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歴史が交錯するキリシタンの里と軍港が生んだ国立公園、世界遺産候補、そしてハンバーガー -国立公園 人と自然(13)西海国立公園 [   国立公園 人と自然]

 西海国立公園は、その名のとおり九州の西北端に位置する400余りの島々からなる外洋性多島海景観を中心とした公園だ。九十九島のリアス式海岸や小島群、平戸島西海岸の海食崖、五島列島の溺れ谷など、多様な海岸景観が見ものである。また、海鳥やアオウミガメなどの海洋性動物も見ることができ、福江島、若松島の海中公園では、サンゴや熱帯性魚類も観察できる。
 
 多島海の中でも、北松浦半島南西沿岸の佐世保から平戸島にかけて大小約200の島々が点在する「九十九島」は特に有名だ。島の密度は日本一とも言われ、島々をシルエットに海を赤く染める夕日の景色は正に日本を代表する景観でもある。ここはまた海洋性スポーツなどの拠点にもなっている。

 s-大バエ(生月町)西海NP.jpg九十九島から西には、平戸島や生月島、さらに宇久島から福江島まで140余の島々から成る五島列島が連なる。平戸島は遣隋使や遣唐使の寄港地にもなっていたため、小野妹子、弘法大師空海、栄西禅師なども立ち寄ったという。

 その後もこれらの島々は、大陸との交流や南蛮貿易の拠点にもなり、キリシタン禁教令以降は、多くの隠れキリシタンが移り住んだ。このため、こうした史跡が多く残っている。特に明治時代の禁教令解禁後は、木造、石造り、レンガ造りなど多様な教会が建築され、現在ではこれらの教会巡りも西海国立公園周遊の楽しみの一つとなっている。これらの教会建物は、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産の暫定リストに掲載された。地元では、正式な世界遺産登録に向けて運動中だ。

 一方、九州本土側の佐世保は、明治時代には大日本帝国海軍の佐世保鎮守府(明治22年)、そして海軍工廠(明治36年)が置かれるなど、横須賀、呉に次いで軍港として整備された基地の町だ。ここはまた、九十九島など島々への周遊・渡航の拠点、また多島海景観の展望地でもある。

 その九十九島の展望地として名高く、昭和初期には「新日本百景」(昭2年、大阪毎日新聞社)にも選定されて登山バスも走っていた弓張岳がある。しかし、軍港であるがために、この弓張岳への登山も、戦争が激しくなると軍事機密保持のために禁止となってしまった。

 s-九十九島 (2).jpgそれでも戦後になると、「観光地百選」(昭25年、毎日新聞社)に選定されるなど、再び観光地として脚光を浴び始めた。当時の佐世保市長中田正輔は、軍事基地の故に残っていた自然を観光資源として活用するために国立公園誘致運動を始めた。こうして、「西海国立公園」が誕生した。自然破壊の最大の脅威である戦争が自然保護に貢献したとは、なんとも皮肉だ。もっとも、現在でも同様の例には、沖縄やんばる、朝鮮半島軍事境界線などがあるが。

 かつての軍港佐世保には、戦後は進駐軍が駐留した。朝鮮戦争の勃発により多くの米兵が駐屯すると、ハンバーガーも伝えられ、手作りのハンバーガー店も出現した。現在では、“佐世保バーガー”として観光客の人気もある。

 歴史を秘めた世界遺産候補の島々も、平戸大橋(77年)、生月大橋(91年)、若松大橋(91年)、大島大橋(99年)など、次々と長大橋により連絡されている。こうして再び、西海の地は、新たな歴史と景観を刻みつつある。 

1955年3月指定 24,636㌶ 長崎県

 (写真上)生月島の大バエ断崖
 (写真下)日本一の密度を誇る九十九島
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