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続 コーヒーあれこれ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

マレーシアのサラワク州での国立公園調査から帰国しました。

サラワク州滞在中は、国立公園の現場に出ていたり、ネット電波状況が芳しくなくてダウンロードに時間がかかり、皆様のブログに訪問できませんでした。

サラワク州では、中華料理風の食事が中心だった(サラワク州クチンは猫の町!?)。

コーヒーは飲んだものの、スーパーマーケットなどで売っているのはインスタントコーヒー、それも「3in1」というコーヒーとミルクと砂糖が一袋に入ったものばかり。

スーパーの売り場棚には、何種類もの大きな袋が大量に並んでいたが、コーヒー豆やコーヒーを挽いた粉コーヒーは売ってなかった。

私がよく調査に行くインドネシアとは、だいぶ違う。

ということで、前のブログ記事「コーヒーあれこれ」の続編。


どうやら、サラワク州でのコーヒー生産量は少ないらしい。コショウは名産だが。
やっと土産物店で見つけたのが、これ(↓写真)。


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100%ボルネオ・コーヒーのラベル。
その下には、原料のコーヒー豆の種類がリベリカ種との表示。

耳慣れないコーヒーの種類なので、早速調べてみた。
リベリカ種は、アラビカ種、ロブスタ種(カネフォーラ種)とともにコーヒーの3原種だそうだ。



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これ(↑)はインドネシア産のロブスタ種コーヒー豆


リベリカ種は西アフリカのリベリアが原産で、低地でも栽培可能だが、サビ病などに弱く、成熟も遅く、味も劣るなどのため生産量は少なく、流通コーヒーの1~5%程度という。

その味は、苦みが強くて美味しくないという評価と力強いコクがあるという評価と正反対だ。
そのため、自家用や研究用などにわずかに流通しているに過ぎないらしい。

サラワクコーヒー(ボルネオコーヒー)は、その希少さもあり「幻のコーヒー」などとも呼ばれるようだ。
しかし、まだ味わっていないので、私自身は評価できない。

幻のコーヒーといえば、ルワック・コーヒー(Kopi Luwak)も有名だ。

パッケージ(↓写真中央)に描かれているジャコウネコの仲間が食べた糞(写真左)の中に残ったコーヒー豆を洗い出したのが、このルワック・コーヒーだ。

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ルワック・コーヒー生産地(ボルネオ島南ブキット・バリサン国立公園隣接集落にて)

値段は普通のコーヒーの10倍以上。味は多少はまろやかな感じはする。

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ルワック・コーヒーの様々なパッケージ

しかし、前のブログ記事(最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー)でも書いたとおり、映画『最高の人生の見つけ方』で、ジャック・ニコルソン演じる金持ちの実業家が病室にまで持ち込むほどの気に入り方は、私にはどうも理解できない。

美味しいコーヒーといえば、ドリアン・コーヒーもある。

これは、コーヒーの品種ではなく、インドネシアで調査中に教えてもらった飲み方だ。
コーヒーの中に、ドリアンの実を入れて、溶かして(ほぐして)飲む。

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これも、前のブログ記事(ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題)でも書いたとおり、スマトラのロブスタ種コーヒーの苦さがマイルドな味にはなるが、ドリアンはドリアンとして食べたほうが良いようにも思う。


これらスマトラ島でのロブスタ種コーヒー生産のために、国立公園の原生林が違法伐採されている現場を見てしまうと、コーヒーの味はよけいにほろ苦くなる(コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える 、 そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査)。


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原生林の違法伐採跡地でのロブスタ種コーヒー栽培
(スマトラ島・南ブキット・バリサン国立公園にて)

最近では、熱帯生物多様性の保全や地域社会の生活安定などの観点から製品をチェックして認証ラベルを交付する運動もずいぶんと広まってきた。

「フェアトレード」や「レインフォレスト・アライアンス」などの認証マークを日本でも見かけるようになってきた。

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左がフェアトレード、右がレインフォレスト・アライアンス


写真(↓)の東海道新幹線の中で飲んだコーヒーにも、緑色のカエルの認証マークが。

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コスタリカのコーヒーにも。

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まあ、あまり難しいことは考えずに、ベトナムやアルバニアのように、のんびりとコーヒーでも飲みたいものですね。

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アルバニアのオープンカフェ(首都ティラナにて)


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朝からコーヒーを飲みながら路上でゲームを楽しむお年寄りたち(ティラナにて)



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朝から住民が集まる道端のカフェ(首都ハノイにて)
↑写真 前回「コーヒーあれこれ」と同じだったので差し替えました


【本ブログ内関連記事リンク】

最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー

ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題

コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える

そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査

コーヒーあれこれ

のんびりベトナムコーヒーとオートバイ

アルバニアのんびりカフェ

のんびり時間 のんびり空間 -瀬戸内直島 美術館

自然と癒し -日本人は自然の中でのんびりと過ごせるか


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生物多様性カバー (表).JPGブログ記事のコーヒーなどの生物資源伝播や熱帯林破壊など、本ブログ記事に関連する内容も多数掲載。
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コーヒーあれこれ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回のチョコレートに続いて、今回はコーヒーの話題。

コーヒーの起源、人類の利用には、諸説あるようだ。

野生のコーヒーは、エチオピア高原あたりが原産だったとか。

赤く熟したコーヒーの実は、コーヒーチェリーとも称される。
しかし、高い含有量のカフェインのため、昆虫は寄り付かないようで、天然の殺虫剤でもある。

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コーヒーの実(インドネシア・スマトラ島にて)

古代エジプトやギリシャでは、コーヒーチェリーを食用していたとの説もあるらしいが、はっきりしない。

生のカフェインを最初に体験したのは、家畜のヤギだったともいうが、これも推測の一説にすぎないだろう。
ヤギが元気になるのを見て、人間もコーヒー豆を食するようになったというのだ。

時代はだいぶ経って15世紀後半頃には、イエメンのイスラム教徒(スーフィー教派)が祈祷の最中に眠気覚ましでコーヒーを飲用していたともいう。

飲用の習慣が世界に広まったコーヒーは、イエメンの港町モカから世界に輸出されていった。これが、モカコーヒーの名の由来だ。

ところで、私たちが一般的に飲用するモカ、キリマンジャロ、ブルーマウンテンなどのコーヒー品種は、アラビカ種で、風味とコクに優れている。

一方、近年の世界で取引高が伸びているのはカネフォーラ種ロブスタという豆だ。
19世紀後半にヨーロッパの探検隊によってアフリカのウガンダで発見されたというが、先住のブガンダ族は儀式に用いていたものだ。

このロブスタ種は、アラビカ種よりも耐病性が高く、コーヒーのさび病が東南アジアの植民地プランテーションで大流行した後は、アラビカ種にとって代わって盛んに栽培されるようになった。

低地でも栽培可能で、収穫量も多いが、カフェインが多く、苦みも強い。
このため、単独での飲用よりも、インスタントコーヒーや安いブレンド、自動販売機などのコーヒーとして使用されることが多い。

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ロブスタ種のコーヒー生豆(インドネシア・スマトラ島にて)

高温多湿の低地でも栽培可能なロブスタ種は、わずか1世紀の間にベトナムを世界的なコーヒー生産国に押し上げ、いまや全世界に輸出されている。

ベトナムでは、このロブスタ種コーヒーをコンデンスミルクが底に溜まったコーヒーカップの上に独特のフィルターを置いて淹れる。

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安い店のフィルターはアルミ製(↑写真)だが、少し高級なカフェではステンレス製だ(↓写真)。

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コーヒー豆にも、フィルターがセットで付いているものも多い。

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土産に買ったドリップ付粉コーヒー(右)と深煎りコーヒー豆(左)

フィルターからコーヒーが滴るのには時間がかかるが、その間のんびりと話をしながら待つ。

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気短な日本人には向かないかもしれないが、これぞ本当のコーヒータイムの贅沢ともいうものだろう。

大勢の観光客で賑わうハノイの名所セント・ジョセフ教会前のカフェ。

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路上のオープンカフェでのんびりと過ごす人々の姿は、ここがかつてフランスの植民地だったことを思い出させる。

パリのように洗練されてはいないけどネ(失礼!)

【本ブログ内関連記事リンク】

コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える

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アルバニアのんびりカフェ

そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査

最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー


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中国文明と縄文文化 - 兵馬俑展と三内丸山、登呂遺跡 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

東京の国立博物館で開催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」の入場者数が30万人を超えたという。

私も昨年末に展覧会を見てきた。
展示物は写真撮影禁止だが、撮影用に兵馬俑のレプリカコーナーまで用意されているという心遣いだ。
兵馬俑の実物をぜひこの目で見たいと思っていながらまだ実現していないので、良い機会だった。

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中国には何度か訪問したことがあり、北京では「紫禁城(天安門)」のほか、観光客も多い「八達嶺長城(万里の長城)」、「明の十三陵」などを訪問したことがある。
いずれも世界遺産に登録されている。

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天安門

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紫禁城内部

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万里の長城(八達嶺)

紫禁城や万里の長城は、知らない人はいないくらい有名だ。
この二つに比べれば、明の十三陵は知らない人もいるが、中国に現存する皇帝陵墓群としては最大で、明の永楽帝以降13代の皇帝、后妃などの陵墓がある。
写真はデジタル化していないので、割愛。

四川省の成都でも、三国志で有名な劉備、関羽、張飛の三人の英雄と諸葛孔明を祀った「武侯祠・三義廟」などを訪問したことがある。

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三義廟入り口門

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これは諸葛孔明像

中国の明朝の時代は、日本では室町時代から江戸時代にあたる。
三国志の時代は、邪馬台国の前後で、弥生時代に相当するという。

秦の始皇帝の時代はさらに遡って、縄文時代から弥生時代に移行する頃だそうだ。

弥生遺跡は、近年では「吉野ヶ里遺跡」(佐賀県)などが有名だが、私の頭の中ではやはり「登呂遺跡」(静岡県)。
小学校の教科書の写真と言えば、必ずこれだった。
教科書でしか見たことのなかった登呂遺跡を、昨年暮れに初めて訪問した。感激?!

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私の子どもの頃は、弥生時代に入ってやっと農耕が始まり、日本も文明の時代を迎えた(?)ということになっていた。

しかし最近では、「三内丸山遺跡」(青森県)の発掘などにより、縄文時代の文化や生活も脚光を浴びている。(縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡

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集会場あるいは倉庫とも考えられている巨大建物、
左が三内丸山遺跡のシンボル クリの6本柱の櫓

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発掘された柱跡と復元建物

日本の縄文時代に秦の始皇帝は中国を統一し、兵馬俑まで造成している。
さすが中国文明は、世界に先駆けていると感心するところだが、縄文文化にも世界中から再評価の光が当てられるようになってきた。

世界の古代文明が穀類の農耕栽培を基礎として発展したのに対して、縄文文化は狩猟採集を続けつつ、1万年もの間続いたという。
三内丸山遺跡も、数千年も存続した集落だったようだ。
ユニークな土偶や土器は、人々を惹きつける。

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いずれも国立博物館で

数千年も一カ所で続いた集落は、世界でも稀のようだ。
そこでは、狩猟採集とは言っても、私の子供の頃に習ったイメージとはかけ離れた平和で豊かな生活が行われていたらしい。

中国のように武力で統一し、滅んでいくような文明ではなしに、このブログの主題でもある人間と自然とが持続的に共存共栄する生き方があったに違いない。

縄文も捨てたものではない!!!!

【本ブログ内関連記事リンク】

縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡


祝 富士山世界文化遺産登録 -世界遺産をおさらいする


巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵





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日本最初の女性心理学博士の生家を探して - 富岡探訪(続き) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

富岡製糸場を訪れた際、家人の求めで、ある家を探した。

その家とは、日本女性で最初の博士号(Ph.D.)を取得した原口鶴子(旧姓・新井)(以下、「鶴子」)の生家だ。

居住地での男女共同参画の集まりで上映されたドキュメンタリー映画(泉悦子監督『心理学者 原口鶴子の青春』)を見た家人によれば、鶴子は富岡出身で、生家も残されているようなので、ぜひ訪れてみたいという。

事前にWebで調べたところ、誕生は富岡市街から少し離れた一ノ宮だが、生家は富岡製糸場にほど近い中高瀬という地区に移築されているという。

そこで早速、富岡製糸場の受付などで鶴子について尋ねたが、移築された生家についてはもちろん、鶴子自体を誰も知らないという。
郷土が生んだ偉人なのにね。

試しに中高瀬地区まで行って、農協の倉庫事務所で尋ねてみたが、やはり知らないという。
中で一人、自宅近くにそれらしき家があるということで、わざわざ案内してくれたが、結局は分からず仕舞いだった。ご親切にありがとうございました。

それではと、生誕地の一ノ宮に向かった。

ここには、上野国一之宮貫前(ぬきさき)神社がある。以前から、製糸場とともに訪れようと思っていたところだ。

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およそ1500年前の創建と伝えられ、延喜式にも記載されている由緒ある神社だ。
ここの特徴は、何といっても社殿までの参道が”下り”の石段になっていることだろう。
石段を登って社殿に向かう神社はたくさんあるが、下るのは初めてだ。

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拝殿と本殿は、徳川家光の命によって建てられたという極彩色の漆塗りで、国の重要文化財に指定されている。

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本殿

 

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拝殿と彫刻



鶴子は、この一ノ宮地区の裕福な新井家に生まれ、日本女子大学校(現、日本女子大学)英文学部を卒業後、単身で米国コロンビア大学大学院心理学部に留学した。
明治40年(1907年)、鶴子22歳の時である。

留学から5年後、1912年に日本人女性として初のPh.D.を心理学博士号として取得し、当時のニューヨークタイムズ紙にも大きく報じられたそうだ。

ちなみに、女性の博士号取得としては、鶴子よりも早い時期に岡見京子が医学博士号(M.D.)を取得しているという。

後に早稲田大学教授となる原口竹次郎と結婚し、帰国後に母校の日本女子大の教壇に立ち、これからという時に病に倒れ、29歳の若さでこの世を去ってしまった。

この鶴子の生家に関する情報を求めて、貫前神社に隣接する富岡市社会教育会館に立ち寄った。

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この建物は、昭和天皇の陸軍特別大演習行幸(昭和9年1934年)の際の貫前神社参拝を記念して、群馬県民の寄付などにより昭和11年に建設された東国敬神道場が、その前身という。

総ヒノキ造りの長大な建物で、国の登録有形文化財にも登録されている。
内部には部屋数も多く、最近まで児童などの宿泊研修にも使用されていたという。
和洋折衷のような広いフロアの部屋は、講演会のほか、ダンス講習会などにも使用されることがある。

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ここで生家について尋ねたところ、さすがに社会教育会館だけあって、その移築先まで教えてくれた。
先のドキュメンタリー映画も、この会館で今年(2015年)春に2回上映され、満員盛況だったという。

それにしては、鶴子の偉業は、富岡市民の中にまだまだ浸透していないようだ。

再び製糸場の近くの、移築された生家を探し回った中高瀬地区まで戻った。
迷った挙句、細い路地に面した、教えられた現在の所有者のお宅を探し出した。

午前中から何度も行き来したところだ。
およその見当は、間違っていなかったようだ。

こうして、やっと鶴子の生家を見ることができた。

ベランダ付きのモダンな建物だったという生家は、だいぶ改築はされているとはいうものの、もともとしっかりした造りで、100年以上経った現在でも使用に耐えているという。

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突然訪れた見ず知らずの訪問者にもかかわらず、家の中に入ってのお茶まで勧めてくださったが、さすがに恐縮してお断りした。
おもてなしのご厚意には、ただただ感謝するばかり。


安部政権では、「女性の活躍」政策が目玉の一つのようだけれども、鶴子のような女性の存在を広く認識してもらうことも、その一歩かと思う。

かく言う私も、家人からの鶴子生家訪問の求めが無ければ、鶴子の存在自体を知らなかった一人だが・・・

『女が変わる 男が変わる 社会が変わる』(第41回婦人週間標語)


【本ブログ関連記事】

世界遺産富岡製糸場 ― 殖産興業と工女 「花燃ゆ」の時代

 


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世界遺産富岡製糸場 ― 殖産興業と工女 「花燃ゆ」の時代 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

昨年(2014年)の世界文化遺産登録でにわかに脚光を浴びた「富岡製糸場」(登録名称は「富岡製糸場と絹産業遺産群」)を、およそ1か月前の9月末に訪問した。

明治維新後の「富国強兵」「殖産興業」の政策の下、各地に官営工場が開設されたが、明治5年(1872年)に設置された富岡製糸場もその一つだ。


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当時、最大の輸出品だった生糸を増産して国力を高めるために、フランス人ポール・ブリュナの指導の下、洋式の設備と技術を備えた模範工場として開設された。

上野国(現在の群馬県)はもともと養蚕が盛んで、工場操業のための水や燃料の石炭の確保も容易だったことなどから、富岡に工場が立地されたという。

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』に登場する初代の群馬県令(知事)楫取素彦(小田村伊之助)は、この富岡製糸場の存続と製糸業発展に尽力を尽くした一人だ。

工場敷地の入口門の正面に飛び込んでくるレンガ造りの建物は、100mを超える長さの「東置繭所」で、国宝に指定されている。


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木材で骨格を作り、その間にレンガをはめ込んだ木骨レンガ造りという工法で建設されている。レンガは、通常の平積みの間に小口部分を表に縦方向に交互に積んでいく、フランス積みと呼ばれる方法で積まれている。

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建物は、その名のとおり繭を保管するための建物で、通風のために窓がたくさんある。

屋根は日本風の瓦葺きで、2階にはベランダも付いている和洋折衷だ。


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世界遺産に登録された現在では、富岡製糸場や養蚕のの歴史などの展示場となっている。
桑の葉を食べるカイコも展示されている。


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「繰糸所」も国宝に指定されている建物だ。ここにはフランス式製糸機が設置され、まさに工場として製糸場の中心で、多くの工女が働いていた。

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内部の機械類は建設当時のものではないが、1987年(昭和62年)に操業を停止するまで使用されていた機械が、タイムカプセルのように残されている。

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そのほか、建設に携わったブリュナ一家が住んだ通称ブリュナ館とも呼ばれる「首長館」も重要文化財に指定されている。

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ブリュナがフランスから連れてきた女性指導者達の宿舎だった「女工館」(重要文化財)も残っている。
フランス人女性達はほどなく帰国してしまい、その後は役員宿舎や工女の食堂などとして利用されていたという。


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群馬県と同様に古くから養蚕が盛んな長野県の岡谷や諏訪の製糸工場では、過酷な労働を強いられて働く女性労働者姿は、細井和喜蔵のルポ「女工哀史」や山本茂美のノンフィクション『あゝ野麦峠』(映画化も)で知られる悲惨な暮らしのイメージが強い。

一方、富岡製糸場では、女性労働者は、「女工」ではなく、「工女」と呼ばれていた。休日制度など労働環境にも恵まれており、上流階級出身の子女も多かったとか。

ある程度経験を積んだ工女は、それぞれの出身地に戻り、そこで指導的な役割を演じたそうだ。まさに、官営模範工場の目的達成、工女たちは全国にその技術を伝授する先兵となったのだ。

世界遺産登録もあって、このところテレビや新聞など(例えば、NHK「歴史秘話ヒストリア」など)でもよく取り上げられて知られるようになった。

その工女たちの「寄宿舎」も残されている(時代は、明治ではないが)。左の建物が妙義寮、右が浅間寮。


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これらの工場群は、当初の官営の後、三井家に払い下げられ、さらに横浜の三溪園で有名な実業家、原一族の原合名会社、当時最大の繊維企業の片倉製糸(現、片倉工業)と変遷を経てきた。

最後の所有者片倉工業は、1987年の工場操業休止後も、莫大な維持管理費を負担しつつ工場群を保存してきた。

その後、世界遺産登録も間近になった2005年に国史跡に指定されると、地元富岡市に寄贈(土地は売却、建物は無償譲渡)され、今日では市が管理している。

金儲けにもならないどころか、莫大な費用がかかることを20年近くも続けてきた民間企業の活動には、頭が下がる思いだ。

企業のメセナとかCSRとかが話題になるけど、宣伝のためと疑いたくなるものもある中で、片倉工業の姿勢には、見習うべきことが多い。


ところで、この富岡製糸場に次いで、今年(2015年)には「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。こちらにも、八幡製鉄所、長崎造船所、三池炭鉱などの官営工場が含まれている。

登録決定に際しては、長い歴史の中で一部施設において、日本の植民地だった朝鮮半島出身者が強制労働させられたということで、韓国は登録に反対した。

その後も、今年の世界記憶遺産の登録では、中国が提出して登録された「南京大虐殺の記録」に対して日本は反対し、菅官房長は世界遺産事務局のユネスコに対する分担金や拠出金の支払い停止を検討していると発言した。

一方で、日本が提出し登録された記憶遺産「シベリア抑留」に対しては、ロシアが登録撤回を求めている。

2年後には、中国と韓国が共同で「慰安婦の資料」の記憶遺産登録をめざす動きがあると報じられている。

それぞれの国の言い分もあるだろうが、世界遺産もずいぶん政治臭くなってきたものだ。
いや、発足当初からヨーロッパ諸国に主導されているなど、もともと政治臭いものとの考えもあるが。

世界遺産には、人類の栄光の軌跡だけではなく、過去の過ちを二度と起こさないための負の遺産もある。広島原爆ドームやアウシュビッツがそれだ。

自国の主張を繰り返すだけではなく、歴史から学ぶ反省材料を謙虚に受け止めて、人類の共通の遺産として後世に残していくことができる、度量のある国々で成り立つ世界にならないかなぁ~

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並木道を再考する  - 町並みと景観(4) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回のポストや電話ボックスは、いわば町並み景観のアクセント、つまり点のアイテムだ(本ブログ記事「レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3)」)。

これらに対して、線のアイテムと言えば、電柱(本ブログ「電柱のビフォー・アフター - 町並みと景観(2)」)のほかに、並木(街路樹)がある。

日本各地には、街に潤いを与え、ランドマークとなっているような並木がたくさんある。

伊豆高原(静岡県伊東市)の桜並木道は、今では観光名所ともなっている。

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満開の桜並木(伊豆高原にて2010年3月)

昔からの神社の参道も、並木として町の景観を形成している。

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武蔵一宮の氷川神社(埼玉県さいたま市)の参道(2013年9月)

東京の代表的な並木道のひとつに、明治神宮表参道のケヤキ並木がある。
これも、その名のとおり神社参道として作られてものだ。

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明治神宮まで続く表参道のケヤキ並木(2015年9月)

その証拠は、名前だけではなく、青山通りからのスタート地点の巨大な石燈籠だ。

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青山通りにも並木はあるが、こちらは表参道を見た後では、どうしても見劣りしてしまう。
それもそのはず、青山通りは前回の東京オリンピックを契機に拡張されて、その際に並木も植えられた。


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青山通りの並木(2015年9月)


つまり、高々50年の並木道と100年の並木道との歴史の差ということだ。
それにしても、明治天皇が祭神とはいえ、100年前にこの幅の道路と並木を造成した先人に敬意を表したい。

ちなみに、表参道には、大正末から昭和初期の懐かしい、そしてモダンな風景の一つ、同潤会アパートがあった。

現在では建て替えられて、安藤忠雄氏設計の表参道ヒルズとなっているが、その一角には解体を惜しむ声に押されて昔のアパートが部分的に残されている。

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表参道ヒルズの一角に残されたツタの絡まる同潤会アパート建物(2015年9月)

そこからすぐ近くの明治神宮外苑のイチョウ並木も、秋の黄葉シーズンには、カレンダーなどに必ず登場する定番の風景となっている。

ここで撮影されたドラマのデートシーンも数知れないだろう。


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黄葉にはまだ早い神宮外苑イチョウ並木(突き当りは、聖徳記念絵画館)(2015年9月)

最近では、表参道のケヤキ並木はクリスマスの電飾の風景でも有名だ。

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こちらは、丸の内ビジネス街(東京都千代田区)の電飾並木(2012年12月)


これらの並木も、日本では秋を迎える前に枝が強度に剪定されて、樹形が貧相になってしまうことが多い。

台風シーズンの枝折れや倒木による歩行者や車両への被害などを心配してのことだ。
信号機が見えなくなるという交通安全上の理由もあるらしい。

もともと道路敷地が狭いうえに、盆栽仕立ての風土もあるのも理由だろう。

一方で、剪定をほとんどしない管理方針(無剪定街路樹)を採用する自治体も最近では増加している。自由な枝張りにより根付きもよくなり、倒木も少ないという。

 

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 道路に覆いかぶさり緑のトンネルを形成している無剪定街路樹
(バンクーバー(カナダ)にて2003年8月)

先の表参道の並木(↑)も、枝が車道にまで広がっている。


昨今のような猛暑の日々には、街路樹による緑陰が欲しくなる。
信号やバス停で待つ時にも、緑陰があるとホッとする。

しかし、毎年の剪定で枝が伸びなくては、緑陰もなくなってしまう。
並木を歩く人々も暑そうだし、ヒートアイランドによる地球温暖化防止の観点からもやはり緑陰は欲しい。

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緑陰の少ない並木を歩く人々(府中市(東京都)にて2012年8月)

もっとも最近の街路樹剪定の理由は、台風対策だけでもなさそうだ。

落ち葉や毛虫などの害虫、さらには緑陰そのものも洗濯物が乾かないといった理由で苦情の種となる。

街全体の景観や潤い、落ち着きといったことよりも、個人の生活を優先する風潮。

日本だけではなく、海外でも"NIMBY"(ニンビィ)として問題になっている。

そして、幼児・子どもによる騒音なども含め、いろいろなところで寛容度が少なくなってきている気もする。


町並み景観と個人の生活。

その両立のためのレシピはどこかにないだろうか?

並木もないような味気ない街は御免だ。


今度の東京オリンピックは、東京の街にどのようなレガシーを残してくれるのだろう。



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レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

古い町並みの中の紅一点、レトロな丸型の郵便ポストは、景観に溶け込んでいる。

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栃木市蔵の街(栃木県)にて

鄙びた風情を残す温泉場の路地の突き当りにも郵便ポスト

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有馬温泉(兵庫県)にて

このポストも、かつては“モダン”と言われた時代もあったのだろう。

町並みの看板の色使いで赤は避けられていた(本ブログ「奇妙な看板?! - 町並みと景観」)が、このポストだけは別扱いだ。


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北野異人館街(神戸市)にて

周囲はビルが立ち並ぶ中で、旧家の店蔵の白壁とポストの赤のコントラストは、自転車で通過する人も含めて、そこだけ時間が止まったようだ。

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春日部市粕壁(埼玉県)にて

九州大学での学会の折、知人に連れて行ってもらった海鮮料理屋のある今宿駅(JR筑肥線)のなまこ壁のレトロな駅舎。
その脇の郵便ポストは現代風の角型。丸型ならもっと絵になる?


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今宿駅前(福岡県)にて

丸型ポストは、今では、郵便局のサービス用小物(貯金箱)のデザインにまで採用されている。

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郵便ポストは、いわば町並み景観の中での「点のアイテム」だ。

点のアイテムには、最近各地で見かけるようになってきた街路彫刻もある。

かつての環境庁では、「アメニティー・タウン」の一例として、この街路彫刻をよく取り上げていた。

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麹町(東京)付近の歩道で

町中の点のアイテムには、かつては「公衆電話ボックス」もあった。

クリーム色の外壁に赤い屋根(丹頂型)のいかついボックスだ。覚えている方は、もう少ない?(残念ながら、写真はありません)

こちらの方は丸型郵便ポストほどには景観に馴染んでいない。

私もかつての国立公園管理事務所勤務時代には、全国一律の電話ボックスの色・デザインを国立公園内だけでも自然に馴染むように変更してもらえないか電話局に頼み込んだことがある。

しかし、当時の「電電公社」(日本電信電話公社)は、法律(自然公園法)上は国の機関だったから、民間の看板や建物の変更のようにはいかなかった。こちらが“指導”するのではなく、対等に“協議”する相手だったのだ。

電柱(民間の電力会社の電柱ほかに、電電公社設置の電柱もある)のほうは、もともとが木柱だったから、鋼管柱などに変わっても、比較的容易に樹木と同様の茶色の彩色は受け入れてもらえた。


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茶色に彩色された鋼管柱(尾瀬国立公園鳩待峠付近にて)

それでも、電柱の着色には余分な金額がかかるから、国立公園以外ではあまり見かけない。

入口ゲートが設置されていない日本の国立公園では、電柱の色が変わることで国立公園域内に入ったことがわかる?

しばらくして、観光地をはじめ、街中では全国一律のデザインとは異なった、ユニークな電話ボックスを見かけるようになった。

ひょっとしたら、電電公社から民間のNTTに変わったせい?


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北春日部駅前(埼玉県)にて
残念ながら、観光地のユニークな電話ボックスの写真はない


そんなことなら、もっと早くから国立公園内のボックスの変更もしてくれればよかったのに!!

そんな愚痴ももう遅い?

携帯電話の普及で、電話ボックス自体が絶滅危惧種なのだ!


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電柱のビフォー・アフター -町並みと景観(2) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回に続いて、関西方面への旅からの景観の話題。

世界遺産の清水寺への参道の一つで、外国人も含めた観光客も多い京都の産寧坂(三年坂)だが、町並みをよく見ると何やら無粋なものがある。

全国どこにでもある「電柱」だ。

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産寧坂にて(2003年)

せっかくの伝統的な町並みも、これでは台無しだ。

これ↑は、2003年時の写真だが、現在(2015年)では電線は地下埋設となり、電柱も撤去されている↓。

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産寧坂にて(2015年)


前回紹介した「妻籠」(長野県)では、江戸時代の町並みを復元するために、電柱・電線はメインストリート?ではなくて、建物の裏手を通すように住民も協力したという。

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妻籠にて(1999年)

一方で、同じく前回紹介のつるぎ町貞光(徳島県)の「二層うだつ町並み」では、残念ながら電柱がせっかくの町並み景観を邪魔している。

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貞光にて(2010年)

日本の町並み景観を阻害しているのは電柱だ、という声はよく聞く。

戦後復興とそれに続く高度経済成長の時代には町並み景観への配慮の余裕もなかった。

それだけではない。電気が通じて便利になることに、誰も異存はなかった。むしろ誇らしかった?

私の街でも相変わらずの電柱と電線。
これも昭和のレトロを彷彿させる?

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昭和の電柱と言えば、木柱はほとんど見かけなくなった。

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最近では珍しくなった木柱

以前ブログでも紹介した私が勤務していた40年ほど前の国立公園の管理現場では、電柱の多くが木柱で、クレオソート塗の黒色か、茶色だった。

少しずつ、鋼管柱、コンクリート柱が出現して、風景に馴染むように茶色に着色することを許可条件に付していた。現在でも、国立公園内で見ることができる。

本当は地下埋設にしてほしかったが、費用がかかり、とても受け入れてもらえなかった。

しかし、経済的にも豊かになるにつれ、最近では、多額の費用がかかっても電線の地下埋設を進めるようになってきた。

必ずしも観光地ばかりではなく、一般の居住地でもそうだ。

居住地近くの国道1号線も、電線の地下埋設でずいぶんとスッキリした。
なんだか空が広くなった感じだ。

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地下埋設の点検口(歩道上)とキュービクル(高圧受電設備)(中央薄緑色の箱)

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写真の鳥居と信号までは地下埋設済み、その先は従来の電柱のまま(国道1号線)

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もっとも、邪魔者のような電柱にも、こんな使い方もある。

道路両側の電柱を夏祭りのアーチ状広告幕(横断幕)の支柱にしている。
まァ、一時的だからいいか!

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米国カリフォルニア州の砂漠では、道路がどこまでも一直線に続いている。

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デス・バレー付近にて(米国カリフォルニア州 2002年)

この砂漠で、道沿い(写真右側)に連なる電柱は、砂嵐の際の道しるべにもなる。

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さらに、人間の文明が自然を征服した証しとして、心強い象徴でもあるのだ。

現代の日本の街中の電柱には、そこまでの思い入れはないだろう。

もうそろそろ、文明開化で電気が灯った驚きと喜びからは卒業しても良いと思うけど。


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奇妙な看板?!  - 町並みと景観 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

旅先でみた見慣れない、いや見慣れた?看板。

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そう、ご存知の有名コーヒーチェーン店のロゴだ。
緑のロゴが、黒になっている!!

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北野異人館街(神戸市) 2015年

本ブログ記事では、撮影時と現在では状況が変わっている可能性もあるので、撮影年を記します。

場所は、異人館の町並みが残っている神戸の北野。

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うろこの館


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風見鶏の館

これもご存じ、全国チェーンのコンビニのロゴ。

緑や赤・オレンジの企業カラーではなくて、黒色に統一されていた。

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ここまでの統一性には違和感を持つ人もいるかもしれない。

これを奇妙とみるかどうかは、人それぞれかもしれない。


しかし、伝統的な街並み景観の保全などには、ある程度の統一も必要だ。

町並み保存で有名な妻籠(長野県)でも、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気の看板で統一されている。

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妻籠宿(1999年当時)


妻籠だけではない。世界遺産の白川郷(岐阜県)でも、そうだ。


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白川郷のバスターミナル付近の食堂・売店の看板 2013年


「二層うだつ」で有名な貞光(徳島県つるぎ町)。

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「うだつが上がる」の2層のうだつの家並みが続く貞光 2010年

そこの電気屋さんは、近代的な商売とはとても思えない店づくりと看板だ。


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日本だけではなくアジアの多くの町がそうだが、街中の看板はカラフルで、時には猥雑でもある。

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道路にまではみ出た看板 香港 2008年

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食い倒れの街 大阪 道頓堀 2006年



かつての職場である国立公園管理の現場では、景観の保全のために看板や工作物の色を結構厳しく制限していた。

香港や大阪と同様に看板は目立たなくては意味がない、と信じる申請者(看板設置の許可が必要)とのし烈な攻防(?)もあった。

地域全体で統一がとれていれば、必ずしも目立つ色彩でなくとも案内表示としての機能は十分発揮されると思うけど・・・。 自分だけ目立とうとするなんて、ズルイ!!

40年前の私にとって初めての現地の職場、十和田八幡平国立公園の十和田湖探訪の拠点、休屋(青森県)。

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そこでは看板は、原則として茶色(または黒色)の木地に白色文字と相場は決まっていた。屋根の色も、原則茶系統だった。

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茶色木地に白文字の看板(休屋にて 2010年)
下↓の写真の右側のアップ

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今では、観光客の減少により、かつては修学旅行や団体客で大繁盛した大規模な土産物売店・食堂なども閉店され、店頭の自動販売機を覆うブルーシートがやけに目立って、かえって物悲しい。

40年前に躍起になって町並みの看板を統一しようとしていた私には、神戸北野異人館の看板の色彩変更・統一には、少々羨ましい気がする。

緑地のコーヒーチェーン店のロゴが黒なのは、正直なところ、そこまでしなくてもとも感じるけれど。

いや、国立公園の各地では、当の昔に看板だけでなく、電柱や落石防止のネットの色までも茶色など目立たない色になっていた(手元にデジタル写真が無いので、ご覧いただけないが)。

私だけでなく、私よりも20年以上もの先輩も含めて、かつての国立公園レンジャーの長年の努力の積み重ねの結果だ。


看板に限らないが、「自由」をはき違えて、自分の営業・金儲けしか念頭にないのも困ったものだ。

一方で、自分のかつての仕事を棚に上げるようで恐縮だが、「統一」のために強制されるのは大嫌いだ。

報道も含めて、強制的な統一が前面に出てきそうな昨今、多民族国家インドネシアの国是『多様性の中の統一』の微妙なバランス感が妙に懐かしい。


(別の機会に、町並みや建築物自体の景観についての記事をアップします。)

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これまでたくさんのniceをありがとうございました。
はなはだ勝手ながら、前の記事より都合により当分の間、niceを閉じさせていただきます。

 


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京都 賑わいの内と外 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

京都に5月下旬と6月中旬に続けて訪れる機会があった。

日本が世界遺産条約(1972年)を批准したのが条約成立から20年後の1992年。その翌年1993年に、姫路城(本ブログ記事「新装開店?! 美しすぎる『姫路城』」参照)と古都奈良が文化遺産に、屋久島と白神山地が自然遺産に登録された。

京都はその翌年1994年に「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。やはり、都が置かれた年代でも、奈良にはかなわない?

京都市内(正確には、宇治市(平等院)と大津市(延暦寺)を含む)の17の社寺と城(二条城)が世界遺産の構成資産として登録され、それらを含む3万ヘクタール弱の区域が、緩衝地帯および歴史的環境調整区域になっている。

ちなみに、構成資産(いわゆる世界遺産登録)は、上賀茂神社、下鴨神社、東寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、金閣寺、銀閣寺、龍安寺、西本願寺、二条城だ(いずれも、通称名)。

世界遺産に登録されている清水寺や金閣寺などは、修学旅行生も含めた団体観光客も多く、最近では特に外国人観光客が多い。

そういえば、東京都内の中学と高校を卒業した私も、修学旅行では二度とも京都に来たことを思い出した。

今回(5月下旬)の京都訪問でも、清水寺の舞台は多くの観光客で賑わっていた。


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清水寺までの参道も人でごった返していて、自由に進めないほどだった。

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世界遺産には登録されていないが、外国人にバカ受けなのが伏見稲荷大社だ。全国に3万あるというお稲荷さんの総本社だという。

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なかでも外国人観光客を魅了するのは、奥社などのある稲荷山までの数千本におよぶ朱塗りの鳥居の列だ。

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このおかげで、旅行口コミサイトのネット投票では、「外国人に人気の日本の観光スポット」として2014年度の第1位になったそうだ。


しかし、観光客で賑わう場所は、むしろ敬遠したくなるのも人情だ。へそ曲がりの私だから?

清水寺でも、本堂舞台(清水の舞台)はひどい混雑で、音羽の滝には長蛇の列だが、少し離れた三重塔まで行くと、人はぐっと少なくなる。


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さらに、清水寺から山道続きで徒歩15分ほどの距離にある清閑寺まで行くと、訪れる人はほとんどいない。

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訪れたのは5月末で、ツツジが美しい


かつて境内にあった茶室の郭公亭では、西郷隆盛と清水寺成就院住持の月照が王政復古の謀議をしたというから、日本の歴史を動かした寺院と言っても良いかもしれない。

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郭公亭跡を示す碑


この6月(先週)、高校時代からの友人の京大名誉教授に案内されて訪れたのは、やはり人出の少ない東福寺と泉涌寺だ。どちらも、世界遺産ではない。

京都五山の一つ東福寺は、創建750年の歴史を有し、壮大な伽藍で知られている。



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東福寺の本堂

境内にある長い建物は、なんと昔のトイレとか!!

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同じく境内の通天橋などは、紅葉シーズンには大混雑だそうだが、梅雨の時期にはひっそりとしている。紅葉も良いが、露に濡れた緑もまた風情があると思うけどネ。

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東福寺から泉涌寺までの徒歩の途中には、尺八で有名な明暗寺が。

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そういえば、昔見た時代劇映画の虚無僧は、「明暗」と書かれた箱(偈箱(げばこ)というらしい)を首からぶら下げていたっけ。

皇室と深いかかわりのある泉涌寺も、すり鉢状の底部に位置する仏殿がひっそりと出迎えてくれた。


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皇室の菩提所ともなっている月輪陵(つきのわみささぎ)には、多くの天皇などが祀られている。

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観光客で賑わう京都、ひっそりと佇む京都。

いずれも京都の姿である。

人気の高さと真の価値が一致しているかどうかの判断は難しいところだ。


まァ、人それぞれの好みもあるでしょうけどネ。人間の評価も同様?!

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新装開店?! 美しすぎる『姫路城』

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新装開店?! 美しすぎる『姫路城』 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

5年間を費やした平成の大修理が終了した姫路城を5月末に訪問した。

国宝指定の4城郭(姫路城、犬山城、彦根城、松本城)と国宝指定答申を受けた松江城。
これらの中でも、姫路城は別格の感じだ。

なにしろ、日本で最初(1993年)の「世界遺産」登録対象の一つなのだ(同時に世界遺産登録されたのは、文化遺産では法隆寺、自然遺産では屋久島と白神山地)。

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大天守と三つの小天守が重なり合う「連立式天守」の姫路城。
その優雅な形に加え、「白鷺城」の別名でも知られているとおり、色白でもある。

犬山城や松本城など、それまでの天守閣の黒板張りがないのが特徴だ。

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写真は犬山城(2007年3月訪問)

これは、「白漆喰総塗籠」といって、下木地が見えないように漆喰を塗りこめて、火災や火縄銃による延焼に備えたものという。

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下からみると、屋根まで真っ白で、化粧のし過ぎとの声も多いらしいが、屋根瓦の継ぎ目の漆喰目地が浮き出ているためで、瓦そのものは黒色だ。時間の経過とともに、落ち着いていく、というか漆喰も汚れていくに違いない。

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瓦の屋根目地 遠方は、西の丸の「百間廊下」「千姫化粧櫓」方面。

白鷺城の名に恥じない、「白すぎる」姫路城を見るなら、今のうちかもしれない。

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3月末のグランドオープンから間もないこともあり、新装なった天守閣を見学しようという観光客でごった返していた。

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混雑する入口発券所

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天守閣最上階(6階)も人で混雑


その天守閣最上階には、「長壁(刑部)神社」が祀られている

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天守閣の巨大な柱材「東大柱」と「西大柱」は、地階から5階までの1本の通し柱だ

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槍などを掛けた「武具掛け」



天守閣や周囲の塀には、矢や鉄砲を放つための「狭間(さま)」という窓(穴)が総計997もあるとか

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敵の侵入を防いだ門脇の石積みには、石不足のために古墳の石棺の石材も転用されたという(備前門)

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城内には、怪談歌舞伎『番町皿屋敷』の源ともなったという、有名なお菊が投げ込まれた井戸も残っている(こちらは「播州皿屋敷」)

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原爆ドームと被爆樹木 -世界平和への願いを込めて

一番人気の世界遺産 空中都市 マチュピチュ


以上のほか、富士山、小笠原、その他の世界自然遺産に関する記事は、マイカテゴリーの「保護地域 -国立公園・世界遺産」などに多数掲載


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榛名神社の御姿岩 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 榛名神社(群馬県)は、延喜式の昔からの由緒ある神社だ。最近は、パワースポットとしても有名らしい。

 神社の本社は、背後に屹立する奇岩「御姿岩」の岩奥にまで連なり、そこに御神体が祀られている。

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双龍門から御姿岩を望む

 

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 本殿は御姿岩の岩奥まで組み込まれている   



 磐座は、巨樹とともに、自然界の神が鎮座するものとして古代から崇められてきた。いわば原始神道、アニミズムの象徴でもある。

 日本最古の神社の一つ、奈良県の大神神社のご神体は三輪山そのものであり、本殿もなく、あるのは社殿だけという。

 山や巨樹などを信仰の対象とするアニミズムは、日本だけではなく世界共通のものだった。

 箱根山をはじめ、各地から地震や噴火の兆しなどが伝えられている。

 何やら山の神々が、現下の人間界の営み ― 安保法制制定、教育制度改変などなどに警告を発しているのかも・・・  と古代の人々なら考えたに違いない?

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麓では盛りを過ぎたミツバツツジやヤマツツジも、ここでは今が盛り

 

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榛名神社近くの榛名湖と榛名富士

 

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伊香保温泉の名物、石段と商店街

 

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伊香保温泉からは雪の谷川岳などの山々も(ハワイ王国公使別邸公園から)

 

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ウツギ?の花も今が盛り




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 「保護地域の誕生」と「自然の聖地」、「聖なる山と巨樹の継承」など、本記事にも関連する内容も豊富。

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ランドセルと多様性 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 新年度が始まり、新入生や新社会人も張り切っているに違いない。
小学1年生が背中一杯の大きなランドセルを背負って元気に登校している姿を見るのは、何とも微笑ましい。

 そのランドセルも、私たちの頃と比べると、ずいぶんカラフルになってきた。
なかでも女生徒には水色が目立つ(あとピンク色も)のは、私の居住地での流行だろうか。

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女児にカメラを向けると通報されそうで写真はありません(笑)
フリー素材を使用させてもらいます


 私の頃は、男子は黒、女子は赤、と相場は決まっていた。
下手に変わった色のランドセル(そもそもなかったが)でも背負おうものなら、生徒だけでなく、親までもが変わり者と思われただろう。

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私の子どもが使用した四半世紀前のランドセル


 そんな時代からみれば、ずいぶんと選択の幅も広くなってきた。

 しかし、個性を尊重するなら、売る方も買う方(選ぶ方)も、水色やピンク色以外に、黄色や緑色、紫色など、さまざまな色のランドセルがあってもよいと思う(ひょっとするとあるのかもしれないが)。

 なぜ例の女の子たちは、揃いも揃って水色(せいぜいピンク色)だったのだろうか。

 きっと孫のランドセルを買ってあげる祖父母の意識が、まだそこまでのカラフルさを受け付けないのかもしれない。あるいは選ぶ子供たちも、自分の好みとは別に、あまりに他人とかけ離れた色には抵抗があるのかもしれない。メーカーも、販売数の少ない色を取りそろえて生産する余裕もないのかもしれない。


 小学生の通学カバン。海外ではどうだろう。
 それほど多くもない観察事例だが、西欧ではむしろ上流階級(?)の私立学校で制服が決まっていることが多いが、カバンまでは決められていないと思う。

 決められているわけではないと思うが、国際会議で訪問したノルウェーでは、凍り付いた道路を歩くのに両手を空けておいた方がよいのか、フレーム付きのリュックが流行っていたようだ。

 意外だが、むしろ途上国の方が制服らしいものが決まっている例が多いように思う。しかし、カバンまで決められているというのは記憶にない。


 私が研究で通うインドネシアでは、制服は決まっているが、ランドセルに相当するのは思い思いのリュックだ。「制服の多様性と画一性 ―インドネシア 多様性の中の統一

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この地域の小学生はショルダーが流行り?
(インドネシア・ジャワ島で)

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思い思いのリュックやショルダーを
(インドネシア・スマトラ島にて)

インドネシアの小学生は赤いズボン・スカートが制服(上の写真も)

 国際学会で昨年訪問したブータンでは、やはり制服代わりの伝統的民族衣装と弁当を入れるカラフルな手提げカゴが定番で、あとはリュックだった。「ブータン報告 その2
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弁当用のカラフルな手提げカゴとリュック

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男子も弁当用の手提げカゴにリュック

女児は「キラ」男児は「ゴ」という伝統民族衣装が制服
(上・下とも、ブータンのブムタンにて)


 どこでも、緩やかな規範や流行の枠内で、それぞれの個性を発揮しているようだ。これこそ、まさに多様性というものだろう。

 件の水色のランドセルに関しては、たまたま私が目にした近所の小学校での流行色が、水色だったということかもしれない。

 しかし、小学生のうちから、自分の好み、個性よりも、流行を追って画一化するようでは、その後の意識と行動も推して知るべしというところだ。これも、親や祖父母によって形成されていくのかもしれないが。

 いやいや、ランドセルの色の前に、いつまでも兵隊の背嚢の名残りを背負うこと自体から多様化しないとネ。
 
 とも思うが、最近は外国人にまでこのランドセルが“クール”と称賛されているらしいから、わからないものだ。



【ブログ内関連記事】

タイガーマスク運動 ―ランドセルと多様性

制服の多様性と画一性 ―インドネシア 多様性の中の統一

ブータン報告 その2

形から入る ―山ガールから考える多様性

 

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 対立を超えて ―『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版4 

 

 


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冬至とクリスマスの間 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 今日12月23日は天皇誕生日の休日。たまたま(といっては失礼だが)今上天皇の誕生日をお祝いする日だが、この天皇誕生日の祝日(国民の祝日)もすでに四半世紀になった。

 でも、世界中で、もっと昔からお祝いされている誕生日がある。それが12月25日、キリスト生誕(降誕)のクリスマスだ。

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クリスマスの飾りつけをした市庁舎(パラマッタ・オーストラリアにて)
夏のクリスマスはちょっと感じが出ない?



 キリストの本当の誕生日は不明だが、既にローマ時代には12月25日がキリストの誕生日と公認されたそうだ。しかし、その日付は、キリスト教伝播以前からヨーロッパ各地の風習となっていた「冬至祭り」が由来ともいわれている。キリスト教布教の初期の時代に、異教徒にキリスト教が取り入れられやすくするため、昔からの地元の風習をキリスト教の行事に取り入れたという。

 つまり、冬至とクリスマスは、繋がっているのだ。

 冬至は一年で最も昼間の時間が短くなる日で、日本では中国由来の二十四節気の一つだ。今年12月22日の冬至は、月が一晩中見えない旧暦11月1日の新月と重なり、19年ぶりの「朔旦冬至」となった。

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冬至の日の富士山(湘南海岸から)

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冬至の太陽高度は一番低い
陽光の海面(遠方の水平線上は伊豆大島)


 日本ではこの日には柚子湯に入ったり、カボチャを食べたりする風習がある。もっとも、カボチャはラテンアメリカ原産で、コロンブスの大航海時代以降にヨーロッパ経由でもたらされたものだけれどもね(本ブログ記事「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」 ほか参照)。

 ところで、ヨーロッパの冬至は、日本よりもさらに昼間の時間が短い、と言うか、昼間が無いに等しい。高緯度地方ほど、その傾向は強い。一日中太陽が沈まない、夏の白夜の逆だ。

 そうなると、太陽が恋しくなるのは洋の東西を問わない。精神的にもだが、人間は日光を浴びることでビタミンDを体内で造りだしているという生理的な理由もある。そして、農耕にも太陽光は必須だ。

 さまざまな理由から、世界各地には古代から太陽信仰がある。日本でも、日本神話にも登場し、皇室の祖神として伊勢神宮にも祀られている天照大御神(あまてらすおおみのかみ)は、太陽神のひとつだ。

 長く暗い冬を過ごさなければならなかったアイルランドにも太陽信仰があり、世界遺産に登録されている巨石の遺構ニューグレンも、冬至の日の出の陽光が墓室といわれる遺構の最奥部にまで差し込むように作られている。

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世界遺産ニューグレン(アイルランドにて)



 私の幼稚園教員を養成するための「保育内容(環境)」の授業では、季節の行事としてクリスマスを取り上げ、その由来なども話をする。

 でも、そんな小難しいことは抜きにして、クリスマス会ではパァ~と楽しみましょう。

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紙工作のクリスマスツリーでクリスマス会
(大学の保育授業で)




 【ブログ内関連記事リンク】

 「クリスマスツリーと巨樹巨木信仰
 「巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵
 「祭で休みは、文化か、悪弊か? -祭日と休日を考える

 「第6回世界国立公園会議 inシドニー

(生物資源)
 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「金と同じ高価な香辛料
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)


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これぞ 『幸せの国』  ブータン報告その5 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 ブータンでの写真や報告したいことは、まだまだたくさんあるけれど、今回で一応終了とします。

 かつての要塞で、現在は寺院、時には役所としても使用されている「ゾン」という巨大な建造物や「ラカン」あるいは「ゴンパ」と呼ばれる寺院などの紹介は、観光ガイドブックに譲ることにしよう。

 最終回は、『幸せの国』の実感。

 いわばブータンの代名詞ともなっている「幸せの国」。経済発展(GDP:国内総生産)よりも優先されるこの標語(GNH:国民総幸福量)を国民はどのように感じているかわからないが、短期滞在者の私が感じた幸せの国の実感は、こんなところ。

 子どもたちが笑顔で幸せそうなのは、どんな貧しい国でも同様。田沼武能さんのようにうまくは子供たちの笑顔を引き出した写真は撮れないが・・・・

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チャムカル(ブムタン)の町はずれにて

 ブータンのいたるところ、たとえ車が通る路上でも、犬が幸せそうに寝ているのは、これまでの報告のとおり。

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チャムカル(ブムタン)にて

 


 “いたるところに”と言えば、「マニ車」もいたるところにある。大きさや形状も多様だ。内部にはお経が収められていて、回すと経文を唱えたのと同じ功徳があるという。ちなみに、ブータンではチベット仏教の影響で、時計回りが基本とか。
 
 敬虔な仏教徒の国ブータンでは、寺院に参拝する人も多い。
 手に持つ小さなマニ車を回しながらという人もいる。

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ジャンパ・ラカン(ブムタン)にて


 寺院内部の写真撮影はできないが、巨大な仏像の前などでは、ついついブータン式のお祈り(しゃがんで、膝とおでこを床につける)をしてしまう。これも、心休まる一時、幸せの気分か。

 寺院の外壁にはマニ車がずらりと並んでいて、拝観前にはこれを回す。

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キチュ・ラカン(パロ)にて
 
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 プナカ郊外の寺院にて
 

 巨大なマニ車の脇に座り込んで、一日中呪文を唱えながらマニ車を回す老人も、いかにも心穏やかで幸せそうだ。

 

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チミ・ラカン(プナカ)付近で

 

  寺院でなくとも、清水の湧き出るところにはマニ車が設置されていて、水車で自動的に回るようになっているものも多い。

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巨樹の根下のマニ車は、水車で回る
 タムシン・ゴンパ(ブムタン)にて

 大きなマニ車は、回転するたびに鐘が鳴る仕組みになっている。
 海辺の波の音のごとく、繰り返す音色は心を穏やかにする。

 マニ車の鐘の音だけではない。
 
 寺院の屋根軒に吊るされた無数の風鐸が、草原を渡ってくるそよ風とともに何とも言えない音を奏でる。
 それはそれは、心休まる音だった。極楽とはこんなところかと思うような気分になった。

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軒には、無数の風鐸が吊るされている
クジェ・ラカン(ブムタン)近くの寺院で


 子どもの僧侶たちは、無心にお経を暗記している。これも幸せの時間か。はたまた、試験が待ち構える魔の時間か。

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プナカ郊外の寺院にて


 一般の大人たちも、ちょうど日曜日のこの日には、伝統の弓矢大会?
 数十メートルも先の相手陣地の小さな的に向けて矢を放つ。よく的が見えると感心してしまうほど遠方だ。
 
 これを交互に繰り返して競うらしい。的に当たると、お祝いの踊りを舞う。

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トンサ・ゾン(トンサ)にて



 かつての日本でも、祭りなどに勤しむことは多かった。
 現代の日本でも、休日には野球やサッカー、楽団、その他、趣味のグループ活動をしている人も多いだろう。
 
 常々、そのような人たちを羨ましく思っていたが、ブータンの人々はそれに輪をかけたように幸せそうだった。

 休日とはいえ、パソコンに向かって原稿や資料作りをしている私とは大違いだ。

 もっとも、私も休日の仕事がそれほどつらいわけでもない。いわば趣味と化しているのかもしれない。ワーカホリック?いやそれほど悲惨なものでもない。

 日比谷公園の設計や日本最初の林学博士として有名な本多静六は、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。」(『我が処世の秘訣』)と説いたという。(ブログ記事「巨樹の番付 -本多静六と里見信夫」参照)

 その意味では、私も『幸せの国』の住人の一人なのかもしれない。

 そして、何よりも『幸せの国』の真髄と感じたのは、チャムカルのコンビニのような小さな商店でパンを買おうとした時のこと。

 翌日に食べたいが大丈夫か尋ねたところ、「このパンは昨日入荷したものだから、明日食べるのなら4軒先の店で今朝仕入れたパンがあるから、そちらで買った方がよい」との返事。

 自分の店の営業、つまり経済性を度外視して、客の満足を優先する、この態度。
 これが、自分も他人も、皆の幸せにつながるのだろう。

 これぞ、まさに『幸せの国』を実感した瞬間だった。

 一方で・・・

 カメラを向けた私に、「ギブ・ミー・マネー」と叫んだ子供もいた。
 たくさんの子供たちにカメラを向けた中で、たった一人だけだったが、
こうした子たちがこれから確実に多くなりそうな気もする。

 『幸せの国』はいつまで続くのだろうか。
 続いてほしいと願うのは、何よりも経済価値が優先する国から来た一旅行者の無責任な願望だろうか。

 【ブログ内関連記事】

 「巨樹の番付 ―本多静六と里見信夫
 「祭りで休みは、文化か、悪弊か? ―祭日と休日を考える
 「のんびりベトナムコーヒーとオートバイ
 「ゆったり とろける時間 ―再びインドネシアから
 「のんびり時間 のんびり空間 ―瀬戸内直島 美術館
 「アルバニアのんびりカフェ
 「モンゴルの風に吹かれて


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 国立公園や世界遺産などの保護地域の拡大目標(愛知目標)で世界はなぜ対立するのか、世界国立公園会議の変遷を含めた世界やインドネシアの保護地域ガバナンスのパラダイムシフトなども。

 本ブログ記事も多数掲載。豊富な写真は、すべて筆者の撮影。

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 目次、概要などは、下記の本ブログ記事をご参照ください。

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 「対立を超えて - 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版4



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ブータンで出会った動物たち ブータン報告4 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 またまた懲りずにブータン報告。
 今回は、ブータンで出会った動物たち。

 何といっても、筆頭はやはり犬と牛。

 前のブログ記事(ブータン報告 その2)のとおり、どこに行っても犬が道路上に寝そべっていて、それはそれは幸せそう。

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経文が書かれた旗(ルンタ)に囲まれて幸せそう?な犬



 牛も、道路わきや法面の草を食み、路上には大きな塊の糞が。

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のんびりと田舎道を歩く牛

 

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牛の親子



 牛だけではなく、馬もブータンではまだまだ現役の家畜。

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草を食む親子の馬

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道路わきを移動する馬の群れ


 標高の高いところでは、ヤクが。

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 山ではサルも。

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 鳥や蝶も無数に見ることができた。写真にとることができたのは、ほんの数枚だけ。
 鳥キチさんや蝶キチさん(失礼!)からすれば、何ともったいないことだったかもネ。

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餌をくわえて巣に戻るキツツキ

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これはカササギ?

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ブータンで出会った花 ブータン報告3 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 今回のブータン報告は、ブータンで出会った花。

 わずかな滞在期間だったが、実に多くの花に出会った。そのうちの、ほんの一部を紹介する。
 名前はわからないし、調べる暇もないので、写真だけ。
 名前をご存知の方がいらしたら、教えていただければ幸いです・・・

 ブータンの花といえば、青いケシとシャクナゲ。
 青いケシは、ブータンの国花にもなっているそうだ。

 トレッキングにはいかなかったから、残念ながら青いケシには出会えなかった。
 
 シャクナゲも、ちょっとシーズンには遅かった。
 空港から学会会場のブムタンまでの途中の山道には花の終わったシャクナゲの群落が続いていた。
 それでも、バスの中から林の奥などに白い花の名残を見ることができた。
 シーズン中に来たら、さぞかし見ごたえがあったことだろう。

 がっかりしていたら、ちょと標高の高いところ(3000mくらい)で、赤いシャクナゲが結構咲いていた。
 ラッキー!!と喜ばずにはいられない。

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 日本でもみることのできる植物も多い。
 これは、レンギョウの大株?

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  今が盛りといえば、白と赤の野ばら(ノイバラ)が、あちこちで大きな株になっていた。

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 ほかにも、ヤマボウシの仲間らしい樹木

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 そして、ジャカランタ
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 さらに足元にも、さまざまな花が・・・・・

 これはショウガの仲間?

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 サクラソウの仲間?

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 さらに、ラン、ツツジやクレソン・・・・・・

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 これらの花々から採れたハチミツも、ブータン名産の一つだ。
 赤い野ばらのラベルのハチミツ。ラベルがずれて曲がっているのもご愛嬌?

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ブータン報告 その2 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 ブータンの報告その2です。

 今回はおもに町の様子を。写真は、必ずしも撮影日時順ではない。

 前回ブログのとおり、国際線飛行場があるのはパロの町。
 早朝の写真で賑わいは感じられないが、いずれにしても小さな町だ。


パロの市街地の家並み
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パロ中心市街地もわずかこれだけ
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 首都のティンプーの町は、学会終了後に帰路のバスがティンプー泊りの人のためにホテルに立ち寄った際、ちらっと見ただけ。

ティンプーの町はずれには、集合住宅が立ち並ぶ
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市街地中心の交通整理警官のボックスのある交差点 

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街中を歩く人々にも伝統衣装を着た人が多い

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 学会が開催されたブムタン(ブータン中部)のチャムカルの商店街。チベット難民により形成された町とのこと。2kmほど離れた新市街地への移転が決まっているが、3年前の火災後も同じ場所に再建されてしまったとか。新市街地は、街路灯もある区画された道路が整備されているが、家もなく草が生い茂っていた。

商店街も朝は比較的遅い
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 商店の窓にレースのように掛けられているのは、名物の乾燥チーズ
 無理して食べて歯医者のお世話になった日本人JICA専門家も多いとか

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ブータンでは、個人住宅でも神獣などの絵が壁面に描かれている
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左の女性の後ろの巨大な男根(ポ・チェンなどと呼ぶ)も、定番のモチーフだ
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 学校から下校する児童たち
 授業は英語だそうで、流ちょうに話す
 

制服は伝統衣装 男性用は「ゴ」 女性用は「キラ」
リュックを背負い、手には弁当の手提げカゴ
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 子どもも多いが、何といっても牛と犬が多い。

道路わきにはどこにでも牛がいて、路上には巨大な糞が
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犬も道路上でのんびり昼寝
 車に轢かれやしないかとこちらが気をもむ
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中には、お寺でしっかりとお経を聴く犬も?
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トラックのヘッドランプの上には、なぜか目が!!
 仏像などをペイントしているものも多い
 ブータンのトラック野郎は信心深いか?
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 次回は、主としてブータンの田園風景と植物の予定


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幸せの国 ブータンから帰国 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 国際民族生物学会で研究発表のため訪問していたブ-タン出張から、先週帰国しました。
 直後の土・日は、宇都宮大学での日本熱帯生態学会。
 
 この間、たくさんの方々にブログへご訪問いただき、ありがとうございます。ブログ更新もずいぶん間が開いてしまいました。

 といっても、海外出張とは関係なく、ブログ更新は相変わらず遅いですけどね。

 niceをいただいた方のブログを訪問したかったのですが、ネットはつながるものの、ページを開くのに数分、そのうちタイムアウトしたりして、訪問できませんでした。

 そもそも、ブータンにまで行って、ネットが繋がらないことにイラつくこと自体がおかしいのかも・・・ネ。

 とりあえず、唯一の国際空港のあるパロから、学会会場の中部ブータンに位置するブムタンまでの移動での風景などをご報告します。

 ドゥルックエアーの機体の背後にヒマラヤの7000m級の山がチラリ(パロ空港にて)
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 空港では、日本にも来た国王夫妻の巨大な写真が出迎え
 その後どこに行っても、どこの家庭にも、国王夫妻の写真が飾ってあった
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 最初に写真を撮ったブータンらしい住宅
 貧富の格差のせいか、住宅にも差が。これは立派な方?
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 小型バスの屋根にスーツケースを載せて、学会会場がある中部ブータンのブムタンまで
 パロのホテルから出発して、結局、ブムタンまで13時間かかった
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 途中では標高3000m級の峠を3つも越える
 峠は聖地で、経文を書いた旗(ルンタ)が縦横に(ドチュ・ラ峠3150mで) 
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ヒマラヤの山体も、この後は雨期のため遠望できなかった
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 道路工事もあり、1時間ほど待機(それでも短い方?)
 ガードレールもない山道は、ハンドル操作を間違えば谷底に
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 途中の村の市場では野菜も豊富
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 小学生の制服も伝統衣装のゴ
 子供たちはどこでも明るく、人懐こい
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 高山の村で飼育されているヤク
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 山地にひろがる典型的な村風景
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 棚田も美しい
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のんびりベトナムコーヒーとオートバイ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 JICA(国際協力機構)の調査団員として、5月にベトナムを訪問してきた。インドネシアには年に数回も行っているが、実は他の東南アジア諸国にはマレーシアとシンガポールに行っただけで、タイもカンボディアもベトナムも、行ったことはない。初めてのベトナムだ。連日ハノイでの政府機関との会議だったが、その合間に垣間見たベトナムは・・・。

 ベトナム名産のひとつにコーヒーがある。なんでも、2012年現在で世界一のコーヒー輸出国だとか。その主体は、ロブスタ種のコーヒーだ。このロブスタ種は、ブログ記事「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える」や「そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査」でも触れたとおり、渋みや苦みはやや強いが、病害虫に強く、収量も多いことから廉価でもある。

 ちなみに、世界のコーヒー輸出国の2位はブラジル、3位はコロンビア、4位がインドネシア、5位がインドだという(国際コーヒー協会2012年報告書)。そして、日本のコーヒー生豆輸入は、ブラジルが断トツで、次にベトナム、インドネシア、コロンビアの順だ(全日本コーヒー協会2012年輸入量データ)。私たちの飲むコーヒーにも、ベトナム産のコーヒー豆が入っているのだろうか。

 ハノイの街中には、パリの街角でよく見るようなカフェが多い。それもそのはず、かつては仏領インドシナといわれたとおり、フランスの植民地だったのだ。そのカフェでは、ロブスタ・コーヒーを深めに焙煎して、独特のフィルターで抽出して飲む。カップにはあらかじめコンデンスミルクが入っている。

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ベトナム式コーヒー

 アルミ製のフィルターはカップ1杯分だけの小さなものだが、コーヒーが完全にカップに落ちるまでには結構な時間がかかる。その間、人々はおしゃべりに花を咲かせる。まさにパリのカフェの様相だが、せっかちの日本人には待ちきれないかもしれない。

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ハノイの路上カフェで楽しむ人々

 そんな街中には、オートバイがあふれている。まだまだ車社会というよりは、オートバイ社会だ。そのライダーが、そろってマスクにサングラス、特に女性は日焼け防止の手甲(手の甲を覆う手袋型)まで付いたフードつき長袖のカラフルなウエアを着ている。マスクも日本と違って、大型でしっかりして、おまけにカラフルだ。まるで“月光仮面”を彷彿させる。

 その月光仮面の集団が、信号の変わり目に一斉に動き出す光景は、なかなか圧巻だ。そのシュールな姿を写真に撮ろうと思ってホテルと政府機関の移動の車上から何度も挑戦したが、なかなかうまくは撮れなかった。

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ハノイのオートバイ

 会議の政府機関や宿泊したホテルはハノイ市街の西側に位置し、周辺は近代的なビルも多い。しかし旧市街はもちろんのこと、宿泊ホテル周辺でも植民地時代の建物も多く、路地裏では昔ながらの生活が行われている。日曜日ともなると、池には家族連れのスワンボートがあふれる。

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ハノイの建物

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ハノイ旧市街の路地

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ボートであふれる日曜日の池

 急速な経済発展とともに、オートバイで動き回るなど、何となく慌ただしくなってきたであろうハノイの町だ。しかし、まだまだベトナムコーヒーのひと時は、のんびりタイムとして健在だ。政府のお役人さんも、昼休みは1時間半から2時間近くあり、昼食にビールを飲むことも普通だという。

 経済援助の仕事で訪れたベトナムだが、逆に疲れ切った日本に、のんびりコーヒーの精神文化を援助してもらいたいものだ。
 まずは、のんびりとベトナム式にコーヒーでも淹れてみようか・・・

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土産に買ったドリップ付粉コーヒー(右)と深煎りコーヒー豆(左)

 (ブログ内関連記事)

 「最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー
 「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える
 「そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査
 「アルバニアのんびりカフェ
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笛のいろいろ -民族楽器の多様性 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 旅の楽しみの一つは、その土地の名産などお土産を買うことだ。あまり土産も買わない私だが、その土地、民族の文化や生活を反映した思い出の品を時々購入する。

 年に何度も研究で出かけているインドネシアでは最近は土産も買わないことが多いが、珍しく3月にはスマトラ島バタック族の横笛を買った。

 別に意識をして収集しているわけでもないので、それほど珍しいものはないが、いつの間にか横笛だけでも10本以上が集まった。

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 今や、いつ、どこで買ったかも忘れつつある。さすがにアジアの横笛の材質のほとんどは竹だ。これに穴を開けただけの単純なもので、日本を含めて古来から宗教儀式や祭事などで使用されてきた。上の写真の中での例外は、上から2本目で、南アジアの木製のもの。

 横笛は、吹き込んだ気流の振動で鳴らすもので、洋楽器のフルートに代表される楽器だ。吹き込む空気の流れを奏者が口で調節しなければならず、音を出すのも難しい。しかし要領は、子どもの頃によくやった空きビンに息を吹き込んで鳴らすアレだから、慣れれば音を出すことができる。

 彫り込まれた線刻も、それぞれの民族紋様を示している。

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 これに対して、リードと呼ばれるヘラを振動させて鳴らすクラリネットなどの笛類もある。写真(下)は、日本の雅楽で使う笙(しょう)の仲間の楽器。アジア各地にさまざまな形が伝わっている。

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 横笛は、このリードを使用しないので、エアリード楽器とも呼ばれる。日本でも神楽や祭囃子などに昔から使用され、馴染みがある。用途により、篠笛、竜笛、能管など多様だ。写真は、青森ねぶた祭りの囃子笛(左)と竜笛(右)(写真の上は筒ケース)。

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 同じエアリードでも、日本の尺八やオーストラリア・アボリジニのディジュリドゥのように上から吹き込む縦型の笛(縦笛)もある。写真(左)は尺八。
 わが家には、オーストラリア・アボリジニの木製とインドネシア・ヌサトゥンガラの竹製の、ともに背丈ほどのディジュリドゥも3本ほどある。

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 さらに縦笛でも、吹き込む空気の流れを一定にするためのダクトと呼ばれる構造をもつリコーダなどもある。こちらは、音を出すのは容易だ。写真(上右)は、アイリッシュ音楽のティン・ホイッスル。

 東南アジアには、スリンと呼ばれる竹製の縦笛も各地で見られるが、写真(下左)は木彫のバリ島の縦笛。

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 似たような縦笛はラテンアメリカでも使用されている(上右)。

 ほかにも様々な笛類がある。写真(下左)は、水牛の角を使用したリード型の笛。

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 私が横笛収集を始めたのは、自分がフルートを習い始めてからだ。そのフルートも、もともとは和楽器の横笛を習いたいと思いながらも願わず、30歳過ぎになってから近くで個人レッスンを始めた。

 フルートもその起源は、アジアの竹製の横笛と同様の木製の横笛だ。それが穴をふさぐキーが改良され、材質も金属製になった。だから、金属製になった現代でも、木管楽器と呼ばれている。
 
 写真上右のフルート(総銀製)は、私が所有する横笛の中では最も高価なものだ。しかし、最近では手に取ることもめっきり少なくなってしまった。

 私が横笛に興味を持つようになった源といえば、東京・四谷の実家隣家にある能楽の観世家から聞こえてくる謡曲や鼓とともに聞こえてくる横笛(能管)の音色だったのだろう。

 幼い頃から無意識に刷り込まれたものは、いつまでも残るようだ。

 三つ子の魂百まで、ともいう。教育学部に籍を置く私としても、いやすべての人が心しなければ・・・

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制服の多様性と画一性 -インドネシア 多様性の中の統一 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 前回のブログ記事から1ヶ月半も経ってしまった。いつもniceをくださる皆さんのブログへの訪問もままならなかった。またまた、いつもの言い訳だか、二月と三月はそれぞれ別の研究資金でインドネシアに出かけていたためだ。

 インドネシア滞在中はもちろん、二月の帰国後も特に年度末のこの時期はブログ更新の時間は取れなかった。また、インドネシア(特に地方)ではネット接続もままならない。インドネシアでの通信事情については既にこのブログ記事でも何度か紹介済みなので、今回は省略することとしよう。

 ということで、帰国の成田エクスプレスの車内でネットも接続しながら作成中の今回のブログ記事の内容は、(学校の)「制服の多様性と画一性」だ。このブログを始めた頃は国際経営学部所属だったが、今は教育学部所属となったので、少しは教育に関係するものにしようと思う。帰途の沿線では、出発の時にはまだ固い蕾だった桜の花がもう咲きだしている。卒業式、入学式のシーズンでもある。

 インドネシアでは、日本と同様に小学校(SD)、中学校(SMP)、高校(SMA)は、6・3・3制だ。ちなみに大学も4年制だ。小学校はほぼ義務教育化されているが、中学校は義務教育化を目指しているものの就学率はまだまだ低いようだ。また、子どもの人数の割には教室が少ないため、午前と午後の2部制などがとられている。

 インドネシアの公立学校では、小学校、中学校、高校ごとに、全国的な統一の制服が決まっている。

 小学生の制服は臙脂(エンジ)色(赤色)のズボンまたはスカートに白シャツだ。制服から一目で小学生とわかる。


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  (写真)下校中の小学生(スマトラ島)


 同様に中学は紺色のズボン、スカートだ。高校生は青みがかった灰色のズボン、スカートだ。

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(写真)校門で談笑する中学生(スマトラ島)

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    (写真)道を歩く女子高校生(奥の二人)(ジャワ島)
なお、手前の子供も下校途中のイスラム学校中学生(?)
インドネシアでは、中高生でも(中にはどう見ても小学生も)バイク通学が多い

 平日の白シャツには、胸元などにそれぞれの学校の校章のような、いわばエンブレムがついている。それが、イスラム礼拝日の金曜日になると、白シャツの代わりに校章などが柄に取り込まれたバティックと呼ばれる青紋様や赤紋様のシャツに代わる。これも、それぞれの学校ごとに指定がある。

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  (写真)マングローブ植林に参加のバティック制服の小学生(ジャワ島)

 さらに土曜日も登校日だが、この日はボーイスカウトやガールスカウトのような団体活動の日で、茶色系統の上下で、警察官などと類似の制服となる。

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   (写真)土曜日の制服姿(スマトラ島)

 つまり、インドネシアの公立学校生は、3種類の制服を用意しなければならないことになる。これは金銭的にも結構な負担だ。もちろん、兄弟親戚のお下がりということも多いだろう。

 しかし、かなり山奥のカンプン(集落)の小中学校でも徹底されているから、大したものだ。小中学校は義務教育なので親も大変だろう。さすがに山のカンプンでは、制服が買えないのか、普段着で通学する小学生も多い。

 
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(写真)山の学校では、服装もまちまちだが、顔はみな明るい(ジャワ島)


 インドネシアでは、公立校のほかにもちろん私立校もあり、キリスト教系や仏教系の学校などもあり、日本の場合と似ている。最近は進学熱も増加して多様化している。

 このほか、宗教省が管轄するマドラサ(Madrasah)などと呼ばれるイスラム教の学校もある。イスラム教のコーラン習得などがカリキュラム化された授業で、寺子屋のような形で全国的に発達してきた経緯がある。

 教育文化省管轄の公立学校の補完の役目も果たし、距離的に公立小中学校に通うことのできない子どもたちの教育機関ともなっている。もちろん、近くに公立学校があってもこちらを選択する場合も多い。学校の制服は、緑系統や紺系統、黒色系統などの独特の制服がある場合や公立校と同様のものなどさまざまだ。

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    (写真)イスラム学校の制服(ジャワ島)


 インドネシアは、300以上の民族からなる多様な文化の国だ。それを統合するのには、日本の私たちには想像もできない大変な努力が必要となるだろう。最近はあまり聞かないが、かつて私のインドネシア在住の頃には「多様性の中の統一」というのがスハルト政権の国是のひとつとなっていた。

 国語であるインドネシア語は、もともとはムラユ語という貿易などに使用されていた言語で、現在のマレー語も同じ起源だ。独立に際して、多数民族の言語であるジャワ語やスンダ語ではなく、ムラユ語を採用したことは、多数民族支配による弊害から民族紛争も起きているアフリカ諸国の例などを見るにつけ、先見の明があったと感心する。

 民族語は日本の方言以上に変化があり、他民族語間では意思疎通は難しい。若者はテレビなどの影響でインドネシア語が当たり前になったとはいえ、同民族同士ではいまだに民族語で日常会話が行われている。学校では、ぞれぞれの地域の民族語の授業がカリキュラム化されている。これも、多様性の中の統一を象徴する事例のひとつだろう。

 学校の制服は、私が在住していた約15年前と変わらないが、変化といえば、かつてはイスラム教徒の子女でもスカートが多かったが、最近はジルバッブと呼ばれるベールにロングスカートという出で立ちが多くなった。さまざまな宗教も許容してきたこの国のイスラム教徒は、いまだに在来のアニミズム的な要素を取り込んだ生活をしている人々が多い。しかし最近は、厳格なイスラム教条主義の傾向が強まり、制服にも表れているようだ。

 とはいえ、学校の制服にも、緩い全国的な統一規範と、それぞれの地方、民族や宗教などによる独自性との両立がうまく機能しているように思える。


 ところで、私が子供の頃の日本では、公立の小学校には制服はなかった。制服があったのは私立学校で、一目で“お坊ちゃん” “お嬢ちゃん”とわかったものだ。それが、中学校や高校になると公立学校でも制服があるのが当たり前で、親も子どもの制服姿を見ることが成長の証のようだった。

 男子は詰襟、女子はセーラー服というのが一般的で、今はやりのブレザー服は、ちょっとオシャレな学校だけだった。戦後の民主主義時代、高度経済成長期にもかかわらず、制服だけは戦前・戦中と同様の軍服を模したものだったのが不思議だ。

 制服のメリット、デメリット、そして賛否にはいろいろあろうが、多様性と画一性という観点から、今後もこのブログで取り上げてみたい。意識して制服の写真を撮ってきたわけでもないので、今後さらに適切なものに更新していく予定だ。

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祭で休みは、文化か、悪弊か? -祭日と休日を考える [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 この週末は、日本ではお盆で帰省した人たちのUターンラッシュだ。研究のために滞在中のインドネシアでは、逆にこれから帰省ラッシュとなる。

 19日(日)までは断食月(ラマダン)。こちらの人々はほとんどがイスラム教徒だから、少数のキリスト教徒や仏教徒、あるいはヒンズー教徒などを除いて、夜明けから日没までの時間(正確には、宗教省が決定した時間)、食事はもちろん、一滴の水さえも飲むことはできない。中には戒律に厳格に、自分の唾液さえも飲み込まずに吐き出している人もいる。

 この間も一応は普段通りの日常生活であり、勤務のはずだが、明け方前の暗いうちに朝食を取って以降、食事も水分もとることができなければ、仕事の元気が湧くはずもない。先日訪問したジャカルタの林業省本省も勤務は午後3時までだった。

 そんなこともあり、この時期の研究調査はどうも効率が悪い。それならば、調査時期をずらせばよいと言われそうだ。実際は夏休み時期以外にも、冬や春にも訪問している。しかし、長期間の調査となると、夏休み時期にならざるを得ない。

 なにしろ、最近は大学の授業も休講したらその補講をしなければならないし、授業回数も厳格に守らなければならないので、授業期間中には長期出張もしにくい。そんなのは当然のことだが、昔は先生によってはずいぶん休講をしていたし、学生もそれを喜んだものだ。ずいぶんと時代は変わった。

 s-ジャカルタ渋滞DSC00106.jpgラマダン自体も、イスラム暦で実施されるので、毎年10日ほどずれていく。ここ数年は、たまたま夏休み時期と重なっているだけだ。今年はさらに、8月17日(金)が独立記念日の休日、19日(日)が断食明け(レバラン)で、その後も23日(木)まで政府指定の休日と、長期休日だ。おまけに24日の金曜日は、もともとイスラム教の礼拝日で仕事も実質午前中だけだが、今年はレバラン休暇の延長のようなもので、休みとなる職場も多いらしい。日本でいえば、17日(金)から26日(日)までの大型ゴールデンウィークのようなものだ。

 いや、単なる休日ではなく、祭日としては日本の正月のようなものか。よく、盆と正月が一緒に来ると表現されることもある。この前後は、都会に働きに出てきた人々も皆故郷に帰省する。昔の日本も、正月やお盆(旧暦)には藪入りと称して使用人も帰省した。

 日本では新暦になっても、しばらく前までは8月15日前後が唯一大手を振って休暇を取ることができる日だった。高度経済成長が終わるまでは、仕事を休むことは罪悪感さえをも伴うものだった。

 最近は、混雑の分散化などで、夏休み休暇もずいぶん幅広くなった。政府では、さらに秋に長期休日を設定し、それも東日本と西日本でずらす案なども検討中という。景気が失速した現在では、休日を増やして観光などを盛んにし、景気浮揚につなげようとしている。

 インドネシアのレバラン大祭は、ハリラヤともいわれ、日本の正月、欧米のクリスマスのように、休暇とともにその前後は経済的にも大消費の時期だ。ハリラヤには、それまでの断食の苦労を癒すがごとく盛大に宴会が催される。また、民族大移動(この言葉も、かつては日本でもお盆や正月に使われたが、今では死語と化しているようだ)に伴い、田舎に大量の土産を持ち帰る。地方に向かう道路は、大きな荷物を屋根にまで積み上げた車で大渋滞する。

 s-ボゴールリゾートDSC00123.jpg運転手や女中などの使用人が帰省して日常生活がお手上げの日本人など外国人や金持ちの家族は、バリ島などのリゾート地で過ごすことが多い。このところ出現してきたインドネシア中産階級家族も、リゾート地などで過ごす人が多くなってきた。

 ハリラヤの宴会、帰省の交通費と土産、あるいはリゾート地滞在など、この時期には何かと出費も多くなる。警官は交通取り締まりを強化して、違反者が違反切符を切られるのを勘弁してもらうために現金を渡す(まさにワイロだが)のを期待しているといわれている。

 私の居住地(日本です)では、かつては毎年7月15日が夏祭りだった。夜明け前から神輿(みこし)が繰り出すので、小中学校も朝の授業は休みとなった。大人も仕事を休んで祭りに参加した。それが「海の日」の7月20日の休日に開催されることになって、学校も授業をつぶす必要がなくなったし、大人もわざわざ仕事を休む必要がなくなった。現在では、その海の日も7月の第3月曜日となって、毎年日付が変わる。

 日本では、伝統的な祭りも、故事由来の日付よりは、商業面も含めて祭りへの参加者・見学者が多くなる休日に開催されることが多くなってきたようだ。「祭の日」が休日になるのではなく、「休日」に祭りが催されるようになってきて久しい。

 仕事を休んで祭りに参加することが後ろめたく感じられるようになってきたのは、高度経済成長の頃からか、あるいは昔からの日本人の性なのか。いや昔は祭りも盛大に行われ、多くの人が正々堂々と(?)仕事よりも祭りに参加していた。いつの頃からか、日本人は祭りに興味を失ってしまったのだろうか。s-浜降り祭0785.jpg

 昨年の大震災以降、人々は絆・連帯を求め、再び郷土の祭りが盛んになってきたと聞く。しかし、世界人口の約4分の一、15億人のイスラム教徒が世界中で同時に行うラマダンとそれに続くレバランに勝る連帯はないかもしれない。インドネシアでも一年中で最大のイベントの時期が、仕事の効率など気にすることもなく過ぎていく。

 (写真上) 渋滞で名高いジャカルタ市内の道路も、レバラン時期にはガラガラになる(ジャカルタ市内)
 (写真中) レバランの家族連れ滞在を待ち構えるリゾートホテル(ボゴール市郊外)
 (写真下) かつては学校も休みになった日本の祭り

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街の緑陰 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 暑い!! 暦の上では立秋とはいえ、毎年のことながら暑い。朝の散歩では、6時過ぎには太陽を避けて、日陰を探すようにして家まで帰ってくる。こんな時には、緑陰はありがたい。

 東京都心の新宿御苑では、周辺の新宿副都心などのビル街よりも平均2度ほど気温が低いという。樹木は太陽の日差しを避ける緑陰を作るほか、葉などからの蒸発散作用の際に気化熱を奪うから気温が低くなる。木陰をわたってくる風がさわやかなのは、このためだ。もちろん、フィトンチッドなどの効果もあるかもしれない。

 先日、所要で府中の某大学に行った際、途中の立派なケヤキの街路樹の哀れな姿に驚いた。日本では、台風などの影響で、枝葉が落ちる前に街路樹などの剪定をする習わしがある。どうやらこうして剪定されたらしく、太い枝も短く刈り込まれていた。せっかく緑陰をもたらしてくれるはずの街路樹が、これでは台無しだ。街路樹の下を日傘を差して歩く親子連れの姿が痛々しく思えた。s-府中ケヤキ街路Image083.jpg

 枝を刈り込まざるを得ない理由は、台風による落枝の危険防止だけではない。街路の隣接地(といっても、ここでは国有地のようだが)に落ち葉などが入り込むのを防ぐ目的もありそうだ。歩道の幅が狭いのが原因だ。

 その町の顔となり、人々に安らぎを与え、住みよいまちとする街路樹も、地域の人々にとっては迷惑となることもある。先のような落ち葉のほか、日陰をつくって洗濯物が乾かない、あるいは毛虫がわくなどの苦情が寄せられる。

 いわば、総論賛成、各論反対の世界だ。これは日本の街路樹に限ったことではない。あらゆる問題に存在する。海外でも、“NIMBY”(ニンビィ)として知られている。これは、“not in my backyard”の略で、町として必要な公共施設などでも、「自分の裏庭に来るのは反対」、との意味だ。各自治体でのごみ焼却・処分場や斎場、全国的には原発やその核廃棄物処理施設など、枚挙にいとまがない。

 かつて訪問したカナダのバンクーバーの街路樹は、剪定されることなく、誇らしげに枝を張り、緑のトンネルを街中に創造していた。ここでは落ち葉や日陰の問題は、どのように解決していたのだろうか。落ち葉による車のスリップやトロリーバスの架線に枝が接触するなど、きっと多くの課題もあるに違いない。s-バンクーバー街路樹0207.jpg

 日本でも、剪定をするよりも自由に枝を伸ばしたほうが、むしろ根付きもよくなり、台風での倒木被害も少ないとして、無剪定街路樹の方針の街も増えてきた。

 それにしても、降り積もった落ち葉の上を音を立てながら二人で歩く、そんなロマンチックな光景が似合う街を想像するのは、この暑さではまだ早いか?

 (写真上)剪定されたケヤキ並木(東京都府中市で)
 (写真下)緑のトンネル(カナダ・バンクーバーにて)

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ドリアンの変わった食べ方2題 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

しばしば研究調査でインドネシアに滞在する。
そこでドリアンの変わった食べ方を2つほど仕入れた。
15年ほど前には3年間滞在し、最近もほぼ毎年訪れているインドネシアだが、訪問するたびに新しい発見がある。

ドリアンは、「果物の王様」といわれる。
独特の美味さは食べた人でないとわからない(まあ、なんでもそうだろうけど)。
しかしその美味さも、当たり外れが大きい。

15年前に滞在した時にも、さっそくチャレンジしてみた。
しかしその味は、とても果物の王様からはほど遠いものだった。
時には味もなにもなく、時には渋いばかり。
「果物王様」のネーミングの意味が全く分からなかったほどだ。

それと、あの匂いには閉口する。
乗り物やホテルには持ち込み禁止になるほどの強烈な匂いだ。
地元のパサール(市場)に行けば、生ごみの腐敗臭にドリアンの強烈な匂いが混ざり、何とも言えない、初めての人にはとても耐えられない匂いが、あたり一面に漂っている。

その後何度かチャレンジして、やっとその美味しさに到達した。
それからは病み付きになり、インドネシア訪問のたびに買い求めている。
生クリーム系が好きな私からすれば、やはり一番的確な例えは、ネットリ、トロリとしたチーズケーキ、というところだ。

それほどのドリアンとの付き合いだが、調査で初めての食べ方(?)を2種体験した。s-ドリアンコーヒー00314.jpg

スマトラのランプンはドリアンの本場として名高いが、調査に行った際に教わったのは、コーヒーにドリアンの実を入れて、溶かして(ほぐして)飲むものだ。
確かにコーヒーがマイルドになる。しかし、私に言わせれば、ドリアンはドリアンとして食べたほうがよい。

もう一つの食べ方は、実は普通に食べるが、残った大型の種を茹でて、中の果肉を食べるものだ。
こちらは、何となくヌルッとしたサトイモの食感で、なかなかいけると思う。
これなら、ドリアンが2倍美味しく食べられるというものだ。

東南アジアを訪問してドリアンを食べる機会があったら、ぜひ試してみてはいかがだろう。
ただし、スーパーなどで売られている果肉(食べる部分)が多く、種がしなびたような改良ドリアン(?)ではこの食べ方はできない。
やはり、地元の道端で売られているような奴のほうがよい。

もっとも、まずはドリアンそのものを食べることにチャレンジして、その味と匂いを克服してからだけれどもね。
今年度は、新たにマングローブと地域社会との調査も始まる。当分の間インドネシアに出かけることができるので、また変わった食べ方を仕入れてこよう。

 (写真) コーヒードリアン (スマトラ島ランプン州メトロ市の食堂にて;ただし、メニューにはありませんよ)

 (本記事は、「人と自然 ぱあと2」にも掲載のものです。)


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アルバニアのんびりカフェ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 この1か月、アルバニア、インドネシアと続けざまに海外調査に出かけた。私自身はそれほど海外調査が多い方ではないが、この1か月は北から南へとよく動いたものだ。大学の期末試験採点などもあり、時間がなかったのと、インターネット事情があまり良くなかったこともあり、しばらくブログ更新からも遠ざかってしまった。・・・と、またまた言い訳ですね。

 アルバニア国旗.jpg7月中旬から末にかけて、アルバニアの国立公園管理の支援プロジェクト協議にJICAの調査団員として加わった。大学の授業を休講しての参加で期間が短かったため、残念ながら初めてのアルバニアではあったが、見聞はわずかしかできなかった。

 おまけに、アルバニアからの帰途には、ローマでの航空機の乗り継ぎが間に合わなくなって、ローマに1泊。大学での補講に、成田空港から直行するはめになってしまった。しかし、おかげでホテル代は航空会社持ちで、初めてのローマ市内見物もできたけれど。

 ところで、アルバニアの国名は聞いたことがあっても、その場所まではなかなか知っている人は少ないだろう。かく言う私も、JICAから要請があった時には、およその場所は思い浮かんでも、正確な位置まではわからず、あわてて世界地図を見たほどだ。そう、内戦の世界ニュースに登場して名前が知られているコソボやボスニアヘルツェゴビナの一角だ。南はギリシャと接し、西はアドリア海に面している。そして、北から東はモンテネグロ、コソボ、マケドニアといった、かつてのユーゴスラビアの国々と接している。

 1970年代から鎖国状態だったこともあり、他国からの攻撃に備えたコンクリート製のトーチカ(要塞)が牧場の中などにいまだに点在している。道路も舗装は大穴があいたままだ。それだからこそ、市場経済移行国(体制移行国)として国際援助の対象国にもなっている。

 しかし、少なくとも首都ティラナは、かつての戦乱で破壊された建物も復興されて、どこが援助対象国なのだろうかというくらい豊かな感じがする。

 s-cafe01336.jpgなんといっても、朝から路上のオープンカフェでおしゃべりをしている光景は、むしろ日本よりも豊かな生活を感じさせる。聞くところによると、朝7時頃には出勤して、昼食もせずに仕事をし、午後3時頃には退社。あとは、家で遅い昼食の後くつろいで、夕方から街中のカフェに出かけて暇つぶし。そんな人が多いそうだ。通勤ラッシュ時の車の渋滞もあるにはあるが、とにかくのんびりしているように見える。

 海外に出かけるたびに、便利で経済的・物質的に豊かな生活と、時間的にものんびりした生活と、いったいどちらが豊かで幸せな生活だろうかと考えてしまう。日本でも大震災とそれに伴う原発事故による節電などで、これまでの効率一本やりの生活を見直す機運が出てきた。ブータン国王が提唱した「国民総幸福量(Gross National Happiness;GNH)」を世界の皆が、本気で考えてもよいのではないだろうか。

 成田空港から直行で大学での講義をするようでは、まだまだゆったり生活、GHNには程遠い?

 (アルバニアの国立公園の話、インドネシアの調査の話は後日また)

 (写真上)アルバニア国旗
 (写真下)首都ティラナで朝からカフェでのんびりする人々(カメラを向けるのをためらって、あまり人影は写っていません)

 (関連ブログ記事)
 「音楽と騒音と -海外調査から帰国して文化の多様性を考える
 「モンゴルの風に吹かれて
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原発の安全神話と遺伝子組み換え生物の安全性 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

  このたびの東日本大震災とともに、原子力発電所の安全神話は一気に崩れ去った。フクシマの脅威は世界を駆け巡り、各国の原発政策にも大きな影響を与えている。何事にも過信は禁物だし、“絶対”というものも存在しないことを思い知らされた。
 
 実は、生物多様性条約(CBD)をめぐる議論でも、“安全性”に関して長い間対立が続いてきた。それは、「バイオテクノロジー(バイテク)」により改変された生物、すなわち「遺伝子組み換え生物(LMO)」に関する安全性“バイオセイフティ(biosafety)”だ。その背景には、遺伝資源をめぐる先進国と途上国の対立、いわゆる南北問題がある。

 s-大豆製品01133.jpgところで、なぜLMOの安全性に関して合意されるまで、こんなに時間がかかったのだろうか。現実に、遺伝子組み換え大豆などは日本にも輸入され、遺伝子組み換えのナタネの種が、日本各地で見つかっているという。生態系への影響はないのだろうか。これまでも品種改良は昔から行われてきた。しかし決定的に異なるのは、品種改良は自然の摂理に基づいていることだろう。確かに、レオポン(leopon)(雄ヒョウと雌ライオンの雑種)など、自然界では生じることのない種を人間は作り出した。しかしそれは、地理的環境などにより自然界では交雑することはほとんどないだけで、同じネコ科同士で生物学的には近縁だ。また一代雑種F1には子孫を残す能力はく、仮に自然界に放出されても生態系には影響はないようだ。もっともこれも、繁殖能力がないとも言い切れないようだから、話は複雑だが。

 一方、LMOはわけが違う。自然の摂理を離れた、いわば神の領域にまで人間が踏み込んだ結果だ。その影響は計り知れない。生態系だけでなく、人間の健康にも影響は及ぶだろうが、想定さえもつかない。しかし、国内でもこの議論の当初は、LMOは実験室や圃場など閉じられた空間で、個別の取扱要綱に基づき安全性には配慮して慎重に扱っているので、新たな法律などによる規制は必要ない、と関係当局が主張していたのを私は覚えている。その構造は、世界の南北対立の議論と同じだ。

 これって、原発の“絶対安全”の主張、「安全神話」とどこが違うのだろう。かつて、自然界に存在しない物質フロンを創造し、その利用価値から夢の物質とまで称讃されたにもかかわらず、それがオゾン層破壊の元凶となった経験を私たちは忘れてはならない。私たちの現代科学、人間の知恵とはその程度なのだ。

 このたびの原発事故では、いまだに自宅に帰ることもできない方々も多い。風評被害や節電の影響も、農業、工業を問わず、また日本のみならず世界的にも甚大な影響を及ぼしている。これを契機に、当事者の言う「安全性」をもう一度検証するとともに、安全を主張する側は皆が納得するだけの情報開示をしてもらいたいものだ。

 遺伝子組み換えでも同じことが言えるだろう。安全神話は、慎重になってもなり過ぎることはないだろう。その結果、物事の進み具合が遅くなっても、焦らずのんびり行こうではありませんか。この際だから。

 (このブログ記事は、「遺伝子組み換え生物と安全神話 名古屋・クアラルンプール補足議定書をめぐって -COP10の背景と課題(5)」の記事を再構成して、本カテゴリーに再掲したものです。生物多様性条約における遺伝子組み換えをめぐる議論の詳細(南北対立)については、上記の「COP10の背景と課題(5)」を参照ください。)

 (写真)日本の食卓に多い豆腐や納豆などダイズ製品には、「遺伝子組換えダイズは使用していません」の表示があるが・・・

 (関連ブログ記事)
 「遺伝子組み換え生物と安全神話 名古屋・クアラルンプール補足議定書をめぐって -COP10の背景と課題(5)
 「イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える
 「地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評
 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)
 「愛知ターゲット 保護地域でなぜ対立するのか -COP10の背景と課題(4)
 「アクセスの多い「名古屋COP10成果」ブログ記事」 
タグ:生物多様性
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イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 東日本大震災から1か月余が過ぎた。ここで改めて、亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 この間、被災地のみならず日本中で生活に大きな影響があった。歴史にも残るであろう大災害なのだから当然かもしれない。これまでの文明・価値観が問われることになるかもしれないとも思う。また、日本人の災害時でも冷静な態度や助け合いの態度は、世界からも称讃された。

 前回のブログ「地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評」でも、世の中を考えるよい機会だと思うと書いた。特に、震災に続いて起きた原子力発電所事故により、電気への依存、原子力への依存について問われることになった。電気需給の問題から、計画停電も実施され、また節電も各所で実施されている。自販機の節電が政治問題化しているが、疑いもなしの24時間の電力消費を前提とした便利な“文明社会”は、ここらでもう一度見直す必要があると思う。

 全国的な節電ムードと同時に、イベントの自粛ムードも高まっている。大学の卒業式の中止は、窓ひとつない市民会館を会場としているため、停電の際には混乱するというのが理由で、私も納得できた。しかし、現在各地で決定されているイベントの中止は、必ずしも節電のためや停電と余震による混乱だけが理由ではないのではないか。まだまだ大変な生活を余儀なくされている被災者の方々に対して、浮かれていては申し訳ないというのも理由のようだ。

 s-浜降り祭0785.jpgしかし、祭りやイベントの自粛によって、本当に被災地と連帯することになるのだろうか。確かに浮かれている場合ではない。イベントによる電力消費や地震の際の混乱を考えたらやむを得ないかもしれない。でもそれが、他所でも自粛しているのに自分たちだけ実施するわけにはいかない、という外部からの見えない強制力による受動的な自粛だったら、本当に被災地の復興を願うことにつながるのだろうか。

 なにやら、昭和天皇崩御の際の歌舞音曲の自粛ムードを思い出してしまうのは、私だけだろうか。オイルショック時のネオンサイン消灯や深夜テレビ放映中止などの節電も、その後のバブル期の華々しさの前ではすっかり忘れ去られてしまった。今回もそうならなければよいのだが。表面的な同調、ましてや他者と異なることへの恐怖感からの自粛の連鎖では、被災地との連帯にもならないのではないか。

 このところ、被災地でも様々なイベントをむしろ積極的に開催して、復興を元気づけようとの動きがあるという。自粛にしろ、開催による元気づけにしろ、周囲と異なることへの恐れからの画一化ではなく、それぞれが主体的に決定するという個性と多様性を尊重したいものだ。

 ついつい周囲を気にしてしまう私も、「生物多様性」をテーマのこのブログを書くことを通じて、自然の摂理から“画一化”と“多様性”について学び、さらに考えていきたい。今後も折に触れ、“何たって多様性”を取り上げていこう。日本が元気になるためにも。

 (写真) 自粛されるかもしれない夏祭り(茅ヶ崎・浜降り祭)

 (関連ブログ記事)
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地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 東北関東大震災(東日本大震災)では多くの方が被害にあわれ、お見舞い申し上げます。
 私のように直接的な被害はなかった人でも、震災地の被害状況、電車の運行や計画停電、さらには原発の状況など、様々な情報を求めてネットサーフィンならぬテレビサーフィンをした方が多いに違いない。政府の情報の流し方が遅いと、どうしてもテレビやラジオのリアルタイムの情報がほしくなる。NHKはもとより、民放各局も地震ニュースを一日中流し続けていた。

 そんな時、ふとインドネシア在住時(1995~1998年)に体験したテレビニュースを思い出した。スハルト政権当時は、民放テレビでもニュースの時間は同一番組を流していた。情報省がチェックしたニュース番組で、どの局でも同じ内容だ。おそらく、戦争中の日本の大本営発表ニュースもそんなようだったのだろう。つくづく、今の日本はニュース内容も多様で、まさにそれが自由社会の所以だろうと思う。

 一方で、個別企業のCM自粛により、民放各局では「公共広告機構(AC)」作成のCMが流れ続けた。私は世の中のことを考えるよい機会だと思う。今回の災害は、人類社会に対する天罰だといったどこかの知事もいたが、その発言は天罰を受ける筋合いのない被災者の方々にとって気の毒だ。為政者だけが受けるのならともかく。

 しかしこの際、原発からの放射線拡散や計画停電もあり、現代の生活のあり方を見直すことも必要だろうとも思う。一日も早い復興を願い、再び惨事が起きないようにすることを国民皆が考えることは必要だ。被災の直接的・間接的を問わず、あるいは有無を問わず、被災者の方々のことを思うこと、他者への思いやりは必要だと思う。その意味で、各局で流れ続ける他者への思いやりや他者とのつながりなどを含めた公共広告をしっかり受け止めてほしい。

 その公共広告の中に、「生物多様性」もあった。つながる生命から生物多様性を考えようというものだ。もともとCMは、直接的にあるいは他製品と比較して製品を宣伝するものと、企業イメージなどを訴えるものがある。その点からすると多くの公共広告、特に生物多様性は後者のイメージ型だ。

 流れ続ける生物多様性CMで、あるいは昨年の名古屋COP10を契機にして、「生物多様性」の言葉は多くの人が知るようになったと思う。しかし、その意味や私たちの生活との関わりは、CMからだけではわからない。これからも、本ブログや講演会、研修会を利用して、わかりやすく解説していきたい。

 毎日テレビから流れ続ける公共広告に対して、「しつこい」などの抗議が殺到しているという。これに対して、公共広告機構ではお詫び文を発表した。確かに今回流れ続ける公共広告だけみていると、前述のインドネシアの画一的なテレビニュースも思い起こされる。これが為政者などによる一方的な洗脳番組だったらと思うと、背筋が寒くなる気もする。しかし、抗議が殺到し、これに対して謝罪文を発表というのは、別の面から背筋が寒くなる。

 本ブログで何度も取り上げている「画一化」と「多様性」。何度取り上げても難しい課題だ。

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 「COP10閉幕と記事の流行 -私的新聞時評
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タグ:生物多様性
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タイガーマスク運動 -ランドセルと多様性 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 伊達直人を名乗って児童施設にランドセルなどを贈る事例が、昨年のクリスマス以来全国各地で続いている。マスコミでは、これを名づけて「タイガーマスク運動」と呼ぶらしい。この“社会現象”については、さまざまな解説がなされている。これについてコメントするつもりもないが、“なんでも多様性”の本ブログとしては、やはり取り上げないわけにはいかない?

 s-ランドセル00759.jpg贈り物となったランドセルは、小学校新入生の象徴で、多くの親や祖父母は我が子(我が孫)がランドセルを背負った姿を目を細めて見る(あるいは思い浮かべる)。それだけに、経済的理由などによりランドセルが用意できない子供や親たちは落胆するだろうし、それだからこそ善意の贈り物となったのだろう。

 ところで、このランドセルの起源は軍隊の背嚢(はいのう)らしい。兵隊が身の回りの小物などを入れて背負ったものだ。NHKドラマ「坂の上の雲」などにも登場するが、日清・日露戦争などの実写フォルムでも、背嚢を背負った兵隊の姿が映っている。なるほどと思う。軍人が背負うと小さく感じるし、実際小さくなくては戦闘行動に差し障る。しかし、ピカピカの1年生は、背中が隠れるくらいの大きなランドセルを背負う。これがまた愛らしく、親の喜びともなる。

 そういえば、私が通った東京の公立中学校では、男子の詰襟学生服、女子のセーラー服が“制服”となっていた。都立高校でも制服があり、男子は相変わらずの詰襟服だったが、女子はブレザー型だった。この中学時代の制服は、まさに軍服そのものだ。軍服といっても、男子学生のものは戦闘服とは違い、通常勤務あるいは儀典などの際に着用するものだ。女子のセーラー服は、その名のとおり海軍の水兵が着るもので、昔懐かしいアニメのポパイ the sailor manも着用していた。

 ランドセルといい、制服といい、周囲の皆が使用しているのに自分だけ異なるのは、日本人的には勇気が必要かもしれない。そこがタイガーマスク運動のアイテムとしてランドセルが選ばれた理由だろう。一方で、反抗期の象徴として、制服を拒否するまでのことはできなくとも、せめてズボンや上着の丈を変えたり、ルーズソックスなどの着こなしで、自己主張して抵抗しようとするのだろう。しかし結局は、その抵抗・反抗も、“流行”になったとたん色あせ、ちっとも少数派でもなく、何かの主張を表現するものでもなくなってしまう。

 ランドセルにも、制服にも、それぞれ長所もあれば短所もある。大学の新入生などにディベートの練習も兼ねて自分の考えを発表してもらおうとするが、周りを気にしてかなかなか応じてくれない。人から遊離しないよう、周りの空気を読む訓練は積んできているのかもしれないが、自分の考えを表現することはどうも苦手のようだ。制服から解放された大学生なのだから、個性を確立してほしい。“画一性”と“多様性”。いつまでも、ブログの話題は尽きない。

 (写真) 四半世紀前の我が家のランドセル

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