困民党とロケット祭の椋神社、そして吉田小学校庭の大木 ― 秩父の神社と巨樹(4) [巨樹・巨木]
しばらく間が空いたが、埼玉県秩父市での「巨木フォーラム」のエクスカーションで巡った巨樹の紹介。
「椋神社」は、明治17年(1884年)に起きた「秩父事件」の際に、3千名ともいわれる農民らが集結した場所として著名だ。
当時は、デフレ政策と軍備拡張のための増税などで、全国の農民などは生活に困窮し、各地で政府に対する抵抗運動が起きていた。秩父地方でも、デフレなどの全国的な経済不況に加え、欧州での不況による生糸価格の大暴落もあって、秩父銘仙に象徴される生糸の産地でもあった秩父の農民の生活は困窮を極めていた。
秩父事件は、このような中で自由党員を中心に農民らが「困民党」を組織したものだ。
11月1日に椋神社に集結した数千名もの農民らは、猟銃や刀剣などで武装し、翌日には秩父郡の中心大宮郷(現、秩父市)にまで進軍して郡役所や警察なども占拠した。県庁、さらには東京の政府まで攻め入る計画だったというが、出動した軍隊により鎮圧されてしまった。
この「秩父事件」あるいは「困民党」については、圧政を打ち破るための民衆による画期的な蜂起か、あるいは高利貸などを襲った借金苦、生活困窮者の暴徒による単なる略奪、放火事件だったのか、その評価はさまざまなようだ。
時間(歴史)が評価するとは言うけれど、その歴史も時代とともに移ろうのだから厄介だ。
そんな大事件があったのも嘘のように、ひっそりと静まり返った椋神社の本殿脇の広場には、樹齢100年ともいわれる2本のクヌギが寄り添っている。
「椋神社の夫婦クヌギ」と呼ばれている。
訪れた際には夫婦クヌギの下で、地元の方々が1週間後(10月9日)に控えた椋神社例大祭「龍勢祭」の準備に精を出していた。
夫婦クヌギの右側にある櫓では、龍勢打ち上げの際に太鼓を打ち鳴らすとか。
龍勢祭は、花火を推力にしたロケットのようなものをおよそ15分間隔で30本ほども打ち上げるものだ。
打ち上げ台は、神社から見える丘の中腹の高さ約20mの櫓。
点火すると轟音とともに数100mの上空に昇り、その姿は龍のごとくということで、この名がついたようだ。
テレビニュースで見たが、まさにロケット祭で壮観だ。実物を見ることができず、残念だった。
次は、市立吉田小学校の校庭に生育している樹齢800年ともいわれる「吉田小学校の大ケヤキ」だ。市指定の天然記念物にもなっている。
ここは秩父氏館跡ともいわれ、現在では椋神社に移転されている「八幡宮」も建立していた。
大ケヤキはその敷地外周の斜面に生育していたといわれるが、明治時代末の校庭の拡張などで根元が埋め立てられて、樹勢がだいぶ弱ってきていた。
全国巨樹・巨木林の会では、今回の巨木フォーラム開催を記念して、「巨樹健康診断」を実施した。
根元を掘削しての診断などのほか、ツリークライミングによる高所診断、最近話題のドローンによる空中調査も実施された。その結果は、フォーラムで報告されたほか、報告書も作成された。
校庭には、久しぶりに見る二宮金次郎の像があった。
しかし最近では、「ながらスマホ」を助長しているとの親からのクレームで、各地で撤去が相次いでいるともいう。
私は別に金次郎像にそれほど愛着があるわけでもないが、ながらスマホを助長するから撤去しろとの親のクレームとそれを受け入れて撤去する学校(教育委員会)の対応には、正直がっかりだ。
金次郎像による道徳の押し付けもまた、困ったものだけどね・・・。
明治の大事件とその後の農民たちの暮らしぶり、そして小学児童たちの健やかな成長を見続けてきた巨樹たちと金次郎像に出会った秩父路だった。
【本ブログ内関連記事リンク】
巨木フォーラム in 秩父 ― 秩父夜祭 屋台芝居と囃子でおもてなし
巨木フォーラム in小豆島 (1)
巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり
どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催
「椋神社」は、明治17年(1884年)に起きた「秩父事件」の際に、3千名ともいわれる農民らが集結した場所として著名だ。
当時は、デフレ政策と軍備拡張のための増税などで、全国の農民などは生活に困窮し、各地で政府に対する抵抗運動が起きていた。秩父地方でも、デフレなどの全国的な経済不況に加え、欧州での不況による生糸価格の大暴落もあって、秩父銘仙に象徴される生糸の産地でもあった秩父の農民の生活は困窮を極めていた。
秩父事件は、このような中で自由党員を中心に農民らが「困民党」を組織したものだ。
11月1日に椋神社に集結した数千名もの農民らは、猟銃や刀剣などで武装し、翌日には秩父郡の中心大宮郷(現、秩父市)にまで進軍して郡役所や警察なども占拠した。県庁、さらには東京の政府まで攻め入る計画だったというが、出動した軍隊により鎮圧されてしまった。
この「秩父事件」あるいは「困民党」については、圧政を打ち破るための民衆による画期的な蜂起か、あるいは高利貸などを襲った借金苦、生活困窮者の暴徒による単なる略奪、放火事件だったのか、その評価はさまざまなようだ。
時間(歴史)が評価するとは言うけれど、その歴史も時代とともに移ろうのだから厄介だ。
そんな大事件があったのも嘘のように、ひっそりと静まり返った椋神社の本殿脇の広場には、樹齢100年ともいわれる2本のクヌギが寄り添っている。
「椋神社の夫婦クヌギ」と呼ばれている。
訪れた際には夫婦クヌギの下で、地元の方々が1週間後(10月9日)に控えた椋神社例大祭「龍勢祭」の準備に精を出していた。
夫婦クヌギの右側にある櫓では、龍勢打ち上げの際に太鼓を打ち鳴らすとか。
龍勢祭は、花火を推力にしたロケットのようなものをおよそ15分間隔で30本ほども打ち上げるものだ。
打ち上げ台は、神社から見える丘の中腹の高さ約20mの櫓。
点火すると轟音とともに数100mの上空に昇り、その姿は龍のごとくということで、この名がついたようだ。
テレビニュースで見たが、まさにロケット祭で壮観だ。実物を見ることができず、残念だった。
次は、市立吉田小学校の校庭に生育している樹齢800年ともいわれる「吉田小学校の大ケヤキ」だ。市指定の天然記念物にもなっている。
ここは秩父氏館跡ともいわれ、現在では椋神社に移転されている「八幡宮」も建立していた。
大ケヤキはその敷地外周の斜面に生育していたといわれるが、明治時代末の校庭の拡張などで根元が埋め立てられて、樹勢がだいぶ弱ってきていた。
全国巨樹・巨木林の会では、今回の巨木フォーラム開催を記念して、「巨樹健康診断」を実施した。
根元を掘削しての診断などのほか、ツリークライミングによる高所診断、最近話題のドローンによる空中調査も実施された。その結果は、フォーラムで報告されたほか、報告書も作成された。
校庭には、久しぶりに見る二宮金次郎の像があった。
しかし最近では、「ながらスマホ」を助長しているとの親からのクレームで、各地で撤去が相次いでいるともいう。
私は別に金次郎像にそれほど愛着があるわけでもないが、ながらスマホを助長するから撤去しろとの親のクレームとそれを受け入れて撤去する学校(教育委員会)の対応には、正直がっかりだ。
金次郎像による道徳の押し付けもまた、困ったものだけどね・・・。
明治の大事件とその後の農民たちの暮らしぶり、そして小学児童たちの健やかな成長を見続けてきた巨樹たちと金次郎像に出会った秩父路だった。
【本ブログ内関連記事リンク】
巨木フォーラム in 秩父 ― 秩父夜祭 屋台芝居と囃子でおもてなし
巨木フォーラム in小豆島 (1)
巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり
どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催
こんにちは^^
土日と美ヶ原に出かけていて遅くなりました<(__)>
「秩父事件」何かの折に読んだ記憶がありますが、もうすっかり忘れておりました(__;
大ケヤキ、立派に再生できると良いですね。
歩きスマホは迷惑です。でも金次郎像とスマホとは似ても似つかない・・・
by mimimomo (2016-11-21 15:37)
mimimomoさん
美ヶ原はいかがでしたか?ブログ報告を楽しみにしています。
金次郎像、文句を付けたい人は何にでも文句付けますね〜
by staka (2016-11-21 22:45)