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名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3) [生物多様性]

 生物多様性条約COP10(国連生きもの会議)が、10月29日深夜の「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」の採択で閉幕した。直前まで、果たして採択までたどり着けるか疑問視されていただけに、交渉にあたった関係者の苦労と喜びは計り知れない。

 s-名古屋COP10会議場DSC00627.jpg名古屋議定書は、野生動植物などから製品化した薬品などの利益をいかに生物資源の原産国である途上国に還元するか、などの生物の遺伝資源利用の国際的なルール、いわゆる「遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)」のルールを定めたものだ。食料品はもとより、医薬品など現代の私たちの生活に欠くことのできない「化学製品」も、本をただせば先住民などの自然界の生物資源の利用にヒントを得て、その成分など遺伝子資源を利用して製品化したものだ。先進国の多国籍企業などは、これらの製品により莫大な利益を上げてきた。しかし、そのもととなる生物資源(遺伝資源)は、大航海時代以来、植民地からヨーロッパなど先進国(宗主国)に持ち出されてきたものだ。途上国は、これを「生物資源の海賊行為(バイオパイラシー)」として非難してきた。(「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)」ほか参照)

 生物多様性条約(CBD)の成立までの交渉でも、各国は生物多様性の保全には異存ないものの、原産国としての権利と保全のための資金を要求する途上国と、企業活動への影響を懸念する先進国との間で、深刻な対立(南北対立)が続いた。CBDはこうした対立の中で、妥協の産物として成立した。(「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)」参照)

 これら対立の解決を先送りして成立したCBDは、その後の締約国会議(COP)のたびに、これらの課題の論争を繰り返すことになる。しかし、一定の成果も上がっている。条約発効後の最初の締約国会議、すなわちCOP1は、1994年11月末から12月初めにかけて、リゾート地としても有名なカリブ海のバハマの首都ナッソーで開催され、私も政府代表団の一員として参加した。翌年インドネシア・ジャカルタで開催されたCOP2には、ちょうど生物多様性保全プロジェクトの初代リーダーとして赴任中でオブザーバー参加した。そのCOP1では条約事務局の最終的な場所さえも決まらなかったが、COP2では、海洋生物多様性に関する「ジャカルタ・マンデート」とともに、参加国の喫緊の課題としてLMOの国境を越える移動について「バイオセーフティ議定書」を策定することが合意された。これを受けて、1999年カルタヘナで開催された特別締約国会議では「カルタヘナ議定書」が討議され、翌2000年にモントリオールで再開された会議で採択された。今回のCOP10に先立って開催されたMOP5では、このカルタヘナ議定書を補完して、LMOが輸入国の生態系に被害を与えた場合の補償ルールを定めた「名古屋・クアラルンプール補足議定書」が採択された。(「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって」参照)

 COPでは地球上の生物多様性保全についても議論が重ねられ、「エコシステム・アプローチ原則」(COP5)や「外来種予防原則」(COP6)、「世界植物保全戦略」(COP6)なども採択されている。また、1992年のCBD成立と同時に条約を目指しながらもUNCEDでの「森林原則声明」にとどまった森林の生物多様性やジャカルタ・マンデートを発展させた海洋生物多様性などが引き続き議論されてきた。

 s-名古屋COP10交流フェアDSC00581.jpgこうした中で、ABSは、COP6において「ボン・ガイドライン」が採択されてはいるものの、法的拘束力のある議定書などにまでは至っていなかった。今回の「名古屋議定書」は、単なるガイドラインと違い、条約としての位置付けのものだ。対立が続いたABSで、拘束力のある国際的なルールが策定されたことの意義は大きい。しかし、途上国が求めた植民地時代など議定書発効前に持ち出されて利用された資源は対象にならず、また改良製品(派生品)は個別契約時の判断となるなど、妥協点も多い。これが今後の運用に影を落とさないことを祈る。

 また、条約発効から10年目のCOP6では、「現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という「2010年目標」が採択された。この目標では、11の最終目標(ゴール)と達成のための21の目標(ターゲット)が掲げられた。今回のCOP10では、この「ポスト2010年目標」も争点の一つとなった。こちらは、20項目の個別目標の「愛知ターゲット」として採択された。

 この「ポスト2010年目標」討議では、特に保護地域の面積割合について、生物多様性保全のためにさらに保護地域を増やすべきとする先進国と、保護地域拡大は開発抑制になるとする途上国の間での対立が続いた。この保護地域論争は、改めて「国立公園・世界遺産」に関するブログで解説したい。

 なにはともあれ、国際生物多様性年、そして2010年目標の最終年に開催されたCOP10で大きな成果があったことは、ホスト国の日本として誇るべきことだ。とかく地球温暖化に比較して認知度の低い生物多様性だったが、先行していた地球温暖化の「京都議定書」に続いて、今回の会議では、「名古屋」あるいは「愛知」の名を冠した議定書や目標が採択された。願わくば、実効性が上がらず、またその後の枠組み(ポスト京都議定書)の期限内制定にも失敗した京都議定書の二の舞は踏まないでほしい。

 (写真上)COP10国際会議場
 (写真下)多くの市民などで賑わった生物多様性交流フェア(国際会議場隣接会場)

 *本稿は、筆者の以下の論文とブログ記事をとりまとめたものです。一部の文章および写真の重複は、お許し願います。

 (関連論文)
 「生物多様性条約はいまどうなっているのか」グローバルネット34(1993年)
 「生物多様性政策の系譜」ランドスケープ研究64(4)(2001年)
 「生物多様性保全と国際開発援助」環境研究126(2002年)
 「国際環境政策論としての生物多様性概念の変遷」共栄大学研究論集3(2005年)
 「IUCNにおける自然保護用語の変遷」環境情報科学論文集21(2007年)
 「世界の国立公園の課題と展望-IUCN世界保護地域委員会の動向」国立公園659(2007年)
 「国際的な生物多様性政策の転換点に関する研究」環境情報科学論文集23(2009年)
 「生物多様性をめぐる国際関係 -COP10の背景と課題」国立公園687(2010年)
 
 (関連ブログ記事)
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「国際生物多様性年と名古屋COP10
 「今、名古屋は元気印? COP10、フィギュアスケート、ドラゴンズ、そして開府400年
 「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「金と同じ高価な香辛料
 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト2
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト3
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