横浜山手の西洋館めぐり [日記・雑感]
横浜の山手地区にある西洋館を散策した。
神戸の北野地区の異人館をめぐったこともあるが、神戸の観光客数に比べると、横浜は少ないように感じる。
おそらくは、神戸北野には異人館が集まっているが、横浜山手は異人館(西洋館)が散在しているのが原因かと思う。
北野では駐車場に観光バスなどを駐車して、歩いて散策できる規模だが、横浜山手は歩くには少なくとも半日はかかるから、ちょっと観光向きではないのかもしれない。
でも、時間の余裕のある場合には、ゆっくり散策するのにちょうどよいのでは。
ということで、訪れた西洋館のいくつかを紹介する。
私の散策のスタートは、JR根岸線の石川町駅。
最初に訪れたのは、駅からほど近い「山手イタリア山庭園」。
ここには、2棟の洋館がある。
まずは「ブラフ18番館」。大正末期の関東大震災後に建てられたオーストラリア人貿易商バウンデン氏の住宅で、第二次世界大戦後はカトリック山手教会の司祭館として1991年まで使用されていた。
横浜市が寄付を受けて、現在の山手イタリア山庭園内に移築復元された。
詳細は、「横浜山手西洋館公式サイト」などに詳しいので、本ブログでは省略させていただきます(以下、同)。
同じ公園内には、「外交官の家」もある。
こちらは外国人の住宅ではなく、明治時代の日本人外交官の家だ。
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。
設計者は、立教学校(現、立教大学)の校長も務めたアメリカ人のJ.M.ガーディナーで、明治村に移築された聖ヨハネ教会堂をはじめ、日本各地で教会堂などを設計した。
山手イタリア山庭園を後にして、「港の見える丘」に向けて歩みを進める。
途中で、日本のテニス発祥の地に立ち寄る。
イギリスのローンテニスは、明治9年に横浜に伝わり、山手にテニスコート2面が作られたという。
現在この地には、「横浜・山手テニス発祥記念館」があり、テニスの歴史などがラケットなどで展示されている。
テニス発祥記念館を含む一帯は「山手公園」で、日本で最初の洋式公園ともいう。ヒマラヤスギも国内では初めて植えられた。
公園内には、洋館の「山手68番館」が公園管理事務所として残っている。
そこから港の見える丘公園方面に行くと、途中に「ベーリック・ホール」がある。
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されて住宅として使用された。
内装もなかなかモダンだ。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンだ。
モーガンは、ほかにも山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。
神奈川県藤沢市には、モーガンの旧邸モーガン邸があるが、残念ながら2007年と2008年に火災にあい、ほとんどが焼けてしまった。
ナショナル・トラストの関係で焼失の直前に訪れて、焼失前の建物を見ることができたのは幸いだった。
その先の本町公園内には、「エリスマン邸」が1990年に移築再現された。
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会に勤務したフリッツ・エリスマン氏の邸宅で、現在は貸ホールや喫茶店などとしても利用されている。
ここから外国人墓地、港の見える丘公園にかけては、多くの洋館が立ち並んでいる。
「山手234番館」は、1927年頃に建築された外国人向けのアパートメントハウスで、1980年頃までアパートメントとして使用されてた。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたそうで、設計者は日本人の朝香吉蔵だ。
外国人墓地の向かいには、民間の資料館「山手資料館」がある。
横浜市内に残る唯一の和洋併設型住宅だという。
港の見える丘公園には、英国総領事公邸だった「横浜市イギリス館」がある。
昭和12(1937)年に建てられた鉄筋コンクリート2階建てで、玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。
さらに公園に隣接して、「山手111番館」がある。
大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設されたスパニッシュスタイルの洋館だ。
設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。
1階の吹き抜けホールが印象的だ。
港の見える丘公園からは、センスの良い元町商店街を散策して、スタートの石川町駅に戻った。
今回はパスしたけれど、中華街で食事という手もある。
この地区には、洋館のほかにも、さまざまな見るべきものが多い。
全国巨樹巨木林の会会長としては巨樹も紹介したい。
その一つ、山手カトリック教会から山手公園に向かう途中のフェリス女学院大学の門の脇には、推定樹齢400年というタブノキの巨樹がある。
なお、去る6月6日、FMヨコハマのMITSUMIさんがDJの午後の番組コーナー「エシコン」に出演して巨樹について語りました。
【本ブログ内関連記事】
奇妙な看板?! - 町並みと景観
神戸の北野地区の異人館をめぐったこともあるが、神戸の観光客数に比べると、横浜は少ないように感じる。
おそらくは、神戸北野には異人館が集まっているが、横浜山手は異人館(西洋館)が散在しているのが原因かと思う。
北野では駐車場に観光バスなどを駐車して、歩いて散策できる規模だが、横浜山手は歩くには少なくとも半日はかかるから、ちょっと観光向きではないのかもしれない。
でも、時間の余裕のある場合には、ゆっくり散策するのにちょうどよいのでは。
ということで、訪れた西洋館のいくつかを紹介する。
私の散策のスタートは、JR根岸線の石川町駅。
最初に訪れたのは、駅からほど近い「山手イタリア山庭園」。
ここには、2棟の洋館がある。
まずは「ブラフ18番館」。大正末期の関東大震災後に建てられたオーストラリア人貿易商バウンデン氏の住宅で、第二次世界大戦後はカトリック山手教会の司祭館として1991年まで使用されていた。
横浜市が寄付を受けて、現在の山手イタリア山庭園内に移築復元された。
詳細は、「横浜山手西洋館公式サイト」などに詳しいので、本ブログでは省略させていただきます(以下、同)。
同じ公園内には、「外交官の家」もある。
こちらは外国人の住宅ではなく、明治時代の日本人外交官の家だ。
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。
設計者は、立教学校(現、立教大学)の校長も務めたアメリカ人のJ.M.ガーディナーで、明治村に移築された聖ヨハネ教会堂をはじめ、日本各地で教会堂などを設計した。
山手イタリア山庭園を後にして、「港の見える丘」に向けて歩みを進める。
途中で、日本のテニス発祥の地に立ち寄る。
イギリスのローンテニスは、明治9年に横浜に伝わり、山手にテニスコート2面が作られたという。
現在この地には、「横浜・山手テニス発祥記念館」があり、テニスの歴史などがラケットなどで展示されている。
テニス発祥記念館を含む一帯は「山手公園」で、日本で最初の洋式公園ともいう。ヒマラヤスギも国内では初めて植えられた。
公園内には、洋館の「山手68番館」が公園管理事務所として残っている。
そこから港の見える丘公園方面に行くと、途中に「ベーリック・ホール」がある。
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されて住宅として使用された。
内装もなかなかモダンだ。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンだ。
モーガンは、ほかにも山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。
神奈川県藤沢市には、モーガンの旧邸モーガン邸があるが、残念ながら2007年と2008年に火災にあい、ほとんどが焼けてしまった。
ナショナル・トラストの関係で焼失の直前に訪れて、焼失前の建物を見ることができたのは幸いだった。
その先の本町公園内には、「エリスマン邸」が1990年に移築再現された。
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会に勤務したフリッツ・エリスマン氏の邸宅で、現在は貸ホールや喫茶店などとしても利用されている。
ここから外国人墓地、港の見える丘公園にかけては、多くの洋館が立ち並んでいる。
「山手234番館」は、1927年頃に建築された外国人向けのアパートメントハウスで、1980年頃までアパートメントとして使用されてた。
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたそうで、設計者は日本人の朝香吉蔵だ。
外国人墓地の向かいには、民間の資料館「山手資料館」がある。
横浜市内に残る唯一の和洋併設型住宅だという。
港の見える丘公園には、英国総領事公邸だった「横浜市イギリス館」がある。
昭和12(1937)年に建てられた鉄筋コンクリート2階建てで、玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示している。
さらに公園に隣接して、「山手111番館」がある。
大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設されたスパニッシュスタイルの洋館だ。
設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。
1階の吹き抜けホールが印象的だ。
港の見える丘公園からは、センスの良い元町商店街を散策して、スタートの石川町駅に戻った。
今回はパスしたけれど、中華街で食事という手もある。
この地区には、洋館のほかにも、さまざまな見るべきものが多い。
全国巨樹巨木林の会会長としては巨樹も紹介したい。
その一つ、山手カトリック教会から山手公園に向かう途中のフェリス女学院大学の門の脇には、推定樹齢400年というタブノキの巨樹がある。
なお、去る6月6日、FMヨコハマのMITSUMIさんがDJの午後の番組コーナー「エシコン」に出演して巨樹について語りました。
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おはようございます^^
横浜はお洒落な所が沢山あるようで、こう言う所も
散策したいと思っていますがなかなか実現しません。
by mimimomo (2018-06-20 07:26)
mimimomoさん
そうですね~ 私は鎌倉も近いのに、ずいぶん長いこと行ってませんね。
by staka (2018-06-20 08:36)
横浜は流石に港町だけに洋館が多いですね。
いろいろ見て歩くのも楽しいですよね。
by 旅爺さん (2018-06-21 11:32)
旅爺さん
それぞれの町に歴史がありますが、次々に失われていくのは寂しいですね。
by staka (2018-06-22 17:06)
高台ですてきな所ですよね。
フェリス女学院の前を通った時は、娘を持ったら、ここに入れたいって思いました。
by TaekoLovesParis (2018-06-23 16:34)
TaekoLovesParisさん
そうですね。おしゃれな感じの良いところですね。でも、歳をとった時の坂道はちょっと~かな?
by staka (2018-06-23 18:44)