われ幻の魚を見たり 和井内貞行と十和田湖 -国立公園とヒメマスの物語(1) [保護地域 -国立公園・世界遺産]
久しぶりに十和田湖を訪れた。今夏の暑さの影響で紅葉には少し早いとはいえ、閑散とした休屋の集落、そして閉鎖した旅館や売店の多さには、正直目を疑った。老舗旅館が軒並み、廃業、経営者の交代、格安料金経営などを余儀なくされている。私が40年ほど前に国立公園管理官として勤務していた頃の、続々と遊覧船から降り立つ観光客、呼び込みも勇ましい売店の掛け声など、今では想像だにできない。
十和田で初めて食した「ヒメマス料理」。ある食堂には、ヒメマスの刺身、塩焼き、フライに酢の物・・・とヒメマスづくしの料理メニューがあった。特に刺身の甘くとろけるような味わいは、いまだに忘れられない。
そのヒメマスの軌跡を追う、「ヒメマスと国立公園の物語」を始めることにしよう。
十和田湖にヒメマスをもたらした和井内貞行のことについては、国語の教科書に取り上げられ、また昭和25年(1950年)には大河内傅次郎主演の映画にもなっている。その映画の題名が、かの有名な「われ幻の魚を見たり」だ。
安政5年(1858年)、当時の盛岡藩鹿角郡毛馬内村柏崎(現在の鹿角市)に生まれた貞行は、成人すると工部省小坂鉱山寮吏員として十和田鉱山に勤務することになった。これが、貞行と十和田湖、そしてヒメマスとを結びつけることになる。貞行24歳、明治14年(1881年)のことだった。今から130年前のことだ。鉱山自体はその後、藤田組(現在の同和鉱業)に払い下げとなり、貞行も同時に藤田組の社員に身分が代わることになった。
その職場では、過酷な鉱山労働に従事する2500人もの労働者の食事は、干物と塩漬けの野菜という粗末なものだった。当時の十和田湖は食料となるような魚は生息していなかった。まさに"水清ければ魚棲まず"の状態だった。貞行は、この労働者たちに新鮮な魚を提供したいとの思いからコイやカワマスの放流などを試みたが、採算性も低く事業としては成り立たなかった。
そんな折に耳にしたのが、北海道支笏湖のカバチェッポの存在だった。貞行は明治35年(1902年)12月、青森県水産試験場を通じて支笏湖から3万粒(5万粒の説もあり)のヒメマス卵を取り寄せて孵化に成功し、翌年5月には稚魚を放流した。明治38年(1905年)には、貞行は日露戦争勝利を記念して生出に孵化場の建設を始めた。しかし、私財を投げ打って取り組んだヒメマスの孵化と放流の成否が判明したのは、着手から3年の後であった。
明治38年(1905年)の秋、湖畔にたたずむ貞行が目にしたのは、風もないのにさざ波が立つ湖面だった。ヒメマスが産卵のために岸の浅瀬に押し寄せてきたのだ。その時発した感動の言葉が、「われ幻の魚を見たり」だと伝えられている。翌年に「和井内孵化場」が完成すると、養殖漁業の拠点を銀山から生出に移した。
こうして、ヒメマス養殖事業は軌道に乗り、貞行はその功績により明治40年(1907年)に緑綬褒章を授与された。貞行が起こした「和井内孵化場」は、その後、国、青森・秋田両県、十和田湖増殖漁業協同組合とその経営母体は代わり、施設は近代化されつつも、「十和田湖孵化場」として現在に引き継がれている。
次回は、十和田を愛した文豪 大町桂月と、貞行、ヒメマスとの交流を綴ることにしよう。
*本ブログ記事(連載)は、筆者の「国立公園とヒメマス ~阿寒湖、支笏湖、そして十和田湖を結ぶもの~」(国立公園699号、2011年)を基にしています。
(写真上) ヒメマス尽くしのヒメマス定食
(写真中) 閉店が多い十和田湖・休屋の売店
(写真下) 御鼻部展望台からの十和田湖
(小倉半島(左)と中山半島(右)で形成される複式カルデラ火口がよくわかる)
(写真では切れているが、右側が秋田県側で和井内の地名もある)
(関連ブログ記事)
「桂月の奥入瀬、幻の魚見たりの十和田湖、そして賢治の岩手山 -国立公園 人と自然(1) 十和田八幡平国立公園」
「連載 国立公園 人と自然(序) 数少ない自慢、すべての国立公園訪問記」
「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡」
興味深いお話をいつも楽しませていただいています。ありがとうございます。
by JUNKO (2012-11-20 11:10)
こんにちは^^
独身時代、実兄が盛岡に居たこともあり、十和田湖に連れて行ってもらいました。そのときはお天気も悪かったのですが、
それなりに魅力のあるところでしたが、数年前、夫と行った特は
俗化され全く魅力を失っていました。観光地も少しずつ変わっていかねばならないのでしょうね。
by mimimomo (2012-11-20 11:50)
JUNKOさん、お読みいただきありがとうございます。
次の大町桂月と十和田もよろしく。
by staka (2012-11-20 22:03)
mimimomoさん。
かつて賑やかだったが、今は元気がない観光地がたくさんあるようです。
十和田もそのひとつですが、修学旅行や職場団体旅行に安住していたところは、旅行形態の変化(小グループ化など)などで、経営は大変のようですね。
世界遺産にでもなれば別かもしれませんが。
by staka (2012-11-20 22:06)