物質と便利さを求める若者気質と自己表明 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]
私は、2002年に共栄大学で教鞭をとるようになってから毎年、「自然と環境」と「地域開発論」の二つの科目で、最初の講義時間に学生に対するアンケートを実施してきました。アンケートの内容は、講義に関連した環境意識、特に自然に対する意識、あるいはまちづくりに関連するものです。これは、学生の関心や意識を把握して、授業の進め方に反映させようと考えたからです。その結果が6年分蓄積されたのを機会に、アンケート結果を解析して共栄大学研究論集(紀要)に掲載しました。論文の題名は、「大学生の環境意識とその変化に関する研究 -共栄大学生を事例として-」です。もともとは学術研究用の調査ではありませんでしたが、解析結果からは興味深いことが判明しました。今回は、そのいくつかを紹介しましよう。
そのひとつは、共栄大学生では、「自然とのふれあい」よりも「生活の便利さ」を選ぶものが多いことです。また、「心の豊かさ」に重きを置くものが多いものの、「物の豊かさ」を選択するものも増加してきています。まちづくり関連でも、「自然が美しい町」や「落ち着いた町」よりも、「便利な町」に住みたいとする志向が増加してきています。さらに、現在の生活水準を落としてまで地球温暖化などに貢献する循環型社会への移行は受け入れられない、とするものが大幅に増加しています。
世論調査結果などと比較すると、こうした傾向は若年層で広く見られるようですが、共栄大学生では特に強く表れています。この原因は今回の調査では不明ですが、共栄大学生の出身地が春日部市など埼玉県や栃木県、茨城県など大学周辺地が多いことにも起因しているのではないでしょうか。都心のベッドタウン化してきているものの、まだまだ田畑や雑木林も多く残っています。この季節、田植えのために水が張られた田んぼが陽光に輝いています。しかし、コンビニは必ずしも家の近くにはなく、公共交通機関も便利とはいえない。つまり、都会というには物足りなくて便利さに憧れている、一方で自然は幼い頃から身近に感じて当たり前の存在。そんな生活環境の反映かもしれません。
もうひとつ、興味を覚えた結果は、留学生(おもに中国出身)との比較です。たとえば、前述の「自然とのふれあい」と「生活の便利さ」のどちらを選択するかでは、「生活の便利さ」の選択割合は日本人学生も留学生も変わりありませんが、「自然とのふれあい」を選択した割合は留学生のほうが多いのです。その違いは、「わからない」を選択したものの割合が、日本人学生(11.6%)に対して留学生(1.8%)は圧倒的に少ないからでしょう。「心の豊かさか物の豊かさか」の質問項目でも、「どちらともいえない」あるいは「わからない」は、日本人学生の27.8%に対して、留学生はわずか5.3%でした。
つまり、留学生は日本人学生よりも、はっきりとした自分の考えを持っているということのようです。このことは、単に環境関係のアンケートでの自分の考えの表明にとどまりません。共栄大学日本人学生(大多数が男子学生)の、自分の考えを持ち、それを表明することができないこと、「あいまいさ」は、政治や社会などへの反応にも表れているように思います。共栄大学生だけでなく、どうも日本全体がこのような傾向にあるのではないでしょうか。自分の考えを持って、それをはっきりと表明することは、幼いころからの家庭のしつけや学校教育、さらには社会生活で培われるものでしょう。日本では、家庭、学校、社会のどれもが、その芽を意識的に潰しているように思えてなりません。授業中でも平気で友達同士で私語をする、しかし教師から質問されても誰も自分から答えようとしない、こんな日々の体験を恨めしく思う大学教員の繰り言にとどまればよいのですが。
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