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世界遺産候補になった東洋のガラパゴス、ペリーやジョン万次郎も訪れた島々 -国立公園 人と自然(2) 小笠原国立公園 [   国立公園 人と自然]

 ビルに囲まれた東京竹芝桟橋を午前10時に発った船は、1000kmを航海して翌日の午前11時30分に父島に到着する。この間実に25時間以上の船旅、それも平穏な海原の場合だ。冬季の海が荒れた時には、30時間以上かかったこともあった。後で小笠原丸の船長と話す機会があったが、その航海では多くの人命を預かって胃の痛む思いだったという。

 小笠原諸島は、太平洋上に南北に連なる火山列島で、このうち北端の聟島列島から父島列島、母島列島と硫黄島列島の北硫黄島まで、30余の島々がわが国最小の国立公園となっている(南硫黄島は、原生自然環境保全地域)。s-南島P6290758.jpgこれらの島々は、日本政府により世界遺産の候補地としてユネスコに推薦されることが決定した(2009年7月)。大陸と一度も地続きになったことがない海洋島の生物は、人間の往来が始まる遥か昔から島に住み着き、悠久の時を経て独自の進化を遂げていた。この結果、植物ではムニンツツジ、ムニンノボタン、ムニンヒメツバキなど、動物ではオガサワラオオコウモリ、アカガシラカラスバト、ハハジマメグロ、オガサワラトンボなど、世界でも小笠原だけの種(固有種)も多い。植物では40%、陸産貝類のように移動性の小さい種では95%が固有種という。それゆえ小笠原諸島は、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれている。小笠原国立公園では、青い海を背景にした美しい風景とスキューバダイビングなどを楽しむことができる。季節によっては、イルカやクジラの観察も魅力だ。

  それだけではなく、太平洋戦争の影響を現在でも垣間見ることができる。島のあちこちには、砲台跡や沈船もある。激戦地の硫黄島のように地形が変わるほどの自然への直接影響はないが、今日まで間接的に影響を及ぼしているのがノヤギだ。戦況の激化に伴う住民の強制疎開の際に置き去りにされたものが、野生化した。このノヤギは、貴重な固有植物を含め、植物を根こそぎ食べ尽くしてしまう。このほか、薪炭材として導入された樹木のアカギも固有種との競合を引き起こしている。さらに、最近では物資に混入したりペットとして島に侵入したトカゲの一種グリーンアノールも、固有の昆虫などを食べ尽くす勢いだ。これらの外来生物(移入種)は、世界遺産登録を目前にした小笠原の自然保護の最大の課題となっている。

 そもそも、隔絶されたこの島々に人が往来するようになったのは、江戸時代末期で、欧米の捕鯨船などが立ち寄ったり、日本船が漂着したりしたのが始まりだ。1830年には欧米人とハワイ先住民約20名が定住するようになった。1853年には通商条約要求のため沖縄から下田に向けて航行中のペリーも父島に寄航したという。江戸幕府は、信州深志城主の小笠原貞頼が1593年に小笠原諸島を発見、上陸したと主張して日本領土を宣言、これが小笠原諸島の名称の由来となった。しかし残念ながら、小笠原貞頼の名は歴史上確認されていないという。1861年には咸臨丸も派遣され、当時の欧米出身の島民たちに日本領有を宣言した。このときの咸臨丸乗組員の墓は、現在も亜熱帯林の中にひっそりと残っている。

  この咸臨丸には、ジョン万次郎(中浜万次郎)も欧米系住民への通訳として乗り込んでいた。漁船の難破漂流から救出された万次郎は、長く米国で暮らし、航海術などを学んだ。帰国した万次郎は、その国際情報や語学力をかわれて、その後の日米和親条約締結や小笠原開拓調査にも参加した。この万次郎の進言と活躍がなければ、日米条約は結ばれず、小笠原諸島はペリーによって、沖縄とともに米国に占領されていたかもしれない。万次郎の情報が、日本を危機から救ったのである。s-咸臨丸乗り組員の墓App0015.jpg

 明治以降は、綿花やサトウキビの栽培製品化、ウミガメやその他の漁業などのため、最も近い島(といっても700km)八丈島からの入植者のほか、各地から人々が集まり、最盛期には7000人以上の住民がいた。しかし、第2次世界大戦の激化とともに、前述のとおり全住民は強制疎開させられ、ヤギが野生化する原因ともなった。

 米軍の占領下から日本に返還されて40年。在来島民、旧島民などと呼ばれている島の歴史を背負ってきた人々や最近移り住んできた人々(新島民)など、さまざまな住民の混在する小笠原では、これら住民間の融合が課題ともなっている。返還35周年の2003年には、これからの島づくりについての記念シンポジウムが島をあげて開催された。シンポジウムのパネリストとして私と同席した米国人海洋学者のジャック・モイヤーは、島の将来を熱く語り、夜のイベントでは陽気に音楽を奏でていたが、今はもうこの世にはいない。

 南島や母島の石門では、立ち入り規制など新たな保全対策も始まった。父島から程近い南島は、観光客の人気スポットの一つだ。なかでも、海とトンネルでつながった湖状の入り江「扇池」は、小笠原で一番とも評される美しい景色だ。しかし、多数の観光客の踏み付けによって、植生や貝の化石が破壊され、赤土が露出するなどの問題も生じている。このため、上陸には自然ガイドの案内が必要で、人数なども制限されている。

  南海の孤島であるがゆえの不便な生活。現代の多くの住民は、この生活に耐え、より安定した生活を求めている。一方で、ダイビングやホエールウォッチング、エコツーリズムなどの観光客や都会では味わえない豊かな自然と生活のリズムを求める人々も増えている。民宿の「思い出ノート」には、小笠原でのかけがえのない体験を賞賛する声が多く記されている。

 島の歴史を背負ってきた人々や最近移り住んできた人々などが混在している小笠原。ここではまた、人間の往来によって持ち込まれた動植物(移入種・外来生物)によって、固有の生態系の存続が脅かされている。このように人類を含む新旧さまざまな生物によって、固有生物の天国であった小笠原の自然も大きく変化してきた。世界遺産の候補地となった今、あらためて小笠原の自然と地域社会の今後の変化が注目される。

 世界遺産に登録されれば、観光客の増加も予想される。この際、島の暮らしをもっと便利に、豊かにしたいと考える地元の人も多いようだ。しかし、不便でも豊かな自然のある生活を島の魅力にはできないものだろうか。しょせん、「外来者」のたわ言かもしれないが。

小笠原国立公園 1972年10月指定 6,099㌶ 東京都

 *この記事は、筆者の「咸臨丸も立ち寄った島」(「日本の国立公園(上)」、山と渓谷社2007年刊)、「小笠原」(「素顔の国立公園」、共同通信社配信記事、山梨新聞、茨城新聞、神戸新聞ほか掲載)などをもとに書き下ろしました。

 (写真上)小笠原の絶景といわれる南島の扇池
 (写真下)咸臨丸乗組員の墓

 (関連ブログ)「主な講演」「自然と癒し」「繋がる時空、隔絶した時空」「物質と便利さを求める若者気質と自己表現


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