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COP10閉幕と記事の流行 -私的新聞時評 [生物多様性]

 名古屋で開催されていた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が、会期ぎりぎりの2010年10月29日深夜(30日未明)に「名古屋議定書」などを採択して閉幕した。COP10に向けて、そして会期中は、「生物多様性」記事(番組)は連日のようにマスコミに登場した。しかし、10月30日付の新聞で「COP10閉幕」が報じられた後は、露出度はぐっと少なくなってしまった。尖閣諸島問題やAPEC(アジア太平洋経済協力)会議などの記事に押しやられた感がある。

 s-COP10新聞DSC00663.jpg2009年に内閣府が実施した「環境問題に関する世論調査」では、「生物多様性」の言葉を聞いたこともない人が61.5%にのぼったというが、このところの新聞などマスコミでの取り上げで、おそらく今日同様の質問をすれば認知度は格段に上がるに違いない。もっとも、「君は生物多様性を知ってるか」と正面切って聞かれて、自信をもって知っていると応えることのできる人は少ないだろう。私も、国内では長く関わってきた方の部類に入るだろうという自負はあるが、知っていると応えるだけの自信はない。今や、生物多様性は生物学から、政治学、経済学、農学、さらには倫理学など広い分野に及んでいる。それどころか文明論的な色彩さえ帯びつつあるのではないだろうか。また、「生物多様性」という言葉自体も、何やら難しそうだ。そこで、環境省など主催者やマスコミは、COP10を「生きもの会議」とも名付け、人々に親近感を持ってもらおうとした。私がブログに生物多様性に関する記事を書き続けているのも、少しでも多くの人に、その一部でも理解してもらい、生物多様性の保全に貢献したいと念じているからだ。

 COP10の内容を吟味し、総括した記事を執筆するには、それなりの時間も要する。私のブログ記事でも、まだそこまでには至っていない。ただ、今の状況、そしてこれまでの過去の状況をみていると、「生物多様性」記事は今後あまり期待できないのではないかと少し悲観的にも思う。限られた紙面、取材スタッフなどの制約から、日々のニュースに追われるのも仕方ない。マスコミも商売である以上、テレビ番組も含め、読者(視聴者)の関心のあることを優先せざるも得ないだろう。しかしそれが、極端ないわゆる視聴率競争になるのも困りものだ。なぜなら、マスコミはまさに世論をも形成するからだ。かつて環境省(当時は環境庁)の記者クラブ所属の記者さんから自嘲気味に聞いた話だが、クラブ在籍記者さんは社会部記者が多く、どうしても事件的な扱いになってしまうという。公害などが、いわゆる“事件”として取り上げられた名残のようだ。事件記者は、次々事件を追いかけるのに精いっぱいかもしれない。もちろん、社会の裏側を含め、真相解明で掘り下げることもある。しかし、生物多様性は、社会現象だけでなく、政治、経済、科学などあらゆる分野に及ぶ。単なる事件、一過性の「生物多様性」記事や番組ではなく、これからも息長く、恒常的に掲載(放映)してもらいたいものだ。

 とかく日本人は、「熱しやすく、冷めやすい」といわれる。流行(トレンド/ブーム)をみていると、確かにその感はある。もともと流行とは移ろうものだが、日本人には特にその傾向が強いようだ。その根底には、均質化した日本の社会では、人々は一種の強迫概念を持って流行を受け入れざるを得ない、ということもあるのではないだろうか。

 テレビ番組なども、視聴率を気にするあまり、どの局の番組も似たものとなっている(少なくとも、地デジ番組は)。これでは、まさに“画一的”で硬直した社会・文化となってしまう。自然界は、多様な生物種が健全に生きている社会(生態系)こそが、病気などの外圧にも強いことを教えてくれている。これがまさに「生物多様性」だ。これに倣って、“多様な”文化、そして個性により、健全な社会の実現を目指したいものだ。そのためにも、「生物多様性」が一過性のものではなく、私たちの生活、そして文明に定着するよう願う。自然から学ぶものは多い。

 (写真)名古屋議定書の採択とCOP10閉幕を第1面で報じる新聞各紙(2010年10月30日夕刊)

 (関連ブログ記事) 「名古屋議定書採択で閉幕 COP10の成果 -COP10の背景と課題(3)
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