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「米国型国立公園」の誕生秘話 [保護地域 -国立公園・世界遺産]

 世界で最初の国立公園は、1872年に誕生した米国のイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)だ。この公園の誕生には数々の逸話が残されている。時はゴールドラッシュに沸く西部開拓の時代。幌馬車を連ねて西へ西へと進んだ開拓民たちは、適地があればそこで牧場経営などをはじめた。土地はもともとは先住民族であるネイティブ・アメリカン(インディアン)のものだが、開拓民も政府も、そのような考えには至らなかった。開拓民が開墾すれば、そこは自分たちの所有地になったのだ。そんな時代、1870年にワッシュバーン(Henry D. Washburn)らの探検隊は、イエローストーン地域で間欠泉や雄大な滝などの大自然に目を奪われた。その夜キャンプの焚き火に顔を染め、金属カップのコーヒーをすすりながら、隊員たちは昼間見た景色の感動に酔いしれていた(これは、私が子供のころに見たテレビの西部劇の場面からの勝手な想像にすぎないが)。その時、コーネリアス・ヘッジス(Cornelius Hedges)という若者が、これらの大自然を個人所有にして荒らしてしまうのではなく、後世にまで伝えて公共の利益に供すべきだと熱く語った。彼にとっては、この主張を人前で披露するのは3回目だった。これが、世界で最初の国立公園、イエローストーン国立公園の始まりである。

 という話が今や伝説となっている。私も、林学科の大学生の時、環境庁の参事官で非常勤講師をしていた大井道夫氏から授業でその話を聞き、今でもなぜか頭から離れない。時々自分の講義でも、まことしやかに披露することもある。米国国立公園局のホームページなどでも紹介されている。しかし実際は、そのように単純で、美しいだけの伝説でもないようだ。

 日本の国立公園の誕生は、世界恐慌を契機とした外貨獲得政策から生まれ、観光のための風景保護が主体というのが、前回のブログ記事であった。それに対して、米国の国立公園は原始自然(wilderness)の保護、生態系の保全が主体であるといわれている。国際自然保護連合(IUCN)の「保護地域カテゴリー」でもそうだ。しかしイエローストーン国立公園誕生の陰にも、当時西部に鉄路を拡大していた鉄道会社の働きかけがあったようだ。すなわち、観光目的でもあったわけだ。

 米国の国立公園誕生で忘れてはならない人物の一人は、「国立公園(あるいは自然保護)の父」といわれるジョン・ミュアー(John Muir)であろう。森の生活(ウォールデン)で有名なソロー(Henry David Thoreau)とともに、米国の自然派(ナチュラリスト)の先人だ。s-ヨセミテP7030166.jpgヨセミテ国立公園の設立に尽力したことで有名で、ジョンミュアー・トレイルにその名を残し、自然保護団体シエラ・クラブ(Sierra Club)の創始者でもある。米国の国立公園は、決してヘッジスの発案だけで誕生したわけではなく、多くの人々の努力の結晶であった。

 また、イエローストーンよりもヨセミテのほうが、実質的には世界初の国立公園だという考え方もある。ヨセミテは、イエローストーン国立公園の誕生よりも早く、1864年に州立公園(state park)として誕生した(国立公園に指定されたのは1890年)。これは当時、たまたまヨセミテのあるカリフォルニア州には地方政府が確立されており、後世に伝えるべき自然を州立公園として管理することが可能だった。一方、イエローストーンの属するワイオミング州では公園を管理すべき州政府機能が確立していなかったため、連邦政府が管理する「国立公園」(national park)となったというわけだ。

 これらのような、世界で初めての国立公園誕生の契機となった時代背景や自然へのまなざし、土地所有に対しての考え方などは、その後世界各地、特に植民地で設立された保護地域に、大変大きな影響を及ぼし、保護地域の性格や形態を特徴づけることになった。次のブログ記事からは、いわば米国型の保護地域と日本の保護地域の比較をしていきたい。

 ところで、多様な人種により構成されている合衆国では、「国立公園」は「国旗」とともに国家統一の象徴でもある。そのため、国立公園局は内務省に属し、いわゆる国立公園だけではなく、ホワイトハウス(大統領府)などの歴史的遺産も管理している。日本ではあまりピンとこないが、米国民の国家の象徴、国民統合の象徴としての国旗への思いには、すさまじいものがある。2001年9月の同時多発テロの際、私はハワイにある東西センターの客員研究員だった。テロの発生とともに米本土から遠く離れたハワイで見た光景は、ビルの窓という窓、通りを走る車、すべてに掲げられた星条旗であった。国家の災難に団結して取り組もうという意思表示だ。「国立公園」も国旗と同じように国民から熱い思いで見られているとしたら、実にうらやましい。

 (写真) イエローストーンよりも早い(?)ヨセミテ国立公園の景観(グレイシャーポイント展望台より)
 (関連ブログ記事) 「意外と遅い?国立公園の誕生」 「富士山の麓で国立公園について講演
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意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史 [保護地域 -国立公園・世界遺産]

 現在、世界的にも自然保護のための中心的な制度のひとつになっている「国立公園」。世界最初の国立公園といわれる「イエローストーン国立公園」が米国で誕生したのは、1872年であった。しかし、この制度が日本で誕生したのは、他の自然保護制度に比較すると意外と遅かった、というのが今回の話題である。

 日本の自然保護のための法制度、特に保護地域指定を伴うものには、自然公園法(国立公園など)、鳥獣保護法(鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律)(鳥獣保護区)、森林法(保安林、保護林)、文化財保護法(天然記念物)、都市公園法(都市公園)、都市緑地法(都市緑地)、さらに自然環境保全法(自然環境保全地域など)、種の保存法(絶滅のおそれのある動植物の種の保存に関する法律)(生息地等保護区)などがある。最近では、世界的な条約などに基づいた「世界遺産」、「ラムサール条約登録湿地」、「生物圏保存地域」なども設定されている。

 これらの法制度の多くのものの原点は、明治時代に誕生した。もちろん、明治以前にはわが国には自然保護制度がなかったわけではない。例えば、江戸時代には「御留山(御禁山)」や「御巣鷹山」など、幕府や領主(大名)のために有用樹木の伐採を禁じたり、鷹狩用の鷹繁殖地を保護するための山が各地に存在した。「木一本、首一つ」といわれる厳しい伐採制限を課して「木曾五木」(ヒノキ、サワラなど5種類の有用木材樹種)を保護した尾張藩の政策が有名だ。s-富士山0232.jpg

 明治維新以降は、様々な分野で西洋の法制度を取り入れた「近代化」が推進された。自然保護関連分野も、その例外ではなかった。太政官布告(1873(明治6)年)の「社寺其ノ他ノ名区勝跡ヲ公園ト定ムル件」により、上野、浅草、芝など現在でも存続している公園が設定された。近代日本で公に「公園」の名称が使用された最初でもあった。これが、現在の都市公園制度の始まりといわれている。鳥獣保護でも、「鳥獣狩猟規則」(1873(明治6)年)に始まり、「狩猟規則」(1892(明治25)年)、「狩猟法」(1895(明治28)年)と次々に整備され、その後の「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」(1963年)、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」(2003年)へと連なっている。同様に、「森林法」(1897(明治30)年)の風致保安林などは、現在の保安林制度となっている。天然記念物も、明治時代ではないものの、大正時代に入って間もなく「史蹟名勝天然記念物保存法」が制定(1919(大正8)年)されている。

 これに対して、「国立公園」の基となる「国立公園法」が制定されたのは、昭和6年(1931年)になってである。もちろん、国立公園がこの時期に突如として話題になったわけではない。明治時代に既に、「国設大公園設置ニ関スル建議案」(富士山中心)が第27回帝国議会で採択(1911(明治44)年)され、「日光ヲ帝国公園トナスノ請願」が第28回帝国議会で採択(1912(明治45)年)されている。さらに大正時代には、内務省は国立公園制度創設のために16候補地の調査を開始(1920(大正9)年)し、翌年には「明治記念日本大公園国立ノ請願」(富士山地域)が第44回帝国議会で採択(1921(大正10)年)された。

 明治時代からの動きにもかかわらず国立公園の誕生が他の制度に比較して遅れた理由は様々であるが、主要なものは米国と違って細分化された土地利用と土地所有形態、さらに国立公園の目的が自然保護が主体か、観光開発が主体かといった論争などであろう。これが、昭和に入って急遽制度化されることになったきっかけは、1929年(昭和4年)の米国ウォール街での株価大暴落に象徴される世界恐慌である。すなわち、外貨獲得のために外国人観光客を誘致することが国策となったのだ。実際この時期には、不況対策のための国際観光地開発(1927(昭和2)年 経済審議会答申)、国立公園協会設立(1927(昭和2)年)、国立公園調査会設置(1930(昭和5)年 閣議決定)、鉄道省(現在の国土交通省)に国際観光局設置(1930(昭和5)年)と相次いで関連施策が講じられている。そして、ついに「国立公園法」の制定(1931(昭和6)年)と国立公園指定(1934(昭和9)年)となるのである。ただし、国立公園の誕生は、決して外貨獲得の観光政策だけが原因ではなく、米国を範としながらも土地所有にこだわらない日本型の公園指定制度(いわゆる地域制)の考案などにより、懸案が解決したことも大きい。s-釧路湿原.jpg

 このような「国立公園」制度誕生の背景は、その後の日本の国立公園の性格に長く影を落としてきた。これについては、別のブログ記事で紹介する。それにしても、日本での国立公園誕生の時代背景は、円高の違いはあるものの、世界不況といい、観光立国と観光庁誕生といい、現在の社会経済情勢などと酷似している。果たして、現下の不況対策からは、将来にも影響を及ぼすような自然保護上の施策は生まれるであろうか、注目したい。

 (写真上) 明治時代からの国立公園候補「富士山」(静岡県側富士川から望む)
 (写真下) 釧路湿原国立公園(北海道)(2番目に新しい国立公園。最新の国立公園は「尾瀬国立公園」だが、日光国立公園からの分離独立(一部拡張)だから、実質的には釧路湿原国立公園が最新の国立公園ともいえる。)

 (関連ブログ記事)「富士山の麓で国立公園について講演」「主な講演
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富士山の麓で国立公園について講演 [保護地域 -国立公園・世界遺産]

 昨年年末から今まで、「大学生の環境意識とその変化に関する研究」(共栄大学研究紀要)、「国際協力からみたエコツーリズム」(エコツーリズム協会設立10周年記念誌)などの原稿執筆、そして「国立公園における自然解説とエコツーリズム -日本型と米国型の国立公園システムの比較」(国際シンポジウム「自然公園としての富士山2」)の発表準備などに追われて、ブログの更新もできませんでした。
 今回は久しぶりの更新で、国際シンポジウムの報告です。

 1月12日・13日の2日間、富士山の麓の河口湖にある山梨県環境科学研究所で開催された国際シンポジウム「自然公園としての富士山2」で講演しました。s-CIMG0226.jpgこのシンポジウムは、世界文化遺産の候補にもなっている富士山の管理やそこでの自然解説活動などについて、勉強と討議をしようというものです。昨年に続いて開催されました。「2」と付されているのは、このためです。今年は、米国の国立公園局のダイアンさんとサムさんのお二人から、米国の国立公園の管理や自然解説について紹介していただきました。地元富士山地域などで自然解説やエコツアーガイドをしている人や研究者、行政関係者など多彩な人が参加し、2日間に渡り熱心に講演を聴き、討議をしました。

 私は、昨年も主催者の研究所荒牧所長さんからのご依頼で、「海外の国立公園と日本」と題して講演しました。その時には、日本の国立公園の特色を、歴史なども踏まえながら、わかりやすく解説し、海外の国立公園など保護地域の管理や施設、そしてエコツーリズムなどの現状を紹介し、日本との比較をしました。幸い、事後のアンケートでも、「説明もわかりやすい」「問題点が明確になった」「勉強になった」などのお褒めの言葉をいただきました。そんなことから、再びお声がかかりました。今回は、日本人は私一人でした。私の講演は、昨年発表の内容を基礎に、特に自然解説やエコツーリズムに焦点を当てたものです。

 日本型と米国型の国立公園システムの比較では、聴衆の皆さんにご理解いただきやすいように、敢えて「デズニーランド型」と「大道芸型」と名づけた2タイプを提示しました。この分野に詳しい方は既にお気付きのとおり、「デズニーランド型」は米国型の国立公園、「大道芸型」は日本型の国立公園です。米国型と日本型に敢えてこのような名称をつけて分類した理由、すなわち、国立公園の歴史、管理制度などの違いやエコツーリズムなどの詳細は、このブログの「講義」で順次紹介することにします。お楽しみに。

 (写真) シンポジウム2日目のワークショップ風景
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