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東海の日光 静岡浅間神社 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

静岡県立美術館の「古代アンデス文明展」開会式に出かけた折、静岡市内の「浅間神社」に立ち寄った。

徳川家康が、幼少期の人質時代、そして晩年の大御所時代を過ごした「駿府城」。
その家康の遺言に従って埋葬された「久能山東照宮」。

そして、駿府城からほど近い賤機山(しずはたやま)の麓に鎮守するのが、駿河国総社「静岡浅間神社」だ。

この神社、正式には「神部神社(かんべじんじゃ)」、「浅間神社(あさまじんじゃ)」、「大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)」の三社からなるという。

神部神社は、崇神天皇時代の鎮座というから、およそ2100年前ということになる。
浅間神社も約1100年前、大歳御祖神社も約1700年前の鎮座だ。

これらの社殿群は、江戸時代後期の漆塗極彩色で、境内の26棟が国の重要文化財に指定され、「東海の日光」とも称されている。

境内の重文指定建物の中から、いくつかをご紹介。

石鳥居の奥にあるのは、「総門」。
さらに先には「楼門」があるが、こちらは現在修理中でネットに囲まれていた。

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門をくぐると、「大拝殿」。
建物としては一棟だが、神部神社と浅間神社の二社の拝殿が左右に配置されている。

代表的な浅間造の二階屋の楼閣造りで、高さは25mもあり、出雲大社本殿(約24m)よりも高く、日本一という。

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拝殿奥には「本殿」があるが、残念ながら本殿には立ち入ることができないので、脇から一部を覗き見?
階段も2列あり、右が神部神社、左が浅間神社だ。

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境内の社殿が極彩色なのに比べて、質素な素木造りの「舞殿」。

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大歳御祖神社の拝殿は、第二次世界大戦で焼失したためコンクリートで再建。
重文は本殿だが、これも脇から覗き見。

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このほか、境内には数多くの境内社がある。

「八千戈神社(やちほこじんじゃ)」は、徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたといい、本社に次いで造営された入母屋造銅瓦葺、朱塗極彩色の壮麗なものだ。

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その脇の階段を上って山道をしばらく行くと、賤機山の山上に鎮座し、山宮ともいわれる「麓山神社(はやまじんじゃ)」がある。

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この社も壮麗な極彩色の漆塗りだ。

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「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」も、入母屋造銅瓦葺の極彩色の神社で神宮司薬師社と称し、医療・薬業の守護神として参拝者も多い。

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「神厩舎」も重文だ。
納められている神馬は、左甚五郎作と伝えられ、何でも願い事が叶うということから叶え馬として信仰を集めている。

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静岡浅間神社の境内でいただいた説明書によると、「見た目は7社、実は40社、56の神々」ということだ。

極彩色の漆塗り建物も見ごたえがあり、一つの境内で40もの社と56もの神々にお参りできるとは、実に効率的?と罰当たりなことを言ってはいけませんね。

神社背後の賤機山には古墳もあり、国指定史跡となっている。

この地は、二千年以上前からの信仰の場となっていたのだ。

これらを現代に伝えたのは、徳川さんの社殿再建などの力も大きい思う。

この日は、古代アンデス文明と浅間神社の社殿群、地球規模での古き文化様式を堪能することができた。

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祈る姿、食べるもの 庶民の生活などアラカルト ―ラオスの旅(5) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

仏教国ラオスでは、王様だけではなく、庶民が寺院で祈る姿を多数目にする。
托鉢僧への寄進なども、その一つだ(「古都ルアンパバーン(その2)托鉢とマーケット ―ラオスの旅(2)」参照)。

ビエンチャンで庶民の信仰を集めている「ワット・シームアン」もそんな寺だ。
ビエンチャンでも最も美しい寺の一つとも言われる。

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門前には、参拝者が利用するトゥクトゥクや屋台が並んでいる。

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ワット・シームアンにはシーという女性にまつわる伝説があり、願をかけて熱心にお祈りする人にも女性が多い。女性は伝統的な横座り。

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僧侶から白い糸を手首に巻き付けてもらい祈願するバーシーの儀式も人気だ。

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町中の樹木の花も美しい。

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サクラのような花が咲いているのは、「ナンプ広場」。

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ラオス国営航空のシンボルマークも、国花チャンパー、日本ではプルメリアとして知られる甘い香りの美しい花だ。

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ラオスでは、昔ながらの染色糸を使用して肩掛けなどの手織りの布が作られている。

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庶民の台所は、何といっても市場だ。
露天も多いが、町中には大規模な市場もある。

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トロピカルフルーツから野菜、メコン川の淡水魚、香辛料だか薬草だか、なかには鳥やカエルまで。

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ラオスの食材での料理の一皿がこれ。
淡水魚にタケノコ、それとカイ・ペーンという川海苔、やや厚みのある海苔で、表面には白ゴマがまぶしてある。

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それと、食事に欠かせないのは、カオニャオというもち米(竹籠に入っている)とビア・ラーオ!?

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市場には、東南アジアでよく見かける金アクセサリー店も。
資産は金に代えて肌身離さず、つまり金本位制?という時代の名残か。

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サンダルなど履物の展示方法もずいぶん違う。
一足一足、マネキンの足首に履かせて展示しあるが、何と壮観、かつ不気味なこと!!

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最後に、日本とラオスの友好橋「パクセー橋」。

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南部の最大都市パクセーのメコン川にかかる1380メートルの橋で、日本の無償資金協力で建設され、通勤や物資輸送に重宝されている。

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橋の欄干(親柱)には、日本の協力を示す説明板が取り付けられ、紙幣の絵柄にもなっている。

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【本ブログ内関連記事】

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ビエンチャン 黄金の仏塔と凱旋門 ―ラオスの旅(4)

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