島の先端に位置するセレストン生物圏保護区でのフラミンゴの大群。
数十年前にケニアのナクル湖国立公園でもフラミンゴを見たが、水質悪化や水位増減などで生息数が減少との情報もある。今はどうなっているのだろうか。
変わった鳥類では、スズメと遠縁のハタオリドリ。
南アフリカでは、葉っぱを器用に織り込んで巣を作っていた。
やはり小型のハチドリも、その名のとおりホバリング(空中停止)してストローのような長いくちばしで蜜を吸いこむ。
写真は、ランビル国立公園(マレーシア)だが、熱帯地方では多くのハチドリを見ることができた。
逆に大型のツカツクリの仲間は、卵を抱いて孵化させずに、地面に穴を掘ったり、塚を作ったりして、地熱などで卵を孵すという。
鳥類は爬虫類から進化したというけれど、その名残だろうか?
シドニーの海岸では、ヤブツカツクリが人を恐れずにやってきた。
インドネシア・スマトラ島グヌン・ルーサー国立公園のジャングルの大型の鳥は、キジの仲間のセイラン。
セイラン(青鸞)は、鳳凰のモデルになったともいう。
大きなカナダガンは、ニルスを乗せて旅立っていった。
写真は、故郷カナダのバンフ国立公園にて。
気の強いのはカケスやカラス?
ヨセミテ国立公園(米国)では、ステラ―カケスがカラスとリス(手前)を向こうに回して餌の取り合いをしていた。
ブータンでも、カササギやキュウカンチョウのような鳥が人家近くに。
同じくブータンで出会ったキツツキの仲間のヤツガシラは、沖縄などにもやってくるそうだ。
ほかにも、まだまだ紹介したい鳥たちの写真はあるけれど、本日はこの辺で・・・またの機会に・・・
ところで
トランプ旋風がどうなるのか・・・
テロや災害がまだまだ続くのか・・・
相場では「申酉騒ぐ」と言うそうですが、世界中が平穏な年となってもらいたいものです。
今年も皆様にとって佳いお年となりますようにお祈りします。
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申年につき猿の姿をお年賀代わりに
未年につき羊の姿をお年賀代わりに
午年につき馬の姿をお年賀代わりに
巳年の植物
日向薬師 本堂大改修終了 [日記・雑感]
この5年間、本堂は「素屋根」という工事用の仮設物ですっぽりと覆われていたので、早速改修された本堂を見たくて訪れた。
日向薬師は、奈良時代初頭に有名な僧、行基によって開山された。開山当時は、日向山霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)と称されたが、明治時代の廃仏毀釈以降は別当坊の「宝城坊」が引き継いでいるという。
ご本尊は鉈彫りの薬師瑠璃光如来で、本堂とともに国の重要文化財指定されている。年に数回(1月、4月)の特別開扉以外は拝観できない。
まだここでは拝観したことはないが、2006年に国立博物館(上野)で開催された 「一木にこめられた祈り 仏像展」で拝観したことがある。
本堂脇の宝物殿には、このほかの国指定重要文化財の仏像などが展示されている。
歴代の天皇や将軍の信仰も厚く、江戸時代にも大改修が行われた。
今回の改修でも、その江戸時代改修当時の顔料を再現して塗りなおしたという。
改修により、黒を基調としながらも、オレンジ色の弁柄が鮮やかに蘇った。
一般的な寺院や神社などで見る朱色よりも落ち着いている感じがする。
大改修といえば、高さ約18m、幅約23m、奥行き約17mという国内最大級の茅葺屋根の葺き替えも大工事だったようだ。
そもそも、大量のカヤを集めること自体が、今日では難しくなってきている。
茅葺屋根の消滅に加え、牛馬などの家畜飼料はほとんどが米国などから輸入された遺伝子組換え大豆やトウモロコシなどに取って代わられ、萱場といわれた自然草地自体が日本国内では消滅の危機にある。
かつては家畜飼料や屋根葺き材料として利用されていた箱根仙石原のススキ草原も、現在では植生遷移を止めて観光用の草原を維持するために、毎年春先に火入れをしている。
改修工事の完了で、本堂前の広場も広くなり、樹齢800年という県指定天然記念物の「宝城坊の二本杉」(別名「旗かけ杉」)の全体を撮影することもできた。
また、巨木の空洞に安置されている「虚空蔵菩薩像」も広場から見渡すことができるようになった。
周囲の紅葉は、きれいではあったが、赤味が少なく、今一かな~
ここ数年、本堂を拝むことができないのに出かけていたのには、紅葉見物や参拝のほかにも理由がある。
この時期に出回る地酒の新酒だ。
今回も、新酒と酒粕を購入してきた。
昔から、門前には団子など名物があり、これを目当てに行く参拝客も多い。
私も、この口かな・・・別に否定はしないけどね。
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丹沢日向薬師と日向山の紅葉
丹沢山麓の新緑に魅せられて
バラの乱舞 ― 秋の花菜ガーデン [日記・雑感]
花菜ガーデン(神奈川県立花と緑のふれあいセンター:神奈川県平塚市)に秋バラを見に行った。
ここには890種、1100本のバラが植栽されているそうだ。
秋の時期に咲いているのは何種か正確には知らないが、とにかく多くのバラがあり壮観だった。
色や形だけではない。匂いバラのコーナーもある。
名前まで記録していないが、撮った写真の一部をアップ。
中国の品種には、バラの花とは思えないようなバラも。
初めは蕾か、すでに咲終わりかとも思ったけれど、よく見るとこれが花らしい。
バラは花だけではなく、実も美しい。特にツルバラの実は風情がある。
バラだけではなく、秋咲のサルビアも見事だ。
世界中に約900種が自生しているという。
花菜ガーデンには、園芸用に改良されたものも含めて約60品種が展示されているそうだ。
サルビアといえば、赤しか頭になかったが、こんなにも多彩なのに驚いた。
巨樹もいいけど、色とりどりのお花もいいですね!
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花菜ガーデンのユリ
碧い宝石 ヒスイカズラ
青いケシの花に誘われて
家康の遺命 聖なるライン ― 久能山東照宮 [日記・雑感]
前の二つの記事で日光東照宮に触れたので、今回は秩父を一休みして今月訪れた「久能山東照宮」(静岡県)と取り上げる。
徳川家康は晩年を駿府(現在の静岡市)で過ごし、元和2年(1616年)に75歳で没したというから、ちょうど没後400年。
家康は、駿府城からほど近い久能山に埋葬するよう遺言していた。
そこで二代将軍秀忠により造営されたのが久能山東照宮だ。
なんでも、久能山は家康誕生の岡崎城、さらには京の都を結んだ「聖なるライン」上にあるという。
翌年、日光に改葬されたのが日光東照宮(栃木県)であり、三代将軍家光により造営されたのが鳳来山東照宮(愛知県)。
鳳来山東照宮のある鳳来寺は家康の両親にも縁の深い地であり、上記の聖なるライン上でもあるという。
久能山東照宮へは車道はなく、表参道は山下から1159段の石段を上らなくてはならない。
現代では「日本平」からロープウェイが通じているので、これを利用する。
ロープウェイのすれ違い。ゴンドラにはともに葵の紋が。
石段の先の「楼門」には、後水尾天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が。
楼門をくぐると「鼓楼」や校倉造の「神庫」、「日枝神社」などが次々と現れる。
ロープウェイから約100段で、国宝に指定されている「社殿」だが、あいにく漆塗修復工事中で写真は一部方向からだけ。
それでも、絢爛豪華な彫刻などは拝観できた。
これは社殿の裏横部分。
工事中の現在は、横門から入るので最初に目に飛び込んでくるのはこの壁面だ。
社殿奥の廟門からの参道には、家康に仕えた武将たちが奉納したという石灯篭が。
いよいよ、家康の遺骸が埋葬された「神廟」に。
現在の石塔は、三代将軍家光によって建てられ、家康の遺命に従って聖ラインの方向、すなわち西向きだという。
ということは、やはり家康でも生地が懐かしい?
この神廟には、「金の成る木」というクスノキの巨樹がある。
家康が「金の成る木」について家臣に説いた故事にちなんでいる。
しかし、あくまでも家康が描いたという金の成る木にふさわしいとして、後付けで呼ぶようになったらしい。
そういえば、社殿脇にも樹齢650年という「大蘇鉄」もあった。
ロープウェイ駅舎に戻る前に、久能山東照宮博物館で家康の洋時計や鎧兜・刀剣などを見学した。
静岡県立美術館では、家康没後400年を記念して「徳川の平和(パクス・トクイガワーナ)250年の美と叡智」と題した展覧会が開催されていたので、これも観覧。
若冲の白いゾウ(白象群獣図)をはじめ、狩野派などの徳川の平和の時代に花開いた屏風、図画などが展示されていた。
国宝東照宮の建造物、博物館、美術館の工芸品、絵画など美術品をたっぷりと見学し、徳川時代に浸った一日だった。
それにしても、「聖なるライン」は、やはり気になる!
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「中国文明と縄文文化 - 兵馬俑展と三内丸山、登呂遺跡」
「伝統とミシュラン星 宝登山神社 -秩父の神社と巨樹(3)」
「夜祭と甚五郎彫刻 秩父神社 ー 秩父の神社と巨樹(2)」
「温泉と避暑リゾート、世界遺産 -国立公園 人と自然(20)日光国立公園」
ル・コルビュジエの世界 ― 祝 世界遺産登録 国立西洋美術館 [日記・雑感]
トルコ軍クーデター未遂事件のあおりを受け、当初の予定より1日遅れての決定だ。
世界遺産登録が決まった作品群は世界7か国の17作品で、近代建築運動に大きな影響を与えた(顕著な貢献)のがその理由だ。
世界に散らばる建築物を一つの世界遺産としたのは初めて。
この中には、上野の国立西洋美術館(東京都台東区)が含まれている。
日本で16件目の文化遺産で、自然遺産を含めると20件目の世界遺産となる。
このところ日本では、毎年世界遺産が登録されている。
登録決定の報を受けて、地元では東京都で初となる世界遺産の祝賀ムードが大いに高まっているという。
決定翌日には、国立美術館前は開館時間前から長蛇の列だったそうだ。
ル・コルビュジエの建築作品は、身近に見られるコンクリート打ちっぱなしなどの鉄筋コンクリート建築の先駆的な役割を担ったもので、外壁がなく柱で支えるピロティ形式や屋上庭園など、現在では当たり前の合理的・機能的なデザインを提唱したとされている。
まだ登録決定前だったけれど、6月の「カラヴァッジョ展」の際に撮影してきた。
西洋美術館の外観にも、ピロティやスロープなどのデザインが盛り込まれている。
外観だけではない。内部にも折れ曲がった長いスロープや太い円柱、光を取り入れる天窓などがある。
通常の美術館であれば展示面を広くとるべき壁面の前に、やはり円柱がある。
専門家に言わせれば、部屋の中に突き出た柱を無粋といってはいけないらしい。
窓も、それまでの中世建築の小窓とは異なり、全面ガラスで大きく開放的だ。
私は建築の専門家ではないから詳細は分からないが、やはり普通の展示空間とは違う、そこが良いのだろう??
そして、前記のように現代では当たり前の建築様式を先駆けた点が、高く評価されたということだろう。
さらに建築模型は、その複雑な構造と無限に展示空間を拡大(増設)できる設計を示している。
私は世界遺産は世界遺産でも、どちらかといえば自然遺産が専門だ。
それでも、国立西洋美術館が世界文化遺産の仲間入りをしてくれたおかげで、期せずして私の世界遺産歴訪数がまた一つ増えた。
帰りには、ブログでどなたかが紹介していた上野アメ横近くの肉屋さんのメンチカツ定食を食した。
ブログ記事のおかげで、美術展と世界遺産訪問だけではなく、食の楽しみ・思い出も加えることができた。
どなたか忘れましたが、ありがとうございます。感謝、感謝!!
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「祝 富士山世界文化遺産登録 -世界遺産をおさらいする」
「世界遺産富岡製糸場 ― 殖産興業と工女 「花燃ゆ」の時代」
ほか、文化遺産、自然遺産のブログ記事多数
花菜ガーデンのユリ [日記・雑感]
先日の梅雨の合間の暑い日に、神奈川県立の花菜(かな)ガーデン(平塚市)に行ってみた。
正式名は、「神奈川県立花と緑のふれあいセンター 花菜ガーデン」といい、9ha以上の広大な園内は季節ごとの草花や花木が展示されている「フラワーゾーン」と農業や園芸などを学ぶ「アグリゾーン」、さらに展示室や調理室、図書館などの「めぐみの研究棟ゾーン」から成る。
下↓は、入口部の研究棟ゾーン
本当は1000品種以上というバラを見ようと思ったのだが、やや時期も遅く、代わりにユリが盛りだった。もちろんバラも咲いてはいたけれど。
代表的なのは、やはりヤマユリ。純粋の日本産ヤマユリかどうかは不明だけれど、オリエンタル系とか。
ブログでは香りをお届けできないのが残念だ。
ほかにも、ササユリやカノコユリ、カサブランカなどのピンクやイエロー、ホワイトの色とりどりのユリが咲き乱れていた。
写真は広い園内のユリのほんの一部。
暑いので、風通しの良い木陰の小高い丘に咲いていたユリだけで失礼!
木々の合間には、まだアジサイも。
美しいブルーのアジサイは、その名もハワイアン・ブルー。
昨年は、箱根湿性花園でもニッコウキスゲやヒメサユリ(オトメユリ)も見た(「青いケシの花に誘われて」)。
でもやはり、植物園ではなく、自然の中で野生のユリを見た~い!!!!
写真は、昨年の尾瀬でニッコウキスゲ(上)とコオニユリ(「夏の想い出 - 久しぶりの尾瀬訪問」)。
(追伸)
昨晩(7月16日)のNHKBSプレミアム 「体感!グレートネイチャー」で、ボルネオ島の石灰岩洞窟と熱帯林研究用のクレーンが出てきました。
巨大石灰岩洞窟があるのは世界遺産にもなっている「グヌン・ムル国立公園」、林冠研究用クレーンがあるのは「ランビル・ヒルズ国立公園」で、ともにマレーシアのサラワク州。
本ブログでは、グヌン・ムルではないけれど、ツバメの巣もある石灰岩の巨大洞窟がある「ニア国立公園」と林冠クレーンのある「ランビル・ヒルズ国立公園」を紹介しているので、よろしければご覧ください。
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「夏の想い出 - 久しぶりの尾瀬訪問」
新緑の鞍馬寺・貴船神社 義経伝説とパワースポットを追って(3) 愛のパワースポット 貴船神社 [日記・雑感]
逆回りの登り道でなくてよかった!
ほどなく、賀茂川の上流となる貴船川に出る。ここは鞍馬寺の西門に当たる(↓写真の中央左奥)。
貴船では、川面に組んだ床で鮎など味わう「川床料理」が名物だ。
渓谷にはこの川床が連なっている。
川のせせらぎと新緑。これだけでも、料理の味は何倍も上がることだろう。
一人での川床料理は、風情があるか、わびしいか・・・夜の会食の予定があったため、残念ながら試すことはできなかった。
川床を横目にしばらく貴船川沿いを歩くと、「貴船神社」入口の真っ赤な大鳥居が見えてくる。
ここの貴船神社は、1400年以上の歴史を持つ水の神様で、全国に450社ほどある貴船神社の総本社だそうだ。
大鳥居の奥の参道両側には、これまた真っ赤な灯篭が立ち並ぶ。
参道をしばらく歩くと「本宮」がある。
水の神様ということで、水占いとかいうおみくじ(?)も人気があるらしい。
それだけではなく、縁結びの神様としても注目されているらしい。
実際この日も、境内では結婚式が行われていた。
これにあやかってか、拝殿には長蛇の列。
パワースポット縁結びの神は強し!!
また、貴船神社では古くから馬を奉納し、絵馬の発祥の地ともいわれているそうだ。
さらに先には、「奥宮」が。
なんでも、貴船神社はもともとはこの地に本宮があったとか。
本宮と奥宮の間の小高いところに「結社」(ゆいのやしろ)がある。
ここも、平安時代の女流歌人、和泉式部も信仰したという縁結びの神として有名だそうだ。
確かに、社には若い女性が何人も参拝していた。
良縁は、時代を超えた最大の願望だ。
貴船神社境内には、巨樹巨木も多い。
鞍馬山と同様、「全国巨樹巨木林の会」会長としては、こちらのパワースポットにも注目せざるを得ない。
本宮の入口には、樹齢400年、樹高30mというカツラの巨木がある。
根元から伸びた枝は、天に向かって八方に広がり縁起良く、また龍のごとく勢い良く立ち上っているとして、御神木となっている。
境内にはこれよりも大きいカツラの巨木もある。
カツラは水辺や湿地にもよく生育し、水の神を祀る貴船神社にもふさわしいかもしれない。
何よりも、その葉の形がハート形なのが、縁結びの神を祀る貴船神社には似つかわしいと思う。
カツラ以外にも、各地の神社に多いスギの御神木もある。
奥宮には、「連理の杉」。
連理というのは別々の木が連なって木理が通じていることで、夫婦、男女の仲睦まじく深い契のたとえとなっている。
この御神木は、杉がカエデと和合したもので、非常に珍しいらしい(↓写真のしめ縄の御神木、手前がスギ、奥がカエデ)。
同じく御神木の「相生の杉」は、同じ根から生えた2本のスギで、樹齢1000年という。
相生=相老に通じて夫婦ともに長生きの象徴だそうだ。
貴船神社は縁結びのパワースポットとして有名だけあって、御神木も「愛」に縁のある巨樹が多い。さすが!!
ところで、貴船神社は「丑の刻参り」発祥の地としても知られている。
貴船明神が降臨したのが丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻で、これに合わせて参詣すると心願成就するという言い伝えがあったのが、丑の刻参りの始まりともいう。
しかし今では、夫に捨てられた宇治の橘姫が妬む相手を取殺すため鬼神となることを願って、鉄輪をかぶって貴船神社に丑の刻参りをし、その霊が夫から依頼を受けた陰陽師安倍晴明によって封印されたという謡曲「鉄輪」(かなわ)の物語やその後の白装束の女人が毎夜真夜中の丑の刻に藁人形を五寸釘で御神木に打ち込む呪いのほうが知られている。
私も、丑の刻参りといえば、こちらを思い浮かべた。
これも、鞍馬寺の魔王に勝るとも劣らず、おどろおどろしい話だ。
でも、よく考えてみると、呪って鬼になるのは、(能の般若面もそうだが)愛情の深さの故の業なのだ。
つまり、貴船神社は、どこまでも愛にあふれたパワースポットということだ。
もっとも、私としては、愛が深くても鬼にまでなられるのはご遠慮申し上げたいけれどネ。
いや、鬼にならせるほうが悪い?!
新緑の鞍馬寺・貴船神社 義経伝説とパワースポットを追って(2) 本殿金堂~奥の院魔王殿 [日記・雑感]
本堂の「本殿金堂」で引き返すつもりだったが、どうやら奥の院から貴船神社までのハイキングコースがあるらしい。
ということで、本堂の脇から、奥の院へ向かう。
相変わらず、事前の準備もなしの旅が続く。
途中には「霊宝殿」(宝物館)があったので、3階の国宝の毘沙門天三尊立像(平安時代)などを拝観した(写真撮影禁止)。1階には、鞍馬山の自然が展示されている。
2階には、義経や弁慶など解説展示がある。
平安末期の平治の乱で敗れた源義朝の子の義経は、ここ鞍馬寺で約10年間生活をしたという。
義経には有名な静御前のほかに、正妻として河越重頼女(むすめ)(通称、郷御前とも呼ばれているという)がいたことを初めて知った。
頼朝の追っ手から義経が逃避行を続けている際にも同行し、奥州平泉で義経と最後を共にしたという。
出身は、武蔵の国(現在の埼玉県)川越とか。勤務地が埼玉県ということもあり、なんとなく親近感が沸いてきた。
また、歌人の与謝野晶子・鉄幹も鞍馬寺と縁が深いらしく、コレクションを集めた部屋もある。
宝物館の前には、1976年に移築された与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が建っている。
少し山道を登ると、「木の根道」という杉の根が地表を這っているところがある。
この辺りは土壌が薄く、地表すぐ下に岩盤があって、杉の根が地中深く入り込めないそうだ。
この根っこの凸凹で、幼少の義経、つまり牛若丸が跳躍の練習をしたとの伝承もあるらしい。
奥には、「大杉権現社」がある。
その名のとおり、樹齢1000年ともいわれた杉の巨木は、「護法魔王尊影向の杉」として多くの人々の信仰を集めてきたという。
しかし、残念ながら、1950年の台風で幹の中央から折れてしまい、現在はその残存部の幹が残るのみだ(↓写真の中央左の柵の中)。
ここから少し下ると、不動明王を祀る「僧正ガ谷不動堂」がある。
謡曲「鞍馬天狗」では、鞍馬天狗と牛若丸がここで出会ったという。
鞍馬天狗といえば、私は子供のころに見た映画の嵐寛寿郎(通称、アラカン)の鞍馬天狗くらいしか思い浮かばなかったが・・・カッコよかったなぁ~
更にその向かいには、「義経堂」がある。
奥州平泉で前述の正妻 河越重頼女(郷御前)と最後を迎えた義経を偲び、仙台藩主が北上川を望む地に建てた「高館義経堂」には何度か訪れたことがある。
鞍馬寺の義経堂は、この義経の魂が戻ってきて「遮那王尊」として祀られているものだそうだ。
不動堂の脇には、「右 魔王堂」と記された道案内の石標が。
しばらく山道を進むと、いよいよ奥の院「魔王殿」だ。
拝殿を入ると、その奥の岩の上に小さなお堂。
これが魔王殿らしい。
護法魔法尊が祀られている魔王殿が鎮座する奇石群は、神々が降臨した磐座(いわくら)・磐境(いわさか)として信仰を集め、日本庭園の源流ともいう。
その後は、魔王殿から、ひたすら山道を貴船に向けて下った。
ここまで鞍馬山には「魔王」の文字があちこちに刻まれていた。
前回記事の「魔王の滝」「魔王之碑」、そして今回の「護法魔王尊影向の杉」「魔王殿」など。
魔王殿には、650万年前に人類救済の使命を帯びて金星から降臨した魔王尊が祀られているという。
エッ 本当?!
魔王、すなわち護法魔法尊は金星人、異星人?
本殿金堂前の金剛床(前回記事)を含め、魔王の降臨によるパワーは、多くの修行者を招き、育て、そして現在も国内随一のパワースポットとなっているらしい。
確かに山全体にこれだけ「魔王」が溢れていれば、そんな気もする。
それにしても、魔王が金星人とは知らなかった(しつこい?)。
ご訪問いただきありがとうございます。
なかなか皆様のブログに訪問できないのは相変わらずですが、まとめ読みで失礼ながら少しずつ時間を見つけて読ませていただいてます。
いろいろと癒される・楽しい話題、役に立つ記事等ありがとうございます。
新緑の鞍馬寺・貴船神社 義経伝説とパワースポットを追って(1) [日記・雑感]
牛若丸の故事で有名な「鞍馬寺」もその一つ。
前回の葵祭行列は幸運な番狂わせだったが、今回は当初からの予定。
葵祭行列を見た京都御所から、鞍馬寺への足となる叡山電車の始発駅出町柳まで歩いた。
出町柳駅の近くには、葵祭と縁の深い下鴨神社がある。
葵祭の行列もここに立ち寄り、休息する。
下鴨神社に向かう葵祭の行列が鴨川を渡る際には、上流側の出町橋を通過するが、一つ下流の加茂大橋も出町橋から溢れ出た人々の列が続く。
出町柳を出発した叡山電車の市原駅~二ノ瀬駅の間は、秋は「もみじのトンネル」と呼ばれるそうだが、この時期はカエデの新緑が美しい。
この区間に差し掛かると、車内アナウンスが流れて、電車のスピードもグッと遅くなる。
車内が空いてから気が付いたが、座席も片側列は窓側を向いていて、景色を楽しむことができるようだ。
終点の鞍馬駅はクラシックな造りの駅舎だ。
門前の食堂で腹ごしらえをして、仁王門からいよいよ鞍馬山に入る。
ちょうどケーブルカーは整備で運行停止中(現在は運行再開)。
もっとも、運行されていても歩いたけれどね。
しばらく上り坂を進むと、魔王の滝。
魔王の滝や魔王之碑、さらには奥の院の魔王殿など、境内には「魔王」の付くものがやたらに多い。
その理由は、後のお楽しみ!
次に現れる鞍馬の火祭で有名な「由岐神社」の拝殿は、豊臣秀頼による再建の桃山建築で、国の重要文化財に指定されているという。
上の写真の拝殿の奥に見えるのは、「大杉さん」と呼ばれ親しまれる樹齢800年ともいう御神木「大杉社」(別名、願掛け杉)。
全国巨樹・巨木林の会会長としては、ここはチェックせざるを得ない(笑)
本殿も豊臣秀頼による再建という。
本殿脇の狛犬も、重要文化財に指定されている。
本物は京都国立博物館に寄託されており、これはレプリカのようだ。
さらに階段などを登ると、いよいよ鞍馬寺本殿金堂。
本殿前の地面に描かれた金剛床の中心に立つと宇宙エネルギーを感じることができるという。
写真の外人観光客も感じることができただろうか?
パワースポットも、観光立国ニッポンの売り物!?
このあと、奥の院へは次回に続く。
ご訪問ありがとうございます。
しばらくの間(というか、いつものことですが、来月初旬までは特に)、まとめ読みもできない状態が続きます。ご容赦のほど、よろしくお願いします。
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「幸運!! 京都 葵祭」
「京都 賑わいの内と外」
「巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり」