ご存知! 金沢 街歩き [巨樹・巨木]
巨木フォーラムの前日、新幹線で昼に着いてから夕方の打ち合わせ会食までの間、金沢市内を街歩きした。
北陸新幹線の開通で、金沢駅はもてなしドームなどなどでモダンになったが、その入口部(兼六園口)には伝統を活かした木造の鼓門が建てられている。
噴水にはデジタル時計が。これぞ、水時計!?
駅から、海産物や野菜など金沢の台所、「近江市場」を通過して金沢城方面へ。
「尾崎神社」は、加賀藩三代藩主の前田利常を祀っていて、北陸の日光とも呼ばれたという。
すぐ近くの「黒門前緑地」には、タカジアスターゼで有名な高峰譲吉の父、加賀藩御典医の精一の居宅一部(写真左の木造)が移築されている。
並んで、旧検事正官舎(右の白い洋館)も移築されている。
いよいよ金沢城黒門から「金沢城公園」に入園。
以前は金沢大学のキャンパスとなっていたが、移転(1995年)に伴って公園として整備された。
園内は改変も多いが、鉄砲蔵の「三十間長屋」(上写真)や武具蔵の「鶴丸倉庫」(下写真)は国指定重要文化財として残っている。
また、さまざまな積み方の石垣を見ることもできる。
本丸跡などは森林となっている。
二の丸や三の丸は広場となって、「五十間長屋」や「橋爪門」などが復元されている。
その他園内には、明治以降、第二次世界大戦まで軍事施設として使用されていた「第六旅団司令部」建物も残っている。
現在の金沢城で最も有名なのは、おそらく「石川門」だろう。
これも重要文化財で、藩政期は裏門だったというが、現在は兼六園に面した表門として利用者が多い。
ご存知、金沢の代名詞の感もある国指定特別名勝「兼六園」は、加賀藩の藩庭で、後楽園(岡山市)、偕楽園(水戸市)とともに、日本三名園に数えられる。
園内には巨木・名木も多いが、最も有名なのは「根上の松」(ねあがりのまつ)だろう。
また、徽軫灯籠や雪見灯篭など、有名な灯篭も多いが、私が興味を持ったのは↓の灯篭。
実は、灯篭ではなく「ラジオ塔」だという。
NHKが昭和8年に設置したもので、ラジオ普及のためにラジオ放送を受信して流すもので、全国に約460基も設置されたという。
私が子どもの頃の街頭テレビのラジオ版か?
兼六園に隣接する(というか、実際には園内?)、12代藩主の奥方の御殿「成巽閣」も、重要文化財だ。
また、加賀藩老臣で一万石の「津田玄蕃邸遺構」も移築保存されている。
さらに、兼六園に隣接する位置には、旧石川県庁の建物「石川県政記念しいのき迎賓館」がある。
石川県内の建築物としては初めて鉄筋コンクリート構造を採用したもので、国会議事堂などの設計を手掛けた矢橋賢吉によるという。
建物玄関前には、樹齢300年という国指定天然記念物「堂形のシイノキ」が対をなしている。
国指定重要文化財の旧第四高等中学校本館は、現在では石川近代文学館と石川四高記念館で構成される「石川四高記念文化交流館」として使用されている。
「尾山神社」は、加賀藩藩祖の前田利家公と正室お松の方を祀っている。
百万石通りから見える三層楼門(神門)は明治時代に完成し国指定重要文化財になっているが、その独特の風情が人気だ。
ちょうど日没の時間、最上階のステンドガラス(色ガラス)に夕日が差し込んで美しく輝いていた。
社殿脇には、この地方には珍しく、樹齢200年以上というイスノキもある。
繁華街香林坊に接する「長町武家屋敷」には、細い路地や土塀、長屋門などが続く。
金沢城を囲むように流れる二つの川、浅野川と犀川は、市の風情に趣を与えてくれる。
その一つ犀川にかかる「犀川大橋」は、加賀藩の時代からの木造橋が何代かにわたり架け替えられた。
現在のワーレントラス式の鉄橋は大正時代に架けられたもので、国の登録有形文化財だ。
この橋を渡ると、寺町と呼ばれる60余りの寺院が集中した地区になる。
その一角に、今回のフォーラムを記念して「全国巨樹・巨木林の会」が行った巨樹健康診断の対象の「神明宮の大ケヤキ」がある。
また、金沢の茶屋街の一つ、「にし茶屋街」もある。
その一角には、作家島田清次郎の資料などが展示されている「西茶屋資料館」があり、2階にはかつての茶屋の部屋が復元されている。
半日での街歩き。
これくらいの規模と伝統のある町が心地良いと思う。
東京も、部分的にはこんな感じだけれども、ちょっと手に負えなくなってきたかな~
【本ブログ内関連記事】
今年は金沢 巨木フォーラム
巨樹 その異形から畏敬の間 -石川の巨樹探訪
博多の社寺と巨樹 ミニ探訪
レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3)
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「尾崎神社」は、加賀藩三代藩主の前田利常を祀っていて、北陸の日光とも呼ばれたという。
すぐ近くの「黒門前緑地」には、タカジアスターゼで有名な高峰譲吉の父、加賀藩御典医の精一の居宅一部(写真左の木造)が移築されている。
並んで、旧検事正官舎(右の白い洋館)も移築されている。
いよいよ金沢城黒門から「金沢城公園」に入園。
以前は金沢大学のキャンパスとなっていたが、移転(1995年)に伴って公園として整備された。
園内は改変も多いが、鉄砲蔵の「三十間長屋」(上写真)や武具蔵の「鶴丸倉庫」(下写真)は国指定重要文化財として残っている。
また、さまざまな積み方の石垣を見ることもできる。
本丸跡などは森林となっている。
二の丸や三の丸は広場となって、「五十間長屋」や「橋爪門」などが復元されている。
その他園内には、明治以降、第二次世界大戦まで軍事施設として使用されていた「第六旅団司令部」建物も残っている。
現在の金沢城で最も有名なのは、おそらく「石川門」だろう。
これも重要文化財で、藩政期は裏門だったというが、現在は兼六園に面した表門として利用者が多い。
ご存知、金沢の代名詞の感もある国指定特別名勝「兼六園」は、加賀藩の藩庭で、後楽園(岡山市)、偕楽園(水戸市)とともに、日本三名園に数えられる。
園内には巨木・名木も多いが、最も有名なのは「根上の松」(ねあがりのまつ)だろう。
また、徽軫灯籠や雪見灯篭など、有名な灯篭も多いが、私が興味を持ったのは↓の灯篭。
実は、灯篭ではなく「ラジオ塔」だという。
NHKが昭和8年に設置したもので、ラジオ普及のためにラジオ放送を受信して流すもので、全国に約460基も設置されたという。
私が子どもの頃の街頭テレビのラジオ版か?
兼六園に隣接する(というか、実際には園内?)、12代藩主の奥方の御殿「成巽閣」も、重要文化財だ。
また、加賀藩老臣で一万石の「津田玄蕃邸遺構」も移築保存されている。
さらに、兼六園に隣接する位置には、旧石川県庁の建物「石川県政記念しいのき迎賓館」がある。
石川県内の建築物としては初めて鉄筋コンクリート構造を採用したもので、国会議事堂などの設計を手掛けた矢橋賢吉によるという。
建物玄関前には、樹齢300年という国指定天然記念物「堂形のシイノキ」が対をなしている。
国指定重要文化財の旧第四高等中学校本館は、現在では石川近代文学館と石川四高記念館で構成される「石川四高記念文化交流館」として使用されている。
「尾山神社」は、加賀藩藩祖の前田利家公と正室お松の方を祀っている。
百万石通りから見える三層楼門(神門)は明治時代に完成し国指定重要文化財になっているが、その独特の風情が人気だ。
ちょうど日没の時間、最上階のステンドガラス(色ガラス)に夕日が差し込んで美しく輝いていた。
社殿脇には、この地方には珍しく、樹齢200年以上というイスノキもある。
繁華街香林坊に接する「長町武家屋敷」には、細い路地や土塀、長屋門などが続く。
金沢城を囲むように流れる二つの川、浅野川と犀川は、市の風情に趣を与えてくれる。
その一つ犀川にかかる「犀川大橋」は、加賀藩の時代からの木造橋が何代かにわたり架け替えられた。
現在のワーレントラス式の鉄橋は大正時代に架けられたもので、国の登録有形文化財だ。
この橋を渡ると、寺町と呼ばれる60余りの寺院が集中した地区になる。
その一角に、今回のフォーラムを記念して「全国巨樹・巨木林の会」が行った巨樹健康診断の対象の「神明宮の大ケヤキ」がある。
また、金沢の茶屋街の一つ、「にし茶屋街」もある。
その一角には、作家島田清次郎の資料などが展示されている「西茶屋資料館」があり、2階にはかつての茶屋の部屋が復元されている。
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東京も、部分的にはこんな感じだけれども、ちょっと手に負えなくなってきたかな~
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こんばんは^^
金沢は2~3度行っていますが、随分昔のことになるのか、何だか兼六園もお城の辺りも知らないものが多いです(単に見回らなかっただけかしら?)
また行ってみなくちゃ^^
by mimimomo (2017-11-04 19:40)
mimimomoさん
新幹線の開業で、東京方面からはずいぶん便利になりましたね。
伝統は残しつつも、街は変わっているようです。観光客も多いです。しばらく振りにいかがですか?
by staka (2017-11-04 21:06)