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幸運!! 京都 葵祭 [日記・雑感]

先週の京都での月曜日の用務が朝からなので、前日(15日)に京都泊にした。
京都駅に着いて観光パンフレットをもらうために案内所に行ったら、その日は「葵祭」だという。
知らなかった!

京都御所からの行列出発に間に合いそうなので、急いで地下鉄で向かった。

御所出発の境町御門前は、大変な人だかり。

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行列に向かって、一斉にカメラを向ける。

 

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とても写真を撮るどころではないので、行列の先のほうに移動しようとしても、歩道も身動きができない。


 そこで裏通りに向かったら、ここも多くの人が先を急いでいた。

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河原町通の手前で行列を見ることにした。
次々と、平安貴族の姿をした列が通り過ぎていく。

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沿道は、カメラの列。

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旅に偶然は多いが、こんな幸運は何度あってもいいものだ。



ご訪問ありがとうございます。

いつものことながら、 皆さんのブログへの訪問は、時間ができたときに数回分をまとめてになってしまいます。
特に6月初旬まではなかなかまとめての訪問も難しいかも。ご容赦ください。


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春の発見 保育授業から [日記・雑感]

春の明るさが一気に吹き飛んでしまった熊本初め九州の地震被災者の皆様にお見舞い申し上げます。(謹んで追記させていただきます)

さて、この時期、多くのブログでアップされる花や鳥などで、居ながらにして春を感じている。

時間がなくて、数日分の記事をまとめての訪問となり失礼しています。


私が担当している大学の授業の一つに、「保育内容(環境)」がある。
幼稚園教員養成のための選択必修科目で、文科省の幼稚園教育要領に示された5領域の一つが「環境」だ。

少しでも多くの人に、自然に感動し、季節の移り変わりにも気づいてもらいたい。
それには幼児の時からの自然体験も重要で、まずは幼稚園教諭を目指す自分たちに体験してもらうことが必要だ。

先週4月13日の授業では、大学キャンパスとその周辺で、春の訪れを感じさせるような自然の形、色、音、香り、手触りなど、学生たちに「春を発見」してもらった。

ブログ記事では残念ながら、ウグイスやシジュウカラ、キジなどの鳴き声、若葉を揺らす風の音、さらには花々の甘い香りやハナニラの臭いなどはお届けできない。

以下は、『春の発見』と題した先日の授業中とその前後数時間での「発見」された春の中から、ごく一部をご紹介。

まずは定番のサクラ。
ソメイヨシノはだいぶ葉桜となってしまったが、まだまだ花びらが残っている木もある。

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それに代わって八重桜が見ごろ。

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キャンパス隣接地の畑のアブラナ(菜の花)も春の代表。

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これも定番、タンポポと群がるミツバチ。

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かわいい坊主頭のような綿毛も、遠い旅立ちを誘う風を待っているようだ。

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ヨーロッパ原産のヒメオドリコソウも今ではすっかり路傍に定着、モンシロチョウも一休み。

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同じくヨーロッパ原産といわれるオオイヌノフグリ。
その名の由来(犬の陰嚢)とは似つかわない可憐な花だ。

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キャンパス内の雑木林、コナラにも新緑が。

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雑木林の足元にはタチツボスミレ。

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同じ新緑でも、クスノキの芽吹きは赤く紅葉のようだ。

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キャンパスから離れて、近くの川まで行くとカルガモの夫婦?
つがいも春の風景かな?

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川土手のカラスノエンドウ(ヤハズエンドウ)にも春の訪れを告げるベニシジミが。

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休耕地にはキジの姿も。これもつがいだった。

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そして、土筆(ツクシ)はもう終わったが、スギナがその名のとおり杉林を彷彿させる姿で群生していた。

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このほか、花壇などには、ここで紹介しきれないほど春の花などもいっぱい。

大学も新学期で賑やかになったが、野外も春の賑わいで溢れている。
皆さんのブログ記事もいいけれど、実際に春に触れてみることにしよう。


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碧い宝石 ヒスイカズラ [日記・雑感]

サラワクの国立公園は一休み。
今日はヒスイカズラの話題。

小田原フラワーガーデンでヒスイカズラが満開との情報で、昨日見に行ってみた。

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ヒスイカズラの前に、入口道路の満開の桜並木と花吹雪にまずは感激。

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駐車場のアスファルトも桜吹雪でピンク色。

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まずはトロピカルドーム(温室)へ。
熱帯の花といえばこれ。
ブーゲンビリアの大きな塊が、滝のように垂れ下がっていた。

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いよいよお目当てのヒスイカズラ。

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ヒスイカズラはマメ科のツル性植物で、フィリピンが原産とか。
日本のフジのような花房(花序)が50cm~1mくらいになる。
ここでは、レンガ(?)造りの休憩舎のような建造物の屋根部分から垂れ下がっている。

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その名のとおりヒスイ(翡翠)色で美しい。

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水鉢に落ちた花びらを浮かべてあったが、いかにもトロピカルな風情だ。

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ヒスイカズラを見ていたら、ボゴール植物園(インドネシア)のヒスイカズラを思い出した(↓ボゴール植物園にて)。
ヒスイカズラを知ったのはこの時が最初で、目にした時にはその美しさに感激した。

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JICA「インドネシア生物多様性プロジェクト」(インドネシア生物多様性保全プロジェクト1参照)のリーダーとして赴任した1995年当時、しばらくの間ボゴール植物園の中のゲストハウスに宿泊していた(執務室も植物園内だった)。

そのすぐ近く(正門にも近い)にヒスイカズラはあったが、日本のように花棚を作ることはなく、ツルが巻き付いた大木から垂れ下がっているだけだった。

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そこでは、ヒスイカズラとともにソーセージツリー(ソーセージの木)という何とも奇妙な形の実がぶら下がる植物も一緒だった。

その名のとおり、実の形はフランクフルトソーセージに似たノーゼンカズラ科のツル性植物だ。

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写真↓の左がヒスイカズラ(ちょっと見にくいかもしれない)、右がソーセージツリー。

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フラワーパークの温室内には、このほか、バナナ、スターフルーツ、マンゴー、パパイヤなど熱帯の果樹も多い。

ヒスイカズラのように赤い花序が垂れ下がるツンベルギア・マイソレンシスというインドなどに生育する花もあった。

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アリストロキア・グランディフロラというツル性の花も。
なんでも、不気味な植物NO.1とか。
確かに、色も形もあまり見かけない花だ。

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開花(満開)はたった一日だけで、花の中にある袋に入ったハエなどを出さないような仕掛けがある。

しかし、前回ブログ記事バコ国立公園(ボルネオ島サラワク)のウツボカズラのような食虫植物(虫を溶かして栄養分とする)ではなく、受粉しやすいようにハエの体に花粉をたくさん付けるためのもので、雄しべが成熟して花粉がハエの体に付着すると、ハエは無罪放免となるらしい。


熱帯の植物と日本の桜吹雪を堪能した後は、小田原城近くの老舗うなぎ屋で食事。

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懐かしいインドネシアの想い出とともに、新たな発見や想い出がいっぱいの充実した一日だった。


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インドネシアの生物多様性と開発援助 -『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版3

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テングザルと食虫植物の天国(2) ― 国立公園 人と自然(海外編11)バコ国立公園(マレーシア)


【著作紹介 好評販売中】 

生物多様性カバー (表).JPG高橋進著『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』(明石書店)

上記ブログ記事のインドネシア生物多様性プロジェクトやボゴール植物園、生物資源伝播と熱帯林破壊など、本ブログ記事に関連する内容も多数掲載。
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サラワク州クチンは猫の町!? [日記・雑感]

今月初めから、研究プロジェクトの国立公園管理に関する調査で、マレーシアのサラワク州に滞在している。

サラワク州の州都はクチンで、マレー語で猫の意味だ(インドネシア語でも同じ)。
そのため、街中には猫の像があちこちにある。

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親猫とその足元で戯れる子猫たち


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白い猫たち


「猫博物館」もあるくらいだ。

今回は行ってないが、25年前に訪れたときには、所狭しと猫の置物などが飾ってあって、まさに猫尽くしだった印象(記憶)がある。
猫好きの人にはお勧めかもしれない(現状を確認せずに、無責任かもしれないけど)。


猫の町という割には野良猫は少ないが、川沿いの遊歩道で偶然見かけた猫。
何の話をしているのかな?

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とても、テレビ(NHK-BS 世界ネコ歩き)の岩合光昭さんのようにはいきませんね。


ボルネオ島は、日本の国土面積の約2倍、世界で3番目に大きな島だ。
この島の南半分は、インドネシア領で、インドネシアではこの島をカリマンタン島と呼ぶ。
北側には、マレーシア領とブルネイ王国がある。

マレーシア領は、ブルネイを挟んで、東側がサバ州、西側が滞在中のサラワク州になっている。
サラワク州は、マレーシアの一州とはいっても強い自治権を持っていて、クアラルンプールから国内線乗り継ぎなのに、空港にはイミグレーション(入管)があって、入国スタンプ(?)を押されるくらいだ。

サラワク州は、他のマレーシア地域(半島地域やサバ州)と違って、マレー人や中国人だけではなく、先住民族のイバン族の人口が多いことでも知られる。

また、19世紀後半から20世紀初頭までの100年間、イギリス人のブルック家が王様として支配したサラワク王国が存続したという特異な歴史を持っている。

猫博物館の代わりでもないけど、今回訪れたのはサラワク博物館。
1891年開館という旧館の1階には動物の標本など、2階には先住民族イバン族などの民俗資料が展示されている。
内部は撮影禁止なので、外観だけ。

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美術館もある。

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自然史博物館もあるが、閉館中だった。

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サラワク川沿いには、猫を見かけた(↑写真)遊歩道もある。

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向かい岸には、サラワク王国を偲ばせる王宮や要塞も。ラン園などもあるらしい。

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中央郵便局は、コロニアル風というか、コリント様式の柱が並ぶ素敵な建物だ。

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中華系住民が多いだけあって、極彩色の中国寺もあちこちに。

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そこで食事も中華系が多くなり、これは骨肉茶(バクテー)。
私がよく行くインドネシアと違って、豚肉をふんだんに使った中華風マレーシアの薬膳料理だ。
スープだけでも何杯でもご飯を食べることができそうなくらい、美味しい。

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それに、豚ばら肉の鉄板焼?

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さらに、豚まんのでかいこと!

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ネット環境があまり良くなく、アップにえらく時間がかかるので、とりあえずクチンはこの辺で。

皆さんへの訪問、いただいたniceへの返答など、しばらくできないかもしれませんが、ご容赦を。

そのうちに、国立公園報告もいたしますネ。

【本ブログ内関連記事リンク】

インドネシア通信事情 -ブログ未更新言い訳 

繋がる時空、隔絶した時空 -携帯電話・インターネット考

 

 


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四万温泉と川原湯温泉 ― 千と千尋、真田丸でも脚光? 歴史ある鄙びた温泉 [日記・雑感]

冬はホッコリと温泉へ。

と言っても、今回は昨年11月下旬の四万温泉と川原湯温泉(ともに、群馬県)。

四万温泉(しまおんせん)は、四万川沿いに5地区に分かれて温泉街が点在する。

温泉の起源には諸説があるようだが、その一つは、源頼光の家臣、日向守碓氷貞光がこの地を訪れた際に、四万の病悩を治す霊泉を授けるとの神託により発見したとされている。
この四万の病を治すというのが、四万温泉の名の由来となっている。

貞光は、自分の守本尊の薬師如来を安置した堂を建立したという。
その地は、現在の四万温泉の最奥で、貞光にちなんで日向見地区と称されている。

この地に現存する「薬師堂」(国指定重要文化財、明治時代の指定当時は国宝)は、徳川家康の開幕前、時の領主、真田信幸の武運長久のために建立されたという。
ちなみに、信幸は、NHK大河ドラマ「真田丸」などでも有名な真田幸村(信繁)の実兄だ。


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薬師堂本堂

本堂の手前には、信者や湯治客が泊まり込んでお参りをした「お籠堂」(町指定重要文化財)がある。

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両脇が籠るための部屋で、間のアーケード部の先に本堂が

薬師堂の向かいには、かつての旅館跡地を中之条町が買い取って、源泉故事にちなんだ「御夢想の湯」という共同浴場(無料)を建設している。

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入口から下に降りて浴場に入ると、内部もきれいで、四万川の渓流も望める。

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四万温泉は、国民保養温泉地の第1号指定地でもある。

国民保養温泉地は耳慣れない人も多いと思うが、「温泉法」に基づいて指定されたもので、1954年に酸ヶ湯(青森県)と日光湯元(栃木県)とともに、四万温泉が第1号として指定された。

温泉法は、温泉の保全や利用の促進などのための法律で、温泉成分表示なども規定している。
所管は環境省だ。温泉が環境省というと意外に思われるかもしれないが、もともと厚生省が所管していたものを、環境庁設立(1971年)の際に、国立公園行政(自然公園法)などとともに移管したものだ。

したがって、国民保養温泉地に指定されているということは、単に泉質が良好で温泉効果があるだけではなく、健全な温泉地としての周囲の自然環境なども含めて、認定されているということになる。

その四万温泉を代表する旅館の一つが積善館で、元禄年間に建てられたという本館は、日本最古の木造湯宿建築として群馬県指定文化財にも登録されている。

湯宿が登場するアニメとして有名な「千と千尋の神隠し」のモデル、あるいは酷似していると言われる建物は海外(台湾)も含め各地に多いが、この積善館もその一つだ。


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そのため、宿泊客以外にも多くの人が訪れている(私もその一人だが(*^.^*)

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四万温泉の後背地には、四万川ダムにより造られた「奥四万湖」がある。
温泉成分の混入による懸濁微粒子によって青色光が散乱、反射して、湖面が深い青色や緑色に見える美しい湖だ。

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「八ッ場ダム」(やんばダム)の工事現場にも出かけてみた。
半世紀もの間、地元は政治に翻弄され、最近になって本格的な工事が開始されたものとして、ご存知の方も多いだろう。

道の駅八ッ場ふるさと館の下側にダム本体が建設される。
周囲には、既にダム工事に伴う付け替え道路なども整備されている。

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このダムの湖底に沈むのが、「川原湯温泉」だ。
川原湯温泉も、源頼朝が発見したという伝説を有する由緒ある温泉だ。
奇祭と言われる湯かけ祭りなどでも知られている。
現在では、旧温泉街への道は閉鎖され、新たな湖面より高い位置に新温泉街を造成している。

由緒ある川原湯温泉に入浴しないうちに閉鎖となってしまったが、最後まで残った(2014年閉鎖)共同浴場「王湯」の外観を見ることができた。
故事にちなんで、源氏の家紋の笹竜胆が入口壁面に掲げられていた。


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王湯の向かいには、川原湯神社の鳥居が。

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足元には供養塔なども。

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これらは皆、ダムの完成とともに湖底に沈んでしまうと思うと、やはり感傷に駆られる。

そんな感傷や人々の思い出などには無頓着かのように、ダム工事は着々と進んでいる。


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ダムに伴う橋梁工事現場


【本ブログ内関連記事リンク】

開祖弘法大師と源氏の盛衰 修善寺温泉から三嶋大社 - 天城越えの旅(2)



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申年につき猿の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]

新年あけましておめでとうございます

昨年中はブログご訪問ありがとうございました
本年もよろしくお願いします

今年は申年

ここ数年、元旦には干支の動物写真を掲載しているので、止められなくなりました(笑)
今年も頑張ってやります!!

昨年のヒツジに比べれば、サルはこれまで世界各地で撮りためた写真は比較的多い。
デジタルデータになっているものの中から、いくつかご披露。

まずは、私たちヒトに近い類人猿の中から、森の人オランウータン。(人間になったオランウータン
インドネシアのスマトラ島東北部のグヌン・ルーサー国立公園での遭遇(2013年撮影)。
オランウータンとの遭遇 エコツーリズム、リハビリ、ノアの方舟 -国立公園 人と自然(番外編8)グヌン・ルーサー国立公園(インドネシア)

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オランウータンは、ここスマトラ島のほか、カリマンタン島(ボルネオ島)のみに生息する絶滅危惧種だ。
カリマンタン島には、ユニークな顔のテングザルも生息していて、写真も撮ったことがあるが、昔のことでデジタル化してなく劣化もしているので、掲載できない。残念!

グヌン・ルーサー国立公園では、テナガザル(ギボン)も。

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ギボンといえば、JICA生物多様性保全プロジェクトの初代リーダーとして赴任していた頃の思い出が蘇る。(インドネシア生物多様性保全プロジェクト1

ジャワ島のグヌン・ハリムン国立公園チカニキのリサーチステーションに数日滞在することが何度もあった。(熱帯林の空中散歩 -熱帯林の調査研究

朝起床すると、まだ朝もやの立ち込める森のあちこちから、ギボンの声が波のように近づいたり遠ざかったりして木霊してくる。
そのうち、目の前の熱帯林の大木の枝が揺れだす。そして、木から木へ飛び移っていくギボンの姿を垣間見る。

朝食前にインドネシア式のコーヒー豆粉とたっぷりの砂糖が入ったコーヒーの上澄みを啜りながら、こんな光景をリサーチステーションのテラスから長い時間見続けていたことがある。(コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える

そんな時に限ってカメラは手元にない。
今度こそギボンの姿を、と思ってまだ35㎜フィルム時代の重いカメラに望遠レンズを付けて待っていると、今度は声は聞こえど、枝が揺れることもない。

まるでこちらを見張っていて、からかっているかのようだった。
だから、ついにグヌン・ハリムンではギボンの写真を撮ることはできなかった。

意外と初めて訪問した人の方が、運よく写真に収めることができたりする。

ここにアップしたサルの写真も、初訪問の幸運(ビギナーズラック?)のおかげかも・・・

とはいっても、ホエザルのアップ写真は撮ることができなかった。

コスタリカのサラピキ川で、ボートでのエコツアー中に遭遇したホエザルの大群(2002年撮影)。
その名のとおり大声を発するかと思いきや、意外と静かに枝を移動するので気付かなかった。

気が付くと、頭上の枝のあちこちに黒い影が。(分かりにくいので、よくご覧くださいネ)

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再びグヌン・ルーサー国立公園に戻り、モヒカン模様の頭のかわいらしいトーマスリーフモンキーも。

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かわいいと言えば、南アフリカのイシマンガリソ湿地公園(世界遺産)近くのベルベットモンキーも(2003年撮影)。

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ブータンでは、ラングール(ハヌマンラングール)と呼ばれるかわいらしいサルが、タクツァン僧院に行く途中の山道で出迎えてくれた。(ブータンで出会った動物たち ブータン報告4

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またインドネシアに戻って、スマトラ島のトバ湖近くでは、道路にブタオザル(上)やカニクイザル(下)が出てくる。
別にここのサルたちは、全員が立ち上がって二足歩行をしているわけでもないけれど・・・

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ブタオザルやカニクイザルなど、私たちに馴染みのニホンザルと近縁のマカク属のサルたちはアジアに広く分布している。

インドネシアのロンボック島では、道路沿い(上)だけではなく、リンジャニ山の山頂付近(下)では登山者の出したゴミを漁るまでにも。(聖なる山、トレッキングの山 -国立公園 人と自然(番外編6)リンジャニ山国立公園(インドネシア)
餌付け禁止だけではなく、登山者のマナー教育も必要のようだが・・・

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中国の峨眉山(世界遺産)では、サルは聖なるシンボルになっている。

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観光客から餌をもらうことを覚えてしまった、道路に集まるサルたち。

日光国立公園のいろは坂や中禅寺湖畔などでは、観光客から餌付けされたサルが、観光客や土産物店を襲う被害まで出た。
市では「日光市サル餌付け禁止条例」まで制定(2000年)せざるを得ない状況になった。

その日光東照宮には、有名な三猿の彫刻がある。(温泉と避暑リゾート、世界遺産 -国立公園 人と自然(20)日光国立公園

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三猿のような時を過ごして、気が付いたら取り返しのつかない事態となってしまう。
そんなことのないような今年にしたいものだ。


今年も皆様にとって良いお年となりますように


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人間になったオランウータン

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祝 富士山世界文化遺産登録 -世界遺産をおさらいする

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【著作紹介 好評販売中】

 生物多様性と私たちの生活、コロンブスから遺伝子組換えの時代までの生物資源をめぐる南北対立、そして保護地域と地域社会の相克なども紹介。本ブログ記事も多数掲載。豊富な写真は、すべて筆者の撮影。おかげさまで第2刷。

高橋進著 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』 明石書店
生物多様性カバー (表).JPG
 
目次、概要などは、下記↓のブログ記事、あるいはアマゾン、紀伊国屋、丸善その他書店のWEBなどの本書案内をご参照ください。

  『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版1

  『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版2 ―第Ⅱ部 国立公園・自然保護地域をめぐる国際関係
 
  インドネシアの生物多様性と開発援助 ―『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版3

  対立を超えて ―『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版4




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丹沢仏果山 キノコの賑わい [日記・雑感]

初秋の一日、丹沢の宮ヶ瀬ダム近くの「仏果山」と「高取山」を散策した。

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写真は仏果山

湘南海岸のわが家からは、箱根などの東西方面は車の渋滞が激しいので、休日ドライブは南北方向の丹沢方面に出かけることが多い。

仏果山もその一つで、宮ヶ瀬湖畔の大棚沢広場の駐車場から少し歩き、ハギの花が満開の登山口を登り始める。しばらくは、スギなどの人工林。

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そのうちに、クヌギ、コナラなどの広葉樹林(雑木林)と移り変わり、やがてモミやイヌブナも姿を現す。

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やや急な登りを終えると「宮ヶ瀬越」(663m)。


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ここで、仏果山と高取山に分岐する。

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初めに仏果山を目指した。

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その後、宮ヶ瀬越まで引き返して、今度は高取山へ。

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それぞれの頂上には鉄製の展望台。


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↑の写真は高取山展望台

360度の展望で、宮ヶ瀬湖と丹沢の山稜、秦野盆地から湘南海岸方面まで、展望が素晴らしい。

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宮ヶ瀬湖方面


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秦野盆地方面

花も咲いていたが、
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やはり秋はキノコの季節。
テングタケ類、ヒラタケ類、シメジ類・・・・
名前もわからないし、もちろん食用かどうかも・・・・

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花もいいけど、キノコもいいネ!
まるで、おとぎの国に迷い込んだよう。


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丹沢山麓の新緑に魅せられて

丹沢日向薬師と日向山の紅葉


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開祖弘法大師と源氏の盛衰 修善寺温泉から三嶋大社 - 天城越えの旅(2) [日記・雑感]

だいぶ間が空いてしまったが、天城越えの旅の続き。

河津七滝などを巡って(「河津七滝 天城の滝巡り - 天城越えの旅(1)」参照)、その日のお宿は修善寺温泉。

その名の由来の「修善寺」の近くの宿に泊まったところ、お寺で万灯会が催されるとのこと。
早速、浴衣に下駄の姿で出かけた。

仏教行事としての正式な万灯会は、8月20日だそうだが、観光用にそれ以外の日にもロウソクを灯すそうで、こちらはキャンドルナイトというハイカラな名前がついている。

無数のガラス筒の中のロウソクは、それだけで幻想的な気分にさせてくれる。

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そしてその先の本堂の何と神々しいことことか。

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地元小学生が描いた絵付きのキャンドルケースには、昆虫や乗り物などの楽しい絵が一杯。

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朝の本堂は、こんな感じ。

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そもそも修善寺温泉は、平安時代に密教を開いた弘法大師 空海が、河原で病気の父親の体を洗う少年のために湯を湧出させたのが始まりという。

その開湯を伝える「独鈷(どっこ)の湯」は、河原の中に今でも湧き出ていて、伊豆で最古の源泉という。

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ちなみに、独鈷はインド神話の武器を模した仏具の一つで、三鈷杵などとともに密教の儀式に用いられてきた。

高松に勤務した際に巡った四国八十八カ所と高野山の朱印を表装したわが家の掛け軸。
その中心には、三鈷杵を握った空海の姿が描かれている。

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弘法大師空海によって開かれた修善寺にちなみ、温泉街周辺山中には桂谷八十八カ所巡りのコースも開設されている。写真は、三十九番の薬師如来の石碑。

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桂谷八十八カ所のコースにもなっている鹿山の山頂には、大正時代に老舗旅館の主が依頼した彫刻家による獅子にまたがった源義経像がある。

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その麓には、伊豆最古の木造建築ともいわれる北条政子が建立した「指月殿」がある。

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その本尊は、これまた伊豆最古の木造仏の薬師如来坐像だ。

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北条政子は、この指月殿を鎌倉幕府第二代将軍の源頼家の菩提所として建立した。
政子の息子でもある頼家は、母方の北条家と折り合いが悪くなり、修善寺に幽閉され、入浴中に祖父の北条時政により暗殺されたという。

政争のために血を分けた息子までも巻き添えにせざるを得なかった母のせめてもの償いだろうか。
その頼家の墓(供養碑)と、暗殺後に謀反を企てたとされる頼家家臣の十三士の墓が指月殿の周囲にある。

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修善寺に隣接して「日枝神社」がある。

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ここには、源範頼が幽閉されていた信功院跡もある。
源義経ほど有名ではないが、源頼朝の異母弟(ということは、義経の異母兄)で、義経とともに平氏討伐に活躍したそうだ。
しかし、頼朝に謀反の疑いをかけられ、この地に幽閉されて誅殺された。墓は修善寺温泉地内にある。

日枝神社には、このほか、いくつかの巨木もある。
全国巨樹・巨木林の会の会長でもある私としては、やはりこちらも気になる。

境内にはスギの巨木も多いが、社殿左には、根元から二本に分かれた樹齢800年といわれるスギがあり、「子宝の杉」と称されている。
この二股のスギの間を通ると子宝に恵まれるとかで、通りやすいように鉄橋(梯子)が渡してある。

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また、社殿裏には県の天然記念物に指定されている「日枝神社のイチイカシ」の大木も。

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修善寺を後に、達磨山高原レストハウスへ。
ここは、昭和初期にニューヨーク万博に出品する富士山の写真撮影地を求めて日本各地を巡った結果、日本一の富士山撮影地として到達した場所だという。

残念ながら富士山は雲に覆われて姿を見ることはできなかったが、駿河湾の眺めは素晴らしかった。

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沼津市に下って「沼津御用邸記念公園」では、大正天皇(当時は皇太子)の静養のために創られた御用邸を見学。

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さらに、富士山からの地下水が湧き出る柿田川湧水群に立ち寄り。

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三島市では三嶋大社へ。
ここも、源頼朝が伊豆に流されていた時に、源氏の再興を祈願した神社で、願いがかなって旗挙げも果たして鎌倉幕府の崇敬を集めた伊豆国の一宮だ。

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境内の樹齢1200年を超えるといわれる国指定天然記念物「三嶋大社の金木犀(キンモクセイ)」は、満開時には数キロ先までその芳香が届くともいう。
残念ながら、夏の盛りでまだ花は付けていなかった。

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今回の修善寺とそこからの帰路では、素晴らしい自然の風景を満喫するとともに、鎌倉幕府などの歴史を深く再確認し、また多くの新たな歴史上の出来事などを認識した旅だった。

これだから旅は面白い。
またどこかに出かけたくなった。


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海岸の平和光景と戦争の記憶 [日記・雑感]

この9月の連休は、シルバーウィークと呼ばれているらしい。
祝日法で祝日に挟まれた平日も休日になることで実現した6年ぶりの連休だという。

先週まで各地で災害をもたらした長雨も終わり、待ちかねたように行楽地はどこも人出で一杯だ。
海の家も撤去されて寂しくなった湘南海岸にも、バーベキューを楽しむ人たちが繰り出した。


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遠くには江の島、さらにその背後には三浦半島と房総半島が

茅ヶ崎(神奈川県茅ケ崎市)出身の桑田佳祐のおかげで、サザンオールスターズの歌の中には湘南海岸の地名などがたくさん登場する。

逆に、茅ヶ崎海岸は彼らの名前を冠して、今では「サザンビーチ」と称されている。


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茅ヶ崎の頭文字Cのモニュメント

サザンの歌詞にしばしば登場する「烏帽子岩」。
実は、その形は戦後に大きく変わってしまった。


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海の中の岩が烏帽子岩
ひとつ上↑の写真では分からないけれど、C文字の中心に烏帽子岩が見える


現在「県立辻堂海浜公園」(神奈川県藤沢市、茅ヶ崎市)となっている一帯は、もともと旧日本海軍の演習場だったが、第二次世界大戦後は連合国に接収されて在日米軍の演習場となった。

朝鮮戦争の勃発を契機に、日米安保条約に基づいて海上演習が開始され、烏帽子岩は演習場からの射撃目標とされた。このための被弾によって岩は削られ、だいぶ痩せ細った形になったそうだ。

この演習場が返還されたのは、東京オリンピック開催の5年前、昭和34年(1959年)で、ついこの間のことだ(少なくとも私の感覚では)。

そもそも、茅ヶ崎海岸は、大戦末期に連合国(米国)による本土上陸作戦(コロネット作戦)の主要上陸地点のひとつとして選定されていた。

敗戦がもう少し遅ければ、サザンビーチとして賑わうこの海岸も、欧州戦線のノルマンディー上陸作戦(地上最大の作戦)と同じような戦闘の場となったことだろう。

茅ヶ崎海岸上陸は実現しなかった(よかった!)が、連合国軍最高司令官マッカーサーが上陸した(日本に最初に降り立った)のは、海岸から北に位置する厚木飛行場だった。
彼の東京までの経路は、まさに幻の上陸作戦コロネット作戦を地で行くようなものだった。

それ以来、現在でも厚木基地として米軍の使用が続き、夜間飛行訓練による騒音などの問題も引き起こされている。

共同使用する海上自衛隊の夜間早朝の飛行訓練は、2015年7月の東京高裁で飛行差し止めの判決が出たが、米軍機については「日本国の支配が及ばない」として飛行差し止め請求は退けられた。

まだまだ戦後をひきずっている気がする。

それだけではない。海岸とは反対側に秀麗な姿で佇んでいる富士山も、東京大空襲に一役買っていたのだ。


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今の時期は水蒸気が多くて富士山が見えないので、冬の写真で失礼!

グアム島やサイパン島などを飛び立った米軍機B29爆撃機は、太平洋からまずは富士山を目標に北上して日本に迫り、そこから東にルートを変えて東京を空襲したという。

海岸での平和なバーベキューの光景を眺めながら、ついつい戦争の記憶(と言っても私自身のではないが)を思ってしまうのも、安保関連法が可決制定されたばかりだからかもしれない。

いつまでも、この平和な光景が続くよう願わずにはいられない。
海岸でバーベキューを楽しむ人々のほとんどは、こんな戦争とサザンビーチとの関連を知らないだろうけれど・・・



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河津七滝 天城の滝巡り - 天城越えの旅(1) [日記・雑感]

8月末に伊豆天城方面に出かけた。

湘南の自宅からは、国道135号で伊豆半島の海岸線を南下して、河津町から天城山中に向かった。

河津七滝(「かわづななだる」と読みます)に立ち寄り。
伊豆では、滝を“だる”というらしい。

第1番目の「大滝」は、現在は立ち入り禁止で残念ながら見ることができなかった。

そこで、まずは「出合滝」。
二つの流れの合流するところ。
流れの白色と滝つぼの緑色が美しい。

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しばらく歩いて、「カニ滝」。
ここから雨が降り出してしまった。

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次の「初景滝」には、伊豆の踊子の像が。

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初景滝から少し上りの道になるが、木道や吊り橋が整備されているので心配ない。

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歩道の脇には「蛇滝」が。

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蛇滝を上部からみると、柱状節理がよく見える。
北アイルランドの世界遺産ジャイアント・コーズウェイのミニサイズだ。

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この地域一帯では、このような柱状節理をあちこちで見ることができる。
伊豆半島全体が、多様な火山や地形の標本のようなところで、日本ジオパークに登録されている。
地元では、さらに世界ジオパークへの登録を目指して、解説板などにも力が入っている。

今度は「エビ滝」。滝の形がエビの尾ひれに似ているからという。
吊り橋から覗くことができる。

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その先には、勇壮な「釜滝」がある。
木道が観瀑台になっている。

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釜滝の周辺も、柱状節理など火山溶岩の流れがよく見える地形・岩石の標本だ。

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そこから天にまで届くような(大げさかな?)木造階段を上ると、「猿田淵」まで行くことができる。
(写真は、階段の上から下方向を見たところ)

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河津七滝を後にして、天城越えの「天城山隧道」へ。

明治37年に完成したという長さ約450mの石造りのトンネルは、重要文化財にも指定されている。
電球はついているものの、水が滴り落ちて暗いトンネルを抜けるのは何となく心細くなる。
そんな思いを抱いて多くの旅人が通過したことだろう。

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そのだいぶ手前の道路脇には、川端康成の「伊豆の踊子文学碑」がある。

なんでも、伊豆の踊子の映画ヒロインは、山口百恵まで6人という。
ちなみに、初演は田中絹代、そして美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、そして山口百恵という。
相手の大学生役は、皆さんご自分で調べてください。

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そして、氷室もあった。
冷蔵庫のない時代、ここ標高640mの天城山中で天然氷を製造し、小屋の中で保存したという。

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道の駅「天城越え」に立ち寄って、伊豆名物のワサビアイスクリームを。
ワサビをクリームに練りこんだのもあるけれど、私はおろし立てのワサビがトッピングされたタイプが好きだ。

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天城山中のワサビ田。

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道の駅に隣接した昭和の森の奥には、「太郎杉」があるが、今回はパス。
写真は、伊豆市で開催された「第26回巨木フォーラム」(2013年11月)エクスカーションで立ち寄った時のもの。

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石川さゆりの天城越えの歌詞にも登場する「浄蓮の滝」も今回はパス。
この写真も、同じく巨木フォーラムの際のもの。

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ついでに、名前は忘れたが、やはり柱状節理の岩盤を滑り落ちる滝。(← 旭滝)

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今回の記事作成でブログを見直したら、伊豆の巨木フォーラムはアップしていなかった。
2013年は、全国巨樹・巨木林の会が設立されて20周年の記念の年のフォーラムだった。
記念フォーラムということで、気負ってしまって、結局書き切れなかったのかもしれない。

今回の旅は、この後、修善寺温泉から沼津へと続く。

忘れないうちに続きのブログ記事をアップしよう。

そのあとに、遅ればせながら巨木フォーラム伊豆もアップしないとね。


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アラン諸島の旅

 

 

 


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カエルの行水? [日記・雑感]

立秋を過ぎたとはいえ、相変わらずの猛暑が続いている。

ほとんどエアコンを使用しない我が家だが、今夏はさすがに夜でもエアコンのお世話になることが多い。

その冷房で生じた水(除去された空気中の水分)を垂れ流してはもったいないので、プラスチックパックに溜めて植木などにやっている。

先日の猛暑の夜、そのパックを見ると、ちゃっかりとカエル(ヒキガエル)が鎮座していた。

我が家の庭に居ついている一匹だ。

カエルもあまりの暑さに耐えきれなくなって、行水でもしたくなったのだろうか?

もっとも、カエルはもともと幼児は水生だし、皮膚呼吸で水分も必要だから、水を求めるのも当たり前かもしれない。

ところで、『茹でガエルの法則』というのもあるけれど、世の中ジワジワと変化しているのに気が付かないと、大変なことになるかもネ。

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あべのハルカスと月の法善寺横丁 [日記・雑感]

東京のスカイツリーにもまだ上ったことはないが、大阪のあべのノハルカスに上る機会があった。地上300mの日本一の超高層ビルだ。

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エレベーターで60階まで一気に上れば、ガラス張りの展望台のハルカス300から360度の展望が開ける。

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明石海峡大橋も見ることができた。残念ながら、展望マップに記載されていた京都タワーまでは見えなかったけれど。

足元もガラス張りの部分があり、ちょっとスリリング!!


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58階は、60階まで吹き抜けのウッドデッキ屋外広場で気持ち良い。

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トイレからの展望も抜群?
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あべのハルカスから、近く(足元)の天王寺公園に立ち寄った(↓の緑地)。

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公園内の茶臼山は、標高26mの古墳で、大坂夏の陣では真田幸村が布陣したとか。

茶臼山麓の池には、ウサギとカメが? いや、鵜と鷺と亀です!

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道頓堀にも久しぶりに行ってみた。団体の中国人観光客でごった返していて、まさに円安景気のインバウンド(訪日外国人)を実感した。

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子どもの頃に聴いた歌謡曲 藤島桓夫の「月の法善寺横丁」を思い出して、法善寺横丁にも立ち寄った。

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50年以上前の歌だが、不思議と歌詞までしっかりと覚えている。まさに昭和の時代を彷彿とさせる。若い人には、何のことかわからないだろうけど。

さすがに外国人観光客や若者には知られていないらしく、表通りの喧騒に比べれば法善寺界隈はひっそりとしている。
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多くの人が絶え間なく願をかけて水を浴びせるために苔むした不動明王にも風情がある。
これぞ、水かけ不動!!

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今回は期せずして、古き昭和の風情と最新の超高層ビルを訪ねた旅となった。

 



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行った と・こ・ろ [日記・雑感]

 3月もあと数日で終わり。新年度となり、あわただしくなる。
 
 この5年間ほどは、毎年2月、3月の春休み期間には、科学研究費などの調査で海外、特にインドネシアに出かけていた。
 しかし今年は、科研費の最終年でもあり、この時期の海外調査はしなかった。

 その代わりというわけでもないが、2月と3月に国内の仕事などで出かけた主なところをまとめて一挙大公開?
 時期外れの内容でスミマセン。

 JICA北海道国際センターでの研修(2月8日実施)講師として札幌に出向いた。例年講師をしている途上国の国立公園管理官などに対しての「協働型管理に向けての保護地域ガバナンス」についての講演だ。

 いままでは秋に実施されていたが、今年度は11月の世界国立公園会議(ブログ記事「第6回世界国立公園会議 inシドニー」参照)などとの日程重複もあり、この時期となった。

 2月初旬の札幌と言えば、「雪まつり」。研修の合間に大通公園の雪まつり会場に足を運んだ。

 研修前日の2月7日(日)、何とこの時期には珍しく雨!! さっぽろテレビ塔に向かう人の波も雨傘。

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 季節外れの暖かさと雨のため、融け出す雪像もあったと、翌日の新聞では報じられていた。

 おかげで、8日の研修当日は、南郷のJICA研修所周辺の道路は、凍り付いてツルツルで歩くのに難儀した。さすがに札幌市内中心部の歩道は、除雪されていて乾いていたけど。

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凍り付いてツルツルの道路



 雪まつり会場の巨大な雪像(ごく一部ですが)。

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スターウォーズ

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サザエさん一家
手前で歌っているグループと比べると大きさがわかる?

 ついでに、時計台や道庁赤レンガ館にも。

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時計台

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道庁赤レンガ館

 歩き疲れたところで、自家焙煎のコーヒーとシフォンケーキで、ホッと一息。

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 2月中旬には、私的な旅行で房総へ。

 東京湾アクアラインを経て館山へ。館山城には、『南総里見八犬伝』ゆかりの展示品が。

 NHKテレビで放映していた人形劇の人形も展示されていたが、撮影禁止。幼かった子供たちが楽しみに観ていたが、ナレーションが坂本九だったのを今にして確認した。そういえば、そんな声の記憶もある。

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東京湾アクアライン 海ほたる (遠方が房総方面)

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館山城(八犬伝博物館)

 房総里見氏の八遣臣の墓が城から下がった林の中にある。
 徳川幕府の外様大名取り潰し策により、伯耆の倉吉に改易させられて悲運のうちに若死にした主君と殉死した八人の家臣。その家臣の墓から密かに分骨したのがこの墓。
 後の南総里見八犬伝の八犬士のモデルになったという。

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館山城址内の城から少し離れたところにある

 
 房総半島最南端の白浜野島崎灯台へ。

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後方は野島崎灯台


 温暖な房総半島は、花の産地としても有名(房総フラワーラインの途中で)

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 3月3~4日には、環境行政学会総会で埼玉県飯能市を訪問し、市役所の案内で「ひな飾り展」を見学した。市では町おこしの一環として、この時期に「ひな飾り展」を開催している。
 今年で10回目という。市内の商店、個人宅などでひな人形を飾り、観光客を誘致しようというものだ。

 かつて絹織物産業で栄えた面影を残す店蔵「絹甚」(現在は市が管理)には、店一杯に市民から寄贈された段飾りが。

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絹甚のファサード(正面)
立派な“うだつ”が上がっている

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店内のひな飾り

 個人商店でなどにも、それぞれ代々受け継がれてきたひな飾りが。

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 3月中旬に会合で湯河原温泉に行った折、「首大仏」として知られている福泉寺に立ち寄った。

 いまだに茅葺屋根の本堂も趣がある。

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 その左手奥(道路入り口からは正面)に、2.5mもの陶製大仏の頭部がある。首部分だけでも迫力があるが、陶製というのも珍しい。

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 尾張藩の初代藩主で尾張徳川家の始祖となった徳川義直。
 その子、光友の母は側室だった。出産の際に自分は卑しい身分だから股間から生むことはできないと言って、自ら腹を切って光友を生んで絶命したと伝えられている。

 後に徳川光友が母を偲んで渡来人の陶工に作らせたのが、陶製の釈迦如来像。
 名古屋城内に安置されていたが、紆余曲折の末、なぜか頭部だけが当地の福泉寺に奉納されたという。

 国内にも、まだまだ行きたいところはたくさんある。
 今年は海外はもちろん、国内ももっと旅行をしたいものだ。

 新しい発見が、またあるかもしれない。

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久しぶりの札幌
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震災被災跡地の風化 -被災地訪問記1
ジパング黄金伝説 玉山金山と竹駒神社 -被災地訪問記3


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春爛漫 庭先の樹花 [日記・雑感]

今日は彼岸の入り。

3月は意外と寒い日が続いたが、さすがにこのところ暖かくなってきた。庭の木々も一斉に花を咲かせた。
仕事で勤務した十和田(青森県)や阿寒湖(北海道)の雪解けとともに一斉に森の花が開く雪国の春を思い出した。
あれももう、40年も前のことだ。

この数日で一斉に満開となった庭の木の花。

わが家のウメは、植わっている場所のせいか、近所のウメの開花よりも例年遅れて咲く。
今年もずいぶん遅くてやきもきしたが、やっと満開になり、あっという間に散り始めた。

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春先の庭をパッと明るくするのは、毎年このサンシュウ。
今年もこの花を見ると、心が華やぐ。
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アンズの花も、ここ数日で急にほころび始めた。
今年もいっぱいの実をつけるだろう。アンズジャムが楽しみだ。
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木々の下の暗がりを彩るのはユキヤナギだ。
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次々と花々が満開を迎える中、例年だといち早く花を付けるツバキ類が、ことしは遅い。
やっと大型の花が開き始めたが、まだまだ固い蕾が残っている。
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これから満開を迎えるのは、白花のボケ。
赤花のボケはまだ蕾だ。
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ユスラウメも咲き出した。小さな甘酸っぱい実をたくさん付けるのもすぐだ。
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ほかにも足元には、スイセン、ヒマラヤユキノシタ、ヒヤシンス・・・たくさんの草が花を咲かせている。

花々を見るだけで、心が浮き立つようだ。やはり春は嬉しくなる。

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春先所感 日本とインドネシア
野鳥の年始訪問

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未年につき羊の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]

新年あけましておめでとうございます

昨年中はブログにご訪問いただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。

今年は未年。

私のヒツジとの出会いの記憶は、小学生の頃か。
都会育ちの私の周辺には、家畜といったものはいなかった。

しかし、通学路途中の慶応大学病院(東京都新宿区信濃町)には、当時は広い原っぱがあって、そこにヒツジが放牧されていた。
毛を刈るわけではないだろうから、何か医学の実験用だったのだろう。かわいそうな気もするが。

その後は、オーストラリアの知り合いの家近くの牧場での牧羊犬のヒツジ追い込みを見たり、各地でヒツジを見てきた。

ということで昨年の午年同様に、今年はヒツジの写真をお届けしようと思ったが、ありふれた家畜のせいか、意外と撮っていなかった。

あるいは、最近頻繁に出かけるのは東南アジアで、牛や馬、ヤギなどはよく見るが、ヒツジは見かけないからか。
実物は昔からずいぶんと見てきたが。

初詣がてら、まずは昨年訪問したブータンの寺院の干支曼荼羅。
時計の針1時のあたりに、未の姿が黄色で描かれている。

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こちらは、ヒツジの大行進(スペインにて)。大量のお尻でスミマセン(笑)

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ケルト民族(アイルランド人)の精神的な故郷、「タラの丘」のヒツジ(アイルランドにて)。

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かわいらしいヒツジの親子(アイルランドにて)。

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動物のヒツジの写真が無いなら、植物では?
日本に産する約8,000種の標準和名を記載した環境庁編『植物目録1987』を調べてみると・・・

名前の頭(接頭辞)に“ヒツジ”が付されているのはヒツジグサの1種だけ。
日本原産の睡蓮の仲間だ。

可憐な白い花の写真があるはずだが見つからないので、葉っぱだけでご勘弁を。
色づいたヒツジグサの葉(尾瀬にて)。

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一昨年(2013年)正月のブログ「巳年の植物」のヘビと比べると段違いの少なさだ。

ちなみに、昨年の午年では動物だけを取り上げて、植物は取り上げなかった。
“ウマ”が接頭辞につく植物は、ウマノアシガタなど6種、ほかにコマクサのように“コマ(駒)”がつくものも。

そこで、一年遅れでコマクサを。
花の形が、馬の顔に似ているところから名づけられたとか。

可憐なコマクサ(秋田駒ケ岳にて)

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新年早々、来年のことを言うと鬼が何とやらだが、サルの写真は選ぶのが大変なほどたくさんあるから、来年は安心だ。

それでは、今年一年良いお年でありますように!!

 【ブログ内関連記事リンク】

 「午年につき馬の姿をお年賀代わりに
 「巳年の植物

 【著書のご案内】

生物多様性カバー (表).JPG昨年は、懸案の著書を出版することができて、思い出残る年でした。 

世界は自然保護でなぜ対立するのか。スパイスの大航海時代から遺伝子組換えの現代までを見据えて、生物多様性や保護地域と私たちの生活をわかりやすく解説。

 本ブログ記事も多数掲載。豊富な写真は、すべて筆者の撮影。

 高橋進 著 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』 明石書店刊 


 目次、概要などは、アマゾンなどの本書案内をご参照ください。

 


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湘南海岸の富士山夕景 [日記・雑感]

 ご無沙汰していました!

 しばらくの間、海外出張や業務の締め切りなどに追われて、ブログ更新できませんでした。

 久しぶりに散歩に出かけた昨日の湘南海岸の夕景があまりに美しかったので、スマホのシャッターを夢中できりました。
 
 富士山が、バラ色の雲にシルエットで浮かび上がっていました。

 取り急ぎ、写真のみにて、おすそ分け!!

 


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丹沢山麓の新緑に魅せられて [日記・雑感]

 腰痛でPCに向かうのもつらいが、過ぎゆく季節を今のうちに残しておく。

 今回は、『生物多様性と保護地位の国際関係』の紹介はお休みして、丹沢 大山の南東山麓の七沢、日向山付近を散策した際の新緑、野の花、社の写真をアップする。

 自身の滅入る気持ちを少しでも鼓舞するためにも・・・・

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山ツツジの大きな株

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山のフジが満開

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黄色のラン(キンラン?)もあちこちに


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日向薬師境内の虚空蔵菩薩の狛犬(?)はウシとトラ

 

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日向山山頂の山の神

 


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ダイヤモンド富士 in湘南海岸 [日記・雑感]

 ダイヤモンド富士の写真を撮った。富士山の山頂と太陽が重なるのを称して、ダイヤモンド富士という。
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 私の居所からは日没時のダイヤモンド富士となる。3月末から散歩・スロージョギングに出かけては、まだかまだかと待っていた。
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春分の日に近くの川の橋上から
 
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4月1日でもまだまだ(湘南海岸から)

 やっと良いタイミングになってきたと思ったら、本日4月4日は天気予報では雨とか。
 諦めかけていたけれど、予報に反して湘南海岸から富士山に沈む日没をみることができた。

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 この日を待っていたのは皆も同じ。今日はカメラを構えた人がたくさんいた。
 明日はもっと良い太陽位置になるかな?
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 ダイヤモンド富士の名所、静岡県富士宮の田貫湖では、4月と8月に富士山山頂からの日の出を見ることができる。その時には、それこそ大砲を抱えたたくさんのカメラマンで、身動きもできないほどだという。
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田貫湖からの富士山
ここからのダイヤモンド富士(日の出)が有名


 昨年、世界文化遺産に登録された富士山。今年も多くの人が富士山のさまざまな光景に見とれることだろう。

 私は世界文化遺産登録に向けた静岡県学術委員会委員を委嘱されていた。世界遺産への登録も終了したので、先日、川勝平太 静岡県知事から感謝状が贈呈され、8年間に及んだ委員会は解散した。

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静岡県庁での感謝状贈呈式の帰りの新幹線から富士山(富士市付近)



 委員会は終了したけれど、ダイヤモンド富士は永遠に!!


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 「富士山 世界文化遺産登録へ -その秀麗な姿と信仰と芸術の源泉、そして自然
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 「世界のフジヤマ、天下の険 箱根、そして踊子の伊豆 -国立公園 人と自然(10)富士箱根伊豆国立公園


s-生物多様性カバー (表).jpg 【書籍出版のお知らせ】

 『生物多様性と保護地域の国際関係 ―対立から共生へ―』
   明石書店より3月25日発行
 ブログ記事で解説した内容なども多数、体系的に掲載 
 平易な解説と物語の一般読み物としてもどうぞ

 富士山世界遺産の解説も!!


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春先所感 日本とインドネシア [日記・雑感]

 新年のご挨拶ブログ以降、ブログ更新も他のブログ訪問も、ずっとご無沙汰してしまった。自著の出版その他もろもろ、時間的にも精神的にもブログを開く余裕がなかった。

 この間、当地ではめったに積もらない雪が2度も積もって、玄関のドアを開くのにも一苦労するほどだった。

 その後もずいぶんと寒い日が続いたが、春は確実にやって来て、庭のウメやサンシュウ、アンズ、ユキヤナギなどが一斉に満開となった。一度に花が咲き春を迎える。

 以前住んだことのある雪国の春を思い出す。

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庭が華やぐサンシュウの花
 
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今年もアンズのジャムが待ち遠しい
 
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その名のとおりユキヤナギ

 メジロやシジュウカラのつがいが訪問、ヒヨドリがそれを追い散らすのをしばし眺める余裕もできてきた。

 季節は移り替わっても、また再び巡ってくる。平凡ではあるが、この安心感が心地よい。

 先月から今月にかけて、研究調査のためにインドネシア、スマトラ島南部のランプン州を訪問して、マングローブ林などと人々の生活を調査してきた。

 熱帯では季節はないようだが、雨期と乾期では結構自然の様子や店先のフルーツの種類も違う。今年の雨期は、ジャカルタ付近ではかなり雨が多く、洪水が頻発した。雨が多いことで、フルーツのでき方も例年と違ったようだ。

 フルーツの王様ドリアンもこの時期に実を付ける。
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枝から垂れ下がるドリアンの実

 スマトラ島ランプン州は、ドリアンの産地でもある。中でも、通称ドリアン村とも呼ばれる名産地の入口では、シンボルのドリアン果実の巨大なモニュメントが出迎える。
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ドリアンのモニュメント

 王様と呼ばれるだけあり、その味はとろけるクリームチーズのようで美味い。しかし、独特の臭いのために嫌われ、ホテルや乗り物への持ち込みも禁止されている。
 おまけに、当たり外れが相当あり、最初に不味いのにあたると、温泉場の卵の腐ったような臭いのこともあり、二度と食べたくなくなる。地元の人でも選ぶのは慎重だ。
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道端の露店でドリアンを選ぶ人々

 フルーツの女王は、マンゴスチン。白い果肉のホロ甘さは上品だ。
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マンゴスチンの実(未熟だが)

 雨期の時期に出回るフルーツのひとつランブータン。こちらも、白い半透明の果肉が甘い。道端では、山のようにランブータンを積み上げて売っている。
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道路わきで山のようにランブータンを積み上げた露店

 

 チョコレートの原料にもなるカカオは、必ずしも雨期のフルーツではない。中の白い果肉はそれほどおいしくもない。その種、いわゆるカカオ豆の中の紫色の部分を取り出して、チョコレートなどの原料とするらしい。私が白い果肉を試食した際にも、種子(カカオ豆)は捨てないように言われた。それほど貴重ということだ。

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カカオの実
 
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カカオの果肉とカカオ豆(種子)
 

 

  【ブログ内関連記事】
 「ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題


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    ブログ記事で解説した内容なども多数、体系的に掲載

 


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午年につき馬の姿をお年賀代わりに [日記・雑感]

新年あけましておめでとうございます

 
  昨年中はブログご訪問ありがとうございました
 本年もよろしくお願いします


 今年は午年

 これまでたくさんの馬を見てきた。野生の馬、働く馬・・・
 
  写真もいろいろあるはずだが、探してデジタル化するのも大変・・
 とりあえず、手元にある最近のデジタル写真で・・・

 都井岬(宮崎県)でも日本の野生馬を見たことがあるけれど、
  野生馬といえば、アフリカのシマウマ

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ケニア・ナイロビの郊外のシマウマの群れ

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南アフリカ・クルーガー国立公園で

 研究調査で通っているインドネシアでは、牛車とともに馬車もまだ現役
 買い物などのタクシー代わりだ

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ともにインドネシア・ロンボック島にて

 騎馬民族モンゴル族の地では、大草原での乗馬体験も

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中国・内モンゴル自治区にて
後方の白い点々はパオ(テント)(モンゴルではゲル)

 東京の四谷で生まれ育った私は、子どもの頃小学校の通学路でよく騎馬警官を見かけた。今では皇居周辺に行ってもめったにお目にかかれない。


 働く馬でも、戦争に駆り出された馬には過酷な運命が待っている。かわいそうに・・・

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中世の戦いの再現エキジビション

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馬の蹄鉄打ち

いずれも、ボイン川の戦い記念ビジターセンター(アイルランド)

 人々は、戦いに勝利すると英雄になる?
 昔から、英雄は騎馬姿を好む?

 日本でも皇居外苑の楠正成像をはじめ、英雄の騎馬像がたくさんあるが・・・・

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ドイツ・ベルリンのブランデンブルク門上の勝利の女神の戦車像

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ベルリンのフリードリッヒ2世騎馬像

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スペイン・マドリードのマヨール広場フェリペ3世騎馬像

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チンギスハーン(左)と護衛の騎馬兵(モンゴル・ウランバートル)

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中国からの独立を宣したダムリン・スフバートルの騎馬像
(モンゴル・ウランバートルのスフバートル広場)


馬といわず、あらゆる人々・生命を巻き込む戦争
こんなことが起きないように切に祈ります


今年も皆様にとって良いお年となりますように


タグ:新年
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丹沢日向薬師と日向山の紅葉 [日記・雑感]

 前回ブログでもぼやいたが、なかなか時間が取れなくて、札幌の紅葉や仙台での「アジア国立公園会議」など、なかなかアップできないうちに日が経ってしまった。アジア国立公園会議については、いずれ国立公園の関連話題として取り上げたいと思う。

 明日(22日)、明後日(23日)の連休も仕事で出勤。やれやれ。

 ということで、今回は皆さんの紅葉写真ブログに触発されて(?)、久しぶりのプライベートの休日に出かけた丹沢の日向薬師とその背後の日向山の紅葉の写真を取り急ぎアップする。もう既に季節はずれかな?


 日向薬師に向かう途中の山中にたくさんの実を付けた見事な柿の木があった。

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 日向薬師では、カエデやイチョウの紅葉が素晴らしく、参拝者(観光客)は誰もがカメラを向けていた。

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 日向薬師は日向山霊山寺といい、奈良時代に行基によって開山されたといわれている。本堂は修理中だったが、宝物館ではいずれも国指定重要文化財の薬師三尊像、阿弥陀如来像や十二神将像などの仏様を拝むことができた(写真撮影禁止のため画像はないが)。

 ご本尊のなた彫り一木造の薬師瑠璃光如来(国指定重要文化財)は、残念ながら年に数回(1月と4月)のご開帳の時以外では拝むことができないが、以前(2006年)に国立博物館(上野)で開催された 「一木にこめられた祈り 仏像展」で見ることができた。その際のカタログには、神奈川県宝城坊の所蔵と記されていたが、これが日向薬師のことだったようだ。

 そのあとで日向山山頂までハイキング。途中のカエデの色づきもよかった。

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 山頂の標高は404mで、弁天様が祀られている石の祠があった。そこには、天明8年(1788年)の銘が刻まれているという。

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 帰りの山道では、アオバトが樹上からお見送り。初めて目にした珍しい鳥だが、10分間ほどもお付き合いしてくれて、その美しい姿を堪能した。

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タグ:日記 紅葉 写真
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ジパング黄金伝説 玉山金山と竹駒神社 -被災地訪問記3 [日記・雑感]

 11月は土・日も出張などが続き、ブログの更新はもちろん、他のブログの訪問もできなかった。札幌でのJICA協働型国立公園管理研修の講師、仙台の第1回アジア国立公園会議でのワーキンググループ議長、伊豆市で開催された全国巨樹・巨木林の会設立20周年記念総会と巨木を語ろう全国フォーラムでの会長挨拶などなど、この間の活動と紅葉など町の様子については、後日のブログ記事としたい。

 さてだいぶ時間が経ってしまったが、前回ブログ「奇跡の一本松と川を遡った津波 -被災地訪問記2」の続きで、ジパング黄金伝説の基ともなったといわれる玉山金山とその鎮守の竹駒神社を紹介する。まずは、前回ブログの「竹駒食堂」に立ち寄ったいきさつから始めよう。

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竹駒神社本殿


 宮古(田老町)から三陸海岸沿いを車で南下してきた旅だったが、宿泊予約は初日の宮古だけで、あとは行程任せだった。その日の夕方には大船渡付近まで到達できそうだったが、途中でスマホでホテルを検索して電話しても、大船渡のホテルはどこも満室。

 大船渡市の次のまち陸前高田市のホテルはなかなか検索に引っかからない。その理由は、翌日に市街地の壊滅的な津波被害を知るまで思いもよらなかった。

 最後の望みをかけて、市街地からは少し離れるが「霊泉 玉乃湯」に電話した。残念ながら夕食時間は過ぎてしまったが、素泊まりなら可能とのことだった。そこで宿泊したのがこの施設で、陸前高田市営のようだ。国道から分岐して、夜道の細い林道をかなり登っていき、道に迷ったかと心細かったが、看板を見つけた時には何とかたどり着いたとホッとした。

 霊泉は金山跡からの湧水を加熱しているようだ。新館の建物はこぎれいで、風呂も広く、市民の保養施設といった風情だ。素泊まりだったので、朝食の場所として紹介してもらったのが、前回登場の竹駒食堂だ。

 この施設周辺には、奈良時代からの金山があったという。奈良の大仏や中尊寺金色堂にも、この金山からの金が使われていたとか。奥州藤原氏の栄華の基を築いたのもこの金鉱山で、それがマルコポーロの東方見聞録により黄金の国ジパング伝説を生んだといわれている。金山当時の遺跡が、玉乃湯までの到達路周辺にも残っている。

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玉山金山 周辺の遺跡案内図


 日露戦争の際には、時の日銀副総裁高橋是清が、すでに金は産出しなくなっていたにもかかわらず、玉山金山を担保として欧米から軍資金の借り入れをしたそうだ。

 竹駒食堂での朝食の前に、竹駒神社に立ち寄った。玉山金山の守護神社であり、行基創建とも伝えられている。最初に出迎えてくれたのは、鳥居と狛犬だ。その狛犬も含め、参道の狛犬はどれも赤い手ぬぐいで頬かむりしている。何ともユーモラスな風景だ。でも、その理由はわからない。ひょっとして、寒さの冬に備えての恰好だろうか?

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竹駒神社参道

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入口部の狛犬(赤い手ぬぐいの頬かむり)


 狛犬の中でも、入口から2対目の狛犬の恰好は、何ともユーモラスだ。

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なんとなくユーモラスな2対目の狛犬
こちらも赤い頬かむり


 本社殿裏には、末社があり、招き猫や金精様が奉納されていた。

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招き猫の奉納

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金精様の奉納

 本殿の裏壁には、剣の奉納も。また、社殿の彫刻の獅子(麒麟?)の表情もなんとなく優しげだ。

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剣の奉納

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どことなく優しい顔をした社殿彫刻

 
 偶然とはいえ、事前の知識もなく導かれた「玉山金山」と「竹駒神社」、そして震災津波被害の大きさを思い知らされると同時にささやかながらも元気な復興の姿を垣間見させてくれた「竹駒食堂」。

 被災地を訪問する機会があれば、再びこの地にも足を延ばしたいと思わずにはいられないほどの、切なくも温かみのある思い出を与えてくれた竹駒地区だった。


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奇跡の一本松と川を遡った津波 -被災地訪問記2 [日記・雑感]

 今回の被災地訪問で、どうしても訪れたい場所があった。それは陸前高田市の「奇跡の一本松」だ。

 全国巨樹・巨木林の会の会長でもある私は、巨樹についての寄稿を頼まれると、「人と巨樹との関わり」あるいは「巨樹のドラマ」として、このところは奇跡の一本松を取り上げてきた。しかし、実のところは訪問したことはなかった。

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現在は複製が残る「奇跡の一本松」

 陸中海岸国立公園の名勝「高田松原」は、全長2㎞、7万本の松林が続き、海水浴や散策の場として市民に親しまれていた。かつてのチリ地震津波では、津波の威力を軽減して災害を少なくしたという。しかし、今回の東日本大震災の津波にはひとたまりもなく壊滅してしまった。その中で、唯一残ったのがご存知の松だ。これを人々はいつしか「奇跡の一本松」「希望の一本松」などと呼ぶようになった。

 この一本松も、侵入した海水に根を傷めつけられ、樹木医など関係者の努力の甲斐もなく枯死してしまった。現在は、往時をしのぶレプリカ(複製)が設置されている。また、接ぎ木や実生苗による後継樹も育成されているという。

 この間、地元の人々には復興への希望と勇気を与え、全国からの支援の絆の象徴でもあった。残念ながら、一本松が「巨樹」となることはもはやありえない。でも、人々の心の中で育ち続け、いつしか巨樹となってほしい。

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     土台だけが残る高田市内           ガレキの山もまだそのまま

 それにしても、海岸沿いに拓けた陸前高田の市街地では懸命な復興作業が続けられているが、まだまだ無残な姿をさらしている。ここにかつては家並みがあり、人々の平穏な生活があったと思うと、目頭が熱くなるのを禁じ得ない。

 その日の朝、朝食に立ち寄った「竹駒食堂」は、海岸から4~5㎞ほど内陸に入ったJR大船渡線竹駒駅の近くにある。ログハウス風の小さな食堂で、地元の女性たちが元気に料理を作り、配膳をしている。(竹駒食堂に立ち寄った経緯は、次回訪問記にて)

 どこにでもありそうな食堂だが、宮古市田老町の被災地から海岸沿いを南下してきた今回のドライブで目に焼き付いた光景を知る者にとっては、食堂周辺の光景にも戸惑いを隠せなかった。国道340号沿いなのに、家もまばらで、夏草に覆われた空き地が目立つ、何やら不思議な光景だ。そう、これまで見てきた津波被災地と同じ光景なのだ。

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   (左) いまだに草地のままの被災地には打ち上げられた(?)ボートが
   (右) 世界大遺跡との入口看板も、下半部は津波で壊されてしまった

 食堂の女性に聞いてみると、気仙川を遡った津波により周囲の家はすべて流され、最近復興されてきたところだという。道路沿いにある「世界大遺跡玉山霊場」の大看板も、下3分の1ほどは津波により破壊されている。草原にポツンと展示してあるかのようなモーターボートも、津波で海岸からもたらされたものかもしれない。

 奇跡の一本松入口の駐車場の仮設土産物店の男性は、「自分たち漁師は津波の被災も覚悟していたが、竹駒のような内陸の人々には予想もできなかっただろう」と言っていた。

 チリ地震津波などを経験した人々、地域、でさえ予想もできなかった今回の大津波。単に想定外と言って済ますわけにもいかないほどの大被害をもたらした。そのことは、福島原発事故も同じだ。

 被災地の光景が焼付いた脳裡は、折に触れて震災のすさまじさを甦らせて悲しみを湧き出させるが、田老町の仮設作業場で黙々と干し昆布の作業をしていた漁民の皆さん、竹駒食堂で働く女性たち、仮設土産物売り場のおじさん・おばさん、その他多くの人々の復興への願いと元気な姿からは、逆に明日への希望とエネルギーを与えられる。

 私に明日への活力を与えてくれた被災地の皆様の一刻も早くの復興を願わずにはいられない。そして、震災のメモリーが次々と消えていく中、奇跡の一本松はいつまでも人々の心の中で育ち続けて巨樹となって、希望の象徴の一本松になってほしい。

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震災被災跡地の風化 -被災地訪問記1 [日記・雑感]

 先週(正確には先々週になるかな?)、震災被災地を訪れて、この目で直接被災の様子を見てきた。震災から2年半が経っての被災地訪問は、このブログでもたびたび震災被害に関連する記事を取り上げてきた者としては、あまりにも遅いかもしれない。

 正直言って、これまで「被災地のことを忘れないように」などと言ってきたのは、かなり観念的なものだった。テレビなどで被災地を取り上げた番組、記事には、時として“またか”と感じることもあった。

 家人の「今のうちに被災地の様子を見ておかないと」という声に急かされて、まずは宮古市を目指した。東北自動車道をひた走り、自宅から約750kmの道のりを丸一日かけて宮古に到着したのは夕方だった。
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津波で破壊された防潮堤(もともとは、この先まで延々と続いていた)
右奥の建物は観光ホテル、左の土の斜面は造成中の住宅地移転地


 翌日は、今回の訪問の主目的である田老町(岩手県宮古市田老地区)の「万里の長城」とも称された防潮堤の様子を見に行った。40年ほど前に訪れた時には、チリ地震津波の波跡が岩に残っていたが、防潮堤のおかげで被害は少なかったという。

 しかし今回の震災では、海面からの高さ10m(実際の防潮堤高は6~7mほど)の防潮堤も乗り越えた津波により建物も流され、多くの人命も失われた。

 国道45号が田老地区に入ると、両側はまるで宅地開発分譲地のような光景が広がっていた。たまたま仮店舗で営業をしていたガソリンスタンドの方にお話を伺うと、すべて建物が流された跡だという。確かに、よく見ると夏草に覆われて、建物の土台のコンクリートが残っている。スタンドの方のお宅も、道路沿いにあったものが流されてしまい、現在はプレハブで営業しているという。

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津波でさらわれれ、夏草に覆われた住宅地に残された建物土台


 防潮堤も、X字型の一辺が破壊されてしまったという。壊れた防潮堤と、その防潮堤に守られていたはずの、今は一面の夏草に覆われた住宅地、そしてその先に被災の姿を今なおとどめている「たろう観光ホテル」の建物。
 
 これらの光景に、ただただ圧倒されて、言葉も出なかった。そして、実際にこの地に来て初めて津波被害の大きさ、すさまじさを実感した。

 そして同時に、もし地元の方にお話を伺わなければ、なんでもない光景としてただ通り過ぎてしまったかも知れない、その自分を恥じ入らざるをえなかった。

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    今は何もないかつての住宅地     道路には「ここから津波浸水区間」の表示が

 流された住宅跡地は夏草に覆われ、多くの津波被害の様子をとどめる建物や光景が失われていく。被災者の方々にとっては、あの日を思い起こさせるものは早く撤去してほしいとの気持ちも強いと聞く。

 その中で、田老町では被災の姿をとどめる観光ホテルを津波遺産として残す方針だという。田老を訪れる多くの人々に津波の恐ろしさや防災の大切さを伝え、同時にガイドツアーの対象として、ツアー客による復興、活性化への寄与を期待しているそうだ。

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たろう観光ホテル
3階まで津波被害にあい、鉄骨の柱がむき出し


 震災被災地を一日でも早く復興してほしい。と同時に、復興により人々の心から、記憶から、あの日のことが忘れ去られてしまうのは避けたい。

 震災から2年半もたって、何をいまさら、と思うかもしれない。しかし今からでも遅くはない。何度でも構わない。被災地の記憶の風化はごめんだ。

 原爆投下から70年近く経った現在、戦災から驚異的な復興を遂げた広島と、今は世界遺産となっている原爆ドームとの関係を思い起こしたい(「原爆ドームと被爆樹木 -世界平和への願いを込めて」)。

 そして、突然の訪問者にもつらいであろう津波被害の様子などを快く解説してくれたガソリンスタンドの方、破壊された防潮堤に続く漁港の仮設の作業場で黙々と昆布を干していた漁民の方々などが、少しでも早く、かつての生活に戻ることをお祈りしたい。

 しかし、かつての生活に戻るのはたやすいことではないだろう、いや、もう戻ることもできないかもしれない。人の心までは。

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9.11と東日本大震災、原発事故、そして東京オリンピック [日記・雑感]

 今朝(2023年9月11日)も、いつものとおり朝食をとりながらラジオを聞き流していた。そしたら、「今日は何の日」で、世界を震撼させた「同時多発テロ」の日だといっていた。

 「あの日」、私はハワイに住んでいた(「10年前のその日 in Hawaii」記事参照)。ハワイは、本土(西海岸)から約3,200km、テロのあったニューヨークなど東海岸からは7,000km以上も離れている。それでも、人々の反応、街の様子は、まるでハワイの島々がテロに襲われたようだった。

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2001年9月11日当時住んでいたハワイ(オアフ島)の居室から



  テロへの報復として、当時のブッシュ大統領はイラク侵攻を始めた。大量破壊兵器を保持しているというのが、攻撃の理由だったが、結局のところ兵器は発見されなかった。

  現在のオバマ大統領も、イラク攻撃には反対だったはずだが、化学兵器使用を理由にシリア攻撃を開始しようとしている。(少し先延べを言い出したが、どうなるか。)

  これが原因かどうか、因果関係は定かではないが、シリアの隣国トルコのイスタンブールは、2020年オリンピック開催地争いで東京に破れてしまった。

  東京も、福島原発事故による放射能汚染の影響を最終プレゼンテーションでも質問されたが、安倍首相は影響ないと断言した。

  テロの現場から7,000km以上も離れたハワイでの国民の一体感を示す星条旗の波。郵便物への炭疽菌混入疑惑と避難。あのときの衝撃は、今でも忘れることはできない。まさに、今頃の時間帯にあの同時多発テロが勃発したのだ。

  それでも、日々の日常生活に流されて、ラジオから「今日は何の日」が流れてくるまで思いもよらなかった。テロの犠牲者の遺族の方々は、決して忘れることのない日だろうが、日本在住者よりは多少衝撃も大きかったはずの私にも、12年の歳月は日常生活からはその記憶を忘れさせるに十分だった。

 9.11同時多発テロと東日本大震災、福島原発事故とは、性質も状況も違う。しかし、9.11と3.11の両方を現場と同じ国内で体験した者としては、ついつい比較してしまう。

  東京と福島は、直線で200km少々しか離れていない。東京には全く影響ないと、無関係を装うわけにはいかない。震災と原発事故の起きた3.11は、毎年、人々の記憶を呼び覚ますに違いない。しかし、3.11だけの記憶ではないはずだ。2年半経った今なお、日々の生活があの日からの再建には程遠い数多くの人々がいる。

  東京オリンピック開催に浮かれて、東日本大震災、福島原発事故が人々の記憶から失われ、風化することのないようにしたい。そして、オリンピック招致での安倍首相の確約を世界が注目していることも、忘れてはいけない。

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博多の社寺と巨樹 ミニ探訪 [日記・雑感]

 相変わらずブログの更新が遅い。平日はともかく、土日もこのところ大学や外部委員会などの行事で出歩くことが多い。更新だけではなく、他のブログ訪問もほとんどできなかった。

 というわけで、だいぶ遅くなったが先月の九州大学での学会発表の折、帰京の航空便の合間に博多の街を歩き回った際の社寺、巨木巡りの写真をアップする。

 九州大学箱崎キャンパスの地下鉄の一駅手前には、筥崎宮がある。
 ここは、宇佐八幡宮、石清水八幡宮とともに、日本三大八幡宮に数えられるという。
 一の鳥居、楼門、本殿は国指定重要文化財にも指定されている。

s-筥崎宮鳥居DSC03308.jpg  s-筥崎宮楼門DSC03309.jpg
 筥崎宮一の鳥居               筥崎宮楼門

 楼門には「敵国降伏」なる扁額が掲げられていて、何やら物騒な気分になった。
 聞くところによると、鎌倉時代の元寇の際に亀山上皇が祈願をしたもので、醍醐天皇の宸筆という。
 
 それも、敵を武力で降伏させるのではなく、敵が降伏するように願うだけという、文字の印象よりも平和的な祈願のようだ。

 国として外から攻め込まれるのは困るが、こちらから攻めるのではなく、敵が攻め込んでこないことを祈る、という考え方。
 現代の日本でも再評価してもらいたいものだ。 (そんな悠長なこと言ってられない?)

 その元寇の際、蒙古軍の軍艦の碇に使用されたという碇石は、博多の街中の随所で見ることができる。
 筥崎宮にもこの碇石があった。

 筥崎宮碇石の前にたたずむクスは特別の大木でもない。
 しかし、太い幹からゆらゆらと立ち昇るかの如く突き出た数々の枝の姿は、何やら森の精が立ちはだかっているように見えた。

 s-筥崎宮蒙古碇石DSC03322.jpg  s-筥崎宮クスDSC03315.jpg

 
 博多駅近くのホテルから歩き始めて、最初に向かったのは筑前の一の宮 住吉神社だ。
 なんでも、大昔はこの地まで海が迫っていたという。
 そういえば、全国に多い住吉神社は、航海の安全などを祈願する神社として有名だ。

 中でも大阪の住吉大社が有名だが、全国に二千社以上ある住吉神宮の一番最初がこの博多の住吉神社だという。
 それで、大阪の住吉大社、下関の住吉神社とともに、日本三大住吉ともいわれているらしい。

 日本人は、さきほどの三大八幡宮といい、この三大住吉といい、三大〇〇が好きだ。
 もっとも、日本人だけではなく、オリンピックでも3位入賞のメダルをもらうのと、4位とでは、雲泥の差があるのだから、洋の東西を問わずということだろう。

 この住吉神社の本殿脇にも、大きなクスがあった。
 これも特別の名前がついているわけでもないが、その枝張には驚いた。

 まるでマツのように、枝が横へ、横へと張り出しているのだ。
 その枝を支えるために支柱までが添えられているところも、まるでマツの大木そっくりだ。

 規模は全然違うが、もう数十年前に松くいによって枯れてしまった香川県の当時の日本一のマツ、岡のマツを彷彿とさせる。

 s-住吉神社DSC03348.jpg  s-住吉神社クスDSC03345.jpg
  住吉神社本殿               枝をうねるように張り出しているクス


 住吉神社近くの楽水園に立ち寄った。
 財産家個人の庭園だが、解放されている園内には6月の花のアジサイとともに、シモツケが色を添えていた。
 s-楽水園アジサイDSC03354.jpg  s-楽水園シモツケDSC03352.jpg

 抹茶を味わい、しばし休憩。
 大都会の真っただ中ではあるが、ホッとするひと時だ。

 s-楽水園抹茶DSC03362.jpg s-楽水園DSC03360.jpg
 写真を撮る前に茶菓子(茶請)を食べてしまった。トホホ

 楽水園を囲む土塀は、博多塀と呼ばれ、瓦やがれきが塗り込められている。
 豊臣秀吉が戦災復興の博多町割りを勧めた際に、がれきを再利用したのが始まりとか。
 博多の街中の随所で見ることができる。

s-楽水園博多塀DSC03364.jpg  s-キャナルシティDSC03366.jpg
  伝統的な博多塀(左)とモダンなキャナルシティ(右)


 モダンなキャナルシティを横目で見ながら祇園町方面に足を延ばす。

 祇園では、櫛田神社。
 ここは、博多の氏神、総鎮守として知られている。
 博多祇園山笠や博多おくんちの祭事でも有名だ。

s-櫛田神社DSC03371.jpg s-櫛田神社イチョウDSC03373.jpg

 櫛田神社には、大イチョウもある。
 樹齢1000年ともいわれる「櫛田の銀杏」は、ここから出発する博多祇園山笠の追い山を一体どれくらい見てきたのだろうか。


 櫛田神社からは、東長寺に向かう。
 現在は巨大大仏(1992年完成10.8メートル)で有名だ(撮影禁止で画像なし)。
 もともとは真言宗のお寺で、弘法大師 空海 創建の寺としては日本最古だという。

 ここはまた、福岡藩主黒田家の墓所でもある。

s-東長寺DSC03381.jpg s-東長寺黒田家墓DSC03383.jpg
 東長寺本堂(左は2011年完成の五重塔)  黒田家墓所


 東長寺からほど近い承天寺は、 スマホの情報によれば「饂飩(うどん)と蕎麦(そば)」の発祥の地だという。
 さらに、「饅頭(まんじゅう)」もここが発祥だという。その碑があるというが、本堂を何度回っても見つからない。
 無計画でガイドブックも用意せずに、スマホ情報だけを頼りに歩き回ったツケが出てきたようだ。

 その代わりに、「博多山笠発祥の地」の碑が寺の入り口にあった。
 もともとは櫛田神社ではなく、ここで行われていたのだろうか。

 饂飩蕎麦発祥の地の碑を探すのをあきらめて裏門に出た。
 
 その道路向かいも何やら寺の雰囲気だ。
 何寺かもわからずに覗いてみたら、なんと件の碑を発見!!
 その昔は一境内だったのが、道路で分断されてしまったのだろうか。

s-承天寺DSC03386.jpg  s-承天寺饂飩碑DSC03393.jpg
   承天寺本堂          「饂飩蕎麦」(左)と「饅頭」(右)の発祥の地碑

 承天寺を開山した聖一国師は、宋に渡って修行をし、帰国の際にうどん、そば、まんじゅう、ようかん、などの製法を伝えたとされる。
 博多山笠も、疫病が流行した際の聖一国師の祈祷に起源があるという。
 ともに、13世紀の話だ。


 かくして、昼食に駅前で博多ラーメンを食し、博多の街の駆け足ミニ探訪も終わりを迎えた。 

 今年もあっという間に半年が終わり、残りの半年は猛暑で始まった。暑~い
 
 途中の櫛田神社で、私としては珍しくおみくじを引いた。
 それが、末広がりの八番札!
 なんと大吉だったのだ!!!

s-博多ラーメンDSC03395.jpg  s-櫛田神社おみくじDSC03399.jpg

 大吉の予言のとおり、残り半年が「朝日が昇るが如し」の素晴らしい年であるように願いたい。

 私自身と私の家族だけではなく、自国も敵国も、すべての生きとし生けるものにとってネ。


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初夏の浜辺の花 [日記・雑感]

 久しぶりに近くの湘南海岸を散歩した
 6月初旬、今年は梅雨とはいえ雨はまだ少なかった
 
 近くなのに最近はたまにしか散歩に来ない
 その間に、景色は大きく変わってしまった
 
 日々変化する季節と花々
 とくに海は刻一刻とその色を変えていく

 そんな移ろいの日々の記録として、初夏のある日の散歩の時に見た花・・・・・

s-ハマヒルガオIMG_0079.jpg
ハマヒルガオが咲き誇っていた

s-ノバラIMG_0078.jpg
ノバラも負けじと小さな白い花をたくさんつけていた
秋になると赤い実も美しい

s-コマツヨイグサIMG_0086.jpg
コマツヨイグサも精いっぱい小さな黄色を

s-ハマダイコンIMG_0090.jpg
盛りを過ぎたハマダイコンもまだ健在

s-シャリンバイIMG_0093.jpg
トベラはもう実を付け始めていたが、花も残っていた

s-IMG_0083.jpg
風になびいて何やら秋の風情
 
 
 (ブログ内関連記事)
 「巳年の植物
 
 

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原爆ドームと被爆樹木 -世界平和への願いを込めて [日記・雑感]

 広島への出張の際に、久しぶりに平和記念公園と広島城を訪れた。残念ながら時間がなくて、平和記念資料館や天守閣の見学はできなかったが。

 原子爆弾の爆心地に近い県の産業奨励館(当時)は、現在では「原爆ドーム」として世界遺産(文化遺産)に登録され、世界平和を訴える象徴ともなっている。

s-原爆ドームDSC02061.jpg

 日本が「世界遺産条約」を批准・加盟したのは、条約成立から20年も経た1992年(リオ・サミットの開催年)で、先進国の中では最も遅い部類だった。条約を受け入れるまでに、政府・国会内ではいろいろな議論があった。

 この原爆ドームもそのひとつで、人類の暴挙を示すものとして、世界平和のためにも世界遺産に登録すべきとの考えがある一方、歴史的にも新しく、いまだその評価は固定しておらず、指定要件の文化財などにも指定されていない、との意見もあった。

 結局は、ドイツのアウシュビッツ強制収容所(1979年世界遺産登録)と同様、人類の負の歴史を示すもの(負の遺産)として1996年に世界遺産に登録された。


 広島城は、毛利輝元が築城し、別名、鯉城とも呼ばれる。天守閣は原爆で倒壊したが、1958年に再建されたという。

s-広島城DSC02081.jpg

 広島市内には、建物だけではなく、被爆しながらも生きながらえた樹木も多い。広島城内にも、ユーカリやマルバヤナギが被爆樹木として生育している。その生命力には目を見張る。

s-被爆樹木DSC02074.jpg
(被爆樹木マルバヤナギ)

 原爆ドーム・平和公園や広島城を訪問したのは、平日の朝だったが、それでも多くの観光客などが訪れていた。中には、米国人とみられる子ども連れのグループもあった。原爆の悲劇・悲惨さを世界中の子供たちに知ってもらいたい。それが、将来の世界平和につながるはずだ。

s-原爆ドーム外人DSC02073.jpg
(米国人らしい子どもたちのグループ)

 平和公園の原爆の子の像は、原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんをはじめとする子どもたちの霊を慰めるために設立され、周囲に多数の千羽鶴が奉納されていることでも知られている。

 幼児連れの若い夫婦が、像の下で手を合わせていた。この幼児が大人になったとき、さらにその孫子の世代までも、世界が平和であることを切に願わずにはいられない。

s-原爆の子像DSC02068.jpg


 しかし、この瞬間も、世界各地では、内紛やテロなど戦火が続いている。北朝鮮の核実験や尖閣諸島領土問題などを口実とするかのように、この日本も軍事費増強や自衛隊法改正などに向かっている。

 原爆の子の像の下で手を合わせていた一家の願いは、どうなるのだろうか。

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 「ギアナ高地と記録映画
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 「選挙と生物多様性
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野鳥の年始訪問 [日記・雑感]

 新年の三が日、わが家の庭にも野鳥が年始訪問してくれた(と勝手に解釈)。
 
 頻繁に訪問してくれたのは、メジロとヒヨドリ。
 あとは、キジバト、シジュウカラ、アオジ、スズメ。
 それから、電線にムクドリ、隣家の屋根にハシブトガラス、上空にトビ。
 と、まぁ、こんなところ。

 別に広い庭でもないし、特別に緑が多いわけでもない。しかし、かつて“別荘”だった住宅地が、次々に分割され分譲住宅になって、わが家周辺はずいぶん緑が少なくなってきた。その分、わが家に野鳥たちが集まってくるのだろう。

 ブログで多くの方々の花や野鳥、海の生物などの写真を見させていただいたおかげで、私も動植物の写真撮影に挑戦してみようと思った。
 
 普通のコンパクトデジカメなので、愛鳥家のブログ写真のようにはいかないが。

s-メジロDSC01902_2.jpg

頻繁に訪れるメジロ
 
s-メジロDSC01909.jpg

 家で採れたミカン(1本だけだが、40kg収穫)のおすそ分け
果実などは、毎年野鳥との競争だ



s-シジュウカラDSC01941_2.jpg
 

メジロとシジュウカラは、連れだって一緒のことも多い

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シジュウカラは地面に降りることも

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キジバトはいつも仲良くツガイで来訪




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声が大きいのはカラスとヒヨドリ




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 比較的珍しい訪問者アオジ


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アオジも地面に降りる




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電線にはムクドリ




s-トビDSC02002_3.jpg

これがわかれば、あなたはスゴイ!! 
ゴミではない  トビ(右上隅の黒点)と飛行機(中央上の白っぽい点)
実際には、3羽のトビが弧を描いていた

 

 今から40年以上も前のこと、憧れの国立公園の現場管理事務所勤務となった私は、35㎜フィルムカメラと300㎜の望遠レンズや接写レンズを携えて、動物や植物の写真撮影に熱中していた。

 その後、霞が関の中央官庁勤務が長く、また、カメラもオートフォーカスやデジタルに変わり、いつしか望遠レンズも使用しなくなってしまった。

 このたび、数十年ぶりにカメラケースから引っ張り出したのが、このかつての愛機だ。
 もう使うこともできないのに、しっかりとっておいてあった。
 この愛機も、復活することはないだろ。

s-カメラDSC02008.jpg



 カーテンの隙間から何十分間もカメラ(コンパクトデジカメ)を構えている私を、家人は呆れ顔でみている。
  
 当の私は、かつての胸の高まりを覚えながら、じっとシャッターチャンスを狙う。

 野鳥のおかげで昔のエネルギーを取り戻せることができれば、正月からメデタシメデタシだ。
  
 そしてこれは、ブログのおかげでもある。

 コーヒーを飲みながら、のんびりと野鳥を見ることのできる至福の時間に感謝しよう。
  
 森林の中ではなく、隣家の建物などが目につくのが、ちょっと残念だが・・・

P.S. 6日にツグミがピラカンタ(ピラカンサス)の赤い実を食べに来た(ひょっとすると、以前から来ていたのかも)。
まだ松の内なので、年始訪問として追加アップした。

s-ツグミDSC02022_2.jpg


 (「人と自然」ブログ関連記事リンク)

 「ギアナ高地と記録映画番組
 「連載 国立公園 人と自然(序) 数少ない自慢、すべての国立公園訪問記
 「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える
 「形から入る -山ガールから考える多様性
 「サファリの王国と地域社会 -国立公園 人と自然(番外編3) クルーガー国立公園(南アフリカ共和国)
 「植物名の由来・分類
 「熱帯林の空中散歩 -熱帯林の調査研究


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ゆったり とろける時間 -再びインドネシアから [日記・雑感]

 “のんびり時間”の話題のついでに、再びインドネシアから、のんびり時間について報告。

 s-ホテル朝食DSC01387.jpg今回のスマトラでの宿泊は、共同研究のランプン国立大学(UNILA)の割引料金で泊まれるというので、フランス系の高級Nホテルにしてみた。海の見える(オーシャンビュー)部屋で、到着した晩は夜景を堪能した。翌朝も、オープンデッキで朝食をとった。リゾート気分で、のんびりとした時間を過ごした。

 地域住民と国立公園との関わりについて調査するため、国立公園管理事務所の許可を得なければならない。この手続きにえらく時間がかかる。途中で昼休みやお祈りの時間になって、中断もされる。この間、(国際ローミングは高く、利用できる電波もないので)スマホをいじるわけにもいかず、じっと待つことにした。

 s-縁台DSC01423.jpgこのようなことの連続で、せっかくの高級ホテルに戻ったのは夜9時だった。翌日も早朝から出発だ。片道3時間の現地まで往復すること自体が、どだい無理な日程だった。結局その日はホテルまで戻ることができずに、途中の町の安宿(ロスメン)に泊まらざるを得なかった。

 s-コピルアックDSC01454.jpgシャワーなんて高級なものはなく、水槽に溜めた水を手桶で浴びる。地元ではマンディーというが、火照った体には結構気持ちがよい。スーツケースだけが夜を明かす高級ホテル代はもったいないが、水浴びや蚊に刺されながらの安宿泊も、なかなか味わえない経験だ。暗い部屋での夜は長い。

 s-村の子供DSC01540.jpg郷に入れば、郷に従えというが、ほかに手立てはない。こんな時には、腹を据えて紅茶でも飲むことにする。紅茶でもコーヒーでも、とにかく砂糖たっぷりで甘い。日本では砂糖を入れずに飲んでいるので、砂糖抜きを注文することもできるが、こちらではこの甘さが気にならない。暑さで知らないうちに体力も消耗しているのだろう。

 s-ドリアンDSC01821.jpg時間にルーズなのは、インドネシア人も承知していて、ジャム・カレット(ゴム時間)という。ゴムのように伸び縮み自在の時間のことだ。このルーズさにも、次第に諦めとともに慣れてくる。

 体にまとわりつくような空気とゆったりと流れる時間。その中にいると、気持ちまでもがとろけるようだ。外では、子どもたちの元気な声が響いている。

 (写真右上) ホテルの朝食(遠望はランプン湾)
 (写真左上) 日中から縁台で雑談や昼寝をする人々(スマトラ・ランプン州にて)
 (写真右中) インドネシアでも高級品のルアック・コーヒー(コピ・ルアック)(ジャコウネコが食べた糞の中のコーヒーの実から生産する。皿の上が糞.。国立公園集落の地場産業に育成中)(南ブキット・バリサン国立公園隣接集落にて)
 (写真左下) 日本では珍しくなった子どもの声がどこでも聞こえる(南ブキット・バリサン国立公園の隣接部落にて)
 (写真右下) 遅かった雨季も始まり、ドリアンも道端で売られている(スマトラ・ランプン州にて)

 (関連ブログ記事)
 「祭りで休みは文化か、悪弊か -祭日と休日を考える
 「インドネシアから帰国 -時間は流れる
 「インドネシア通信事情 -ブログ未更新の言い訳
 「繋がる時空、隔絶した時空 -携帯電話・インターネット考
 「アルバニアのんびりカフェ
 「小笠原 世界遺産に登録!!
 「モンゴルの風に吹かれて
 「自然と癒し -日本人は自然の中でのんびりと過ごせるか
 「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える
 「ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題


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