四谷・左門町界隈(2) 忍者ハットリ君の墓も! 坂の町、寺の町 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]
前回記事の須賀神社から四谷にかけては、坂が多く、またお寺さんも多い。
須賀神社に続く天王坂のすぐ近くには、「観音坂」というのもある。坂の途中の真成院にある潮踏観音に因むという。(写真↓は、坂下から)
潮踏観音とは、前回記事のとおり、かつて海水がこの辺りまで来ていたことにも関係あるらしい。
四谷周辺は、「塩踏の里」とも呼ばれていたという。
父親からは、かつてこのあたりの谷地は「鮫ヶ橋」と呼ばれていたと聞いた記憶がある。
サメも出るというからには、やはり海とも繋がっていたのだろう。
須賀神社近くのお寺の水鉢には、明和3年の年号とともに「鮫ヶ橋谷町」の銘が刻まれている。
須賀神社のあたりは、新宿から四谷にかけての甲州街道(現在の新宿通り)から尾根のよう張り出た台地上に位置する。
なるほど坂が多いはずだ。どちらに行っても坂がある。
先ほどの銘の「谷町」もうなづける。
これらの坂の一つ、その名もオドロオドロシイ「闇坂」(くらやみざか)。
JR中央線の線路(信濃町駅方面)に向けて落ち込む急坂だが、かつて坂の左右にお寺があって樹木が茂り、昼なお薄暗い坂だったためにこう呼ばれたという。
小学校の同級生たちも何人かがこの周辺に住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
自転車でこの急坂を下ることは、臆病な私には到底できなかった。
須賀町や四谷周辺には、坂だけではなく、お寺も密集していて、寺町ともいわれる。
お寺さんが隣同士、あるいはお向かいなど、どちらを向いてもお寺だらけだ。
私が子供のころに一時通った学習塾は、お寺の本堂でアルバイトの大学生が一人で教えていた。まさに寺子屋だった。
先ほどの「観音坂」は、真成院と「西念寺」との間の坂だ。
坂上からの写真↓の左側の塀が西念寺。
西念寺は徳川家ゆかりの寺だ。
門扉にも葵の紋が附されている。
ここには、徳川家康の旧臣で、槍の名手、そして伊賀忍者の総帥であり、皇居(旧、江戸城)の半蔵門にその名を残している服部半蔵の墓がある。
家康の長男の信康は、織田信長から謀反の嫌疑をかけられて切腹を命じられた。
半蔵は、信康の介錯を家康から命ぜられたが、主君でもあった信康の介錯はついにできなかった。
後に、信康の冥福を祈るために仏門に入り、この西念寺を開山して、信康の供養塔を建立したという。
服部半蔵は、単に武勇に秀でただけではなく、深い情をも兼ね備えた人だったようだ。
そこが、漫画でも「忍者ハットリ君」として皆に慕われるキャラクターとなったのかな~、と勝手に想像している。
忍者ハットリ君の墓からは、彼が警護した江戸城を防御するための外堀と見附があった四谷も近い。
次回は、江戸の名残と明治・大正のモダンが混在する四ツ谷駅周辺。
須賀神社に続く天王坂のすぐ近くには、「観音坂」というのもある。坂の途中の真成院にある潮踏観音に因むという。(写真↓は、坂下から)
潮踏観音とは、前回記事のとおり、かつて海水がこの辺りまで来ていたことにも関係あるらしい。
四谷周辺は、「塩踏の里」とも呼ばれていたという。
父親からは、かつてこのあたりの谷地は「鮫ヶ橋」と呼ばれていたと聞いた記憶がある。
サメも出るというからには、やはり海とも繋がっていたのだろう。
須賀神社近くのお寺の水鉢には、明和3年の年号とともに「鮫ヶ橋谷町」の銘が刻まれている。
須賀神社のあたりは、新宿から四谷にかけての甲州街道(現在の新宿通り)から尾根のよう張り出た台地上に位置する。
なるほど坂が多いはずだ。どちらに行っても坂がある。
先ほどの銘の「谷町」もうなづける。
これらの坂の一つ、その名もオドロオドロシイ「闇坂」(くらやみざか)。
JR中央線の線路(信濃町駅方面)に向けて落ち込む急坂だが、かつて坂の左右にお寺があって樹木が茂り、昼なお薄暗い坂だったためにこう呼ばれたという。
小学校の同級生たちも何人かがこの周辺に住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
自転車でこの急坂を下ることは、臆病な私には到底できなかった。
須賀町や四谷周辺には、坂だけではなく、お寺も密集していて、寺町ともいわれる。
お寺さんが隣同士、あるいはお向かいなど、どちらを向いてもお寺だらけだ。
私が子供のころに一時通った学習塾は、お寺の本堂でアルバイトの大学生が一人で教えていた。まさに寺子屋だった。
先ほどの「観音坂」は、真成院と「西念寺」との間の坂だ。
坂上からの写真↓の左側の塀が西念寺。
西念寺は徳川家ゆかりの寺だ。
門扉にも葵の紋が附されている。
ここには、徳川家康の旧臣で、槍の名手、そして伊賀忍者の総帥であり、皇居(旧、江戸城)の半蔵門にその名を残している服部半蔵の墓がある。
家康の長男の信康は、織田信長から謀反の嫌疑をかけられて切腹を命じられた。
半蔵は、信康の介錯を家康から命ぜられたが、主君でもあった信康の介錯はついにできなかった。
後に、信康の冥福を祈るために仏門に入り、この西念寺を開山して、信康の供養塔を建立したという。
服部半蔵は、単に武勇に秀でただけではなく、深い情をも兼ね備えた人だったようだ。
そこが、漫画でも「忍者ハットリ君」として皆に慕われるキャラクターとなったのかな~、と勝手に想像している。
忍者ハットリ君の墓からは、彼が警護した江戸城を防御するための外堀と見附があった四谷も近い。
次回は、江戸の名残と明治・大正のモダンが混在する四ツ谷駅周辺。
服部半蔵と言えば忍者の頭領としか知りませんでしたが
情の厚い立派な武士だったのですね。
by 旅爺さん (2016-05-01 10:26)
私も忍者・服部半蔵としか知らず、お話しを読んでて
感慨深いものがあります。当時の名がそのまま残って
るんですね。赤坂見附、半蔵門など、名は知ってても
電車から降りた事がなくて、いつかは散策してみたいわ。
by puripuri (2016-05-01 13:38)
旅爺さん
私も最近知ったところです。
NHKの歴史番組で紹介してました。
旅(今回は旅というほどでもないけど)をすると見聞が広がりますね。
by staka (2016-05-01 13:55)
puripuriさん
私も皆さんのブログを読んで、初めて知ったことがたくさんあります。
東京育ちですが、都内にも知らないこと、行ったことのない場所、たくさんありますね。もちろん、花も含めて…
時間がなくて、まとめ読みになってしまいますが、ブログ訪問を楽しんでます。
by staka (2016-05-01 14:02)
わたしも服部半蔵のお墓には
2度行ってみましたが
ドラマや映画で見た忍者の服部半蔵とは
なんか違うキャラぽくて意外でした
忍者じゃなくて、ご本人は武士だったなんて
ていうか「服部半蔵」って襲名制だったんですね
by はなだ雲 (2016-05-01 14:33)
はなだ雲さん
半蔵の墓に2度のご訪問とは、さすがですね。
新宿中心に都内のブログ、いつも楽しみにしています。
半蔵といい、前回のお岩さんといい、これまでのイメージと実像が異なる人もたくさんいますよね。
by staka (2016-05-01 14:43)
こんにちは^^
歴史がありますね~こう言う所を巡ると面白いのでしょうね。忍者ハットリ君は息子たちが見ていましたが、わたくしは千葉真一を思い出します(><;
by mimimomo (2016-05-02 10:37)
mimimomoさん
忍者ハットリ君は、名前だけを実在の人物から拝借したのでしょうが、私も子供たちと時々見てました。
思わないところで、その土地の歴史や言い伝えに接するのは面白いですね。巨木も~
by staka (2016-05-03 07:27)
まだ足を踏み入れたことのないエリアです。歴史を知ってゆっくり歩きたいところです。
by JUNKO (2016-05-03 19:36)
JUNKOさん
次回予定の四谷駅付近は、アクセスも良いので是非ご訪問ください。
by staka (2016-05-03 21:25)