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どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催 [巨樹・巨木]

 10月29日、30日の両日、茨城県常陸太田市で「第24回巨木を語ろう全国フォーラム」が開催された。震災にめげずに、震災復興の象徴として、地元が一丸となり、熱意と期待を込めた開催だ。開催地の常陸太田市では、大震災により民家の屋根瓦が崩落したり、壁などに亀裂が入った建物も多かった。フォーラム会場となった市民交流センターでも、天井や内壁が崩落するなどの被害が生じた。

 その後も大規模な余震が続く中で、市民は自宅の修復とに追われ、原発事故の放射線汚染に不安を募らせていた。また会場の修復もままならず、フォーラムまでに工事が完了するかどうかも危ぶまれていた。フォーラム実行委員会では、一時は開催の断念も検討されたという。フォーラム共催者「全国巨樹・巨木林の会」会長の私も、無理なお願いをするわけにもいかず、地元での状況判断を待つ日々が続いた。

 s-巨樹モニュメント01078.jpgフォーラム実行委員会から開催の最終決定の朗報が届いたのは、夏を迎える頃だった。フォーラム開催を震災復興の起爆剤、シンボルにしたいとの願いからだ。開催まで3カ月を切る中での決断だった。全国巨樹・巨木林の会でも早速、全国の会員に開催の連絡をするなど、応援態勢に入った。

 こうして迎えた開催日、会場の入り口で参加者たちを出迎えたのは、「どこんじょう 巨樹」の手作りモニュメントだ。震災にもめげずにフォーラムを開催する市民のエネルギーを、風雪にも耐えて生き残ってきた巨樹に託したものだ。

 巨木フォーラムで特に感動したのは、地元の瑞竜(ずいりゅう)小学校55名の生徒全員の熱演による創作ミュージカル「命の輝き~瑞桜と共に」だ。小学校の校庭に植えられていた桜(現在、幹回り3.6m、高さ15m)は、祖父や父親の代から生徒を見守ってきた。

 しかし、木造校舎の鉄筋化に際して伐採されそうになった。校庭の中央を占拠する桜は、校舎建て替えや校庭の有効利用に邪魔なのだ。伐採の危機を救ったのは卒業生や在校生の熱意だった。こうして校庭中央に残った桜は、瑞竜小学校の"瑞"と桜から「瑞桜(ずいおう)」と命名された。現在では、新入生を迎えて満開の桜の下で全校生徒で記念写真を撮ったり、お花見給食も行われている。これからも、桜の下で遊ぶ子供たちを見守ることだろう。

 s-瑞桜01092.jpg市民の皆さんにも支えられ、「巨木フォーラム」も「第18回全国巨樹・巨木林の会総会」も、そして年に1回巨樹を愛する人々が集う交流会も、盛会裏に終了した。翌日の「巨木めぐりツアー」では、行く先々で地元の皆さんの心温まるおもてなしがあった。また、このフォーラムを機会に新たなカシの巨樹も発見された。

 未曾有の震災とその後の放射線汚染の風評被害からの復興の起爆剤となることへの主催者の願いも、全国から参集した会員、参加した地元の皆さんの熱意で実現したのではないだろうか。「巨木フォーラム」を契機に、ふるさとを再発見、再認識し、それがふるさとへの愛着と誇りに繋がってほしい。そして、幾多の困難の中を生き抜いてきた巨樹のように、震災から復興して発展してほしい。

 巨木めぐりツアーで出会った多くの巨樹を支えてきた人びと、そして瑞桜に見守られて育った多くの子供たち、こうした人びとと巨樹との交流が末永く続くことを切に願う。巨樹は、現代社会の効率性や金銭価値だけでない、人間にとってもっと大切なものがあることを教えてくれる。

 (写真上)どこんじょう 巨樹発信モニュメント(巨木フォーラム会場にて)(常陸太田市)
 (写真下)瑞竜小学校校庭中央で堂々と枝を張る「瑞桜(ずいおう)」(常陸太田市)

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巨木フォーラムと水墨画家雪村 [巨樹・巨木]

 いよいよ10月29日と30日に、茨城県常陸太田市で「第24回巨木を語ろう全国フォーラム(巨木フォーラム)」と「全国巨樹・巨木林の会総会」が開催される。

 東北南部から北関東ではいまだに余震が続き、地元の方々も気が気ではないだろう。そこを乗り越え、フォーラムが震災復興の源となることを期待したい。

 ところで、22日(土)(BSでは23日)のTV番組「美の巨人たち」を見たら、戦国時代の水墨画家 雪村周継の『呂洞賓図』を取り上げていた。絵画には疎く、お恥ずかしい限りだが、尾形光琳などにも影響を与えた人物らしい。この雪村、会津や北関東には縁が深く、巨木フォーラム開催地の常陸太田市にも滞在するなど大変所縁があるようだ。

 あわててWebで調べたら、茨城県の郷土工芸品に「雪村うちわ」があり、雪村が常陸太田市内の耕山寺に滞在していたときに創始したといわれている。市内には、「雪村の碑」もある。

 巨木フォーラム2日目のエクスカーションで訪れる予定の正宗寺は、雪村の出身である佐竹氏の菩提寺だ。そこには雪村の初期の作品『紙本著色 滝見観音図』が伝わっているという。果たしてみることができるのかどうかわからないが、急に雪村が身近に感じられてきた。

 全国巨樹・巨木林の会長として出席するフォーラムではあるが、それぞれの開催地での人々との交流、そして開催地の伝統文化、生活を垣間見るのもまた喜びだ。

 偶然のテレビ視聴が、楽しみをまた倍加してくれた。

 (関連ブログ記事)
 「震災復興への思いを込めて 被災地での巨木フォーラム
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震災復興への思いを込めて 被災地での巨木フォーラム [巨樹・巨木]

 例年全国各地で開催される夏祭りや秋祭りも、今年はずいぶん様変わりしている。未曽有の被害をもたらした東日本大震災の被災者への哀悼と原発事故による節電とで、自粛・中止となった祭りやイベントも多い。一方で、被災地を勇気づけ復興を支援するために、あえて実施された祭りも多い。

 s-加茂の大クス3203.jpg毎年開催されている「巨木を語ろう全国フォーラム」も、そんなイベントの一つだ。震災復興を祈念して、本年10月に被災地でもある茨城県常陸太田市で開催される。巨木フォーラムは、今年度で24回目を数える。昨年5月に徳島県つるぎ町で開催されたフォーラムで、今年度は常陸太田市で開催することが決定され、大会旗も引き継がれた。地元では、「全国巨樹・巨木林の会」会員などが中心になり、開催準備を進めてきた。今年の3月10日には、水戸偕楽園で巨樹観察会もプレイベントとして開催された。その直後に起きたのが、東日本大震災だ。

 震災により多くの被害者を出し、その後も余震が続く中、地元では大きなイベントの開催は困難との考えが大勢を占めていた。しかし、町が少しずつ落ち着きを取り戻す中、いつまでも打ちひしがれるのではなく、巨樹のように力強く復興するために、巨木フォーラムを開催しようということになった。

 巨木フォーラムは、10月29日(土)午後に常陸太田市民交流センターで開催される。翌日には、4コースの巨樹めぐりツアーも開催される。また、フォーラムに先立って、29日午前中には「全国巨樹・巨木林の会第18回総会」も開催される。詳細は、全国巨樹・巨木林の会ホームページの2011年度巨木フォーラム案内(http://www.kyojyu.com/forum/2011/)を参照されたい。

 東日本大震災で被害を受けた方々には、自然に打ち負かされるだけではなく、うまく自然と折り合いをつけてきた先人の遺伝子を受け継ぎ、一刻も早く立ち直り元気になっていただきたいと思う。それに応援するのが、直接的な被害を受けなかった私たちにできることではないだろうか。私たちの生活もこれを機会に、自然を力で支配するのではなく、自然から学び、自然とうまく折り合いを付けた生活に替えていく必要がありそうだ。

 多くの方々のフォーラム参加と全国巨樹・巨木林の会への参加をお願いしたい。

 (写真) 昨年開催のつるぎ町の巨樹「加茂の大クス」

 (関係ブログ記事)
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 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任
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巨木フォーラム in つるぎ町 -巨樹王国を支える人々の熱き想い [巨樹・巨木]

 去る5月29日(土)から30日(日)にかけて、徳島県つるぎ町で開催された「第23回巨木を語ろう全国フォーラム」に参加した。このフォーラムは、ブログでも何度か紹介しているとおり、巨樹・巨木を愛し、魅せられた人々が年に一度集うものだ。今回はタレントの高木美保さんや柳生真吾さんも参加するとあって、会場の貞光中学校体育館は約600人の聴衆であふれかえった。

 第1回は1988年に兵庫県柏原町(現、丹波市)で開催された。私は第1回フォーラムには環境庁(当時)の「巨樹・巨木林調査」担当者として参加した。それ以来、何度かフォーラムには参加しているが、今回は「全国巨樹・巨木林の会」会長としての参加だ。前回の鹿児島県蒲生町でのフォーラムにも参加したが、このときには次期会長として紹介されたわけだから、いわば今回が私の会長としてのデビューだ。全国巨樹・巨木林の会としては、フォーラムに先立ち午前中に第17回総会を開催した。フォーラムとは違って、こちらはこじんまりとした集まりだ。今回から、できるだけ会員相互の連携を取る意味で、活動報告などもお願いした。全国から馳せ参じて下さった会員の熱気が伝わる。

 前日に開催された巨木ツアーでは、エノキとしては全国一の「赤羽根大師のエノキ」をはじめとする一宇集落の巨樹巡りや四国一のトチノキ「桑平のトチノキ」と剣山、あるいは「津志嶽のシャクナゲ群落地」などを見学する4つのコースに、地元の方々も含めて多数が参加した。日程の都合で前泊できなかった私は、時間的に(体力的にも)余裕のある貞光の「二層うだつ」の街並みと国天然記念物「加茂の大クス」を見学するコースに参加した。

 s-加茂の大クス3203.jpg加茂の大クス(幹周約13m)は、昨年訪れた日本一の巨樹「蒲生の大クス」に比べれば確かに幹回りではやや劣るが、平地に枝を伸ばすその姿は、実に堂々として美しい。樹齢1000年と伝えられるが、今日に至るまでには、実に多難であったことは想像に難くない。もともと周囲は田んぼだったが、農薬などの影響もあり、ずいぶん樹勢が衰えた時期もあったようだ。そんな折に、地元の人々は衰え、枯損した大枝を断腸の思いで切り落とし、腐食防止のためにセメントを切り口に塗りこんだ。当時はまだ樹木治療技術が発達していなかったため、今から思えば少々手荒だったかもしれない。さらに人々は、周囲の田んぼからの農薬を除くために、耕作地を買い上げて草地として残すことにした。大クスも、こうした人々の想いに応えるかのように元気を取り戻し、今では傷口のセメントも樹皮で包み込むほどになった。草地となった大クスの周囲には、大クスを見上げ、敬うために散歩する人々が絶えない。その人々のために公衆便所が設置されたが、その掃除も地元の人が自主的に担っている。そうした人々の巨樹への想いに支えられて、大クスは今日も40m以上もの見事な枝ぶりの雄姿で加茂の大地に屹立している。「巨樹」、そこには自然と人々の長い歴史の中での深い関係が刻み込まれている。全国巨樹・巨木林の会も、巨樹に魅せられ、巨樹を愛し敬う多くの人々に支えられて、二層も三層もの「うだつ」が上がるような会となることを願ってやまない。

 (写真上) 加茂の大クス(徳島県つるぎ町にて) 

 (関連ブログ記事) 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」 「巨樹の番付 -本多静六と里見信生」 「諏訪の御柱祭と巨樹信仰


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諏訪の御柱祭と巨樹信仰 [巨樹・巨木]

 諏訪大社の御柱(おんばしら)祭が始まっている。中でも最大の見せ場である下社の御柱の木落としが9日から始まった。長さ18メートル、重さ7トンものモミの巨木を最大傾斜35度、長さ100メートルの急坂で一気に滑り落とすものだ。御柱に最後までまたがっていた者は、まさに英雄として後世にまで語り継がれるという。その栄誉を求めて、男たちが振り落とされないように巨木にしがみつく。毎回負傷者も出て、時には死者が出ることもある。7年に一度、4月初旬の棚木場(たなこば)からの山出しから始まり、5月に神殿の四隅に御柱を建てる曳き立てまでの2か月にもわたる伝統行事だ。

 s-バリ巨樹祠.jpg巨大な柱を有する神社建築としては、出雲大社や伊勢神宮が有名だ。創建当初の出雲大社は、現在の24メートルの倍以上の高さの建物であったとも考えられている。また、青森県の三内丸山遺跡では、直径約1メートルのクリ木柱の大型掘立柱建物跡が発見された。やはり高さ15メートルから20メートル、あるいはそれ以上以上の建物があったとも推測されている。いずれにしろ縄文時代から連綿として、巨木の柱を有する建物がこの日本列島の各地に建築されてきたことは確かだ。

 諏訪大社の御柱祭は、巨樹に対する信仰の一例、あるいは象徴としてしばしば取り上げられる。この巨樹信仰(巨木信仰)については、さまざまな角度から多くの著作も出版されている。たとえば、民俗学者の野本憲一氏は、その著『生態と民俗 -人と動植物の相渉譜』(講談社2008年)で資源保全や伝説も含めた人と動植物の関係の民俗事例を紹介しているが、その第1章めを「巨樹と神の森」に充てているほどだ。そして、巨樹に対して畏敬の念を持ち、そこに霊力を感じるのは、必ずしも日本人だけではない。東洋はもちろん、キリスト教以前のヨーロッパでもオークなどの巨樹信仰があったようだ。先日ある会合で安田喜憲氏(国際日本文化研究センター)から戴いた著作『山は市場原理主義と闘っている -森を守る文明と壊す文明との対立』(東洋経済新報社2010年)にも、そんな例が紹介されていた。多神教、アニミズムの世界では、巨樹はその重要要素の一つだ。

 s-伊豆三島神社のクス3062.jpg私は、環境省(当時は環境庁)で実施した「巨樹・巨木林調査」(1988年)を担当した際に、調査項目として位置や所有者、幹周などの基礎的な項目、根元の状況や健全度などの生態的な項目とともに、人文的な項目も加えることとした。人文的な項目とはすなわち、信仰対象の有無、独特の呼称・名称の有無、故事・伝承の有無、視認性および直接利用状況である。信仰対象では、神社や祠があるか、しめ縄が巻かれているか、禁忌(タブー)があるか、祭事があるかなどを調査した。通称「緑の国勢調査」と呼ばれていた「自然環境保全基礎調査」において、生態学的な観点と直接的な人為の影響の調査のほかに、こうした人文的な調査項目までも調査したものは当時では初めてだった。しかし、人と自然の関係の象徴でもある巨樹調査においては、人文的な項目は省くことはできないだろうと考えた。調査の結果は、調査対象となった幹周3メートル以上のおよそ6万本の巨樹のうち、信仰対象となっていたのは約22%だったが、私が独自に解析したところでは、幹周6メートル以上(直径約2メートル以上)に限ってみると40%以上が信仰対象となっていた。そして、巨樹の所有者はやはり社寺が60%以上を占め、イチョウやクスノキ、ヒノキでは社寺が70%にのぼった。巨樹は信仰の対象であり、また信仰の対象となることで伐採などから守られ巨樹が育まれてきたのだろう。

 悠久の時を経て今日に残る巨樹、それを見上げた時には誰もが畏敬の念を持つに違いない。その太い幹に抱きつきたくなる人もいるだろう。古代の人々も、洋の東西を問わず、こうした感情を抱いたに違いない。巨樹へのしめ縄やシンボルとしての御柱、さらには正月の門松やクリスマスのツリーなどにも姿を変えて、巨樹信仰(巨木信仰)は古代から現代にまで受け継がれてきている。

 (写真上)バリ島の巨樹の祠(インドネシア・バリ島にて)
 (写真下)しめ縄のある御神木(三島神社の夫婦クス、静岡県南伊豆町にて)

 (関連ブログ記事)「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」、 「悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える」、 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」、 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」、 「巨樹の番付 -本多静六と里見信生」、 「バルト海の小島でワークショップ」、 「宮崎アニメ『もののけ姫』 人と自然」、 「アバター  先住民社会と保護地域


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巨樹の番付 -本多静六と里見信生 [巨樹・巨木]

 今日(3月14日)から大相撲春場所が始まった。引退した朝青龍は、相変わらず話題を振りまいている。ところで、巨樹にも「番付」があるのをご存じだろうか。今回は、「巨樹番付」についての話題だ。

 環境省では、1988年に全国の巨樹・巨木林調査を実施した。調査対象は、地上から1.3mの位置での幹の周囲が3m以上のものだった。調査の結果、6万本以上の巨樹が実際に測定され、記録された。調査の目的は、単に幹周だけではなく、故事・伝承、信仰対象、地域のランドマークなどの有無や周囲の状況、樹木そのものの枯損状況など多岐にわたった(ブログ記事「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」参照)。

 s-巨樹番付1370(1).jpgしかしなんといっても一番注目されたのは、やはり幹周だった。測定結果を太さ(幹周の大きさ)順に並べると自然にランキングができる。全国一の巨樹は、鹿児島県蒲生町の「蒲生の大クス」で、幹周はなんと24.22mもある(ブログ記事「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」参照)。全国第二位は、静岡県熱海市の通称「来宮神社の大クス」だ。全国ランキングでは、樹木の性質上クスノキが上位を独占したが、樹種ごと、県ごとなど、さまざまなランキングも発表された。その後も新たな発見が相次ぎ、ランキングは年々更新されている。最新のランキングは、環境省、全国巨樹・巨木林の会、奥多摩町日原森林館が協力して作成している「全国巨樹・巨木林巨樹データベース」でみることができる。これがまさに、巨樹番付だ。このいわば「環境省版の巨樹番付」以外にも、さまざまな巨樹のランキングがなされているが、名高いのは本多静六が作成した「大日本老樹番附」と里見信生が作成した「日本巨樹見立番附」(樹種ごと)だろう。

 本多静六は、1866年に現在の埼玉県菖蒲町で誕生した。日本最初の林学博士であり、東京農科大学(後の東京帝国大学農学部)の教授で、『大日本老樹名木誌』も著している。「大日本老樹番附」は、1913年に東京農科大学造林学教室で作成発行されたものだ。また、本多は、日比谷公園や明治神宮をはじめとする全国各地の公園緑地の設計などを手掛けたことで有名だ。1930年には国立公園調査会委員に就任し、後に日本の国立公園の父とも称された田村剛とともに、わが国の国立公園制度創設にも大きく貢献した。さらに、独特の処世訓を残し、節約と貯蓄により巨万の富を築きながらも、大学退官後には公共のために寄付したことなどでも知られている。東大林学科を卒業し、国立公園行政に携わってきた私は、当然のことながら本多の名声は聞いていた。しかし、処世訓のことまでは最近まで知らなかった。その本多は、1952年1月29日、86歳でこの世を去った。

 s-巨樹番付3029.jpg里見信生は、金沢大学教授で、植物学者として日本植物分類学会会長も歴任した。植物学者としての活動の一環として、巨樹にも関心が深く、県単位の巨樹組織としては全国初の「石川県巨樹の会」を1989年に設立して会長を務めた。また、「全国巨樹・巨木林の会」の立ち上げにも参画し、初代会長を務めた。里見が作成した見立番附は、クスノキ、スギ、ケヤキ、イチョウなどの樹種ごとに、相撲番付表を模した体裁で自ら筆書きしたものだ。番附表の中央柱下には、勧進元として里見の名が記されている。この番附表は、私の研究室の壁を飾っている。また、落語にも造詣が深く、高等学校の帽章のコレクターとしても有名だ。自宅には、わざわざ倉庫を建て、コレクションを収蔵保管していたほどだ。私も、お宅を訪問した際にコレクションを拝見し、後日、母校の都立新宿高校の帽章を寄贈したことがある。その里見も、2002年6月2日、79歳の生涯を閉じた。

 本多静六も里見信生も、ともに巨樹のごとくスケールの大きな人物だった。本多は、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。」(『我が処世の秘訣』)と説いたという。私は、人物のスケールではとても二人にはかなわない。しかし、子供のころから好きな自然を専門に学び、その自然を相手の仕事を今まで続けてきた。こうしてブログ記事を記しているのも、職業の道楽化の一端だ。「職業の道楽化」、唯一この点が、巨人に伍して誇れるところかもしれない。(敬称略)

 (写真上)本多静六「大日本老樹番附」(東の横綱「蒲生ノ大樟」、西の横綱は無し)
 (写真下)里見信生「日本欅見立番附」(東の正横綱「東根の大欅」(山形県)、西の正横綱「三恵の大欅」(山梨県)、東の張出横綱には「松の山の大欅」(新潟県)の名も)

 (関連ブログ記事)「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」、 「悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える」、 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」、 「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史

(2010/03/16 巨樹番付表の写真アップ更新)


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悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える [巨樹・巨木]

 私の専門は、自然環境政策、なかでも最近では、生物多様性に関する国際環境政策の変遷や自然保護地域の管理と地域社会との関係などを研究している。また、保護地域管理にも関連するが、人々の自然の中での長時間滞在もテーマで、今年の夏にも箱根の芦ノ湖キャンプ村でアンケート調査を実施した。この長時間滞在にも関連する日本余暇学会では、研究論文誌の編集委員会委員長をしている。さらに、ブログ「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」 などでもお知らせしたとおり、20年以上にわたって「巨樹」にも関わってきた。今回のブログのテーマは、この「余暇」と「巨樹」についてだ。

 s-板根.jpg環境省が1988年(昭和63年)に実施した「巨樹・巨木林調査」によれば、幹周3メートル以上の樹木は、全国で6万本以上にのぼる。全国で一番幹周りが太いのは、先日巨木フォーラムが開催された鹿児島県蒲生町の「蒲生の大クス」(幹周24.22m)だ。わが国の巨樹には、このクス(楠)の種類が全国的に多いが、その他、屋久島の縄文杉や神社などに多いスギ、さらにはケヤキやイチョウなど様々な樹種がある。これらは、信仰の対象になったり、「峠の一本杉」のように地域のシンボルとなったり、いろいろな故事・伝承や禁忌(タブー)を有したり、あるいは独特の呼び名で親しまれていたりする。人を寄せ付けないような山奥にひっそりと残ってきた巨樹ももちろん多いだろうが、逆に人との関わりの中で生き残り、巨樹になったものも少なくない。

 巨樹を近くから仰ぎ見た時に、その覆いかぶさるような大きさに圧倒され、時に畏敬の念を抱いた経験を持った人も多いだろう。全国には巨樹に愛着を持ち、巨樹巡りをしている人も多い。中には、日本だけでは飽き足らず、海外の巨樹までも探訪している人もいる。こうした巨樹に関心を持つ人々が集い、「全国巨樹・巨木林の会」(ホームページhttp://www.kyojyu.com/)を設立して、毎年「巨木を語ろう全国フォーラム」を開催している。全国各地では、巨樹による「まちおこし」も盛んだ。

 このような巨樹の魅力はなんだろうか。大きさ、太さ、独特の異形・・・人により、巨樹により、その応えは様々だろう。しかし、誰もが認めるのが、人間を超越したその樹齢だろう。幹周りが太くなれない樹種でも、永年の風雪に耐えてきたその姿には、息を呑む力強さを感じる。それが畏敬の念ともなり、人々を惹きつける元となるような気がする。つまり、その魅力の根源は「悠久の時」なのだ。

 s-ヨセミテ国立公園セコイア.jpg翻って、「余暇」はどうだろうか。そこにもやはり、時間観念がある。余暇のほうは、巨樹の時間観念に比べれば、はるかに短い、まさに「寸暇」と呼ばざるを得ないほどのものかもしれない。私の持論では、「究極の余暇は何もしないこと」だ。何もしないといっても、なかなか難しいが、例えば自然の中でボーっとすることは、ある意味では、得がたい余暇の過ごし方だろう。わたしたち日本人、特に現代社会では、これはなかなか難しい。まさに究極の余暇になりつつある。そんな思いで、「自然の中での長時間滞在」をテーマとした研究を行っている。

 釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられている。インドの古代思想では、人生には四つの段階があるという。いろいろと学ぶ「学生期(がくしょうき)」、結婚、仕事などの「家住期(かじゅうき)」、日常生活から離れて好きなことや瞑想をする「林住期(りんじゅうき)」、そして悟りを開く「遊行期(ゆぎょうき)」だ。まさに、巨樹の下や自然の中で思いを巡らす余暇の形態は、この林住期そのものではないだろうか。全国巨樹・巨木林の会に集う人々も、写真や絵画、文学などの芸術や自然科学の研究、観光、地域振興など、いろいろな思いで、巨樹の下に行き、巨樹を見つめ、巨樹の肌に触れている。このブログをご覧いただいた皆さんにも、「悠久の時」を経てきた巨樹の下で、「余暇」について是非思いを巡らし、語り合っていただきたい。少なくとも、巨樹を訪れることが、すばらしい余暇体験になることは間違いないだろう。

 (写真上) 熱帯の巨樹の板根(インドネシア・ボゴール植物園にて)
 (写真下) セコイアの巨樹(米国・ヨセミテ国立公園にて)

 (関連ブログ記事)「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」 「自然と癒し -日本人は自然の中でのんびり過ごせるか」  「繋がる時空、隔絶した時空 -携帯電話・インターネット考」 「インドネシアから帰国 -時は流れる」 「プロフィール

 *この記事は、筆者の「悠久の時 -巨樹から余暇を考える」(日本余暇学会ニュース61号,2008.1)に加筆修正しました。
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日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任 [巨樹・巨木]

 10月10日に、日本一の巨樹のある鹿児島県蒲生町で「第22回巨木を語ろう全国フォーラム」と「第16回全国巨樹・巨木林の会」が開催され、「全国巨樹・巨木林の会」の会長に就任することになった。実は、夏に開催された理事会で会長に選出されていたが、切りのよい総会を終了して引き継ぐことになっていた。私は、環境庁勤務時代の1998年に全国の巨樹・巨木林調査を企画実施し、兵庫県柏原町(現、丹波市)の第1回巨木を語ろう全国フォーラムにもパネリストとして出席した。その後、全国巨樹・巨木林の会の設立もお手伝いした。そんな縁で、いよいよ会長のお鉢が回ってきたというところだ。s-蒲生の大クス1375.jpg

 今回のフォーラムにも、全国の巨樹の写真を撮っている人、絵を描いている人、巨樹巡りを楽しみとしている人など、多くの人々が集まった。皆さん、まるで七夕のように年に1回の再会を楽しみにしている。また、各地には巨樹の保存や観察会などの活動をしている団体も多い。全国の会は、このようなさまざまな巨樹とのかかわりを持つ人たち・団体の集いの場、情報交換の場を提供し、巨樹保護に寄与しようという目的で1994年に設立された。設立に際しては、C.W.ニコル氏、梅原毅氏、岩槻邦男氏、河合雅雄氏、小林達雄氏、谷川健一氏、森ミドリ氏など、各界の著名人や県知事、市町村長など実に多くの方々に賛同いただいた。現在では、約300名の会員を擁するまでになった。会も設立して15年以上、フォーラムは20年以上も続いている。次回は、来年5月に徳島県つるぎ町での開催が予定されている。

 しかし、運営は容易ではない。まずは、専任の事務局がない。現在は、既存の財団法人の職員の片手間で事務を執っていただいている状態だ。情報交換事業が設立目的のひとつだが、そのためには日々の活動が重要である。しかし専任の職員もいないのでは、なかなか思うようにいかない。会誌も発行回数を制限せざるを得ない。会員、団体の拡充も課題だ。なんとか、各地で活動している団体や人たちの協力を得て、全国の会としての存在意義が高まるような活動と運営を心掛けたいと思っている。

 s-十曽エドヒガンザクラ1382.jpg熱心な方たちのなかには、各地の巨樹巡りをしている人たちも多い。私自身は、それほど積極的に巨樹を訪ねることはしてこなかった。それでも、用務地の近くに巨樹があれば、自然と足が向く。見上げるだけで、その大きさに圧倒されることも多い。対峙するだけで、厳かな気分にもなる。そして、悠久の時を経て巨樹がこれまで残ってきたわけを知りたくなる。多くの巨樹が、社寺境内で、人々の信仰の対象となってきたのもうなづける。独特の呼び名や言い伝えも有している。いよいよ枯損などが激しくなったものは、幾度となく樹木医による手当もなされている。そのどれもが、地域の人々との濃密な関わりを示している。地域の人々の関心の外になった巨樹は、衰退に向かう。これからも、地域のシンボルとして、人々の誇りや愛着の対象であり続けてほしい。地域の人々が、自分の郷土に愛着を持ち、誇りを持つようになることが、地域活性化の根本だ。全国巨樹・巨木林の会の活動が、その一助になることを願っている。

 全国巨樹・巨木林の会 http://www.kyojyu.com

 (写真上)日本一の巨樹、蒲生の大クス(鹿児島県蒲生町蒲生八幡神社にて)
 (写真下)日本一のエドヒガンザクラ(鹿児島県伊佐市奥十曽にて)

 (関連ブログ記事)「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」 「お天道さまが見ている -公と私の環境倫理」 「プロフィール」 「バルト海の小島でワークショップ
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自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして [巨樹・巨木]

 数百年という悠久の時間に育まれ、一本で全天を覆うかのような圧倒的な迫力の巨樹。環境省の調査では、幹周り3メートル(直径約1メートル)以上の巨樹は全国で6万本以上という。「日本一」の巨樹は鹿児島県の「蒲生の大クス」で、なんと幹周24メートルもある。s-蒲生の大クス.jpg埼玉県内には、県内一の上谷の大クス(越生町)を初め、大久保の大ケヤキ(さいたま市桜区日枝神社)などがあり、春日部市内でも、碇神社のイヌグス(粕壁東)などが県天然記念物にも指定されている。私たちは巨樹を前にすると、畏敬の念さえ抱く。多くの巨樹には注連縄(しめなわ)や祠が祭られ、数々の伝承がある。こうした自然の見方や付き合い方、すなわち自然観は、その時代、その地域の文化や社会・経済システムを反映している。

 今日の私たちの便利で快適な生活は、近代科学に負うところが大きい。欧米で発展したこの近代科学は、人間による自然支配を前提としているところがある。これはキリスト教思想によるという説がある。聖書の創世記には、神は人間のために自然を創ったと記されている、というのだ。こうしたキリスト教やユダヤ教などの一神教に対して、仏教や神道を含め、巨樹信仰などのようなアジアの多神教は、自然と一体的で自然にやさしいとみなされている。もっとも、ヨーロッパでもギリシャ時代などのように多神教の時代、地域もあった。

 日本は国土の7割近くが森林という、世界でも有数の森林国家だ。自然の豊富な日本では意識せずとも自然と一体的な生活を送ってきたが、現代の日本人の多くは自然から隔絶した生活を送っている。最近は、都会生活に疲れた人々に対する森林の癒し効果が注目を集めている。フィトンチッドなど樹木から発散される化学物質がその効果を高めているらしい。今では一般的な「森林浴」という用語も、1982年に登場した造語だ。自然・生物は単に食料や薬品などの資源を提供してくれるだけでなく、芸術や文化、あるいはレクリエーションを含め、精神的にも人間生活にとって不可欠のものだ。

 身近な巨樹たちは、私たちの祖先が巨樹と共に生きてきた証を語ってくれる。巨樹は、私たち人間と自然との関わりの歴史であり象徴でもある。また自然は、多くの種が生存競争をし、また助け合いながら生きること、つまり画一的であるよりも多様であることの方が、健全で強い生物社会を作り上げることを教えてくれる。これが「生物多様性」だ。作物でも同様だ。東南アジア各国ではかつて、食糧不足解消のために「緑の革命」として夢の多収穫米を競って作付けした。しかしこの単一耕作に病虫害が発生して全滅し、以前よりもかえって飢饉が激しくなったという苦い経験がある。規格化、画一化と多様。人間社会でも同じことがいえるのではないだろうか。長い歴史を生きてきた巨樹や多様な生物の織り成す自然の営みから、私たちが学ぶべき事柄は多い。

 (写真) 日本一の巨樹「蒲生(かもう)の大クス」(鹿児島県蒲生町にて)

(この記事は、2005年3月 タウンねっと NO.13 (連載最終回) に掲載されたものです。)


 (関連ブログ記事) 全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考 お天道様が見ている
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全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考 [巨樹・巨木]

 7月5日に秋田県角館で開催された「全国巨樹・巨木林の会総会」に参加しました。私は、この会の理事も仰せつかっています。全国巨樹・巨木林の会は、いわゆる巨樹(巨木)に関心のある人々や保護活動などに携わる団体などの交流を目的として、1993年に設立されました。総会時には、「巨木を語ろう 全国フォーラム」も併せて開催されています。s-木の根橋.jpg

 一口に巨樹あるいは巨木といっても、そのイメージは人によって様々でしょう。全国には一体どのくらいの巨樹があるのでしょうか。環境省では、1988年に全国の巨樹・巨木林の一斉調査を実施しました。これは、いわゆる「緑の国勢調査」と呼ばれている自然環境保全基礎調査の一環です。その時の担当者が私で、そのご縁で、全国巨樹・巨木林の会の設立にも携わり、理事も務めているというわけです。

 1988年の調査に次いで、2000年にもフォローアップ調査が実施されました。調査対象は、幹周(幹回り)が3m以上のもの、という単純なものです(巨木林は、これらの巨樹がある程度まとまっている樹林)。この結果、全国で6万8千本あまりの巨樹が調査・確認されました。全国一の巨樹は、鹿児島県蒲生町にある「蒲生の大クス」で、幹周は約24.2mです。来年の総会・フォーラムは、この蒲生町で開催されます。有名な縄文杉(屋久島)は、幹周16.1mで12位です。巨樹としては、全国的にはスギが圧倒的に多く、ケヤキ、クスノキ、イチョウというような順番なのですが、太くなる樹種としては、トップ10のうち6本がクスノキです。詳しくは、環境省生物多様性センターや全国巨樹・巨木林の会のホームページをご覧ください。

 ところで、巨樹の定義はあるのでしょうか。私もつい、幹周をもとに巨樹のランキングを書いてしまいました。一般的には、環境省の巨樹の定義として「地上から1.3mの幹周が3m以上の樹木」と言われています。しかし、これはあくまで「調査対象」の樹木であって、巨樹の定義ではありません。巨樹としては、樹高や樹齢もあるでしょうが、これは調査が困難なため、測定しやすい幹周を調査することにしたのです。調査対象として、直感的にもわかりやすいところで、およそ直径で1mというのが出発でした。北と南の地域によっても、樹種によっても、巨樹と呼ばれるものも変わるでしょうから、調査の結果からこれを見極めて保全の資料にしようと考えたわけです。それが、巨樹の定義になってしまったのです。これも、数字が独り歩きをした例でしょう。

 1988年の調査の際には、できるだけ全国で巨樹への関心を高めて、調査情報を得ようと考えました。そこで、太い木が発見されるたびに、地方紙などで発表をしてもらいました。おかげで、巨樹に対する関心は高まったのですが、どうも太さ(幹周)に集中しているようです。調査では当時の緑の国勢調査としては珍しく、地域のシンボルとなっているか、故事・由来があるか、信仰対象となっているか、などのいわば人文的な項目も調べました。これも、人と巨樹との関わりが保存への原動力との思いからです。こちらの方へも関心を向けてもらいたいものです。

 悠久の時を経て、人や地域との関わりの中で生きてきた「巨樹」、そしてそれを通じた人々の輪を今後も大事にしたいと、あらためて思い起こした総会参加でした。

 (写真) 第1回巨木フォーラム(1988年)が開催された兵庫県柏原町(現、丹波市)の「木の根橋」(大ケヤキ)
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