SSブログ

やはり気になる「塀の上の空き缶」 [地球環境・環境倫理]

 何度も見慣れた光景だが、やはり塀の上に整然と置かれた空き缶(あるいは紙パック)は気になる。先週、散歩に出た際にも目に留まり、このブログの子ブログ「人と自然 ぱあと2」でも取り上げた。その後も気になってしょうがないので、より読者の多い本ブログでも再度取り上げたい。

  s-飲み干し01220.jpg仕事柄、休日でも家で机に向かう時間が長くなる。そこで、気分転換とメタボ予防のために散歩に出かけた。その途中、またもや“あの光景”を見つけてしまったのだ。塀の上の飲み干した飲料水の紙パック。それも仲良く二つ並べて。

  以前からよく見かける光景で、気になっている。置いたご本人(おそらく、二人)は、ゴミを散らかさずに良いことをしたつもりなのだろう。でも、塀の上に置いてあってもゴミはゴミだ。誰かが片づけなければならない。結局は、処理の人任せに過ぎない。自分だけ良い気分になっても、責任を他者に転嫁しただけではないのか。

  歩きタバコの吸い殻を道路側溝に捨てるのも同じだ。ゴミ箱に捨てた気になっているが、結局は排水処理、あるいは海にまで負荷をかけることには違いない。

  自分の目の前のゴミにしか目が届かないのは、原発も同じでは? 「原子力発電が一番安上がり」とはいっても、それは使用済み核燃料の廃棄などの費用を考えない場合であり、ましてや事故は起きない前提だからその対策や損害賠償までは組み込まれていないことは、今や国民周知の事実だ。

 飲み干し飲料水の容器も原発も、結局自分で処分をせずに、他者に任せる点では同根だろう。距離的にも、時間的にも、近視眼でしか見ることができないということだ。散歩をしながら、考え込んでしまった。そして、1週間後までも気になって、こうしてブログにアップしている。

 「坂の上の雲」ならぬ、「塀の上のカン」はどうもいただけない。

 (写真)塀の上に置かれた飲み干し飲料水の紙パック

 (関連ブログ記事)
 「お天道様が見ている(2) -見ぬもの清し ポイ捨ての美学
 「お天道様が見ている -公と私の環境倫理


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0