日本のポンペイ? 上毛の古墳王国 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]
しばらく前になるけど、9月と10月に、保渡田古墳群とその敷地内にある「かみつけの里博物館」(群馬県高崎市)を見学した。
5世紀末と6世紀前半の二度の榛名山大噴火により埋もれた東日本有数の王国の一部が、保渡田遺跡として発掘、保存されている。
王族の墓である大型の前方後円墳は、八幡塚古墳と二子山古墳、それに一部は切り崩されている薬師塚古墳の3基がある。
「八幡塚古墳」は、二重の堀を巡らした三段墳丘で、葺石で覆われている。墳丘長96mという巨大な前方後円墳だ。
周囲は約6千本の「円筒埴輪」で取り囲まれている。
この円筒埴輪は、もともとは壺などを載せる台で、死者へのお供え土器が源流という。これを並べ立てて結界を張ったと考えられている。
円筒埴輪のほかにも、「盾持ち人埴輪」と呼ばれる神域を守る軍団がある。
顔には紅を塗り、墓域に邪霊が侵入するのを阻んだ。
赤色は、古代から悪霊に打ち勝つための色として、世界中の呪術で取り入れられていたようだ。
八幡塚古墳の石室には、石棺が収蔵されている。
この地を支配した王の遺体が収められていたのだろうか。
また、王の権力を示すような道具類の器財埴輪や動物埴輪、さらに武人や巫女などの人物埴輪といった形象埴輪なども、古墳には収められていたようだ。
「武人埴輪」の最高傑作といえば、群馬県太田市出土のもので、埴輪で唯一の国宝に指定されていて、東京国立博物館で展示されていた(埴輪 古代へのロマン参照)。
群馬県立歴史博物館にも、榛東村の高松塚古墳から出土された武人埴輪が展示されていた。
保渡田古墳群には、八幡塚古墳のほか、「二子山古墳」もある。
こちらは芝で覆われた前方後円墳だ。
秋の時期には、周囲をコスモスの花が彩る。背後には、これらの地を火山灰で覆いつくした榛名山が聳えている。
古墳群の近くには、上越新幹線の工事で出土した王の巨大な館跡(三ツ寺Ⅰ遺跡)もある。
「かみつけの里博物館」には、これらの遺跡の復元模型や出土した埴輪、副葬品の金銅製の靴なども展示されている。
ところで、平成24年(2012年)には、渋川市の金井東裏遺跡から古墳時代の男性人骨が甲を着けた状態で出土した。(↓写真は、県立歴史博物館展示のレプリカ)
1500年前の榛名山の大噴火に巻き込まれた甲を着けた人骨の主は、榛名山に向かって前のめりに倒れこんでいた。
噴火を鎮めるために、火砕流が迫る中、逃げずに甲を着けて山に向かって祈っていたとも考えられている。
NHKの「歴史秘話ヒストリア」では、今年の10月にこれらの上毛の古墳遺跡群を「謎の古代王 最後の戦い 日本のポンペイから探る」として取り上げて放映する予定だった。予告放送までしていた。
しかし、予告放送直後に起きた阿蘇山の36年ぶりの爆発的噴火(2016年10月8日)による被害者の方々などに配慮してか、放映は中止になったようだ。
阿蘇の噴火で被害にあわれた方々にとって、日本のポンペイの放送は感情的に違和感があるのかもしれない。
大変申し訳ないが、当事者ではない私には、正直なところ放映中止で安堵する感情は持ち合わせていない。(東日本大震災では、世界中が共感したというのに・・・)
それよりも、過敏な自主規制、自粛の方が違和感がある。
自主規制の風潮は、一見やさしさの表れのようだが、行き過ぎると危険性もはらんでいるようにも思う。
大噴火の山と迫りくる火砕流を前に、家族や部族の安全をひたすら祈ったであろう古代の武人に思いを馳せつつ・・・
【本ブログ内関連記事リンク】
埴輪 古代へのロマン
中国文明と縄文文化 - 兵馬俑展と三内丸山、登呂遺跡
縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡
イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える
震災被災跡地の風化 -被災地訪問記1
5世紀末と6世紀前半の二度の榛名山大噴火により埋もれた東日本有数の王国の一部が、保渡田遺跡として発掘、保存されている。
王族の墓である大型の前方後円墳は、八幡塚古墳と二子山古墳、それに一部は切り崩されている薬師塚古墳の3基がある。
「八幡塚古墳」は、二重の堀を巡らした三段墳丘で、葺石で覆われている。墳丘長96mという巨大な前方後円墳だ。
周囲は約6千本の「円筒埴輪」で取り囲まれている。
この円筒埴輪は、もともとは壺などを載せる台で、死者へのお供え土器が源流という。これを並べ立てて結界を張ったと考えられている。
円筒埴輪のほかにも、「盾持ち人埴輪」と呼ばれる神域を守る軍団がある。
保渡田古墳出土(群馬県立歴史博物館)
顔には紅を塗り、墓域に邪霊が侵入するのを阻んだ。
赤色は、古代から悪霊に打ち勝つための色として、世界中の呪術で取り入れられていたようだ。
八幡塚古墳の石室には、石棺が収蔵されている。
この地を支配した王の遺体が収められていたのだろうか。
また、王の権力を示すような道具類の器財埴輪や動物埴輪、さらに武人や巫女などの人物埴輪といった形象埴輪なども、古墳には収められていたようだ。
「武人埴輪」の最高傑作といえば、群馬県太田市出土のもので、埴輪で唯一の国宝に指定されていて、東京国立博物館で展示されていた(埴輪 古代へのロマン参照)。
群馬県立歴史博物館にも、榛東村の高松塚古墳から出土された武人埴輪が展示されていた。
保渡田古墳群には、八幡塚古墳のほか、「二子山古墳」もある。
こちらは芝で覆われた前方後円墳だ。
秋の時期には、周囲をコスモスの花が彩る。背後には、これらの地を火山灰で覆いつくした榛名山が聳えている。
古墳群の近くには、上越新幹線の工事で出土した王の巨大な館跡(三ツ寺Ⅰ遺跡)もある。
「かみつけの里博物館」には、これらの遺跡の復元模型や出土した埴輪、副葬品の金銅製の靴なども展示されている。
ところで、平成24年(2012年)には、渋川市の金井東裏遺跡から古墳時代の男性人骨が甲を着けた状態で出土した。(↓写真は、県立歴史博物館展示のレプリカ)
1500年前の榛名山の大噴火に巻き込まれた甲を着けた人骨の主は、榛名山に向かって前のめりに倒れこんでいた。
噴火を鎮めるために、火砕流が迫る中、逃げずに甲を着けて山に向かって祈っていたとも考えられている。
NHKの「歴史秘話ヒストリア」では、今年の10月にこれらの上毛の古墳遺跡群を「謎の古代王 最後の戦い 日本のポンペイから探る」として取り上げて放映する予定だった。予告放送までしていた。
しかし、予告放送直後に起きた阿蘇山の36年ぶりの爆発的噴火(2016年10月8日)による被害者の方々などに配慮してか、放映は中止になったようだ。
阿蘇の噴火で被害にあわれた方々にとって、日本のポンペイの放送は感情的に違和感があるのかもしれない。
大変申し訳ないが、当事者ではない私には、正直なところ放映中止で安堵する感情は持ち合わせていない。(東日本大震災では、世界中が共感したというのに・・・)
それよりも、過敏な自主規制、自粛の方が違和感がある。
自主規制の風潮は、一見やさしさの表れのようだが、行き過ぎると危険性もはらんでいるようにも思う。
大噴火の山と迫りくる火砕流を前に、家族や部族の安全をひたすら祈ったであろう古代の武人に思いを馳せつつ・・・
【本ブログ内関連記事リンク】
埴輪 古代へのロマン
中国文明と縄文文化 - 兵馬俑展と三内丸山、登呂遺跡
縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡
イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える
震災被災跡地の風化 -被災地訪問記1
おはようございます^^
本日は急いでいるので後程また伺います。
by mimimomo (2016-12-18 07:07)
mimimomoさん
お忙しいところ、わざわざありがとうございます。
by staka (2016-12-18 12:00)
こんにちは^^
おほほ、忙しいと言うわけではなく、上野に遊びに行ったのです(^-^ゞ
日本には古墳って沢山ありますね。半世紀以上前学校で習った時とは大違い。
昔噴火なんてどんなに恐ろしい出来事だったのでしょうね。わたくしたちはそれが何に寄るか分かっているから、被害云々で話が済みますが、何故だか分からないことほど怖いものはないです。
だから祈りをささげたりってことも起こるのでしょうね。
by mimimomo (2016-12-18 13:34)
mimimomoさん
上野ですか~
噴火だけではなく、天変地異すべてが畏怖の対象だったのでしょうね。
しかし、人間ほど怖いものはないとも言いますよね~
by staka (2016-12-18 17:46)
私も出かけましたが、大きさにびっくりしました。
by 森田惠子 (2016-12-19 00:41)
森田惠子さん
目の当たりにすると、あらためて大きさに驚きますね。
あんなに大きな古墳を築いた古代の王国にロマンを感じます。
by staka (2016-12-19 08:56)