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『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版 1 [生物多様性]

 これまでのブログの末尾に掲載してきた拙著『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』(明石書店 2014年3月発行)を紹介させていただく。

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表紙カバー
写真は、“共生”の姿を示すカプールの林冠(マレーシア森林研究所にて)



 本書は、このブログでもたびたび取り上げてきた「生物多様性」とその保全のための「自然保護地域」の誕生から現代までの変遷を、国際的な視点から取り上げ、解説したものだ。

 2010年に名古屋で開催された生物多様性COP10では、「名古屋議定書」と「愛知目標」が採択されたが、その合意までには、なぜ参加国間で意見対立があったのか。そもそも、生物多様性とは一体何を意味するのか。誰もが異存ないであろう生物多様性の保全や保護地域の拡大を世界各国はなぜ一体となって推進できないのか。私たちの生活とどのような関係があるのか。

 本書では、これらの疑問に対して、できるだけ平易に解き明かすため、一般的にはあまり知られていない生物多様性と保護地域の光と影、すなわち、生物資源やその原産地でもある自然保護地域を先進国の視点から支配してきたことから生じた先進国と途上国の相克を解明することとした。

 本書は4 部13 章で構成されている。その内容の多くは、私がこれまで専門誌などに発表してきた論文などと、それを一般の方々にもわかりやすく書き下した本ブログ記事がもととなっている。つまり、論文 → ブログ記事 → 出版 という過程を経ている。

 もともと、このブログも「生物多様性」や「国立公園」などを少しでも多くの方々に知ってもらい、理解していただこうと始めたものだけどね。

 目次(記事末尾)をご覧いただくとお分かりのとおり、本ブログ記事の題名と同様の節も多い。したがって、本を購入しなくても、ブログで読めばよいという方もいるかもしれない(笑)。確かにその通りです。しかし、書物になれば、断片的な記事ではなく、系統だった内容を理解することができるかと思う。いや、理解していただきたく、本書を出版した次第だ。

 今回は、本書の第Ⅰ部について紹介する。第Ⅰ部では、植民地時代の生物資源をめぐる争いや生物多様性条約の成立など、生物多様性をめぐる国際関係をみる。

 コロンブスのアメリカ大陸到達とその後の大航海時代における西欧諸国による食料品や医薬品の原材料となる生物資源の支配は、現在でもグローバル企業などを介して続いている(第1 章)。


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大航海時代の先駆け、コロンブス像(バルセロナ・スペインにて)
右手は、アメリカ大陸を差しているという

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今も残るオランダ東インド会社の建物(ジャカルタ・インドネシアにて)

 現在の私たちの生活も、これと無縁ではなく、生物多様性の喪失にも加担しているといえるが、なぜ保全が必要なのだろうか(第2 章)。
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マングローブ林を伐採して造成されたエビ養殖池(スマトラ島・インドネシアにて)


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見渡す限りのアブラヤシ・プランテーション
スナック菓子やカップラーメンなどの油脂に使用される

 その生物多様性保全概念の醸成を国際的な環境政策の変遷のなかで明らかにする(第3 章)。

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初めて「持続可能な開発」の用語を使用した「世界保全戦略」(1980年)



 また、生物多様性条約の成立に際しては、保全と利用をめぐって、名古屋COP10 での対立の背景ともなる大航海時代にまでさかのぼる先進国と途上国の軋轢があった(第4 章)。

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名古屋COP10会場(2010年)(名古屋国際会議場にて)



  【目次】

  第Ⅰ部 生物多様性をめぐる国際関係

  第1章 生物資源の利用と交流
     大航海時代と植民地──生物多様性をめぐる覇権争い
     日本にも来たプラントハンター
     先住民の知恵と現代のプラントハンター
     バイオテクノロジーとグローバル企業
     INBio-メルク社契約とパラタクソノミスト 
 
  第2章 生物多様性の喪失と保全
     生物資源利用と生物種の絶滅
     私たちの日常生活と熱帯林の破壊
     そのエビはどこから?
     生物多様性の価値
     生物多様性の保全はなぜ必要か
     生物多様性の倫理学
     生物多様性保全の二つのアプローチ
     保護から保全へ、さらに再生へ

  第3章 生物多様性概念の醸成と政策の変遷
     自然観の変遷
     国際環境政策の潮流
     生物多様性の国際会議・条約の変遷
     生物多様性概念の醸成
     国際生物多様性政策の転換点

  第4章 生物多様性条約と南北問題
     生物多様性条約
     条約交渉と南北問題
     遺伝子組換え生物とカルタヘナ議定書
     名古屋COP10への道のり
     “MOP5”って何?
     COP10の成果──名古屋議定書と愛知目標

  第Ⅱ部 国立公園・自然保護地域をめぐる国際関係  (略)

  第Ⅲ部 インドネシアの生物多様性保全と国際開発援助  (略)

  第Ⅳ部 対立を超えて──生物多様性・保護地域 その新たな役割と期待  (略)


  今回の【ブログ内関連記事】の紹介は、該当記事が多すぎるため、上↑の目次にいくつかリンクしてみました。
  内容の例として、ご覧下さい。

  割引価格でのご提供を↓コメントに書きました。


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地球温暖化と高潮 ―防潮堤とマングローブ林 [生物多様性]

 地球温暖化に関するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)総会が昨日(3月29日)まで横浜で開催された。世界中から約500人の研究者や政府関係者が参加し、地球温暖化による影響(生態系、食料、海面上昇、健康ほか)と適応策などに関する報告が作成された。

 報告書によれば、日本でも今世紀末には、2000年までの20年間の平均に比べて、降雨量は9~16%増加、海面は最大63cm上昇、砂浜は最大85%消失するという。ハイマツやブナなどの植生をはじめ、生態系にも大きな変化が生じる。さらに農業でもコメやミカンをはじめ、栽培地や収穫量の変化が生じ、熱帯性の害虫増加なども予測される。人への健康被害でも熱帯病などの蔓延が懸念されている。

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高山のお花畑(南アルプス北岳)

 これら予測のうちのいくつかは、既に現実のものとなっている。生態系変化では、ナガサキアゲハやクマゼミなどのもともとは西南日本に分布していた種が関東地方にまで分布を拡大しているのも温暖化の影響とみられている。植物でも、北海道アポイ岳などの高山植物帯の消失ほか、温暖化影響とみられる多くの植生変化が報告されている。近年のシカの増加も、天敵のオオカミ(ニホンオオカミとエゾオオカミ)の絶滅もさることながら(こちらは100年前の話だ)、温暖化による降雪の減少で餌が豊富になったことが大きい。
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個体数増加により貴重な植生への被害も(日光国立公園戦場ヶ原)

 気候変動、いわゆる異常気象は私たちの生活にはもっと切実だ。昨年から今年の天候に限っても、夏の暑さと冬の寒さ、あるいは降水量の異常さは、「観測史上」の最高・最低などの記録を塗り替えてしまった。

 その中でも、海面上昇に伴う「高潮」は、全世界で沿岸域に暮らす人々の脅威となっている。これまでも、南太平洋のパラオなどでは、海面上昇によって国土(島)自体が水没する危機が迫っていることは、マスコミでも映像を伴って頻繁に取り上げられてきた。

 それに加え、昨年(2013年)11月には、フィリピンのレイテ島などで高潮による甚大な被害が生じた。この直接の原因は、もちろん大型台風(台風30号ハイエン)による強風と低気圧の海水面引き上げではあるが、温暖化により通常の海水面も昔に比べて上昇していたことは考えられないだろうか。あるいは、大型台風の発生自体が、温暖化による海水温度の上昇と関係があるのではないだろうか。私はこの点では全くの素人なので軽軽な推測はすべきではないかもしれないが。

 いずれにしろ、日本ではもっぱら地震による津波に関心が集まっているが、温暖化に伴う高潮被害の増加にも目を向ける必要がありそうだ。

 インドネシアでは、沿岸域のマングローブ林が、エビ養殖池や水田耕地の造成、薪炭材利用のための伐採などにより、急激に減少してきた。マングローブ林は、これまで防潮堤の役割も果たしてきたが、伐採・消失に伴い高潮被害も頻発するようになってきた。

 

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マングローブ林(インドネシア・スマトラ島)

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マングローブ林を伐採して造成したエビ養殖池(スマトラ島)

 地方政府当局は、被害軽減のためにコンクリートや石積みの防潮堤を建設しているが、工事によりわずかに残ったマングローブ林が伐採されることにもなっている。もちろん、わずかなマングローブ林では防潮機能は十分発揮できないかもしれない。
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マングローブ林の代わりに建設された石積み防潮堤(スマトラ島)

 しかし、沿岸住民はコンクリート護岸(防潮堤)にも不安を抱き、マングローブ林の防潮機能に期待してもいる。私が昨年実施したスマトラ島ランプン州の沿岸住民へのアンケート調査でも、マングローブの防潮機能に対しては、他のエビ・魚類など海産物の育成機能、海水の浄化機能、沿岸の浸食防止機能などよりも、高い評価をしている。

 インドネシアの地方政府では、日本のように10mもの高さの防潮堤は、予算面でとても建設できない。いや、日本でも東日本大震災後の津波対策として、長大な高い壁のような防潮堤の復興には議論が起きている。「緑の防潮堤」や計画的な移転などのもっと総合的な対策も提案されている。
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東日本大震災の津波被害による防潮堤倒壊(岩手県宮古市田老町)
右奥の建物は、震災遺構として保存される「たろう観光ホテル」

 世界的にも、高潮を含む様々な自然災害に対して、自然の機能を活用した自然災害減災(ecosystem-based disaster risk reduction: eco-DRR)対策が模索されている。

 私たち人類は、食料はもちろん、建築、衣類(繊維)、乗り物、薬品その他多くの分野で自然を模倣(生物模倣技術 バイオミメティクス)して、さまざまな製品を生み出してきた。

 自然から学ぶことは多い。このブログでもたびたび取り上げているように、健全な社会は多様性に支えられていることを自然は教えてくれている(生物多様性)。

 人間社会での多様性は、人種や宗教などの多様性はもちろん、いろいろなことに対する考え方や言動も多様であることを認めることだ。すなわち、個性の尊重だろう。とかく日本では画一的な社会性を求めることが多いが、私自身、教育の場で心したい。

 地球温暖化から、ずいぶんと話はそれてしまった!?


 【ブログ内関連記事】

 「津波とマングローブ林再生 -スマトラ島のマングローブ林から(1)
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 「地球温暖化と生物多様性

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 「多様な生態系のエコツアー:マングローブ林と観光の可能性 -スマトラ島のマングローブ林から(4)
 「バーベキュー炭もマングローブから:マングローブの生活資源 -スマトラ島のマングローブ林から(3)
 「そのエビはどこから? -スマトラ島のマングローブ林から(2)

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 「地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評

 「タイガーマスク運動 -ランドセルと多様性
 「ボールペンの替芯からエコと多様性を考える
 「形から入る -山ガールから考える多様性
 「音楽と騒音と -海外調査から帰国して文化の多様性を考える
 「選挙と生物多様性
 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして

 【書籍出版のお知らせ】

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『生物多様性と保護地域の国際関係 ―対立から共生へ―』
 明石書店より3月25日発行

ブログ記事で解説した内容なども多数、体系的に掲載 
平易な解説と物語の一般読み物としてもどうぞ
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多様な生態系のエコツアー:マングローブ林と観光の可能性 -スマトラ島のマングローブ林から(4) [生物多様性]

 チャーターした漁船は、穏やかな海面を滑るように樹林に近づいていく。近くに寄ると、その樹木のどれもが、タコの足のような根を何本も海中に突き刺さして、海流に流されまいと懸命に足を踏ん張っているような姿がはっきりと見て取れる。

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 スマトラ島のマングローブ林

 マングローブとは、熱帯や亜熱帯の海岸沿いや河口などの潮間帯に生育する植物の総称だ。だから、「マングローブ」という固有名の植物ではなく、100種ほどの植物をまとめてマングローブと呼ぶ。日本では、メヒルギ、オヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギダマシ、ニッパヤシなどの5科7種で、沖縄県の島嶼や鹿児島県南部に分布する。インドネシアでは、バカウ(Rhizophora リゾフォラ)と呼ばれる種とアピアピ(Avicennia アビセニア)と呼ばれる種とが広く分布している。

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   アピアピ種のマングローブ林            アピアピの種子

 潮間帯、すなわち満潮と干潮の間に、海水に浸かったり干潟になったりする海岸や河口部に、マングローブで構成されるマングローブ林が発達する。栄養分も豊富で、マングローブの根に囲まれた安全地帯でもあり、プランクトン、エビやカニ類、貝類、稚魚、さらにこれらを餌とする鳥類などの動物相も豊かだ。まさに、「生物多様性の宝庫」といえる場だ。

 こうしたマングローブ林そのもの、あるいはそこに生息する動物たちを観察するエコツアーが発展すれば、マングローブ林を伐採してエビ養殖池などにしなくとも、地域の人々に収入をもたらすことができるかもしれない。
 
 しかし、マングローブ林が発達するのは海岸の泥地だから、歩いて林内観察をするのは困難だ。そこで、船で周遊することになるが、これはなかなか楽しい経験だ。沖縄では、西表島の仲間川や浦内川などのマングローブ林を周遊する遊覧船もあり、最近ではカヤック(カヌー)で回る体験ツアーも盛んだ。

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   西表島のマングローブ林(後良川)  マングローブ林ツアーボート(セレストン保護地域)

 かつて訪れたメキシコのユカタン半島先端のセレストン生物圏保護地域では、ボートに乗ってマングローブ林を抜けると、フラミンゴの大群を見ることができた。漁業をしていた地域の人々は、現在では地元政府の補助により漁船を観光船に改造し、日常語のスペイン語以外に英語やフランス語などを習得してガイドとして生計を立てている。

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   マングローブ林の先の開けた塩水域    かつての漁民はエコツアーガイドに

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ツアーの目玉はフラミンゴ(メキシコ・セレストン保護地域)



 しかし、インドネシアではマングローブ林は当たり前で、誰も見向きもしない。それどころか、エビ養殖池やマングローブ炭のために伐採されてしまっている現状は、以前のブログ記事での報告のとおりだ(「バーベキュー炭もマングローブから:マングローブの生活資源」、「そのエビはどこから?」)。このため、マングローブ林の伐採により、津波や高潮の被害におびえている住民も多い(「津波とマングローブ林再生」)。

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マングローブ林が伐採されて広大なエビ養殖池が造成されている(スマトラ島にて)


 一方で、スマトラ島ランプン湾内のマングローブ林に覆われたP島では、個人が所有する200haもの広大な土地が、ヘリポート付きのまるでリゾートホテルのように整備されていた。必ずしもマングローブに着目したものではないが、のんびりとした時間の流れを満喫することのできる場としてマングローブ林も一役買っている。

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    個人所有の広大な別荘地(?)        普段は使用されないコテージ

 私の調査研究は、インドネシアのマングローブ林の保全を図りつつ、地域社会に経済的な利益をももたらす方策の可能性と課題などを探るものだ。

 その一つの有力な手段にエコツーリズムがある。動植物観察の「エコツーリズム」だけではなく、地球温暖化対策や津波対策も兼ねた「マングローブ植林ツアー」(「津波とマングローブ林再生」記事参照)も有効かもしれない。

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 左)観察タワーも建てられているが、場所や高さの関係もあり、あまり利用されていない(スマトラ島にて)
 右)マングローブを植林する地元小学生

 都市化が急速に広がるインドネシアでは、海岸近くの住民でも、マングローブ林を見たこともない人々が増加しつつある。

 特権階級(セレブ)だけのマングローブ林リゾートではなく、地域住民も恩恵を受けつつ、拡大しつつある中産階級や海外からの観光客も受け入れる観光の可能性を探求してみたい。

 観光も多様なマングローブ林の機能の一つにすぎない。炭素吸収源としての地球温暖化対策による高潮被害をもたらす気候変動対策への寄与、直接的な津波の防波堤、もちろん薪や炭などの燃料、水産業などの経済的効果など、マングローブ林の効用は計り知れない。

 【ブログ内関連記事】

 「バーベキュー炭もマングローブから:マングローブの生活資源 -スマトラ島のマングローブ林から(3)
 「そのエビはどこから? -スマトラ島のマングローブ林から(2)
 「津波とマングローブ林再生 -スマトラ島のマングローブ林から(1)
 
 「オランウータンとの遭遇 エコツーリズム、リハビリ、ノアの方舟 -国立公園 人と自然(番外編8)グヌン・ルーサー国立公園(インドネシア)
 「エコツーリズムの誕生と国際開発援助
 「エコツーリズムと保全について考える -エコツーリズム協会記念大会でコーディネーター

 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「南スマトラ調査


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巳年の植物 [生物多様性]

 新年おめでとうございます。
 昨年は、本ブログにご訪問いただき、ありがとうございました。本年もよろしくお願いします。

 今年は巳年。干支は、空を駆ける辰から、地を這う巳への変化だけれど、世の中はどう変わるのか、変わらないのか。

 s-ヘビイチゴ.jpgところで、植物の名にも“ヘビイチゴ”や“ジャノヒゲ”、さらには“マムシグサ”などのように、ヘビにちなんだ名をもつ植物も多い。環境省が自然環境調査用に編纂した「植物目録1987」から拾ってみると、「ヘビ」の名のつく植物は19種、「ジャ」がつくものは9種だった。もちろん、ジャコウなどのように、ジャがついても他の意味であれば除いた。

 s-ジャノヒゲ.jpg“ヘビ”がつくのは、先ほどのヘビイチゴ(蛇苺)(ヤブヘビイチゴなど8種)のほか、ヘビノボラズ(蛇登らず)(4種)など合計19種だ。また、“ジャ”がつくのは、ジャノヒゲ(蛇の髭)(4種)、ジャケツイバラ(蛇結茨)など、合計9種だった。

 s-ヒガンマムシグサ.jpgちなみに、「マムシグサ」は、マムシグサ、ヒガンマムシグサ、ツクシマムシグサなど5種がある。サトイモ科テンナンショウ属のマムシグサの仲間は、その名のとおり一見マムシかと見える姿をしている。球根や葉などにシュウ酸カルシウムを含み、有毒だという。まさにマムシのごとくだ。

 s-リュウノウギク2.jpg一方、昨年の干支だった「タツ」あるいは「リュウ」はどうだろうか。“タツ”はタツノツメガヤなど2種だけで、“リュウ”はリュウノウギク(龍脳菊)(2種)、リュウビンタイ(龍の鱗)(4種)など12種だ。リュウはリュウでも、リュウキュウ(琉球)やリュウキンカ(立金花)など、タツもタツナミソウ(立浪草)など、紛らわしいものは多いが。

 どうやら、植物名の種数だけに限れば、昨年の辰年よりも、今年の巳年の方が上向いているように見える。内実もそうなってほしいものだ。少しは、明るい話題がほしい。

 (写真右上) ヘビイチゴ
 (写真左上) ジャノヒゲ
 (写真右下) ヒガンマムシグサ
 (写真左下) リュウノウギク

 (関連ブログ記事)
 「植物名の由来・分類
 「海辺のお散歩と夏の海浜植物


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植物名の由来・分類 [生物多様性]

 前回のブログ記事で、夏の海浜植物を取り上げた。掲載写真の4種中3種は、頭に“ハマ”の付く名前だ。これはすぐお分かりのとおり、海浜に生育する植物として「浜(はま)」が付けられたものだ。

 私はかつて、このように2種以上に共通する植物名の頭の部分、いわば接頭辞にあたるものを分類・カウントしたことがある(高橋進「植物和名接頭辞考-植物和名の接頭辞にみる自然と人間-」森林文化研究第12巻(1991年12月(財)森林文化協会発行) pp.133-142)。

 s-フジアザミCIMG0525.jpg日本に産する高等植物約7,000種の標準和名(環境庁1987年版)を分類したものだ。この結果では、先の“ハマ”のように、生育場所を示す接頭辞には、52分類、1,006種の植物が該当した。このうち、“ハマ”の接頭辞をもつ植物は、72種だった。

 生育場所を示す接頭辞で、一番種数の多かったのは、“ミヤマ”(深山)の165種、次いで“ヤマ”(山)(“ヤマザト”(山里)、“ヤマジ”(山地、山路)を含む)の115種、“イワ”(岩)79種、“シマ”(島)76種で、“ハマ”はその次、さらに“タカネ”(高嶺)58種と続いた(注.“シマ”は、“縞”の場合もあり、由来から分類)。

 s-ハクサンチドリ0786.jpgこうしてみると、、低地の植物との違いを示すものとして、山岳地に生育する植物を意味する接頭辞が多いのがわかる。

 具体的な山岳地名のついた植物も多く、67分類、396種にのぼった。単に読みからだけ拾うと、“フジ”が最も多いが、これは「富士」と「藤」の二つの意があるので、それぞれの植物名の由来を個別に当たって分類した。

 s-トウゴクミツバツツジCIMG0370.jpgこの結果、山岳地名で一番多いのは“イブキ”(伊吹山)の22種で、「富士山」に由来する“フジ”は19種、次いで“ハクサン”(白山)の18種、“ハコネ”(箱根)16種、“ニッコウ”(日光)15種、“アポイ”(アポイ岳)と“キリシマ”(霧島山)がそれぞれ12種、“アマギ”(天城山)、“オゼ”(尾瀬)、“ヒダカ”(日高山系)がそれぞれ11種ずつだった。

 該当種数第一位の“イブキ”の由来の伊吹山は、石灰岩で形成されているために固有の植物も多く、また関西大都市圏に位置して古くから研究の場にもなっていた。これらのこともあり、イブキジャコウソウ、イブキトラノオなど“イブキ”を冠した植物が多く、天然記念物にも指定され、花の山としても名高く、琵琶湖国定公園にも指定されている。

 s-ムニンツツジ.jpgこのほか、“エゾ”(200種)など地方名、あるいは山岳のほかにも島しょや半島など固有の地名に関連する接頭辞も多い。山岳や島などが多いのは、隔絶された地で自然が残り、また固有種なども多い結果と考えられる。

 s-コマクサCIMG0916.jpgさらに、“イヌ”(79種)などの動物に関連するもの、“アキ”(26種)など季節に関連するもの、さらには色や形状などに関連するものなど、およそ750の接頭辞に分類された。

 これらの分類作業をしたのは今から20年以上も前だ。このために、当時はまだそれほど普及していなかったパーソナル・コンピュータ(当時、3.5インチ・フロッピィが出回り始めた)を購入し、自前でプログラミングをして、休日などに分類・カウントをした。

 結果は、上記のとおり専門誌に掲載されたが、当時は研究者でもなかった私にとって、趣味の域を出なかった。その頃の情熱を、今はどれほど持ち合わせているだろうか。

 昔を懐かしむようでは、やはり齢か。否、こうして昔の結果が財産として活用されているのだから、前向きに良しとしよう。

 閲覧数が多く、関心を持つ読者が多いようなら、さらに植物接頭辞に着く山岳名のランキングと分布、さらに信仰対象との関係など、地方名ではどの地域が多いか、動物名ではどんな動物が多いか(犬が一番は上記のとおり)、色ではどうか、などなどこれからも続けていこう。少し元気が出そうかな?

 (写真右上) フジアザミ (富士山の名を冠した植物例)(富士山にて)
 (写真左上) ハクサンチドリ (白山の名を冠した植物例)(乳頭山にて)
 (写真右中) トウゴクミツバツツジ (関東を意味する東国を冠した植物例)(日光にて)
 (写真左下) ムニンツツジ (小笠原諸島の無人島を表す“ムニン”を冠した植物例)(小笠原・父島にて)
 (写真右下) コマクサ (動物 駒(こま)=馬を冠した植物例)(秋田駒ケ岳にて)

 (関連ブログ記事)
 「海辺のお散歩と夏の海浜植物
 「魅惑の高山植物、消滅した恐竜と山村生活 -国立公園 人と自然(11)白山国立公園
 「花の浮島、花の原野 最北の国立公園 -国立公園 人と自然(18)利尻礼文サロベツ国立公園
 「日本第二位の高峰とお花畑、自然保護と登山ブーム -国立公園 人と自然(17)南アルプス国立公園
 「雄大な「神の座」に遊ぶ動物たちと咲き乱れる高山植物 -国立公園 人と自然(12)大雪山国立公園
 「小笠原 世界遺産に登録!!
 「世界遺産候補になった東洋のガラパゴス、ペリーやジョン万次郎も訪れた島々 -国立公園 人と自然(2) 小笠原国立公園


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コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える [生物多様性]

 近くの海岸までの散歩から戻り、ゆっくりとコーヒーを飲んでいるところだ。以前のこのブログで、スマトラの熱帯林が違法伐採されて、コーヒープランテーションとなっていることを報告した(「そのおいしいコーヒーはどこから?」)。

 スマトラ島の南ブキット・バリサン(Bkit Barisan Selatan)国立公園は、トラ、サイ、ゾウなどの希少な野生動物も生息することから「世界遺産」にも指定されているバリサン山脈の一部だ。しかし、公園内を貫通する国道から一歩森林内に入ると、違法侵入者たち(エンクローチメント)により原生林が伐採されて、コーヒーのプランテーション(農園)となっている。かつての原生林の面影を残す太い切り株もある見渡す限りの伐採跡には、細々としたコーヒーの苗が植えられている。(伐採後の光景は、上記ブログ記事を参照されたい)

 s-ロブスタコーヒー00230.jpgコーヒーは、通常は半日陰で栽培されている。しかし、樹木を選択して伐採するのは手間がかかるし、シェード(緑陰樹)の植栽や後片付けも大変だ。そこで手っ取り早い方法として、皆伐して焼き払い、そこに苗を植えることになる。

 私とランプン国立大学の共同研究で衛星画像を解析して森林の減少率を調べたところ、1973年には国立公園の88.6%を覆っていた原生林が、1997年には76.2%に、さらに5年後の2002年に56.5%に、2008年には半分以下の49.2%にまで急激に減少してしまったことが判明した。

 このようにして原生林が減少し続け、これ以上の原生林の減少が続けば、そこに生息する貴重な動物の存続にも赤信号がともる事態になってしまった。2011年には、ついに世界遺産は「危機遺産」として登録されることになってしまった。

 ここで栽培されているロブスタ(Robusta)種は、日射や病害虫にも強く、比較的栽培が容易でもある。しかし、違法でもあり、粗放栽培のため品質も劣ることから、当然価格も安く買いたたかれる。それでも、違法侵入の住民にとっては、貴重な現金収入だ。WWFインドネシアによれば、これらのコーヒー豆は、合法的なコーヒー豆と混ぜられて世界50カ国以上に輸出され、世界的なメーカーのインスタントコーヒーやスーパーで売られているパッケージ入りのブレンドコーヒーなどの原料ともなっているという。要するに増量のためだろう。日本は、米国やドイツなどとともに、このコーヒー豆の輸入大国の一つだというから、私たちが口にしているコーヒーにも、このコーヒー豆が含まれているかもしれない。

 s-認証マーク.jpgこうした熱帯生物多様性の保全や地域社会の安定などの観点から製品をチェックし、「フェアトレード」や「レインフォレスト・アライアンス」などの認証を受けたコーヒー豆も出回るようになってきた。日本の大手コーヒーメーカーやコーヒーチェーンでも、積極的にこれらの認証コーヒー豆を扱う取り組みが増えてきた。

 日曜日には、安心して、コーヒーをゆっくりと味わいたいものだ。

 (写真上)原生林の伐採跡地のコーヒー豆(南ブキット・バリサン国立公園にて)
 (写真下)認証マーク(左:フェアトレード、右:レインフォレスト・アライアンス)
 (いずれも、各WEBより:フェアトレード情報室http://www.fair-t.info/ft-label/label1.html;レインフォレスト・アライアンスhttp://www.rainforest-alliance.org/ja/certification-verification

 (関連ブログ記事)
 「そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査
 「そのエビはどこから? -スマトラ島のマングローブ林から(2)
 「アルバニアのんびりカフェ
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熱帯林の空中散歩 -熱帯林の調査研究 [生物多様性]

 まだ日の出前というのに、少しでも動き回ると汗が吹き出す。そんな熱帯雨林の林内から抜け出すと、さわやかな風が流れ、霧の海原に樹冠が墨絵のように遠くまで浮かんでいる。熱帯特有のけたたましい鳥の鳴き声やギボン(テナガザル)の吠え声が、足元から沸き起こってくる。マレーシア半島部パソ保護区の森で、高さ50mの樹冠観察用タワーに上った時の光景だ。別の時には、ホーンビル(サイチョウ)というくちばしの巨大な鳥のつがいが空を舞い、枝にとまるのも観察できた。

 s-樹冠01564.jpg生物多様性の宝庫と言われる熱帯雨林には、実に数多くの生物が生息している。樹木も高さ30mから50mもの高木になり、何層かを形成している。ちょうど山に登ると標高によって植物の種類が変わる(植生の垂直分布)のと同様に、熱帯林では林床から高木の先(樹冠)までのそれぞれの高さで生物相も変化する。花が咲き、実がついても、地上からでは観察することもできない。最近では地球温暖化の関係もあり、呼吸や光合成を行う葉をつけた樹冠への関心も高い。

 かつて、熱帯林での生態研究者は、ロッククライミングのようにロープで樹上まで登って観察した。それを効率よくするために、さまざまな工夫がなされてきた。気球で少しずつ高度を上げて観察する方法もあるが、空間がないとバルーンの使用はできない。高層ビルの工事現場でみかけるようなクレーンで樹冠を観察しているところもある。しかしこれだと、クレーンのアーム(腕)の長さの範囲しか観察できない。日本の山でみかける集材機のように、谷に索道をかけてそこにリフトをつけて移動しながら観察する方法もとられている。

 s-キャノピータワー01527.jpgs-キャノピーゴンドラ.jpgいろいろな工夫と試行錯誤がなされてきたが、日本人研究者もよく訪れるマレーシアでは、先ほどの半島部パソやボルネオのランビルなどで、何本かのタワーとそれらを結ぶ回廊が設置されている。タワーは、高木にやぐらを組んでテラスをつけたものだが、最近では独立したパイプ組のものも建設されている。そのタワーを吊り橋のような回廊で結んで、そこを歩きながら樹木の葉や実、昆虫などを観察・研究するのだ。回廊は英語ではキャノピー・ウォークウェイ(canopy walkway)と呼ばれるが、まさに樹冠・林冠の空中散歩道といったところだ。しかし、工事現場の足場のような階段を登るのも、50mもの高さとなると疲れるし、コケで滑るところもあり、なかなかスリルもある。ときには踊り場にヘビが休んでいることもあるという。もちろん、ウォークウェイも足を踏み外したら大変だ。時には命綱をつけないと使用させてもらえない施設もある。

 近年では、こうした研究用の観察施設がエコツアーに使用されることも多い。エコツアー用にわざわざこのような施設を設置しているところもある。エコツーリズムが盛んな中米コスタリカでは、観光客が小型のゴンドラから林冠を眺めることもできる。モンテベルデ国立公園では、フィールドアスレチック場にあるようなロープに付けた滑車にぶら下がって樹上を移動するスリルも味わえる。その名もスカイウォークと呼ばれている。

 s-キャノピーウォークウェイ4260569.jpgインドネシアのグヌン・ハリムン・サラック国立公園では、私がJICA生物多様性プロジェクトの初代リーダーをしていた際に、チカニキのリサーチ・ステーションに隣接してキャノピー・ウォークウェイを設置した。当初はもちろん研究用に使用されていたが、その後は維持経費ねん出のためもあってか、エコツーリズム観光客にも開放するようになった。それだけではない。ついにはジュラルミンの足場が盗まれてしまい、使用できなくなってしまった。

 熱帯林の空中散歩も、研究者だけの特権ではもったいないが、さりとて研究に支障が出たり、事故が起きては元も子もない。

 (写真上)雲海に浮かぶ樹冠(パソ保護区の観察タワーから)
 (写真中)観察タワー(パソ保護区・マレーシア)
 (写真下)キャノピー・ウォークウェイ(グヌン・ハリムン・サラック国立公園・インドネシア)
 (写真左)エコツーリズム樹冠観察用ゴンドラ(コスタリカ)
 
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バーベキュー炭もマングローブから:マングローブの生活資源 -スマトラ島のマングローブ林から(3) [生物多様性]

 このところ急に朝晩の気温が下がり、昼間の時間が短くなってきたこともあり、肌寒さを感じる。こうなるとやはり、炬燵(こたつ)にでも入って食べるおでんや鍋物が恋しくなる。この書き出しで、先月には「雑木林と薪炭」のブログ記事をアップした。今では真冬の寒さで、ますます熱いものがほしくなる。

 ところで、前回の薪炭は日本の関東地方が舞台だったが、今度は熱帯のマングローブ林が舞台だ。

 s-マングローブ違法伐採0437.jpgマングローブ林が、津波の防止に役立ったり、エビを含む稚魚の成育の場となっていることは、このブログ記事ですでに紹介した(「津波とマングローブ林再生」「そのエビはどこから?」)。それ以外にも、マングローブは様々な形で地元の人の生活の役に立っている。特に、多くの生物資源を提供してきた。

 すぐに思いつくのは木材としての利用だろう。腐りにくいマングローブの木材は、船、桟橋、家屋などに利用されてきた。タンニンを含む樹皮は、製革(皮なめし)や染色にも利用された。さらに、発疹の治療薬、下痢止めや防腐剤などの伝統的医薬品としても利用されてきた。また、ニッパヤシなどは、屋根材や壁材として、あるいはその繊維を利用してカゴや漁網の材料ともなってきた。(ニッパヤシは、ふつうイメージするマングローブとは異なるが、潮間帯に生育する植物の総称をマングローブいうことからこれに含まれる。)

 こうした生物資源としての直接的利用の中で、今日でも大々的に利用されているのは燃料としての薪炭利用だろう。マングローブ林の生育する沿岸地域の集落、住民の中には、まだまだ貧しい生活を送る人々も多い。電気や石油などの燃料を手に入れることができない彼らには、マングローブが有力な燃料となる。

 s-マングローブ違法伐採0450.jpgそれだけではない、マングローブから生成された炭は、日本にも輸入され、バーベキューなど私たちの楽しみのために利用されている。今はシーズンオフだろうが、夏のシーズンともなるとホームセンターなどのアウトドア用品売り場には、レジャー用の木炭として、安いマングローブ炭がうず高く積まれる。

 エビの輸入による、いわば間接的なマングローブ林の破壊だけでなく、薪炭のための伐採による直接的な破壊にも、私たちは関与していることになる。私たち日本人のおいしい料理やレジャーといった、いわば豊かな生活は、遠く離れた熱帯地域のマングローブにも支えられているのだ。忘年会の炭火焼き魚や焼き鳥の炭は大丈夫かな?

 (写真上)燃料用に違法伐採されたマングローブ
      証拠品として警察の立ち入り禁止ベルトが張られている(インドネシア・スマトラ島にて)
 (写真下)マングローブの違法伐採跡(インドネシア・スマトラ島にて)

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 「熱帯林の保全 それとも遺伝子組換え食品? -「生活の中の生物多様性」講演の反応
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地球温暖化と生物多様性 [生物多様性]

 11月28日から南アフリカ共和国のダーバンで、国連気候変動枠組条約(地球温暖化防止条約)の第17回締約国会議(COP17)が開催される。ポスト京都議定書の枠組みを決める重要な会議で、世界の関心も高い。

 会議が開催されるダーバンは、南アフリカの海岸沿いのリゾート地で、2010年にサッカーのワールドカップも開催されたことから、アフリカ諸国の都市の中では日本でも比較的知られているほうだろう。私も、2003年に開催された「第5回保護地域会議(世界国立公園会議)」参加のために訪れたことがある。今ではどうか知らないが、当時は世界でも有数の犯罪率が高い都市として有名だった。なにしろ、会議資料を日本に郵送するため、ホテルから目と鼻の先の郵便局に行こうとした際、ホテルのボーイが飛んできて、危険だからとわざわざボディーガードに付いてきたほどだ。そういえば、ワールドカップの際にも、武装集団強盗などの犯罪被害にあわないように警告が出されていた。幸い大きな被害はなかったようだが。

 ところで、本ブログのテーマでもある生物多様性と地球温暖化とは、どのような関係があるのだろうか。先の第5回世界保護地域会議でも、生物多様性条約と地球温暖化は取り上げられた。この両者の関係を概観してみよう。

 地球温暖化と生物の関係ですぐに思いつくのは、テレビ映像などで繰り返し流される氷山の崩壊によって追いつめられる北極海のシロクマだろう。国内でも、北海道のアポイ岳などの高山植物生育地が温暖化によって後退(標高が上昇)していることや、ナガサキアゲハ、クマゼミなど西南日本に分布していた種が、関東地方にまで北上していることなどが報告されている。ほかにも各地で、もともとは南方産の魚の漁獲が増加しているという。そもそも日本各地のシカの増加は、天敵のニホンオオカミの絶滅に加えて、温暖化による積雪の減少の影響が大きい。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書(日本版)には、これらの実態や予測が記載されている。日本の「生物多様性国家戦略2010」でも、生物多様性の危機として、地球温暖化による生物多様性への影響が挙げられている。

 s-森林焼失050.jpgこれらの地球温暖化による生物多様性への影響、すなわち矢印の方向でいえば温暖化から生物多様性に向かう関係、のほかに逆の関係もある。こちらは、温暖化の原因ともなる二酸化炭素の吸収源としての森林などが減少・劣化する、あるいは木材に蓄積されていた二酸化炭素が燃焼によって放出されるものだ。先の矢印の向きは、生物多様性から地球温暖化になる。

 地球の肺とも称される熱帯林は、特に20世紀以降、急速に破壊されている。かつて私が「JICA生物多様性プロジェクト」リーダーとして滞在したことのあるインドネシアでも、ゴム、茶、ヤシ、コーヒーなどのプランテーション造成のために原生林が伐採されていた。伐採された樹木は造成に邪魔なことから、手っ取り早く処分するために焼却された。また、その火は予定外の森林にまで拡大し、森林火災を招いた。その煙は空を覆い、飛行機の運航に支障を与え、車は昼間でもヘッドランプを使用せざるを得ないなど、隣国のシンガポールなどにまで煙害(ヘイズ)をもたらした。

 こうした途上国での森林の減少・劣化による温室効果ガス(二酸化炭素やメタンなど)の排出量を抑制するため、世界ではREDD(Reducing Emissions from Deforestation and Forest Degradation)と呼ばれる政策プロジェクトが動き出している。森林減少・劣化の抑制は、新たな吸収源造成のための植林よりも温室効果ガス抑制効果があるとの試算もある。京都議定書では、途上国での植林プロジェクトをCDM(クリーン開発メカニズム)として、温室効果ガスの排出権、クレジットをめぐる一種の経済取引の対象としている。これに代わるREDDの枠組みはまだ定まっていないが、先進国、途上国とも、経済的な効果を期待している。実は私も、環境省の環境研究総合推進費によるREDD関連研究プロジェクトに参加し、国立公園などの保護地域管理と地域社会との関係から森林減少・劣化防止について研究している。

 s-オイルパームプランテーション00762.jpgこれら両方向の矢印の関係をさらに複雑にしている例がある。それは、車からの温室効果ガス排出を抑制するためにガソリンに代わり使用されるバイオ燃料だ。この原料の多くは、パームオイル(ヤシ油)だ。そしてパームオイルは、オイルパーム(アブラヤシ)の実から精製される。日本でもスナック菓子やインスタントラーメンなどの揚げ物をはじめとする食用油や化粧品などにも使用されているパームオイルのため、熱帯林が伐採されてオイルパームのプランテーション拡大が急速に進んでいる。それに加え、バイオ燃料の原料として需要が高まり、プランテーション拡大にともなう森林伐採がさらに拡大しているのだ。

 地球温暖化防止のためのバイオ燃料が、その生成のため森林伐採・焼却によって逆に温室効果ガスの排出を増加させ、さらに吸収源としての森林の減少・劣化を招いている。私たち人間の成すことは、結局のところこの程度なのだろうか。経済性と温室効果ガス抑制だけを追い求めた原発の行く末が、それを示している。


 (写真上)熱帯林がプランテーション拡大のために伐採されて焼却されている(グヌン・ハリムン・サラック国立公園隣接地(インドネシア西ジャワ州)にて)
 (写真下)見渡す限りのオイルパーム(アブラヤシ)のプランテーション(グヌン・ハリムン・サラック国立公園隣接地(インドネシア西ジャワ州)にて)

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武蔵野の雑木林と炭 [生物多様性]

 このところ急に朝晩の気温が下がり、昼間の時間が短くなってきたこともあり、肌寒さを感じる。こうなるとやはり、炬燵(こたつ)にでも入って食べるおでんや鍋物が恋しくなる。こういうと、歳がバレてしまう(いや、プロフィールで当の昔にバレているが)。なにしろ、最近ではおでんもコンビニで買うものらしいし、エアコンがあれば炬燵など必要がない。

 s-雑木林落ち葉かき0923.jpg私が子供の頃、我が家では炬燵ではなく、燃料に炭団(たどん)を用いた行火(あんか)なるものを使用していた。炬燵にしろ、行火にしろ、燃料は炭団や炭だ。炊事や暖房に、今のように石油や電気などが使用される前には、もっぱら薪や炭を使用していた。しかし最近では、“炭”を目にすることもめっきり少なくなった。最近でも、夏休みのキャンプでは、バーベキューなどで炭を用いることもあるかもしれない。しかし、茶道でも、湯を沸かすのに炭を使うことも少なくなってきた。炭を日常的に使用しているのはせいぜい、焼鳥屋などくらいだろう。通勤路の駅の近くにも、「備長炭使用の店」の看板を掲げた店があるが、看板が盗まれるせいか、夜の営業時間にならないと外には掲げないため、まだ写真を撮っていない。

 炭には、ウバメガシから生産した備長炭のほかにも、様々な木材が使用されてきた。竹炭もある。最近は燃料としてだけではなく、炭の多孔性を利用して、水質浄化や湿度調整にも利用されている。我が家でも、床下に調湿用の炭を入れている。

 s-クヌギ炭0621.jpgもっぱら燃料として使用されていた江戸時代、その薪や炭(薪炭)を江戸に供給していたのが「武蔵野の雑木林」だ。那須火山や富士山、浅間山、赤城山などの火山灰で構成された関東ローム層に厚く覆われた洪積台地では、昔から萱の草原が広がり、馬などを飼育していた。徳川家康の江戸入城以来、人口が増加すると食料と共に炊事の燃料も不足した。そこで、草原の武蔵野にクヌギやコナラを植林して、薪炭の生産地としたのだ。

 埼玉県東南部に位置する私の勤務する大学の敷地内や周辺にも、薪炭林の名残のクヌギやコナラの林が残っている。しかし、現代では薪炭供給の役割もなくなり、ヤブとなって荒れ果てている。そうなると、ゴミ捨て場になり、結局は伐採して駐車場にでもしてしまおうということになる。

 環境省などが策定した「生物多様性国家戦略2010」では、生物多様性の4つの危機の一つとして、生活様式の変化による身近な自然の変化や喪失を掲げている。雑木林の変化は、まさにこの危機の例だ。

 s-雑木林ゴミ捨て禁止看板0613.jpg巨樹も含め、我が国の多様な自然は人と自然との相互作用で成立してきたものが多い。これからも、自然との繋がりを大切にしていきたいものだ。建物が密集した都会では、煙や臭いを気にして炭を使って七輪でサンマを焼くことさえもできなくなってしまった。

 (写真上)雑木林で堆肥用に落ち葉かきをする近隣の農家の人(大学敷地内にて)
 (写真中)クヌギの炭(春日部市内の炭店にて)
 (写真下)荒れ果てた雑木林には、ゴミ捨て禁止の看板も(大学隣接の雑木林にて)

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そのエビはどこから? -スマトラ島のマングローブ林から(2) [生物多様性]

 相変わらずの円高が止まらない。円高なら輸入品は安くなるはずだが、一般消費者が購入するときにはその実感は薄れる。「円高還元セール」をもっと大々的に実施してほしい。そう、かつても「円高還元セール」で価格が安くなり、一般の人々に行き渡るようになったものがある。その一つが、「エビ」だ。

 s-パサールCIMG0028.jpg年配の人なら記憶していると思うが、かつて日本では、エビは高級食材だった。わが家が別に貧しかったわけでもないが、天丼(えび天)なんて年に数回食べることができたかどうか。高度経済成長の時代とはいえ、贅沢をしない限り多くの日本人がそんな感じの生活をしていたと思う。日本でのエビ料理の材料は、ほとんどがトロール漁などによる天然エビだったのだ。

 s2-ブラックタイガーImage0791.jpgそんなエビが、庶民の口に上るようになったのは比較的最近のことだ。年々生活が豊かになってきた日本人には、かつての高嶺の花だったエビへの願望が強くなった。1960年代にはエビも輸入が自由化され、輸入量も少しずつ増加してきたが、まだまだ値が高く高級食材だった。トロール漁による根こそぎの天然エビ捕獲は資源の枯渇を招き、沿岸国では捕獲規制も始まり、価格も高騰することになった。それに変化が起きたのは1980年代に入ってからだ。エビ養殖技術と冷凍技術の発展により、エビの輸入量は増加してきた。そこに円高が重なり、スーパーなどでは「円高差益還元セール」と銘打って、東南アジアからの輸入ブラックタイガーが安売りされた。

 それ以来、私たちは安価にエビ料理を食べることができるようになった。丼物のファストフード店では、エビ天が2本も入った天丼を抵抗なく食べることができる。駅の立ち食いソバにも、エビ天ぷらが入っている。学生食堂でも、エビフライは定番メニューだ。

 s-エビ養殖池CIMG0600.jpgしかし、私たちが手軽にエビを食べることができる陰には、東南アジアのマングローブ林破壊もある。東南アジアの汽水域に広く分布するマングローブ林内の水域には、養分も豊富でプランクトンも多い。このため、古くからマングローブ林の一部に池を作り、そこで稚エビを養殖することが行われてきた。日本などにエビが(地元の人々にとって)高値で売ることができるとなると、少しでも生産量を上げるために養殖池の面積を増やしたいと思うのも人情だ。

 こうして、マングローブ林の伐採面積は拡大して、急速にエビ養殖池に転換されていった。生産効率を上げるために、エビの飼料や病気抑制の薬品などが投入されるようになると、水質汚濁などの問題も生じた。その後、養殖池もコンクリートで覆われ、水中に酸素を送り込むための曝気装置も供えられた集約的な養殖形態に変化していったが、多くの養殖池がかつてのマングローブ域であることには変わりない。

 スマトラ島でも、海岸部のマングローブ林は薪炭材やエビ養殖池造成などのために伐採された。ここで養殖されたブラックタイガーなどのエビは、安くて手軽なエビの天ぷらやフライとして、日本の外食産業や家庭の食卓を飾っている。あなたが食べたエビは、どこから来たのだろうか。

 (写真上)パサール(市場)で売られるエビ(スマトラ島にて)
 (写真中)日本のスーパーで売られているインドネシア産タイガーエビ
 (写真下)マングローブ林を伐採して作られたエビ養殖池(スマトラ島にて)

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津波とマングローブ林再生 -スマトラ島のマングローブ林から(1) [生物多様性]

 あの大地震と津波の3月11日から4か月。被災地ではまだまだ復興への道のりは遠い。陸前高田市の高田松原に唯一残った1本の松は、人々の希望の象徴となっている。

 津波といえば、2004年12月のスマトラ沖大地震に伴う津波で人々が流されていく映像も脳裏に焼き付いている。インドネシアでも、沿岸部に分布するマングローブは、これまで高潮の被害などを軽減してきた。しかし、燃料採取やエビ養殖池造成などのためにマングローブ林は減少してきている。

 s-マングローブ植林00898.jpg私が研究でしばしば訪れるスマトラ島南部のランプン州沿岸のマルガサリ地区でも、マングローブ林の減少による高潮で、沿岸部にあった小学校校舎が被害を受けたという。そこで州政府は沿岸堤を整備し始めた。沿岸堤とはいっても、わずか数メートルの高さの石積みで、満潮時に海水が浸入するのを防ぐ程度のものだろう。

 研究協定を結んでいる国立ランプン大学では、マングローブセンターを設置してこの地区のマングローブ再生なども実践している。今年の2月には、共栄大学学生とランプン大学学生とでマングローブ植林を行った。この時には、図らずも地元小学生も参加してくれた。現地に着くまで、その情報はまったく知らなかったので、小学生たちの歌による大歓迎を受けて戸惑ってしまった。

  マングローブは、人々の生活に様々な恩恵を授けてくれる。その一部の経済的な効用だけからマングローブを伐採し、人工物により残りの機能を代替させようとするのは、やはり人間の思い上がりではないだろうか。

 s-マングローブ植林地0424.jpg一緒に植林をしたマングローブが一日も早く豊かに成長してほしい。小学生たちの明るい笑顔のように、彼らの未来もマングローブとともに明るく歩むことができることを願ってやまない。そして、日本の高田の一本松も、明るい未来の象徴となることを切に願う。

 (写真上) 小学生たちとのマングローブ植林(後ろの石積みが沿岸堤)(インドネシア・スマトラ島にて)
 (写真下) 以前に植林したマングローブ(インドネシア・スマトラ島にて)


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熱帯林の保全 それとも遺伝子組換え食品? -「生活の中の生物多様性」講演の反応 [生物多様性]

 人々は、日本の日常生活がもたらす熱帯林の破壊よりも、直接的な遺伝子組換え食品のほうに関心が強いようだ。

 先週、大学公開講座で「生活の中の生物多様性 ~食料、薬品などの生物資源をめぐる国際攻防~」と題する講演をした。昨年の名古屋COP10で関心の高まった「生物多様性」をめぐる国際関係について、コロンブスの大航海時代から現代のバイオテクノロジーの時代までの私たちの日常生活との関連から、生物多様性の意味、条約をめぐる国際間の駆け引き(南北問題)などを海外で撮影したスライドなどを示しながら解説した。

 s-オイルパームプランテーション00762.jpgとくに、COP10の成果である「愛知目標(ターゲット)」「名古屋議定書」「名古屋・クアラルンプール補足議定書」から、それぞれ「生物多様性の保全」「遺伝資源へのアクセスと利益の配分(ABS)」 「遺伝子改変生物・遺伝子組み換え食品」について、私たちの日常生活との関連を示した。たとえば、日本で生産されるスナック菓子などに使用されるパーム油のためにオイルパームなどのプランテーションが拡大されて熱帯林が破壊されていること。先住民の生活の知恵である自然生薬が製品化されて、私たちはその薬品を使用して多国籍企業には莫大な利益をもたらすが、原産国には利益が還元されないばかりか知的財産権のために伝統的な利用も危うくなること。除草剤耐性作物など遺伝子組換え食品・生物の安全性が議論になり、「カルタヘナ議定書」や「名古屋・クアラルンプール補足議定書」が作成されるまでに長い年月がかかったこと。

 つい先日、講演後に聴衆から集めたアンケートの集計結果が送付されてきた。 これによると、「遺伝子組換え食品」に関心が寄せられているようだ。私としては、むしろオイルパームや茶畑、ゴム園などのプランテーションやエビ養殖などによる熱帯生態系の破壊の一因が私たちの日常生活にも関連していることを訴えたかった。そして、私たちを含めた先進国の生活を支えるために、特に多国籍企業の知的財産権の主張のために、原産国である途上国住民の伝統的な生活が維持できなくなっていることを訴えたかった。

 自分の意図と相手の反応が異なることはよくあることだ。 話術が未熟だといえばそれまでかもしれない。日常生活にとどまらず、一国の政治の世界、いや世界の国同士の折衝の場でも起こりうることだ。時として、誤解では済まない事態を招くことになる。これが政治の世界では、その被害は計り知れない。

 一方で、今回のアンケート結果には、丁寧な解説で、難しそうな生物多様性がよくわかり、目からうろこが落ちたような思い、との感想も多く寄せられていた。 私が今回の講演でもっとも意図したのはこの点だ。その意味では、ホッとしている。終わりよければ、すべて良し。まっ、いいか。「生物多様性をわかりやすく解説する」ことを目指しているこのブログを続ける元気も出てきた。

 (写真) 一面のオイルパームのプランテーション(インドネシア・ジャワ島)

 (関連ブログ記事)
 「遺伝子組み換え生物と安全神話 名古屋・クアラルンプール補足議定書をめぐって -COP10の背景と課題(5)
 「愛知ターゲット 保護地域でなぜ対立するのか -COP10の背景と課題(4)
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「金と同じ高価な香辛料


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『生物多様性をめぐる国際関係』出版 [生物多様性]

 本ブログのメインテーマの一つでもある「生物多様性をめぐる国際関係」が出版された。私も、共著者として参画している。
 『生物多様性をめぐる国際関係』毛利勝彦編著、大学教育出版 2011年5月31日発行、2600円(+税)

 s-書籍01215.jpgこの出版は、国際基督教大学(ICU)社会科学研究所が「国際生物多様性年シリーズ公開講演会」として2010年に実施した講演をベースにして取りまとめたものだ。本書編著者の毛利勝彦教授の講義は、NHKの日本版白熱教室にも取り上げられるほどだ。聴衆でもある学生も熱心に質問をし、惰性に流されがちな普段の授業に比して久しぶりに緊張感のある講義となった。後日送られてきた学生のコメントペーパーにも、参考となることが多く記載されていて、私としてもむしろ勉強になった。

 私は、「生物多様性と地域開発」をテーマに与えられ、昨年10月に講演をした。大学では「地域開発論」の講義もしているが、生物多様性と国際関係をキーワードにして「自然保護地域をめぐる国際関係」とでもいうような内容とすることとした。生物多様性保全のホットスポットでもある熱帯地域など途上国では、保全と開発をめぐる相克が続いてきた。名古屋COP10で採択された「愛知ターゲット(愛知目標)」では、保護地域の面積割合を陸上では17%以上とすることなどが合意されたが、まとまるまでにはいわゆる南北の対立があった。その対立の原因、理由および保護地域と地域社会の関わりなどから、貧困解消を含む地域開発と生物多様性保全との関係について、保護地域を舞台に語ってみた。内容は、「愛知ターゲット 保護地域でなぜ対立するのか -COP10の背景と課題(4)」をはじめ、本ブログでもたびたび取り上げてきたことだ。

 今回の出版物では、私のほかにも幅広い分野の方々が、「生物多様性をめぐる国際関係」について執筆されている。私の執筆した『第9章 生物多様性と地域開発 -愛知ターゲットと保護地域ガバナンス-』も、 前述のとおり断片的には本ブログでも取り上げているが、さらにアフリカやインドネシアでの保護地域と地域社会との関係の変遷などの事例を多く取り上げた。本書でまとまった、体系的な内容をぜひご覧いただきたい。

 ところで、なぜ私がICUの講演会に登場することになったのか。 もちろん、主催者である毛利教授からのお声掛けがあってのことだが、そのきっかけはどうやらこのブログとのことだ。本ブログをご覧になり、私の研究内容や生物多様性と国際開発援助などの論文・著作などに関心を持っていただき、講演依頼となったらしい。このブログも、まんざら捨てたものでもない。

 (写真) 『生物多様性をめぐる国際関係』

 (関連ブログ記事) 
 本ブログのマイカテゴリー 「生物多様性」や「保護地域 -国立公園・世界遺産」などすべて!!の記事


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遺伝子組み換え生物と安全神話 名古屋・クアラルンプール補足議定書をめぐって -COP10の背景と課題(5) [生物多様性]

  このたびの東日本大震災とともに、原子力発電所の安全神話は一気に崩れ去った。フクシマの脅威は世界を駆け巡り、各国の原発政策にも大きな影響を与えている。何事にも過信は禁物だし、“絶対”というものも存在しないことを思い知らされた。

 実は、生物多様性条約(CBD)をめぐる議論でも、“安全性”に関して長い間対立が続いてきた。それは、「バイオテクノロジー(バイテク)」により改変された生物、すなわち「遺伝子組み換え生物」(生物多様性条約ではGenetically Modified Organism: GMO、カルタヘナ議定書ではLiving Modified Organism: LMOを使用。このブログ記事では、以下LMO。)に関する安全性“バイオセイフティ(biosafety)”だ。CBDでは、第8条および第19条で取り上げている。CBDの成立が提唱された当初は、バイオセイフティに関する条項は含まれていなかった。それが、条文に位置づけられるようになった背景には、遺伝資源をめぐる先進国と途上国の対立、いわゆる南北問題がある。

 以前のブログ記事「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」などでも取り上げたとおり、遺伝資源やバイオセイフティ関連の条文は主として途上国の主張により挿入された。熱帯などの途上国に存在する生物資源から、先進国(実際には主に米国などの多国籍企業)は食料品や医薬品などを製品化して大儲けしている。その過程で、バイテクによる遺伝子組み換えも行われる。途上国は、原産国としての途上国に利益を還元し、遺伝子組み換えなどの技術も移転すべきだと主張した。先進国は、野放図な利益還元はできないし、知的財産権保護からも、途上国の主張を拒否し、多国籍企業の議会への圧力を背景にした米国は、いまだにCBDを批准していない。

 バイテクの安全性についても、自国で生産する技術のない途上国は、LMOが自然界に放出されると生物多様性に影響があるとして、その安全性の規定を条文に盛り込むべきだと主張した。一方、LMOを作り出している先進国(多国籍企業の意向を受けて)は、安全に配慮してLMOを取り扱っているから問題ない、それどころかバイテク産業への過剰な干渉だとして、規制に反対してきた。結局対立は解消されないまま、CBD成立時には妥協の産物として、今後安全性に関して条約(議定書)を検討する旨が盛り込まれた。ここまでが、本ブログ記事「遺伝子組み換え生物と安全神話」の背景のおさらいだ。  

 CBDを受けた「カルタヘナ議定書」(2000年採択)では、LMOが知らぬうちに国内に蔓延しないよう、安全性(バイオセイフティ)の観点から国境移動などについての手続きを定めた。しかし、輸入国などにおいて生態系などに影響(被害)を与えた場合の補償など(責任と救済)については意見がまとまらず、議定書条文では国際規則などを4年以内に定めることとされていた。

 COP10に先立つMOP5(本ブログ記事「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって」参照)で採択された「名古屋・クアラルンプール補足議定書」は、「カルタヘナ議定書」ではまとまらなかった原状回復や賠償などについてのルールを定めている。すなわち、輸入国などでLMOによる交雑や原産種の駆逐など生態系への影響が生じた場合には、輸入国政府はそのLMOの製造・輸出入事業者などを特定し、原状回復や損害賠償、さらには賠償のための基金創設などを求めることができるとするものだ。なお、議定書交渉が難航した原因の一つに、LMOの範囲としてLMOを基にした生成物(派生物)も含めるかどうかの対立があったが、最終的には生成物も対象となった。

 s-大豆製品01133.jpgところで、なぜLMOの安全性に関して合意されるまで、こんなに時間がかかったのだろうか。現実に、遺伝子組み換え大豆などは日本にも輸入され、遺伝子組み換えのナタネの種が、日本各地で見つかっているという。生態系への影響はないのだろうか。これまでも品種改良は昔から行われてきた。しかし決定的に異なるのは、品種改良は自然の摂理に基づいていることだろう。確かに、レオポン(leopon)(雄ヒョウと雌ライオンの雑種)など、自然界では生じることのない種を人間は作り出した。しかしそれは、地理的環境などにより自然界では交雑することはほとんどないだけで、同じネコ科同士で生物学的には近縁だ。また一代雑種F1には子孫を残す能力はく、仮に自然界に放出されても生態系には影響はないようだ。もっともこれも、繁殖能力がないとも言い切れないようだから、話は複雑だが。

 一方、LMOはわけが違う。自然の摂理を離れた、いわば神の領域にまで人間が踏み込んだ結果だ。その影響は計り知れない。生態系だけでなく、人間の健康にも影響は及ぶだろうが、想定さえもつかない。しかし、国内でもこの議論の当初は、LMOは実験室や圃場など閉じられた空間で、個別の取扱要綱に基づき安全性には配慮して慎重に扱っているので、新たな法律などによる規制は必要ない、と関係当局が主張していたのを私は覚えている。その構造は、世界の南北対立の議論と同じだ。

 これって、原発の“絶対安全”の主張、「安全神話」とどこが違うのだろう。かつて、自然界に存在しない物質フロンを創造し、その利用価値から夢の物質とまで称讃されたにもかかわらず、それがオゾン層破壊の元凶となった経験を私たちは忘れてはならない。私たちの現代科学、人間の知恵とはその程度なのだ。

 このたびの原発事故では、いまだに自宅に帰ることもできない方々も多い。風評被害や節電の影響も、農業、工業を問わず、また日本のみならず世界的にも甚大な影響を及ぼしている。これを契機に、当事者の言う「安全性」をもう一度検証するとともに、安全を主張する側は皆が納得するだけの情報開示をしてもらいたいものだ。

 遺伝子組み換えでも同じことが言えるだろう。安全神話は、慎重になってもなり過ぎることはないだろう。その結果、物事の進み具合が遅くなっても、焦らずのんびり行こうではありませんか。この際だから。

 (写真)日本の食卓に多い豆腐や納豆などダイズ製品には、「遺伝子組換えダイズは使用していません」の表示があるが・・・

 (関連ブログ記事)
 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)
 「愛知ターゲット 保護地域でなぜ対立するのか -COP10の背景と課題(4)
 「アクセスの多い「名古屋COP10成果」ブログ記事
 「地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評
 「イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える
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愛知ターゲット 保護地域でなぜ対立するのか -COP10の背景と課題(4) [生物多様性]

 名古屋で開催された生物多様性条約COP10の成果の一つ、生物多様性の保全目標などを定めた「愛知ターゲット」も、遺伝資源のアクセスと利益配分(ABS)のルールを定めた「名古屋議定書」と同様に、最後の最後まで論争が続いた。生物多様性の保全は、世界の誰もが賛同するはずなのに、なぜ対立が生じるのか。愛知ターゲットの20項目の一つで、最大の焦点でもあった「保護地域」について考えてみる。

 生物多様性条約(CBD)では、保全のための主要な手段として「生息域内保全」を定めている(第8条)。これは、多様な生物や生態系を自然状態で保全しようというものだ。その中核的な方法として、保護地域を定めてできるだけ人間の影響などを排除して保全することも示されている。ちなみに、「生息域内保全(in-situ conservation)」でも危うくなった生物種などの保全のためには、動物園、植物園、さらにはシードバンク(種子銀行)などの人間の管理下で保護することも必要だ。これを条約では「生息域外保全(ex-situ conservation)」と定めている(第9条)。

 保護地域は、古くは王侯貴族などの狩猟の場や狩猟対象動物の確保(game reserve)のために誕生した。紀元前700年には、アッシリアに出現したという記録もあるという。日本でも、江戸時代の鷹狩のための鷹場や御巣鷹山、あるいは鴨場などが知られている。先日NHKで放映された「ブラタモリ」でも、目黒界隈や現在の東京大学駒場キャンパス、あるいは浜離宮公園などの鷹場などを訪ねていた。鷹場では、建物の新築や鳥類の捕獲などが禁じられていたという。また、有用材の木曽五木を擁する尾張藩では、無断伐採者に対して死罪を含む厳罰で臨んだことも良く知られている。現在では、国立公園や世界遺産地域など、さまざまな種類の保護地域がある。(「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史」、「日本の国立公園は自然保護地域ではない? -多様な保護地域の分類」)

 こうした保護地域について世界中の関係者が集まる会議「世界国立公園会議」が、1962年の米国シアトルを第1回として10年に1度開催されている。その第3回会議(1982年バリ)の会議勧告では、地球上全陸地面積の5%を保護地域にすることを目標としていた。その後、保護地域面積は順調に増加し、第4回会議(1992年カラカス)では目標を10%とした。生物多様性の保全のための「2010年目標」(2002年ハーグCOP6で採択、2004年クアラルンプールCOP7で詳細決定)では、陸域、海域(海域は2012年目標)ともに、10%を保護地域の目標値とした。その後も保護地域の増加は著しく、2008年には、陸上保護地域だけでも全世界で12万か所を超え、地球上の陸地面積の12.2%を占めるまでになった。

 s-生命の宝庫熱帯林0765.jpg保護地域は条約でも規定されるとおり生物多様性の保全に寄与するものであり、熱帯林の消失などに対処するため先進国を中心に保護地域の一層の拡大を求める声は強い。そこで、名古屋のCOP10では、「ポスト2010年目標」として、保護地域の目標を15%に、あるいは20%にする案などが提案され、議論された。一般的には、生物多様性の保全のためには保護地域拡大が有効であることには反対論も少ないはずだと考えられる。しかし、途上国などは、高い目標値の設定には強く反対した。  

 途上国が保護地域面積割合の拡大に反対するのは、一言でいえば、開発などに支障があり、世界の生物多様性保全の恩恵は先進国の受けるのに、保全のために途上国だけが犠牲を強いられていると考えるからだ。こうした考えに基づく南北対立の構図は、制定過程を含む生物多様性条約全般にみることができる。地球温暖化の論争でも同様だ。

 その背景には、植民地時代などの保護地域は、先進国の人々の狩猟や観光などの目的、あるいは単に保護主義による野生生物保護の目的だけのために設定されたもので、地域住民(先住民)には利益はなかったとの思いがある。実際、保護地域内に居住していた住民は、保護地域から追放され、いわゆる米国型(イエローストーン型)の国立公園などとして管理されてきた。(「アバター  先住民社会と保護地域」)

 単に自然状態を維持するだけで森林伐採など資源利用もできない保護地域は、何も利益を生み出さないと途上国は考える。それだけではない、保護地域として管理するためには、保護地域の資源に依存する住民から自然を守るためのレンジャーなど、保護のための費用も膨大なものとなる。こうした点も、途上国の被害者意識を一層高めることになる。数字の上では保護地域面積は増加していても、途上国などでは単に地図上で指定しただけ(地図上公園Paper Park)で、実際には保護地域として管理されておらず、その機能を有していないものがたくさんある。

 途上国としても、生物多様性の「持続可能な利用」には理解を示すようになってきた。そこで、ある程度の保護地域拡大はやむを得ないとしても、保護地域管理のため、あるいは開発を犠牲にした代償として、相当の資金を要求している。しかし、際限ない資金供与の懸念から、先進国は途上国の主張に抵抗している。

 これらの背景と主張がからむ保護地域に関する南北対立も、会期末ギリギリのところで、日本を含む先進国側の援助資金提供の意思表示と、保護地域面積割合を提案されていた案の中間でもある17%とすることで、何とか妥結した。しかし、海域の保護地域については、10%で妥結したものの、日本を含め世界の現状は目標から遥かに遠い。世界全体の海域保護地域は、わずか1%にすぎない。一方で、乱獲や埋め立て開発など、生物多様性への脅威は続いている。

 一口に「保護地域」と言ってもその目的、保護地域内の管理手法などは千差万別であり、生物多様性保全の効果も面積割合だけでは語れない。保護地域の面積だけが増加しても、図上だけで実態のないペーパーパークでは意味がない。資金や技術の援助をすることも先進国の責任の一つだ。また、かつての植民地のように、地域住民だけに犠牲や負担を強いるものであってはならない。生物多様性が保全されることによって恩恵を受ける先進国の私たちも、日常生活からは離れた熱帯林や海域の保護と開発(地域社会)のあり方を真剣に考えたい。それにしても、またまた繰り返される「総論賛成、各論反対」はどうにかならないでしょうかネ。そして、生物多様性条約に未だ加盟していない米国も。

 (写真) 生物多様性の宝庫、熱帯林(コスタリカにて)

 (関連ブログ記事)
 「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史
 「日本の国立公園は自然保護地域ではない? -多様な保護地域の分類
 「アバター  先住民社会と保護地域
 「『米国型国立公園』の誕生秘話
 「エコツーリズムの誕生と国際開発援助
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)


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COP10閉幕と記事の流行 -私的新聞時評 [生物多様性]

 名古屋で開催されていた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が、会期ぎりぎりの2010年10月29日深夜(30日未明)に「名古屋議定書」などを採択して閉幕した。COP10に向けて、そして会期中は、「生物多様性」記事(番組)は連日のようにマスコミに登場した。しかし、10月30日付の新聞で「COP10閉幕」が報じられた後は、露出度はぐっと少なくなってしまった。尖閣諸島問題やAPEC(アジア太平洋経済協力)会議などの記事に押しやられた感がある。

 s-COP10新聞DSC00663.jpg2009年に内閣府が実施した「環境問題に関する世論調査」では、「生物多様性」の言葉を聞いたこともない人が61.5%にのぼったというが、このところの新聞などマスコミでの取り上げで、おそらく今日同様の質問をすれば認知度は格段に上がるに違いない。もっとも、「君は生物多様性を知ってるか」と正面切って聞かれて、自信をもって知っていると応えることのできる人は少ないだろう。私も、国内では長く関わってきた方の部類に入るだろうという自負はあるが、知っていると応えるだけの自信はない。今や、生物多様性は生物学から、政治学、経済学、農学、さらには倫理学など広い分野に及んでいる。それどころか文明論的な色彩さえ帯びつつあるのではないだろうか。また、「生物多様性」という言葉自体も、何やら難しそうだ。そこで、環境省など主催者やマスコミは、COP10を「生きもの会議」とも名付け、人々に親近感を持ってもらおうとした。私がブログに生物多様性に関する記事を書き続けているのも、少しでも多くの人に、その一部でも理解してもらい、生物多様性の保全に貢献したいと念じているからだ。

 COP10の内容を吟味し、総括した記事を執筆するには、それなりの時間も要する。私のブログ記事でも、まだそこまでには至っていない。ただ、今の状況、そしてこれまでの過去の状況をみていると、「生物多様性」記事は今後あまり期待できないのではないかと少し悲観的にも思う。限られた紙面、取材スタッフなどの制約から、日々のニュースに追われるのも仕方ない。マスコミも商売である以上、テレビ番組も含め、読者(視聴者)の関心のあることを優先せざるも得ないだろう。しかしそれが、極端ないわゆる視聴率競争になるのも困りものだ。なぜなら、マスコミはまさに世論をも形成するからだ。かつて環境省(当時は環境庁)の記者クラブ所属の記者さんから自嘲気味に聞いた話だが、クラブ在籍記者さんは社会部記者が多く、どうしても事件的な扱いになってしまうという。公害などが、いわゆる“事件”として取り上げられた名残のようだ。事件記者は、次々事件を追いかけるのに精いっぱいかもしれない。もちろん、社会の裏側を含め、真相解明で掘り下げることもある。しかし、生物多様性は、社会現象だけでなく、政治、経済、科学などあらゆる分野に及ぶ。単なる事件、一過性の「生物多様性」記事や番組ではなく、これからも息長く、恒常的に掲載(放映)してもらいたいものだ。

 とかく日本人は、「熱しやすく、冷めやすい」といわれる。流行(トレンド/ブーム)をみていると、確かにその感はある。もともと流行とは移ろうものだが、日本人には特にその傾向が強いようだ。その根底には、均質化した日本の社会では、人々は一種の強迫概念を持って流行を受け入れざるを得ない、ということもあるのではないだろうか。

 テレビ番組なども、視聴率を気にするあまり、どの局の番組も似たものとなっている(少なくとも、地デジ番組は)。これでは、まさに“画一的”で硬直した社会・文化となってしまう。自然界は、多様な生物種が健全に生きている社会(生態系)こそが、病気などの外圧にも強いことを教えてくれている。これがまさに「生物多様性」だ。これに倣って、“多様な”文化、そして個性により、健全な社会の実現を目指したいものだ。そのためにも、「生物多様性」が一過性のものではなく、私たちの生活、そして文明に定着するよう願う。自然から学ぶものは多い。

 (写真)名古屋議定書の採択とCOP10閉幕を第1面で報じる新聞各紙(2010年10月30日夕刊)

 (関連ブログ記事) 「名古屋議定書採択で閉幕 COP10の成果 -COP10の背景と課題(3)
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名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3) [生物多様性]

 生物多様性条約COP10(国連生きもの会議)が、10月29日深夜の「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」の採択で閉幕した。直前まで、果たして採択までたどり着けるか疑問視されていただけに、交渉にあたった関係者の苦労と喜びは計り知れない。

 s-名古屋COP10会議場DSC00627.jpg名古屋議定書は、野生動植物などから製品化した薬品などの利益をいかに生物資源の原産国である途上国に還元するか、などの生物の遺伝資源利用の国際的なルール、いわゆる「遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)」のルールを定めたものだ。食料品はもとより、医薬品など現代の私たちの生活に欠くことのできない「化学製品」も、本をただせば先住民などの自然界の生物資源の利用にヒントを得て、その成分など遺伝子資源を利用して製品化したものだ。先進国の多国籍企業などは、これらの製品により莫大な利益を上げてきた。しかし、そのもととなる生物資源(遺伝資源)は、大航海時代以来、植民地からヨーロッパなど先進国(宗主国)に持ち出されてきたものだ。途上国は、これを「生物資源の海賊行為(バイオパイラシー)」として非難してきた。(「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)」ほか参照)

 生物多様性条約(CBD)の成立までの交渉でも、各国は生物多様性の保全には異存ないものの、原産国としての権利と保全のための資金を要求する途上国と、企業活動への影響を懸念する先進国との間で、深刻な対立(南北対立)が続いた。CBDはこうした対立の中で、妥協の産物として成立した。(「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)」参照)

 これら対立の解決を先送りして成立したCBDは、その後の締約国会議(COP)のたびに、これらの課題の論争を繰り返すことになる。しかし、一定の成果も上がっている。条約発効後の最初の締約国会議、すなわちCOP1は、1994年11月末から12月初めにかけて、リゾート地としても有名なカリブ海のバハマの首都ナッソーで開催され、私も政府代表団の一員として参加した。翌年インドネシア・ジャカルタで開催されたCOP2には、ちょうど生物多様性保全プロジェクトの初代リーダーとして赴任中でオブザーバー参加した。そのCOP1では条約事務局の最終的な場所さえも決まらなかったが、COP2では、海洋生物多様性に関する「ジャカルタ・マンデート」とともに、参加国の喫緊の課題としてLMOの国境を越える移動について「バイオセーフティ議定書」を策定することが合意された。これを受けて、1999年カルタヘナで開催された特別締約国会議では「カルタヘナ議定書」が討議され、翌2000年にモントリオールで再開された会議で採択された。今回のCOP10に先立って開催されたMOP5では、このカルタヘナ議定書を補完して、LMOが輸入国の生態系に被害を与えた場合の補償ルールを定めた「名古屋・クアラルンプール補足議定書」が採択された。(「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって」参照)

 COPでは地球上の生物多様性保全についても議論が重ねられ、「エコシステム・アプローチ原則」(COP5)や「外来種予防原則」(COP6)、「世界植物保全戦略」(COP6)なども採択されている。また、1992年のCBD成立と同時に条約を目指しながらもUNCEDでの「森林原則声明」にとどまった森林の生物多様性やジャカルタ・マンデートを発展させた海洋生物多様性などが引き続き議論されてきた。

 s-名古屋COP10交流フェアDSC00581.jpgこうした中で、ABSは、COP6において「ボン・ガイドライン」が採択されてはいるものの、法的拘束力のある議定書などにまでは至っていなかった。今回の「名古屋議定書」は、単なるガイドラインと違い、条約としての位置付けのものだ。対立が続いたABSで、拘束力のある国際的なルールが策定されたことの意義は大きい。しかし、途上国が求めた植民地時代など議定書発効前に持ち出されて利用された資源は対象にならず、また改良製品(派生品)は個別契約時の判断となるなど、妥協点も多い。これが今後の運用に影を落とさないことを祈る。

 また、条約発効から10年目のCOP6では、「現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という「2010年目標」が採択された。この目標では、11の最終目標(ゴール)と達成のための21の目標(ターゲット)が掲げられた。今回のCOP10では、この「ポスト2010年目標」も争点の一つとなった。こちらは、20項目の個別目標の「愛知ターゲット」として採択された。

 この「ポスト2010年目標」討議では、特に保護地域の面積割合について、生物多様性保全のためにさらに保護地域を増やすべきとする先進国と、保護地域拡大は開発抑制になるとする途上国の間での対立が続いた。この保護地域論争は、改めて「国立公園・世界遺産」に関するブログで解説したい。

 なにはともあれ、国際生物多様性年、そして2010年目標の最終年に開催されたCOP10で大きな成果があったことは、ホスト国の日本として誇るべきことだ。とかく地球温暖化に比較して認知度の低い生物多様性だったが、先行していた地球温暖化の「京都議定書」に続いて、今回の会議では、「名古屋」あるいは「愛知」の名を冠した議定書や目標が採択された。願わくば、実効性が上がらず、またその後の枠組み(ポスト京都議定書)の期限内制定にも失敗した京都議定書の二の舞は踏まないでほしい。

 (写真上)COP10国際会議場
 (写真下)多くの市民などで賑わった生物多様性交流フェア(国際会議場隣接会場)

 *本稿は、筆者の以下の論文とブログ記事をとりまとめたものです。一部の文章および写真の重複は、お許し願います。

 (関連論文)
 「生物多様性条約はいまどうなっているのか」グローバルネット34(1993年)
 「生物多様性政策の系譜」ランドスケープ研究64(4)(2001年)
 「生物多様性保全と国際開発援助」環境研究126(2002年)
 「国際環境政策論としての生物多様性概念の変遷」共栄大学研究論集3(2005年)
 「IUCNにおける自然保護用語の変遷」環境情報科学論文集21(2007年)
 「世界の国立公園の課題と展望-IUCN世界保護地域委員会の動向」国立公園659(2007年)
 「国際的な生物多様性政策の転換点に関する研究」環境情報科学論文集23(2009年)
 「生物多様性をめぐる国際関係 -COP10の背景と課題」国立公園687(2010年)
 
 (関連ブログ記事)
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2)
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「国際生物多様性年と名古屋COP10
 「今、名古屋は元気印? COP10、フィギュアスケート、ドラゴンズ、そして開府400年
 「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「金と同じ高価な香辛料
 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト2
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト3
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ABS論争も先送り 対立と妥協の生物多様性条約成立 -COP10の背景と課題(2) [生物多様性]

 今回のブログは、前回に続いて「生物多様性条約」(Convention on Biological Diversity: CBD)に関するものだ。CBD成立は、途上国と先進国の対立、いわゆる南北対立の中で妥協の産物として成立したことについて解説しよう。

 CBDは、1992年の「国連環境開発会議(UNCED)」に合わせて誕生した。1987年の国連環境計画(UNEP)管理理事会決議に基づき開始されたCBD作成作業は、当初は保全を中心とする各分野の既存条約を包括する枠組み条約(アンブレラ条約)として検討開始されたが、途上国の主張する遺伝子資源やバイオテクノロジーを含む関連技術へのアクセスとこれらの技術からもたらされた利益の還元(ABS)、遺伝子改変生物(LMO)の取り扱い、さらには財源問題など、次第に内容は広範になった。最終的に条約の目的は、生物多様性の保全、生物多様性構成要素(すなわち生物資源)の持続可能な利用、そして遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分の3本柱となった。

 条約では、生物多様性を「生態系」「種」「遺伝子」レベルで保全することとしているが、その根本は「生息域内保全」だ。これは、保護地域などを設定して、できるだけ自然状態で保全する方法だ。これに対して、人間の管理下で、動植物園での保護増殖や種子、卵精子のシードバンクなどでの保存が、「生息域外保全」である。

 この条約成立過程には、前のブログで説明したような生物資源をめぐる各国の争いが色濃く反映している。もちろん、大航海時代やその後の植民地、帝国主義の時代のように、武力を使用するわけではない。争いの場所は、国際的な環境政策を協議する場である。交渉過程でのCBDの条文内容の変化は、先進国と途上国との対立、いわゆる南北問題が生じた結果といえる。

 s-名古屋COP10会議場DSC00571.jpgすなわち、途上国は、発展を犠牲にして生物資源を保全してきたのは自分たちで、その資源を利用してきた先進国や企業は、利用のための技術やそこから生じる利益を資源の原産国である途上国に還元すべきとし、利益をむさぼる企業の行為を生物資源の海賊行為(バイオパイラシー)と非難している。こうして、条約に生物資源原産国としての途上国の権利認識、先進国が生物資源の活用により獲得した利益及び技術の途上国への還元・移転などを盛り込むよう主張した。

 これに対して、農産物改良や新薬発見のために新たな生物資源を探査・利用したい多国籍企業などの意向も受けた先進国は、無制限の技術移転やその際の知的財産権侵害などに懸念を示し、知的財産権の確保などを主張した。その他、LMO問題や資金問題など、対立点は多い。しかし、UNCEDの機会を逃したら、CBDは永遠に成立しないかもしれないとの各国の焦りもあり、妥協の産物として成立した条文は、途上国の主張を大幅に取り入れ、かつ曖昧な表現となっている。多くの争点が、条約成立後のCOPに宿題として持ち越された。このような状況下で、多国籍企業などの圧力もあり、米国はいまだにCBDを批准していない。

 この途上国の主張とそれに対する先進国の主張のすれ違いは、現在でも基本的には変わっていない。それでも、このままでは生物多様性の喪失が続き、人類の未来も危ういとの危機感から、合意への努力が続けられている。その場が締約国会議(COP)だ。今、名古屋では熱き論争が連日続いている。

 (写真)熱き議論が続く名古屋COP10会議場(名古屋国際会議場)

 *本稿は、筆者の以下の論文とブログ記事をとりまとめたものです。したがって、重複する文章もあります。

 (関連論文)
 「生物多様性条約はいまどうなっているのか」グローバルネット34(1993年)
 「生物多様性政策の系譜」ランドスケープ研究64(4)(2001年)
 「生物多様性保全と国際開発援助」環境研究126(2002年)
 「国際環境政策論としての生物多様性概念の変遷」共栄大学研究論集3(2005年)
 「IUCNにおける自然保護用語の変遷」環境情報科学論文集21(2007年)
 「世界の国立公園の課題と展望-IUCN世界保護地域委員会の動向」国立公園659(2007年)
 「国際的な生物多様性政策の転換点に関する研究」環境情報科学論文集23(2009年)
 「生物多様性をめぐる国際関係 -COP10の背景と課題」国立公園687(2010年)

 (関連ブログ記事)
 「今、名古屋は元気印? COP10に参加して
 「COP10開会にあたって -COP10の背景と課題(1)生物資源の利用と生物種の絶滅
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「国際生物多様性年と名古屋COP10
 「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「金と同じ高価な香辛料
 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1


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生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1) [生物多様性]

 先週までのMOP5(「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって」)に引き続き、いよいよ生物多様性条約COP10が本日(2010年10月18日)開会した。このところ、連日のように新聞やテレビで「生物多様性」が取り上げられ、一般的にもなじみが出てきたようだ。これまで、このブログでも生物多様性条約に関連して、生物の絶滅、生物資源やそれをめぐる国際関係、私たちの生活と生物多様性、さらには国際援助、保護地域、エコツーリズムなど、様々な話題を取り上げてきた。COP10の開会にあたり、私のこれまでの発表論文やブログ記事を取りまとめる形で、生物多様性をめぐる国際関係をおさらいしてみようと思う。このため、一部の記述や写真は、以前のブログと重複することをお許し願いたい。

 s-CIMG0358.jpgまずは、生物資源の利用と生物種の絶滅についてだ。私たちが西洋料理の食材と思い込んでいるドイツ料理のジャガイモ、イタリア料理のトマトなどは、いずれもヨーロッパ原産ではない。これらの食材やたばこなど多くのものが南米から伝わった。1492年、旗艦サンタ・マリア号に乗り込んだコロンブスが、アメリカ(西インド諸島)にたどり着いたときからそれは始まった。それ以降、つまり大航海時代には、食材だけでなく、香辛料や薬草を求めて、探検家たちは世界を駆け回り、ヨーロッパ列強は世界を分割支配した。肉料理に使う香辛料のチョウジは、モルッカ諸島(現在インドネシアの一部)だけに産出した。当時は同じ重さの金よりも高価であった。覇権争いに勝利したオランダは、東インド会社を設立し、これらの権益を独占した。

 私たちが病気のときに世話になる医薬品。今日使用されている薬品の40%以上は野生生物に由来しているという。南米インカで使用されていたキナ樹皮に由来するキニーネは、マラリア特効薬として有名だ。現代でも、プラントハンターと呼ばれる多くの人々が密林の奥深くで新薬の原料を探している。マダガスカルのニチニチソウやカナダのイチイなどに由来するガンの特効薬も、こうして発見され、商品化されつつある。何しろ、ひとたび薬品がヒットすれば、1品目で年に軽く1500億円は稼げるという。世界全体では、なんと70兆円の利益とも言われている。マラリア特効薬のキニーネの例のように、近代科学の申し子のような医薬品も、その情報を提供してくれるのは皮肉にも未開の人々といわれる先住民族たちだ。記憶に新しいところでは、新型インフルエンザの治療薬タミフルは、ハッカクという中国原産の香辛料だ。

 s-ジャム―売りCIMG0530.jpg人類が資源として利用するのは植物だけではない。動物もまた食料や毛皮、装飾品、薬品(漢方薬)などの目的で大量に捕獲され、絶滅に至ったものも多い。有名な例では、北アメリカに50億羽も生息していたリョコウバトは、ヨーロッパ人の移住とともに食肉や羽毛採取が目的で殺戮され、1914年には地球上からその姿を消してしまったという。

 生物および生態系は、このように「生物資源」として食料、医薬品などの原材料を提供しているほか、我々人類の「生存基盤」として、酸素供給や水源涵養、気候緩和などの役割も有している。また、芸術文化の対象となるなど精神面でも不可欠のものである。これらの便益は「生態系サービス」と呼ばれ、国連が実施した「ミレニアム・エコシステム・アセスメント(ミレニアム生態系評価)」(2005年公表)では「基盤サービス」「供給サービス」「調整サービス」「文化的サービス」に分類されている。

 さまざまな便益を我々人類に提供してくれる生物多様性の構成要素である生物種は、全世界に高等なものだけでも1000万種から3000万種、あるいはそれ以上存在すると推定されている。このうち、分類され命名されているものは140万種にすぎない。熱帯林は、これら地球上に存する生物種の50~90%を擁しているが、多くの野生生物は、熱帯林の消失などにともない、人類に認識される前にこの世から姿を消しているのが現状だ。

 (写真上) 生物資源の争奪戦の対象となったチョウジ乾燥風景(インドネシアにて)
 (写真下) 生薬ジャム-売り(インドネシアにて)

 *本稿は、筆者の以下の論文とブログ記事をとりまとめたものです。

 (関連論文)
 「生物多様性条約はいまどうなっているのか」グローバルネット34(1993年)
 「生物多様性政策の系譜」ランドスケープ研究64(4)(2001年)
 「生物多様性保全と国際開発援助」環境研究126(2002年)
 「国際環境政策論としての生物多様性概念の変遷」共栄大学研究論集3(2005年)
 「IUCNにおける自然保護用語の変遷」環境情報科学論文集21(2007年)
 「世界の国立公園の課題と展望-IUCN世界保護地域委員会の動向」国立公園659(2007年)
 「国際的な生物多様性政策の転換点に関する研究」環境情報科学論文集23(2009年)
 「生物多様性をめぐる国際関係 -COP10の背景と課題」国立公園687(2010年)

 (関連ブログ記事)
 「MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって
 「国際生物多様性年と名古屋COP10
 「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために
 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全
 「金と同じ高価な香辛料
 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト2
 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト3

 (2010.10.24更新)


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MOP5って何? -遺伝子組み換えをめぐって [生物多様性]

 いよいよ本日(2010年10月11日)から、名古屋で生物多様性の国際会議が始まった。新聞などでは「国連地球生きもの会議」として取り上げられている。本ブログでも、これまで「国際生物多様性年と名古屋COP10」などで取り上げてきたものだ。しかし、新聞などを注意して読むと、今日から始まった会議はMOP5(あるいはCOP-MOP5)とも書いてある。それでは、今日から始まったMOP5なる会議は一体何なのか。COP10との関係はどうなっているのか。ここで、簡単に解説しておこう。

 今日から始まった“MOP5”(COP-MOP5)は、“5th meeting of the Conference of the Parties serving as the Meeting of the Parties to the Cartagena Protocol on Biosafety”(カルタヘナ議定書第5回締約国会議)の略だ。一方の“COP10”は、以前のブログでも解説したとおり“10th meeting of the Conference of the Parties to the Convention on Biological Diversity”(生物多様性条約第10回締約国会議)の略だ。COP10が「生物多様性条約」加盟国(締約国)の会議であるのに対して、MOP5は「カルタヘナ議定書」加盟国(締約国)の会議だ。これが、一番の相違である。しかし、生物多様性条約とカルタヘナ議定書は一体のものなので、同時に開催され、マスコミでは総称して「地球いきもの会議」などと呼んでいる。

 一般的に、条約と議定書の関係は、少々乱暴ではあるが国内法の「法律」と「施行令」「施行規則」との関係と類似していると考えればわかりやすい。法律で実施する施策の細部を規定したものが施行令や施行規則だ。条約も総論を示しただけで、実施のための細部までは決まっていないことが多い。それを補うのが議定書だ。多くの人に馴染みのある地球温暖化防止のための「国連気候変動枠組条約」と「京都議定書」の関係を思い浮かべてもらえば理解しやすいだろう。いずれにしろ、条約も議定書も、国際間の約束事である点には変わりない。

 s-農地DD129_L.jpgカルタヘナ議定書とは、遺伝子組み換え大豆などのような「遺伝子改変生物」(Living Modified Organism: LMO)(かつては、Genetically Modified Organism: GMOの用語が多用された)が自然界に放出されることによる生物多様性への影響を回避するための措置を定めたものだ。生物多様性条約では、第19条にバイオテクノロジーの取り扱い及び利益の配分として、COP10での課題の一つである「遺伝資源のアクセスと利益配分(ABS)」とともに、バイオテクノロジーによって改変された生物の安全な取扱い等についての「議定書」検討が規定されている。度重なるCOPでの検討を経て、1999年にコロンビアのカルタヘナで草案が検討(採択は、翌年のカナダ・モントリオールの会議)されたことから、「カルタヘナ議定書」と呼ばれているが、正式名称は「バイオセイフティに関するカルタヘナ議定書」という。加盟各国は、輸出の際にLMOを含んでいる場合には、LMOの明記と相手国の同意、通報などを求めている。日本では国内法として「遺伝子組み換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(カルタヘナ法)を2003年に定めている。

 加盟国は、カルタヘナ議定書の効果を高めるため、LMOが万が一自然界に放出されたりした場合の補償などについて合意を目指している。しかし、遺伝子組み換え農産物の主要生産国である米国やカナダ、アルゼンチンは、特に農業や製薬などでのLMO使用に対する規制を嫌いカルタヘナ議定書自体に加盟(批准)していない。生物多様性条約事務局が所在(モントリオール)するカナダにおいてさえも、各論となるとこの対応とは驚きだ。

 LMOのよく知られた例に、除草剤耐性品種がある。これは、農作物の大敵である雑草対策の除草剤開発において、雑草だけを枯らしてしまう選択性の除草剤開発が困難なため、すべての植物を枯らす強力な除草剤を開発し、この除草剤の影響を受けない遺伝子を改変した農作物品種とセットにするという、ある種のビジネスモデルでもある。世界的な農業従事者の減少などを受けて、この除草剤耐性品種であるダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ワタ(綿)などの作付面積は広がっている。カルタヘナ議定書に加盟している日本にも、除草剤耐性などの性質を有したこれらのLMO品種が輸入農産物などからこぼれ落ちたりして、私たちの知らぬ間に自然界にも広がりつつあるという。安全性には配慮されているとはいえ、その影響の本当のところは誰も確認できない。人間の浅知恵によって取り返しのつかないことが起きないように、くれぐれも慎重に取り扱いたいものだ。 (写真は、本文とは関係ありません。)

 (関連ブログ記事)「国際生物多様性年と名古屋COP10」、「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」、「生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために」、「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」、「金と同じ高価な香辛料


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生物多様性国家戦略 -絵に描いた餅に終わらせないために [生物多様性]

 いよいよ今年(2010年)10月には、名古屋で「第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)」が開催される。それを目前に控え、3月に「生物多様性国家戦略2010」が閣議決定された。今更そのことをブログに取り上げても時期遅れだ。しかし、このブログは「人と自然」の関係を取り上げ、わかりやすく解説することを一つの売りにしている(勝手にそう言っているだけで、誰も期待していないだろうが)。その柱となるテーマに「生物多様性」を据えている以上、ここらで「生物多様性国家戦略」を取り上げておこうと思う。少し硬い話題だが、お付き合いいただきたい。s-第2次戦略3332.jpgs-第1次戦略3320.jpg

 「国家戦略」とはずいぶんと物騒な用語だが、これは「生物多様性条約」第6条に規定されている締約国ごとに作成する生物多様性の保全と持続可能な利用のための「国家的な戦略もしくは計画」(NBSAPs)に由来している。戦略は英語ではstrategyで、もともとは軍事用語だったが、外交などの政策や会社経営などでは、頻繁にお目にかかる。「戦術はあっても、戦略がない」などと結構日常用語としても使用されている(両方とも、元は軍事用語だ)。

 生物多様性条約は1992年に成立し、93年に発効した。日本はCOP2(1995年ジャカルタ)に間に合わすべく、地球環境関係閣僚会議での了解を得て最初の「生物多様性国家戦略」を策定(1995年10月)、条約事務局に報告した。爾来、「新・生物多様性国家戦略」(2002年3月)、「第三次生物多様性国家戦略」(2007年11月)、そして、最新の「生物多様性国家戦略2010」(2010年3月)と更新してきている。世界では、国家戦略(および/または行動計画)を策定済みの国は170カ国で、現在策定中が14カ国、未定が9カ国となっている(2010年5月現在)。策定済みの国々の中でも、日本は律義に3度の更新をしている。3度もの更新(つまり、4版め)をしている国は、日本以外にはない。そもそも、策定後に一度でも更新しているのはわずか33カ国、未更新で現在作業中は15カ国だから、日本の更新の頻度は際立っている。世界で最初に条約に規定する国家戦略を策定したのはシンガポールで、条約の成立と同年の1992年。このブログでもたびたび取り上げているインドネシアが"Biodiversity Action Plan for Indonesia (BAPI)"を策定したのは日本よりも早く1993年だ(中国も同年)。

 しかし、単に早ければ良いというわけでもない。絵に描いた餅では意味がない。得てして途上国は法制度など形式は立派に整備されていても、内実が伴わないことが多い。たとえば、国立公園などの保護地域でも、図面上は線引きがされて指定されていても、実際には管理がされていない"paper park"(紙上だけの公園)が多い。生物多様性を保全するためには、できるだけ自然のままで生態系などを保全する「生息内保全」(in-situ conservation)(生物多様性条約第2条、第8条)が重要である。そのためには保護地域の役割は大きいが、ペーパー・パークでは心もとない。生物多様性国家戦略でも同様だ。

 日本の国家戦略は、1995年のCOP2に間に合うように策定された。このため策定の速度も求められたが、律義な日本は文言だけではなく、実行可能な戦略の策定を目指した。しかし結果として、既存の各省庁の施策を束ねただけ(いわゆる、「ホッチキス止め」)との厳しい評価を受けてしまった。と言っても、これも策定に一時は関与した者の言い訳に過ぎないかもしれない。s-第4次戦略3325.jpgs-第3次戦略3330.jpg

 その後、「新・生物多様性国家戦略」では、「生物多様性の4つの価値」として、①すべての生命存立の基盤:現在及び将来のすべての生命に欠かすことのできない基盤、②人間にとって有用な価値:現在及び将来の豊かな暮らしにつながる有用な価値、③豊かな文化の根源:精神の基盤、地域色豊かな文化の根源、④将来にわたる暮らしの安全性保証:世代を超えた効率性・安全性の保証を掲げている。また、その保全のための課題として「3つの危機」、すなわち第1の危機:人間活動や開発による危機、第2の危機:人間活動の縮小による危機、第3の危機:人間により持ち込まれたものによる危機を、さらに「基本戦略」として、①生物多様性を社会に浸透させる、②地域における人と自然との関係を再構築する、③森・里・川・海のつながりを確保する、④地球規模の視点を持って行動するとし、これらに基づく「具体的施策」が掲げられている。確かに、前戦略より大分“戦略”らしくなってきた。「第三次国家戦略」では基本的にこれらを踏襲し、3つに危機に第4の危機として地球温暖化の影響を加えている。

 2008年には「生物多様性基本法」も策定され、単に条約だけでなく、国内法でも国家戦略が位置づけられた(第11条 策定の義務)。「生物多様性国家戦略2010」は、この基本法に基づく最初の国家戦略として、2010年3月に閣議決定されたものだ。これまでの戦略を継承しつつも、2020年までの短期目標と2050年までの中長期目標を定め、より一層“戦略”らしくなってきた。

 海外諸国と比較して、初動は遅いが一旦受け入れたら確実に実行する、というのが日本外交の定評にもなっている。それもこれも、「絵にかいた餅」にしないためだ。今年は名古屋でCOP10が開催され、世界の注目を集める。生物多様性国家戦略でも、法律に基づき閣議決定されたものである以上、政府一丸となって実効性を挙げてもらいたい。いや政府ばかりではない。地方を含む、行政、企業、住民(国民)の連携により、さすが日本といわれるよう期待したい。

 なお、生物多様性国家戦略の本文などについては、以下のwebをご覧ください。
   環境省HP 「生物多様性国家戦略2010を策定しました」 http://www.env.go.jp/nature/biodic/nbsap2010/index.html
   環境省生物多様性センターHP 「生物多様性国家戦略」 http://www.biodic.go.jp/nbsap.html


 (写真)生物多様性国家戦略の各版の表紙 (第2版から第4版は、普及版パンフレットの表紙)
   (上左)国家戦略(初版) (上右)新・国家戦略 (下左)第3次国家戦略 (下右)国家戦略2010
 
 (関連ブログ記事)「国際生物多様性年と名古屋COP10」 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」 「生物多様性をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで


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金と同じ高価な香辛料 [生物多様性]

冬季オリンピックが開催され、連日テレビ観戦の人も多いだろう。残念ながら、20日現在では日本選手は銀メダルが最高で、金メダルにまでは手が届かない。各選手はこの大会を目指して過酷なトレーニングに励んできた。それでも才能と努力だけではなく、時の運もメダル争いには加担するようだ。それだけ、金メダルは貴重で尊いものだろ。古代から、人類の富と憧れの象徴だった金。その金と同等の、高価な香辛料がかつてあった。このブログでもたびたび取り上げた「クローブ(丁子)」だ。

s-クローブ0360.jpgクローブは、熱帯雨林の高さ10mほどの常緑樹で、そのつぼみを乾燥させたものが釘に似た形をしているために、中国で「丁」の字が当てられたといわれている。英語のクローブ(Clove)も、フランス語で釘を意味する"Clou"が語源だという。殺菌・消毒効果があるため、紀元前から薬品として利用されてきた。また、その殺菌・防腐効果と独特の香りから、食品の香料としても利用されてきた。精油されたものは日本刀のさび止めにも使われたという。

大航海時代になると、コショウやナツメグなどとともに、主要な香辛料(スパイス)として貿易対象となった。特にその殺菌力と防腐性の高さは、ヨーロッパの肉食生活では、肉の保存と消臭のために重宝された。しかし、産出量も少なく、高価なため、ヨーロッパ列強はその確保にしのぎを削った。当時は、金と同じ重さで取引されたともいわれている。その理由は、クローブが現在のインドネシアの一部、モルッカ諸島だけにしか産しなかったからだ。この地を植民地としたオランダは、クローブ生産をアンボン島だけに制限し、他の島のクローブの木を伐採してしまったほどだ。こうして、オランダは東インド会社を設立して、クローブを含む東南アジアの富を独占した。その後、フランスやイギリスによってひそかに持ち出されたクローブの苗木は、世界各地で栽培されるようになった。これにより、オランダの独占が崩れ、富の源泉も失うこととなった。これは、ゴムが原産地のアマゾンから持ち出されたのと酷似している。現在では、クローブのほとんどが、かつてフランスにより持ち込まれた東アフリカで生産されている。s-CIMG0358.jpg

日本刀のさび止めに使われたクローブ油も、東インド会社のオランダ商人によって長崎出島にもたらされたことに思いを馳せると、何となくロマンを感じる。ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港に降り立った時の甘ったるく淀んだ熱帯の空気の感触。これには、インドネシアのタバコに含まれているクローブ(インドネシアでは、チェンケ(cengkeh)と呼ぶ)が多分に影響している。最初はその臭いが気になったが、今では何とも懐かしく、心地よい。

 (写真上)クローブ
 (写真下)クローブの乾燥風景(ランプン・スマトラ島にて)(再掲)

 (関連ブログ記事)「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」、「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
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国際生物多様性年と名古屋COP10 [生物多様性]

 2010年は、国連が定めた「国際生物多様性年(International Year of Biodiversity: IYB)」だ。また10月には、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)も開催される。COP10は、同時にカルタヘナ議定書第5回締約国会議(MOP5)も兼ねている。このブログでも、生物多様性は主要なテーマの一つだ。しかし、政府の世論調査によれば、「生物多様性」という言葉も聞いたことがない人が大半(60%以上)で、聞いたことはあっても意味まで知っている人はわずかである。ましてや、生物多様性条約あるいはCOP10の認知度は、グッと低くなる(2009年「環境問題に関する世論調査」)。

 s-国際生物多様性年ロゴ.jpg生物および生態系は、これまでもたびたびこのブログで取り上げたように、「生物資源」として食料、医薬品などの原材料を提供しているほか、われわれ人類の「生存基盤」として、酸素供給や水源涵養、気候緩和などの役割も有している。また、芸術文化の対象となるなど精神面でも不可欠のものだ。しかし一方で、地球上から絶滅していく生物種も多い。そこで、多様な生物の保全などのために、1992年に「生物多様性条約」が締結された。

 この条約は、当初は各分野の既存条約を包括する枠組み条約(アンブレラ条約)として検討開始されたが、次第に内容は広範になり、生息域内保全と生息域外保全、生物資源の持続可能な利用、遺伝資源やバイオテクノロジーを含む関連技術へのアクセス、これらの技術からもたらされた利益の還元、遺伝子改変生物の取り扱いなどが含まれることとなった。これは、条約交渉過程での先進国と途上国との対立、いわゆる南北問題が生じた結果である。92年の「国連環境開発会議」(地球サミット)(リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)で開催)までに交渉をまとめ上げないと条約の成立は危ういとの焦りからの妥協の産物でもあるのだ。最終的に条約の目的は、生物多様性の保全、生物多様性構成要素(すなわち生物資源)の持続可能な利用、そして遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分の3本柱となった。

 こうして条約は成立したものの、多くの対立的事項が積み残しの課題となった。これらの課題を継続して話し合うのが、条約締約国会議(Conference of Parties: COP)だ。「国連気候変動枠組み条約(地球温暖化防止条約)」のCOP(たとえば、2009年12月コペンハーゲンで開催されたCOP15)が有名だが、各条約にCOPはあり、生物多様性条約でもおよそ2年ごとに開催されてきた。生物多様性条約は1993年12月に発効し、COP1は翌94年11月にナッソー(バハマ)で開催された。この会議には私も参加したが、南北対立事項の対処方針をめぐって、G77などの途上国グループと先進国グループの非公式会議がそれぞれ別々に連日夜更けまで開かれた。しかし結局は、資金メカニズムなどの対立点はもちろん、条約事務局の場所など事務的な事項さえも満足に決定できないまま終了した。s-COP10ロゴマーク.jpg

 その後、COPも回を重ねるごとに懸案事項についての合意事項も増え、遺伝子組み換え生物の扱い(バイオセーフティ)のための「カルタヘナ議定書」なども成立した。こうして、条約発効から10年目の2002年4月にオランダのハーグで開催されたCOP6では、ハーグ閣僚宣言などのほか、「生物多様性条約戦略計画」も採択された。これは、条約の目的を更に推進するために必要な目標、優先すべき活動等を定めたもので、2010年までを計画年次として、「現在の生物多様性の損失速度を2010年までに大きく低減させる」ことを戦略計画全体の目的とした。そのための生態系保全など11の目標が掲げられ、保護地域の強化などが要請された。これがいわゆる「2010年目標」と呼ばれるものだ。

 今年は、その目標年。2006年にブラジルのクリチバで開催されたCOP8の勧告により、同年の第61回国連総会において決定されたのが、2010年を「国際生物多様性年」とすることだ。条約と2010年目標を周知して、条約の達成を推進しようと、世界各地でイベントも開催される。日本では、名古屋で第10回目の締約国会議(COP10)が開催されることになっており、イベントにも力が入る。COP10では、2010年目標達成度の検証とポスト2010年目標のほか、遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)、海洋生物多様性保全、地球温暖化による生物多様性への影響など、多くの課題が山積みとなっている。議長国として、イベントばかりに浮かれているわけにはいかない。

 (写真上) 国際生物多様性年ロゴマーク(環境省発表資料より)
 (写真下) COP10ロゴマーク(環境省発表資料より)


 (関連ブログ記事) 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」、「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」、「熱帯林の消滅 -生物多様性の宝庫・ボルネオ島と日本」、「自然と癒し -日本人は自然の中でのんびりと過ごせるか
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選挙と生物多様性 [生物多様性]

 世の中は、総選挙の話題でにぎやかだ。この選挙・民主主義と「生物多様性」。ちょっと強引かもしれないけれど、その関係は?

 民主主義の世界では、多数意見が勢力を持ち、これに従うのがルールになっている。「民衆は愚衆だ」との意見も根強いが、とにかく選挙では多数の得票を得た候補者が当選する。このため、時として政党候補者選びや選挙運動自体が人気取りに偏ることも多い。いずれにしろ、多数を占めた勢力が、その政策内容や実際の施策実現はともかくとして、権力を握る。極端な場合には、この権力によって策定された法制度が「悪法も法なり」ということになる。その場合でも、責任は選挙民にある。一方で、仮に多くの支持を得なくとも、軍事力、財力、宗教、血縁などにより強権的に少数が権力を得ることもある。これが独裁だ。

 生物の世界でも、生存競争に打ち勝った種が勢力を伸ばす。植物では、勝った種は優占種として広い面積を占めることも多い。現在問題になっている多くの外来生物(移入種)も、在来種との競争に打ち勝って勢力を広げたものたちだ。しかし、あまりに優占、独占しすぎて、ある日突然滅亡の目に逢うこともある。外来種のセイタカアワダチソウは、根からアレロパシーという植物の発芽成長を阻害する物質を分泌して、他の植物との競争に勝って勢力を広げてきた。しかし、セイタカアワダチソウだけの画一的な世界になると、アレロパシーがセイタカアワダチソウ自身に作用して拡大が阻害されるという。

 生物の世界では、競争もあるが、持ちつ持たれつの助け合いも多い。植物の種子の運搬(拡散)では、鳥や獣も大きな役割を担っている。食物連鎖も、一見弱肉強食の世界のようだが、実は大きな目で見ればお互いに助け合っている世界ともいえる。人間から見て雑草や害虫と言われる生物でも、生態系ではそれぞれの役割もあるのだ。このように、多くの生物によって構成され、それぞれが互いに関係しあって成り立っているのが生物多様性の世界だ。s-生命の宝庫熱帯林0765.jpg

 かつて、途上国の食料問題解決のためにトウモロコシ、小麦、米などの高収量品種が開発され、多くの国で作付けされ、多数の人々を飢餓や栄養失調から救ったことがあった。これは、「緑の革命」として有名で、中心になったボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を受賞したほどだ。 しかし、これらの品種の作付けには、多量の水や肥料、農薬も必要で、環境問題を含めて社会経済上のさまざまな問題も引き起こした。そして、単一作物(モノカルチャー)は、何よりも気候変動(冷害など)や病虫害が起きるとひとたまりもない。大面積が同じ性質の画一的な世界だから、全滅の危機が極端に高くなる。

 18世紀から19世紀にかけて、不毛の地といわれたアイルランドでジャガイモ生産が成功し、ジャガイモが主食となり人口も増加した。しかし、ひとたび疫病の発生でジャガイモが全滅すると、ジャガイモだけに頼っていたアイルランド国民の約10%、100万人以上が餓死し、200万人が国外に移住せざるを得なくなった。世にいう「アイルランドジャガイモ飢饉」だ。この時に米国に渡った多くのアイルランド出身者の中には、後に大統領などを輩出したケネディ家も含まれていた。

  「アイルランドジャガイモ飢饉」のように、単一作物が全滅を引き起こすことは教訓となっているはずだが、現在の日本を含めて多くの国では売れる品種、金がもうかる品種のモノカルチャーだ。これは、農業の世界だけではない。資本主義(金がものをいう)の産業や経済の世界はもちろん、私たちの日常生活の場でも、多くのものやことが画一的になってきた。買い物に行っても、大型店舗が主流で、商品はどこでも同じような多売品しか置いていない。ちょっと流行遅れやマイナーなものは、見つけるのがほとんど不可能だ。ファッションなど流行の世界では、特に日本人は周囲と異なることを極端に恐れるようだ。その挙句、人と同じ格好をし、意見表明など目立つことも恐れ、携帯電話などで誰かと繋がっていないと不安を感じる若者も多い。

 今や地球全体がグローバリゼーションという画一的な世界に進みつつある。画一化、単一化した世界は、滅びるのも早いことを生物多様性の世界が教えてくれている。選挙も含めて、日常社会でさまざまな考えや主義主張、そして生き方が認められるような多様な世界を実現したいものだ。

 (写真) 生命の宝庫 熱帯林(グヌン・ハリムン・サラック国立公園(インドネシア)にて) 
 (関連ブログ記事) 「物質と便利さを求める若者気質と自己表現」 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして


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インドネシア生物多様性保全プロジェクト3 (国立公園管理) [生物多様性]

 インドネシアでは、2009年3月現在、50の国立公園が指定されている。国立公園は、基本的には国有地(国有林)であり、林業省自然保護総局(現在ではPHKAだが、本ブログ記事では当時のPHPAを使用)が管理する公園専用地域となっているが、これらの国立公園での管理計画の樹立や管理体制の整備は必ずしも十分ではない。

 s-ハリムン管理事務所0747.jpg生物多様性プロジェクトでは、生物多様性保全のためにグヌン・ハリムン国立公園を適正に管理運営することを目標のひとつとした。このため、無償資金協力では、国立公園管理事務所を国立公園の入口(国立公園外)に位置するカバンドゥンガン(Kabandungan)村(ジャカルタから車で約3時間)に建設提供した(備品類も含む)。また、国立公園内のチカニキ(Cikaniki)には、フィールドステーション(リサーチステーション)も建設した(ブログ記事「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1および同2(調査研究活動)」参照)。

 本プロジェクトはスタート時点から、無償資金協力(ハードの提供)だけで完成するのではなく、無償の施設と併せて技術協力も実施(ソフトの提供)することを特色としていた。プロジェクト方式技術協力(プロ技協)の内容は、公園管理体制を確立し、管理のための管理計画などを策定し、実施することである。

 ハリムン国立公園は、1992年に指定されたが、プロジェクト開始時点(1995年)では、管理事務所は近隣のグデ・パンゴランゴ(Gede-Pangrango)国立公園管理事務所の一部となっており、所長を含む大半の職員も兼務であった。プロジェクト開始後、インドネシア側の努力もあり、管理事務所機構は徐々に発展し、第1フェーズの後半(97年9月)には、ハリムン国立公園管理事務所は独立して所長を有し、50名規模の職員体制を目指すまでになった。

 国立公園管理計画は、PHPAの通達により「国立公園管理計画策定のためのガイドライン(Guidelines for the Preparation of National Park Management)」が1993年に定められている。これによると、計画は3分冊で構成され、第1部は「国立公園管理計画編」、第2部「資料、計画、分析編」、第3部「サイト計画編」となっており、それぞれの構成、必要資料も定められている。プロジェクトでも、他公園との整合性をとることからも、このガイドラインに従って策定作業を進めた。

 前述のとおり、ハリムン国立公園内の自然状況等の資料は不充分である。本来は、現況調査結果を待って計画を策定すべきであるが、生物多様性保全のための早急な管理体制樹立のためには、調査と併行して策定せざるを得なかった。筆者は、かつて「十和田八幡平国立公園(十和田団地)公園計画再検討報告書」(1976年)および「釧路湿原保全構想」(1978年)において、メッシュ解析法を採用したが、これは公園の概況、地区の特性を把握するために有効であった。このため、プロジェクトにおいてもこの手法により、まず公園内の特性を示す地図を作成することから始めることとした。

 これらの結果も踏まえ、公園計画では、自然の特性などに基づき、核心地区(Core Zone)、原生地区(Wilderness Zone)および利用地区(Intensive Use Zone)に区分することとした。当初JICAチームは、日本の地域制公園の経験も踏まえ地域との共存の観点から、伝統的利用地区(Traditional Use Zone)として地域住民による慣習的な植物採取などを許容する地区を設定する考えを提案したが、PHPAでの公園管理計画の地域地区としては未だオーソライズされておらず、考え方自体は関係者間で合意されたものの、正式な計画案に盛り込むまでには至らなかった。また、プロジェクト計画(R/D)では、公園計画は地元の開発計画とも十分整合を図ることとされており、特に、PHPA当局も含め、地元ではエコツーリズムの導入による地域経済への波及効果を期待している。しかし、管理体制、受入体制が未整備のままでいたずらにエコツーリズムの推進による利用者の増大を図るのは問題を生じる。豊かな自然が破壊されてからでは遅い。この点で筆者は、公園計画に反映させるべく次の点を提案した。

1)    保護対象の核心地区と利用地区とを明確に区分し、特に宿泊施設は原則として、公園内に点在する形ながらも法的には公園指定地域外であるエンクローチメントの集落または公園周辺の集落に設ける。これは、地域を巻き込んだエコツーリズムの推進にもなるし、伝統的な生活慣習に触れるよい機会にもなる。
2)    当面は、フィールドステーションを核に、研究フィールドとして整備・運営し、国内外の研究者・学生の利用増進により、研究利用とエコツーリズムの統合を図る。

 現在では、手作業のメッシュ解析ではなく、地理情報システム(GIS)によるコンピュータ処理なども可能となった。その元となる植生や動物分布などのデータも、プロジェクトの進展により整備が進んできた。後任の専門家などの努力により、グヌン・ハリムン国立公園も拡張され、「グヌン・ハリムン・サラック国立公園」となった。エコツーリズムも実施されるようになった。また、インドネシア全体の国立公園数もずいぶん増え、林業省の国立公園管理計画の取り扱い制度や考え方自体もだいぶ変化してきた。初代リーダーとしては、当時と比べて隔世の感がある。まさに、プロジェクトの成果だろう。そこには、継続的に関わってきた専門家の技術移転による、日本の国立公園の経験が生きている。

 *本ブログ記事は、筆者「インドネシア生物多様性保全プロジェクト(報告)」(国立公園567、1998年)を参考としています。そのほか関連著作に、筆者「インドネシア生物多様性保全プロジェクトと研究フィールド」(日本熱帯生態学会ニューズレター Tropical Ecology Letters No.27、1997年)、「国立公園の科学データと研究者との協働」(国立公園661、2008年)など。

 (写真) 無償資金協力により建設された「グヌン・ハリムン国立公園管理事務所」(インドネシア・カバンドゥンガン)

 (関連ブログ記事) 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1」「インドネシア生物多様性保全プロジェクト2(調査研究活動)」「富士山の麓で国立公園について講演


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インドネシア生物多様性保全プロジェクト2 (調査研究活動) [生物多様性]

 インドネシア生物多様性保全プロジェクトの活動の柱の一つに、「調査研究」がある。これは、インドネシア科学院(LIPI)研究者の能力向上と科学的データの集積を目指した活動である。プロジェクトの調査研究活動は、動物研究標本館やハーバリウムでの標本分類とグヌン・ハリムン国立公園(現、グヌン・ハリムン・サラック国立公園)でのフィールド調査研究とに大別される。

 ボゴールの生物学研究開発センター(RDCB)には、タイプ標本や既に絶滅してしまった種などの貴重な標本を含め、動物約30万点(その他昆虫等未分類標本約100万点)、植物約200万点が所蔵されていると言われている。しかし、プロジェクト開始前の標本収蔵庫は老朽化しており、高温多湿で虫害も多い熱帯地域では、オランダ統治時代から100年以上経ったこれらの貴重な標本の保存状態としては決して好ましい状態ではなかった。このため、世界銀行の地球環境ファシリティー(GEF)プロジェクトにより、再整備(再分類と標本箱更新等)及びデータベース化が進められた。このうち、ボゴール植物園内数箇所に分散していた昆虫などの動物標本は、再整備の完了したものから順次、チビノンの新動物研究標本館へ移転された。
(注) チビノンのLIPI研究コンプレックスには、動物研究標本館のほか、現在ではハーバリウム(植物研究標本館)も日本の無償援助によって建設されている。

 s-Research Station.jpg一方、プロジェクトのフィールドであるハリムン国立公園では、生物多様性保全に配慮した管理計画の早期策定が期待されていた。このような状況から、当プロジェクトの活動としては、当面は標本館での分類作業そのものよりも、フィールド調査を通じての分類学への貢献に重点を置いた。公園内のチカニキ地区には、リサーチ・ステーションとキャノピー・ウォークウェイ(樹冠観察歩道)が整備された。

 ハリムン国立公園は、ジャカルタの南西約100kmに位置し、1992年に指定された面積4万ha(プロジェクト当時:2003年にサラック山地域が拡張され、面積11万3,000ha)の国立公園であり、ジャワ島では残り少ない自然林の地域である。公園内の最高峰ハリムン山(標高1929m)を中心に、標高約500mから1900mの山地で、全体的にはシイ、カシ類などが優占し、日本の亜熱帯性照葉樹林にも似た植生である。ここには、ヒョウ (Panthera pardus)、ベンガルヤマネコ (Prionailurus bengalensis)、ジャワギボン (Hylobates moloch)、リーフモンキー (Presbytis comata)などが生息している。公園へのアクセスは陸路とはいえ非常に悪く、公園を横断する道路も悪路で、無償援助で建設した公園管理事務所とリサーチ・ステーション(共に、1997年2月完成)の間わずか20kmに、2時間を要するほどである。このため、国立公園とはいっても利用者はほとんどなく、大学の研究者やプロジェクト関係者が訪問者の中心であった。その後、管理費用収入を目的に、リサーチ・ステーションをエコツーリズムの拠点として一般観光客を受け入れるようになり、一時は研究利用にも支障が出たこともあったそうであるが、最近(2008年夏)は観光利用も減少してきている。

 s-リサーチ2.jpgこの公園を科学的知見に基づいた公園管理計画の策定と実施による生物多様性保全に配慮したモデル国立公園とするため、森林生態学や哺乳類、鳥類あるいは植物の各分類や生態調査の専門家が短期専門家として派遣され、公園内の動植物インベントリーの作成や分布調査、永久調査区(パーマネント・プロットpermanent plot)の設定などがなされた。例えば、1ヘクタール調査区のひとつ、標高1700m地点ではカシ属(Quercus lineata)が優占し、他にシイ属(Castanopsis acuminatissima)、Lithocarpus 、イジュ(Schima wallichii)が多く、1100m地点ではマンサク科のAltingia excelsaが優占するが、カシ、シイ、イジュもそれに次いでいること等が判明した。その他、かすみ網による鳥類調査、カメラ・トラップ(自動撮影)やラジオ・トラッキング(電波追跡)による哺乳類調査等も実施され、標高と出現種数との関係等の成果が取りまとめられている。カメラ・トラップでは、ヒョウの写真が撮影された。それまで地元住民の目撃情報はあったものの、写真という証拠はプロジェクト活動によって初めてもたらされた。また、これら公園内の野生生物の現状把握の結果は、公園管理計画の策定にも反映された。永久調査区の設定は、今後の生態系の長期モニタリングや動植物相互作用の生態系解明に貢献することになろう。

 (写真上) 日本の無償援助リサーチ・ステーション(グヌン・ハリムン・サラック国立公園チカニキ(インドネシア)にて)
 (写真下) カメラ・トラップの設置を指導するJICA専門家(グヌン・ハリムン・サラック国立公園(インドネシア)にて)

 *本ブログ記事は、筆者「インドネシア生物多様性保全プロジェクト(報告)」(国立公園567、1998年)を参考としています。そのほか関連著作に、筆者「インドネシア生物多様性保全プロジェクトと研究フィールド」(日本熱帯生態学会ニューズレター Tropical Ecology Letters No.27、1997年)などもあります。

 (関連ブログ記事) 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1」 「インドネシアの生物資源と生物多様性の保全」 「熱帯生態学会
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インドネシアの生物資源と生物多様性の保全 [生物多様性]

 インドネシア生物保全プロジェクトに関連し、インドネシアの生物多様性の概要や生物資源利用の歴史などを紹介する。

 インドネシアは、民族・文化のみならず、これを育んできた自然も変化に富んでおり、マングローブ林、低湿地から高山帯にいたる森林まで、多様な生息・生育環境、生態系を有している。さらに、東南アジアとオセアニアの生物相の接点にも位置することから、それぞれに多数の固有の生物種を有している。こうした地理的特性により、国内には約32万種といわれる多くの動植物が生息・生育している。中でも、哺乳類は515種(世界の12%に相当)で、一国に生息する種数としては世界最多であり、またその多く(36%)が固有種であるなど、インドネシアはアマゾンなどとともに世界でも有数の生物の多様性に富んだ地域となっている。s-CIMG0358.jpg

 インドネシアは、大航海時代以降、その生物資源の豊富さから、チョウジ、ナツメグ、コショウといった香辛料を初めとする生物資源の争奪戦の場となった。ジャカルタ近郊のボゴール市にある熱帯植物園(1817年開園、87ヘクタール)やインドネシア科学院(LIPI)所有の総計300万点にもおよぶ動植物標本は、熱帯生物資源のカタログ(見本)としての意味付けもあり、こうした資源争奪戦の一翼を担っていたともいえる。

 現在では、薬品・食料品などの遺伝子資源供給の面から生物多様性保全の重要性は高まっている。しかし一方で、木材供給や農耕地拡大のための森林伐採などにより、生物多様性の喪失が続いている。特に、1997年から1998年にかけての大規模な森林火災に加え、1998年スハルト体制崩壊後の政治経済の混乱は、環境保全予算の削減や合法的生産量の3倍にも達する違法伐採等の増加をもたらし、生物多様性の喪失に拍車をかけた。s-板根0702.jpg

 インドネシアは、 10年に一度開催される世界国立公園会議をアジアで初めて1982年10月に開催した。この第3回世界国立公園会議では、「持続可能な開発のための公園」をテーマとして、自然資源保全のための保護区の設定・管理などを勧告するバリ宣言が採択され、「エコツーリズム」も取り上げられた。その後生物多様性条約が制定されると、インドネシアは1994年8月に同条約を批准し、翌1995年11月には第2回生物多様性条約締約国会議をジャカルタで開催した。

 1993年には「インドネシア生物多様性行動計画」(Biodiversity Action Plan for Indonesia:BAPI)が公表されている。これは、生物多様性条約の規定による生物多様性国家戦略(National Strategy)(第6条)として位置付けられている。このBAPIに基づき、保護地域の設定その他の保全施策や生物多様性資源の利用施策が実施に移されている。

 2004年12月現在、約136.72百万haの森林のうち、約28.26百万haが535保護地域として指定されている。これら、保護地域や野生生物保全などの現状については、別途報告する。

 (写真・上) チョウジを天干しする住民(ランプン・スマトラ島にて)
 (写真・下) 板根を張り巡らした巨木(ボゴール熱帯植物園・ジャワ島にて)

(この記事は、筆者「生物多様性保全と国際開発援助」(環境研究126、2002年)に掲載されたものの一部を引用しています。)

 (関連ブログ記事) 「インドネシア生物多様性保全プロジェクト1」 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」 「熱帯林の消滅 -野生生物の宝庫・ボルネオ島と日本
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インドネシア生物多様性保全プロジェクト1 [生物多様性]

 私は、日本で初めての「生物多様性」を冠したJICAプロジェクトの初代リーダーとして、1995年から1998年までインドネシアに滞在した。本稿では、そのプロジェクトの概要を紹介する。

 インドネシアにおける日米の生物多様性プロジェクトは、1992年1月の日米首脳会談に端を発している。この会談で両国は、「日米グローバル・パートナーシップ・アクションプラン」として自然資源の管理と保全のための「環境資源センター」構想に合意し、途上国を支援することにした。その後、米国の政権交代に伴い、名称も「日米コモン・アジェンダ」と変更された。両国は、 1994年8月の日米イ3国による合意を得て、インドネシアにおける協力プロジェクト「生物多様性保全プロジェクト」を発表した。

 この合意に基づき、米国は、生物多様性保全のための調査研究等の活動を推進する非政府機関(NGO)に対する助成基金「インドネシア生物多様性基金(IBF)」を創設(以下、USAIDプロジェクト)し、そのための資金2000万米ドルを拠出した。基金管理のためのインドネシアNGOとして、 YAYASAN KEHATIが1994年1月に設立された。さらに、コモン・アジェンダの枠外事業として、事業期間が1992年から2003年、事業費が94.3百万米ドルの「天然資源管理プログラム(NRMP)」が実施されている。このプログラムでは、林業省あるいはLATINなどローカルNGOの森林や保護地域などの管理活動に援助している。

 これに対し、日本は、プロ技協と無償資金協力により協力(以下、JICAプロジェクト)することとなった。プロ技協は、第1フェーズとして1995年7月から3年間実施され、1998年7月からは、5年間の第2フェーズに延長された。 カウンター・パート機関は、LIPIと林業省自然保護総局(PHPA、現PKA)である。このプロジェクトは、「生息域外保全」と「生息域内保全」の分野で、
(i) 調査研究: 生物学・分類学の調査研究の推進と研究者の能力向上
(ii) 公園管理: グヌン・ハリムン国立公園における科学的知見に基づいた公園管理計画の策定・実施による生物多様性保全に配慮したモデル国立公園の設定と管理運営
(iii) 情報整備: 生物多様性施策等推進の基礎となる分布などの生物情報の集積とシステム作り、
についての技術移転を行う。このうち(ii)の技術移転項目として、エコツーリズムや環境教育も組み込まれている。

 無償資金協力では、交換公文(E/N)ベースで23.2億円を拠出している。これにより、生息域外保全のための「動物研究・標本館」がチビノンに整備された。s-動物標本館.jpgまた、生息域内保全のためには「国立公園管理事務所」と「リサーチステーション」がグヌン・ハリムン国立公園に、インドネシア国内保護区等の自然環境情報集積・提供の「自然環境情報センター(NCIC)」がボゴール市内にそれぞれ建設された。さらにプロジェクト基盤整備事業により、リサーチステーションに近接してキャノピー・ウォークウェイ(樹冠観察歩道)も建設され、グヌン・ハリムン国立公園は、野外研究の拠点としても整備された。

 *本稿の詳細は、筆者「生物多様性と国際開発援助」(環境研究126、2002年)などをご覧ください。

 (写真) 無償援助で建設されたLIPI動物研究・標本館(インドネシア・チビノンにて)

 (関連ブログ記事) プロフィール 生物資源をめぐる国際攻防 熱帯林の消滅
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南スマトラ調査 [生物多様性]

 8月初旬から、インドネシアのスマトラ島南部、ランプン州の調査に来ています。(この記事は、インドネシアからの投稿です。)

 スマトラ島はジャワ島の北側ですが、ジャワに比べれば自然が残っています。野生のゾウやトラも生息していていますが、最近では生息地の熱帯林が少なくなり住民とのトラブルも時々起きています。さらにここにきて、熱帯林が急速に消滅しています。その理由は、健康ブームでの動物油脂から植物油脂への切り替え、環境ブームからの化学洗剤から石鹸洗剤などでの植物油脂利用、さらに地球温暖化防止のためのバイオ燃料です。いずれも、そのために利用されるのはヤシ油(パームオイル)で、そのためのプランテーション拡大で熱帯林が伐採されているのです。その多くは日本にも輸入されているのですから、スマトラの自然破壊の一端は、日本人にも責任があるということになります。(このブログの他の記事も参照してください)

 s-ワイカンバス0142.jpgスマトラ最南端のランプン州は、比較的早くから開発されたため、むしろ自然林は少ないのですが、野生のゾウがいるので有名なワイ・カンバス国立公園もこの州にあります。海岸沿いでは、マングローブが破壊されて、エビなどの養殖池にもなっています。地元のランプン大学では、マングローブ・センターを設立して、エコツーリズムなどのプログラムを開発しながら、自然も残しながら地域の発展を進めるための研究を進めています。今回は、ランプン大学と共栄大学との共同研究の最初の現地調査で、全体的な状況把握をしています。

 調査結果などの詳細は、また後日このブログで紹介することにしましょう。お楽しみに。

 (写真) 調教されたゾウに乗って自然林の中を歩くプログラム(ワイ・カンバス国立公園にて)
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