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ビエンチャン 黄金の仏塔と凱旋門 ―ラオスの旅(4) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

ラオスの首都ビエンチャンは、大河メコン川でタイと国境を隔てた人口80万人ほどの小さな町だ。

ラーンサーン王国の都が1560年にセーターティラート王によって、前回ブログで紹介したルアンパバーン(古都ルアンパバーン(その1)王宮と寺院 ―ラオスの旅(1))からこのビエンチャンに遷都され、それ以降代々の王国の首都となり現在に至っている。

その町で目を引くのは、何といっても黄金の仏塔「タート・ルアン」だ。

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紙幣の図柄にもなっているラオスの代表的仏塔で、建立は紀元前3世紀にまで遡るとも伝えれるが、真相ははっきりしない。

その後、セーターティラート王による遷都の際に、廃墟となっていたものを修復して1566年に再建されたと伝えられる。
しかし、現在のものは、19世紀のシャム王国(タイ)の侵略によって破壊され、20世紀に再建改築された姿だそうだ。

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仏教寺院と言えば、1818年に建立されたビエンチャン最古のものが「ワット・シーサケット」だ。
もともとのものは、セーターティラート王による1551年の建立と伝えられる。

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本堂内(撮影禁止)には二千体以上の仏像が並ぶが、回廊にも壁の穴内の小さな仏像と手前の大きな仏像など、無数の仏像が安置されている。

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ワット・シーサケットに近く、道路を挟んだ向かい側といった位置に「ホー・パケオ」がある。

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これも、ランサーン王国の首都をルアンパバーンからビエンチャンに遷都した際、エメラルドの仏像を旧王都から移して安置するために、セーターテイラート王によって1565年に建立された。

王専用の祈りの場であったため、屋根の妻の部分には王家の象徴の3頭のゾウの文様が付されている。
ルアンパバーンの旧王宮(現在の「国立博物館」)と同様だ。

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しかし、1779年シャム王国(タイ)との戦争により建物は焼失し、エメラルド仏は持ち去られてしまったという。
現在の建物は、1936年に植民地宗主国フランスによって再建され、博物館として使用されている。

フランスの植民地といえば、ビエンチャンのシンボルにもなっている「パトゥーサイ」がある。

パリ凱旋門を模して作られたもので、戦没者慰霊碑として1960年代に建造された。

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建物上からは、ビエンチャンの町を見下ろすことができる。

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パトゥーサイの脇には、「首相官邸」の大きな建物がある。

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ところで、黄金仏塔タート・ルアンが紙幣のデザインにもなっていることは上記の通り。

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しかし、ラオスでは米ドルやタイのバーツも流通しているので、外国人観光客は地元紙幣(単位キープ Kip)を見かけることもほとんどないかもしれない。

外国通貨が通用するとは、まだまだ植民地?

と書いていたら、つい最近読んだばかりの第160回直木賞受賞作、真藤順丈『宝島』を思い出した。

物語の舞台は、第二次大戦後1972年5月15日の返還まで、日本円は使用できず、B円といわれる米軍の軍票が流通していた頃の沖縄だ。
まさに植民地状態といえよう。

その後、米ドル、さらに復帰後の日本円と、通貨の変化だけををみても、沖縄の置かれてきた状況が推し測られる。


新紙幣発行のニュースが流れたばかりだが、二千円札はデザイン変更がないという。

二千円札は、沖縄サミット開催(2000年)もあり、沖縄重視の姿勢を表すものとして表面には守礼門が描かれている。
しかし、現在の流通は、ほぼ9割が沖縄県でのみだという。

まもなく沖縄返還(本土復帰)の5月15日を迎えるが、紙幣への関心も高い今日、あらためて沖縄の置かれてきた状況を考える機会としたいものだ。

【本ブログ内関連記事】

古都ルアンパバーン(その1)王宮と寺院 ―ラオスの旅(1)

古都ルアンパバーン(その2)托鉢とマーケット ―ラオスの旅(2)

世界遺産ワット・プー ―ラオスの旅(3)

大石灰岩地帯をゆく!





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